良いお年を 2013・13・30(月)~31(火)
 一年のお付き合いありがとうございました。今年もなんとか「独り言」を続けることが出来ました。マンネリ化して日記のような一面もありますが、なるべく楽しくて新しいことをと心がけてきました。どうぞ懲りずに来年もお付き合いください。
 来る年が輝いていることを願って、今年の独り言を終わります。

放浪唫草・第16首(會津八一) 
  別府にて(第3首)             解説
  ひさかたの あめ に ぬれ つつ うなばら を
          こぎ たむ あま が たぢから も がも
     (久方の雨に濡れつつ海原を漕ぎたむ海人が手力もがも)

                  奥伊吹スキー場・琴将デビュー
前期高齢者へ(今年を振り返って3) 2013・12・29(日)
 インフルエンザの予防接種を受けたら、連れ合いより料金が安い。前期高齢者(65~74歳)になったのだと連れ合いが笑っている。スキー場では50歳以上あるいは55歳以上はシニア料金として割引があるので、高齢を自覚してきたが、前期高齢者とはっきり言われると気持のよいものではない。ちなみにこの前期高齢者という呼び方は「高齢者の医療の確保に関する法律」などによるらしい。
 今年は細菌の体内侵入による不調や夏場の高温に体調を崩すなどして、自らの高年齢を思い知らされた。いつまでも元気で楽しく暮らしたいと思っているが、年齢にふさわしい行動をしなければと思った1年だった。
 さてさて、来年はどうなるのだろう?元気にスキーを続けたいが。

放浪唫草・第15首(會津八一)
  別府にて(第2首)          解説
  はま の ゆ の には の このま に いさりび の
             かず も しらえず みゆる このごろ
     (浜の湯の庭の木の間に漁火の数もしらえず見ゆるこの頃)

 別府湾の壮大な漁火の光景を詠む。
                                 琴将・冬休み2
孫たち登場・四日市の冬休み 2013・12・28(土)
 昼過ぎに四日市に到着、夏休みから5ヶ月弱だが孫二人の成長は目を見張るものがある。背が伸び、しっかりしてきた。
 昼食はかど源で丼物とそばを食べる。その後、ゲレンデデビューのためにソリや衣服を買いに出かけた。手袋、長靴、オーバーズボンなどをそろえたが、孫たちが挑戦すると言ったら、スキーセットを現地で借りるつもり。息子は20年ぶり、義兄は30年ぶりぐらいのスキーになる。30日、奥伊吹スキー場の予定だ。
 今夜は孫たちがスージ達の狭いベッドで寝るので、くるみを入れて5人になる。夏は何度もベッドから落ちたし、素空の寝る場所が殆どなかった。息子たちに手伝ってもらい、座り机やコンパネを使ってベットを1,5倍ほどに拡張した。
近鉄沿線ハイキング(今年を振り返って2) 2013・12・27(金)
 楽しかった思い出は近鉄沿線ハイキング、冒頭に以下の文章を追加して、全体を一つのページにした。名古屋のツインタワーが見えた時は嬉しかった。
 はじめに(近鉄名古屋線を歩く)
 山野では、真ダニや山ヒルの恐れがあるので、四日市から名古屋まで近鉄沿線を歩いてみようと思った。もちろん、電車を使い少しずつである。近鉄名古屋線の四日市から名古屋までは各駅停車だと21駅ある。
 (四日市ー川原町ー 阿倉川ー 霞ヶ浦ー富田ー 川越富洲原ー伊勢朝日ー 益生ー桑名ー長島ー弥富ー佐古木ー富吉ー 蟹江ー 戸田ー 伏屋ー八田ー烏森ー黄金ー米野ー名古屋)
 体調不良や猛暑で歩けなかった時もあったので、5月27日に始めて10月27日まで5ヶ月もかかった。出発は川原町駅だが四日市駅の一部のようなもの、いつもこの間は歩いているのであえて記録はしなかった。(近鉄四日市駅の1日の平均乗車人員の数は20,000人ほどである)
鹿鳴集解説・完(今年を振り返って1) 2013・12・26(木)
 會津八一の歌の解説は2002年5月に始めた。そして第一歌集である鹿鳴集359首の解説を今年の11月に終えた。なんと11年かかっている。軽い気持ちで、興味のある歌を解説しようとしている間にはまってしまったと言っていい。
 最初は歌が詠まれた所を訪れ、写真を撮って掲載すると決めていたので遅々として進まなかった。奈良を詠んだ南京新唱99首を終えてからは現地を踏まずに机上での解説になったのでスピードが上がった。
 長い人生を漫然と生きてきた中で、なんとか形にできたものと言える。読んでいただいた方々、そして誤字や脱字の指摘や感想、批評をしてくれた仲間に心から感謝したい。

放浪唫草・第14首(會津八一) 
  別府にて (第1首)           解説
  いかしゆ の あふるる なか に もろあし を
          ゆたけく のべて ものおもひ も なし
  (いかし湯の溢るる中に両脚をゆたけく伸べてもの思ひもなし)

 3週間あまり別府に滞在、心と身体の洗濯をする。 
難しい駅名2 2013・12・25(水)
 記事では関西で枚岡、放出、交野を難読の駅名だと紹介する。
 平岡は枚方(ひらかた)から「ひらおか」だと見当がついた。枚岡駅は東大阪市出雲井町にある近鉄奈良線の駅である。
 放出は難しい。大阪市鶴見区放出東三丁目にあるJR西日本の駅で有名な難読駅名のひとつにあげられている。読みは「はなてん」、地名の由来は2説、古代にここの湖水が旧淀川への放出口となっていたことから、水の「はなちてん」が「はなてん」になったと言う説と熱田神宮から草薙剣を盗んだ新羅の僧が神の怒りを恐れて剣を放ったという伝説から。
 交野市駅は大阪府交野市私部(きさべ)にある京阪電鉄の駅、読みは「かたの」。平安時代の貴族が交野ヶ原に遊んだことや有名な和歌でこの読みは知っていた。
  交野で詠んだ在原業平の歌
    世の中に絶えて桜のなかりせば
           春の心はのどけからまし  (古今和歌集)
  またこの歌を背景に据えて詠んだ藤原俊成の歌も有名である。
    またや見む交野のみ野の桜狩り
           花の雪散る春のあけぼの (新古今和歌集)

                       初滑り・奥伊吹スキー場
かわいさ段違い(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2013・12・24(火)
 夕食の準備中、私がつまみ食いすると、ワンちゃんがこちらを見る。その顔がかわいくて、つい一口あげちゃう。でも夫が物欲しそうな目付をしても、ちっともあげる気にならない。        (犬好きな妻・61歳)

 「俺は戸籍の筆頭者だ!」と叫んでも連れ合いと愛犬・うららの堅固な世界の埒外に置かれている。
戦争、殺戮 2013・12・23(月)
 戦後に生まれて戦争のない平和な日本で暮らしてきた。ありがたいことだ。ただ、平和は当たり前のもの、戦争は他国のことと思っていると、失ってからその大切さに気付くだろう。
 平和な日本の現状が嫌いなのかと思える今の首相の動向を見ていると若い世代の将来の不幸を心配する。
 平和の大切さ、そしてそれを宣言する憲法9条を世界に誇るものとしてきたが、日本の神話や旧約聖書にある世界ではほとんどが戦争、殺戮の歴史である。だから、戦争は当たり前とするのか、だからこそ不断に平和を希求しなければいけないのか、人は考えなければいけない。

 平和とは戦の峡に他ならぬ人類のこの罪深きこと (新聞の歌壇から)

放浪唫草・第13首(會津八一) 
  ふたたび厳島を過ぎて(第5首)      解説
  ひとり きて しま の やしろ に くるる ひ を
         はしら に よりて ききし しほ の ね
   (一人来て島の社に暮るる日を柱に寄りて聞きし潮の音)

 厳島神社の柱に寄りかかって潮の音を聞き、思いを詠う。
日録 20世紀(1912・明治45) 2013・12・22(日)
 1912年のグラビアは“明治天皇崩御と乃木殉死”、“白瀬南極探検隊の活躍”である。天皇は7月30日崩御、乃木大将は大正元年9月13日(御大葬の日)に夫妻で殉死する。白瀬矗(のぶ)中尉と隊員26人は1月28日南極に日章旗を立てた。残念ながら南極点には到達していない。この二つの事件は幼い頃によく聞かされたが、細かいことは覚えていない。
 文学界では谷崎純一郎の「刺青」が評判を呼び、泉鏡花の「歌行燈」や長塚節の「土」などが出版されている。
 4月13日に早熟な天才と言われた石川啄木が肺結核で亡くなる。26歳だった。前後して母、妻、長男も結核で亡くなると言う悲惨な状態だった。
 歌集「かなしき玩具」で病を詠む。
       呼吸(いき)すれば、
       胸の中うちにて鳴る音あり。
       凩(こがらし)よりもさびしきその音 !
 同じ、歌集の中の看護婦の歌に妙に惹かれた。
       脉(みやく)をとる看護婦の手の、
       あたたかき日あり、
       つめたく堅(かた)き日もあり。
放浪唫草・第12首(會津八一) 2013・12・21(土)
  ふたたび厳島を過ぎて(第4首)       解説
  わが ため に みて うちならし わたつみ の
         あした の みや に はふり は うたふ
   (我が為にみ手打ち鳴らしわたつみの朝の宮にはふりはうたふ)

 祈祷料を払った八一の願いに応じた神職の祈祷の姿を詠う。
日展 2013・12・20(金)
 報道を見ていると審査の不正はほぼ確実のようだ。日展は入選数を有力会派に事前配分していたと言う。その影響かもしれないが、洋画、日本画共に同じ大きさ、同系統の作品が多くつまらないことが多い。飛びぬけて目に飛び込んでくるもの、異彩を放っているものになかなか会えない。
 彫刻や工芸も良く似た傾向にあって、ただただ大きいものが多く、類似のものも多い。
 以前、四日市市の美術展で「審査員の弟子しか入選しないという風評」が立って市議会で問題になったことがある。特選の洋画2点の特徴がよく似ていて驚いた年があった。
 芸術も霞を食う人の世界では成り立たない。作品に対する妥当な評価と金銭的価値は必要だ。しかし、だからと言ってそれを賄賂に近いお金で得ようとするのは論外だ。芸術家は初心に戻るべきだ。初心は何だと言われると困るが、感動した美を対象化することだと思っている。
 ところで我が仏像彫刻の師、安達先生は賄賂などには全く無関係な固い人である。反って、こちらが困っていると何でも与えてくれそうである。これを彫りなさいと材料の提供を言われることもあるが、作業の遅い素空には今彫っているもので手が一杯だ。
電話注文(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・12・19(木)
 リクエストしたクリスマスプレゼントがあったのに、心変わりした4歳の娘。私が「サンタさんはもう、前のを用意しちゃったよ」と言うと、娘がせかした。「今すぐサンタさんに『変えます』って言って、スマホで!」
         (大阪市河内長野市・移り気な子は着信拒否・35歳)

 今年もジジババサンタになる。息子にそっと聞いたけど孫たちの希望は今年はないと言う。プレゼントを用意して後は送るだけ。「変更して!」と言われないから気楽だ。
“車エビ”と“もみ殻” 2013・12・12・18(水)
 鳥取の義姉から車エビが届いた。
ブラックタイガーを車エビと偽って出している料理店もあるようだが、正真正銘の生きた車エビがもみ殻の入った箱で到着したのだ。早速焼いて真っ赤になったエビを皮ごと食べる。「美味し~い、甘~い」と至福の一瞬である。くるみが欲しそうに見ているけど、「甲殻類はだめ」と言ってなだめる。
 箱にあったもみ殻をイチゴの苗の下や植木鉢に置いた。「イチゴの花の下にわらを置いて・・・」とネットに書いてあったからだ。わらはイチゴが出来てきた時に保護する役割のようだ。数個の花が咲いているが、実がなるかどうかは分からない。年末に孫たちに食べさせれればと思っている。
 ところで「わら」と言われても街中に住んでいるとどうやって入手するか戸惑う。もみ殻で代用、車エビともどもお義姉さんに心から感謝している。
難しい駅名1 2013・12・16(月)
 朝日新聞に難読・駅名の記事が載っていた。その中に名鉄栄生(さこう)駅があった。場所は名古屋市西区栄生二丁目とあるので地図で調べた。若い時に西区押切に住んでいたが、近くにあるこの駅を全く知らなかった。連れ合いも知らないと言う。名鉄線をほとんど利用しなかったからだが、名古屋駅まではいつも歩いていた。
 その記事は東京圏で日暮里、御徒町、福生は難読の駅名だと書いている。その難しい駅名をいろいろ紹介したいと思う。
 上記の駅名は、にっぽり、おかちまち、ふっさ。東京に住んでいたことがあるが、福生(ふっさ)は知らなかった。福生市を調べると「東京都の西部、都心から約40Kmの多摩地域の中部に位置する」と書いてある。都心からは随分遠いところにあるのだ。

            (明日第3火曜日は独り言を休みます)

          安達家年末挨拶ートミジャスーカインズ(四日市)
放浪唫草・第11首(會津八一) 2013・12・15(日)
 ふたたび厳島を過ぎて(第3首)
  あかつき の ともしび しろく わたつみ の
         しほ の みなか に みやゐ せる かも    解説
    (あかつきの灯火白くわたつみの潮のみ中に宮居せるかも)  

 瀬戸内海の潮の上に厳島神社は浮かび上がるように建っている。
三滝橋の牽牛と織姫(陶板) 2013・12・14(土)
 三滝橋(四日市の三滝川に架かる旧東海道の橋)を渡って、中学の同級生のところに葉書を買いに出かけたが、くるみがあちこち嗅ぎ廻ってなかなか進まない。のんびりした気持ちで、橋の上の牽牛と織姫の陶板画の写真を撮り、ここから見る景色もいいなと思った。
 この橋の下の河川敷堤防には、広重の浮世絵「四日市宿」の見事な萬古焼陶板壁画がある。夜はオレンジ色の街灯が並ぶ橋は幻想的で、三滝橋周辺は一見の価値があるところだ。
 同級生から葉書を買ってしばらく談笑。3月にあった同窓会の写真集(素空作成)のページをスマホで見せ、三滝橋南詰に住んでいた保育園の友達について聞いた。保育園の時の記憶しかないが、その子はY.Mさんで、中学でも一緒だったと言うが全く覚えが無い。そのことを書いたブログ(砂糖水)が2010・7・7、橋の上には牽牛と織姫の陶板画があった。何かの縁を感じたが、Y.Mさんは引っ越して遠方に住んでいると言う。
写真をクリック
反撃(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・12・13(金)
 大人がやっていることを、何でもまねしたい2歳の娘。いつも「もう少し大きくなったらね」と言われてばかりで不満顔。ある日、ファミレスのレジで飴をもらって喜んでいる娘に「いいなあ。パパも欲しいなあ」と言うと、「もう少し小さくなったらね」。       (静岡市・うまいこと言うね・40歳)

 パパは反撃にあったね。頭の良いお嬢さんだ。タバコは「もう少し大きくなったらね」と誰も言ってくれなかったけど、高校を卒業して吸いだした。ヘビースモーカーだったが、止めてから30年以上経つ。  
東海自然歩道・尾高~朝明(12・9) 2013・12・12(木)
 湯の山の希望荘から風越峠を越えて朝明川の飛び石まで行ったのは去年の11月末、マダニと山ヒルを恐れて中止したが、一年ぶりに再開した。尾高高原に車を停めて、そこから朝明川の飛び石までを往復した。
 坂道を歩くのは久しぶりで足腰がすぐに痛くなり、年々の衰えを痛感する。今日は再開の手始めだったので、歩いた距離は少ない。尾高高原の見晴らし台への道はドウダンツツジが美しく紅葉していた。見晴らし台で昼食を取りながら、この辺りはいろいろ遊ぶところがあるので来夏は孫たちを連れてこようと思った。
 帰路、パラミタミュージアムで「水野美術館コレクション 近代日本画 美の系譜」を鑑賞、この企画は◎。
  
松の剪定 2013・12・11(水)
 去年から手を付けた庭木の手入れを今年も始めた。やはり、松は難しい。古葉落としと剪定だが、黒松に4日かかった。その後、五葉松に手を付けたが、本格的に剪定するのは初めてなので不安、ままよと切っている。梯子から落ちなければ良しとしようと思っている。
 剪定していると去年と同じで知り合いが下から声をかけてくる。今度は上から声がかかったのでびっくりして見上げると、隣の人が二階のベランダから「やってるね」と言い、「ここから皇帝ダリアは絶景だ」と喜んでいる。
 年末までに全ての木を選定したいが、去年は27日までかかっている。
 下から声をかけてくる近所の人とは、くるみの散歩でまた一緒になる。無口?な素空だが、庭木の剪定と犬の散歩は近所の人とのコミュニケーションの役割を果たしている。

放浪唫草・第10首(會津八一) 
 ふたたび厳島を過ぎて(第2首)
  あけぬり の のき の しらゆき さながらに
          かげ しづか なる わたつみ の みや    解説
    (朱塗りの軒の白雪さながらにかげ静かなるわたつみの宮)

 雪景色の中の厳島神社、訪れて見たい光景である。  
馬鈴薯の花 2013・12・10(火)
 馬鈴薯のうす紫の花に降る雨を思へり都の雨に
 馬鈴薯の花咲く頃となれりけり君もこの花を好きたまふらむ
                        (一握の砂 石川啄木)
 啄木は薄紫色が好きだったと言う。馬鈴薯の花を見て故郷を思い、あるいは好きだった人のことを思い出した。
 馬鈴薯の花を自分の思い出の花に置き変えれば、歌の思いに自らを重ねられるような気がする。ところが馬鈴薯の花を見たことが無いのでこの歌を鑑賞するには今一つである。
 ネットで花の写真を探し、同時に三重刻友会の先輩に聞いたがやはり実物を見たいと思った。
 和無田町の先輩宅に行き、花の時期には見せてくださいねと頼んだら、馬鈴薯そのものを土産に持たせてくれた。
天守閣 2013・12・9(月)  
 金華山の山頂にぽつんと建った小さい岐阜城の天守閣で「一体天守閣とは何だろう」と思った。城とは戦いのためにあるものと漠然と思っていたが、この天守閣などは、物見の役目は少しはするだろうが、全く戦には不向きなのだ。
 城には天守閣以外に居住のための御殿があり、戦闘のための櫓(やぐら)があるのだから、大小にかかわらず天守閣は何を目的に建てられたのだろうと疑問に思うのは自然である。
 巨大で居住空間があった安土城や大坂城は別として、ほとんどの天守閣は物置として利用されることが多かったと言う。
 天守閣は、一城の象徴的なもので城主の権威を誇示するものだと言われているが、必ずしも全てがそうだということでもないらしい。それ以上のことは分からないが、天守閣はその昔を想いながら、眺めるには素晴らしい建物である。鉄筋コンクリートで再現されたものではなく、往時を偲ばせる昔ながらの彦根城や松本城がいい。
大量発生?(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・12・8(日)
 ニュースで「ゴキブリ、増加」とうれしそうに伝えるキャスター。「何言ってるの?」と仰天し、よくよく聞いてみると、「五期ぶり、増加」の経済ニュースだった。     (横浜市・輸出額増加でも家計は赤字・49歳)

 ゴキブリが苦手なジュニア一家ならパニックになりそう!一度住みつくと完全駆除は難しい。
                        目玉焼きとくるみ
上宮遺跡公園・八一の歌碑 2013・12・7(土)
 會津八一の奈良の歌碑・19基目が2012年10月に除幕されたところである。上宮遺跡公園は法隆寺の東南にあるが、分かりにくくて近くまで行ってから時間がかかった。遺跡公園自体が小さいこともあるが、近くに広がる住宅街が見通しを悪くしている。公園内には5つの歌碑があり、八一の歌碑は北東の角にあった。
 上宮遺跡公園は“かみや”と読む。ここは上宮王家・聖徳太子が住んでいたという言い伝えが残っている土地の大規模な遺跡群跡を整備した公園である。歌碑は
   法隆寺村にやどりて             解説
       いかるが の さと の をとめ は よもすがら 
                きぬはた おれり あき ちかみ かも
    (いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)
 ところがこの歌碑は以前八一の次の歌であった。
    五重塔をあふぎみて            解説
       ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を 
                ひとひ の ごとく たてる この たふ
    (千年あまり三度めぐれる百年を一日のごとく立てるこの塔) 
 調べるとこの歌碑は八一の筆ではなかったため、法隆寺前に新しく18番目の歌碑を建てた時にこの歌碑も八一筆のものに替えたと言う。書にこだわった八一であったため會津八一記念館は自筆の書でないと彼の歌碑と認めていない。
 19基目の歌碑を訪ねることができたが、帰路の渋滞(新名神、伊勢道、東名阪合流による)が気になったので、ゆっくりとした時間を取ることはできなかったのが残念だった。
  
唐招提寺・八一の歌碑 2013・12・6(金)
 薬師寺東塔の水煙の見学以外にもう一つの目的があった。それは唐招提寺の八一の歌碑を見ること。以前に訪れているのに記憶にないからだ。
 薬師寺から1km歩いて唐招提寺に入ると金堂が迎えてくれる。正面のエンタシス風の8本の柱に八一の歌が自然に浮かんでくる。
 唐招提寺にて(第1首)        解説
  おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
             つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
        (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)
 歌碑は金堂に向かって左にあり、紅葉に囲まれていた。
  
 ゆっくりと寺内を歩きながら、諸仏を鑑賞し、御影堂前では公開されてない鑑真和上坐像を思い浮かべ、渡来時の苦労を想像する。新宝蔵では如来形立像(唐招提寺のトルソー)を正面左右からじっくりと眺め、その形の良さに見入りながら、仏像作成の糧になればと思った。
 その後、寺を出て遅い昼食を取り、法隆寺近くにある上宮遺跡公園に向かった。
日録 20世紀(1911・明治44) 2013・12・5(木)
 1911年のグラビアは“平塚らいてうと「青鞜」創刊!”と“「特高」創設!”である。
 平塚 らいてうは、青鞜創刊で女性の「人間」としての真の自由解放をうたいあげ、その後を切り開いた。
  「元始、女性は実に太陽であつた。真正の人であつた。今、女性は月である。他に依つて生き、他の光によつて輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。
 偖(さ)てこゝに「青鞜(せいたふ)」は初声(うぶごゑ)を上げた。
 現代の日本の女性の頭脳と手によつて始めて出来た「青鞜」は初声を上げた。
 女性のなすことは今は只嘲りの笑を招くばかりである。
 私はよく知つてゐる、嘲りの笑の下に隠れたる或(ある)ものを。
 そして私は少しも恐れない。・・・・」
 特高(特別高等警察)は台頭しつつあった労働運動、社会主義者の根絶が目的だったが、さらに、リベラリスト、宗教家、学者へと標的を広げ、戦前の暗黒時代を憲兵とともに作りあげた。
 現在、作られようとしている特定秘密保護法がそんな時代への出発点にならなければ良いのだが!民主主義と自由な社会は手放したくない。
薬師寺・八一の歌碑 2013・12・4(水)
 11月29日名阪国道を奈良に向かって走る。高峰SAのずっと手前からみぞれが降りだした。心配したが奈良市内に入ると雨に代わっていた。
 今回の目的は會津八一が詠った「水煙の天つ乙女」である。東塔の水煙が降ろされていて見ることが出来るのだ。展示場では解説の僧侶を囲んで沢山の人がいた。この薬師寺のサービスはとても良い。しかし、今回は間近に見たいので早く終わって欲しいと思った。
  
 「東塔の水煙に彫られた天女たち、音楽を奏でて飛翔する彼女たちの衣の袖の間にさえ、美しく澄んだ青い秋の空が見えるではないか」と詠んだ八一、水煙を眺めながら「美しく澄んだ青い秋の空」を実際に想像してみると気持が高まり、改めてこの歌の良さがわかる。
 白鳳伽藍の西回廊の前には東塔修理で移された會津八一と佐々木信綱の歌碑が仲良く並んでいた。
   すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
                ひま にも すめる あき の そら かな
   行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲
  
路上運転(朝日新聞・いわせてもらお) 2013・12・3(火)
 40歳にして車の免許に挑戦することにした。ようやく仮免許がとれ、晴れて路上運転に。気分はすっきり、思わず「道路がすいていてラッキー」と言う私に、教官が一言「後ろを見てごらん」。バックミラーに目をやると、私の未熟運転が、前方ガラガラ、後方渋滞を作っていました。
            (東京都杉並区・ドライブはまだ先・40歳)

 スキーの帰路、曲がりくねった吹雪の雪道を走ったことがある。目の前は真白、山も道も谷も区別がつかない。頼りは近づくと見える道路の左右に立つ目印のポールだけである。前方の車にいつの間にやら離されて、後方に車の列が続く。すぐ後ろを走る運転上手なO君の車が前を走っていてくれたらとずっと思っていた。
一夜城 2013・12・2(月)  
 先日、近鉄伏屋駅を訪れたとき、「名前の由来は、ここに伏屋城があり、伏屋氏が居城にしていたことによるらしい」と書いたが、この伏屋氏は岐阜県羽島郡岐南町伏屋にあった秀吉が作った伏屋城(別名、一夜城・太閤城)に入城した伏屋市兵衛の関連だった。
 一夜城は、攻城などにおいて相手方の城に対する野戦陣地として構築される陣城のうち、非常に早く構築されたもののことで、一夜城と言っても一夜で構築されたわけではない。川の上流から加工した木材を流し、それを陸揚げして組み立てるという方法で築かれた。有名なのは先日ノブ君ハイキングで訪れた美濃攻めのための墨俣城(岐阜県大垣市墨俣町墨俣)である。伏屋城も同じ方法でつくられた。
 石垣山城も(神奈川県小田原市早川)一夜城として有名である。小田原征伐の時に築かれた城で、小田原方から気付かれないように小田原城側の山の木を伐採せずに築城し、大方出来上がった時点で、木を伐採して一夜にして城が出来上がったかのように見せかけたものである。
 益富城(福岡県嘉麻市中益)も一夜城の一種である。この城は豊臣軍が陥落させて火の海となったが、一夜明けると豊臣軍が見事に修復していた。村人に命じてかがり火を焚き、さらに障子や戸板を集めて城を修復したように見せかけ、いわゆる「一夜城」として敵を驚かせた。
 一夜にして作った城ぐらいにしか思っていなかったが、調べて見るといろいろ面白い。城に蘊蓄の深い水彩画のYさんと先日話していて、更に興味を持った。
星野富弘11~12月の詩画 2013・12・1(日)
    「寒 椿」
  風が咲いている
  空がぶつかってくる
  冬を越す生物が
  その中に命の芽を
  蓄えるように
  私の身体も
  寒さという
  エネルギーに
  満ちてくる
         
 我家ではサザンカが咲き続けている。
 寒椿は、 ツバキと サザンカの交雑種とされるツバキ科ツバキ属の木、花弁と雄蕊が合着している椿の特徴と花弁が一枚ずつ散る山茶花の特徴を合わせ持っている。
薬師寺東塔の水煙


薬師寺東塔(第2首)                  解説
   すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
           ひま にも すめる あき の そら かな
     (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな)

    
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