会津八一に関するブログ 9
2013年9~12月

会津八一に関するブログ 393

9月の初めに 2013・9・1(日)

 残暑ならぬ猛暑が続きそうだが、心は秋である。
 名歌名句辞典(三省堂)の人名索引(和歌・短歌)のトップは会津八一である。「あ」に「い」が続く名前は索引で良い場所をもらっているのだ。素空は幼いころクラスで背が一番低かったので、いろいろな順番がトップだったが良いことも都合の悪いこともあった。
 辞典に戻ると八一の歌は7首選ばれている。最初はもちろん鹿鳴集・南京新唱の第1首「春日野にて」である。

 かすがの に おしてる つき の ほがらかに     解説
     あき の ゆふべ と なり に ける かも 

 (春日野におし照る月のほがらかに秋の夕べとなりにけるかも)



会津八一に関するブログ 394

震余8首 2013・9・2(月)

 昨日9月1日は防災の日、各地で防災訓練が行われた。この日は1923年の関東大震災(約10万5千人が死亡あるいは行方不明)から90年にあたる。1日の朝日新聞で墨田区本所・被服廠跡(死者4万人弱)の目を覆いたくなるような写真が掲載されていた。
 会津八一はこの時、震余と題して8首詠んでいる。2か月前に歌の解説を作ったのでそこから一首掲載し、当時の犠牲者を偲びたい。

 被服廠(ひふくしよう)の跡にて(第1首)  解説

  あき の ひ は つぎて てらせど ここばく の 
       ひと の あぶら は つち に かわかず

 (秋の日はつぎて照らせどここばくの人のあぶらは土に乾かず)



会津八一に関するブログ 395

山中高歌・第4首(会津八一) 2013・9・6(金) 解説 

 あさあけ の をのへ を いでし しらくも の 
      いづれ の そら に くれ はて に けむ    

 (朝明けの峰の上を出でし白雲のいづれの空に暮れ果てにけむ)

 第3首で詠んだ朝明けの雲の行く末に思いやる。雄大な自然のなかで八一の心は穏やかになっていく。



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山中高歌・第5首(会津八一) 2013・9・10(火) 解説

 くも ひとつ みね に たぐひて ゆ の むら の 
          はるる ひま なき わが こころ かな
   
   (雲一つ峰にたぐひて湯の村の晴るる暇なき我心かな)

 雄大な自然のなかで心は癒されていくが、しかし憂患は続く。


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山中高歌・第6首(会津八一) 2013・9・14(土) 解説

 いにしへ の ヘラス の くに の おほがみ を
           あふぐ が ごとき くも の まはしら   

  (いにしへのヘラスの国の大神を仰ぐがごとき雲の真柱)

 雲がギリシャの神のように見えると言う。憂患の八一に神々はどう語りかけたのだろう。


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山中高歌・第7首(会津八一) 2013・9・21(土) 解説

 あをぞら の ひる の うつつ に あらはれて 
         われ に こたへよ いにしへ の かみ    

    (青空の昼のうつつに現れて我に答えよ古の神)

八一の叫びである。山中高歌を代表する1首。


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山中高歌・第8首(会津八一) 2013・9・25(水) 解説

 かぜ の むた そら に みだるる しらくも を 
         そこ に ふみ つつ あさかは わたる 
  
    (風のむた空に乱るる白雲を底に踏みつつ朝川渡る)

 朝川のその川底に白雪が映っている。それを踏んで渡る八一の心境はどうだったのだろう。


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山中高歌・第9首(会津八一) 2013・9・29(日) 解説

 たにがは の そこ の さざれ に わが うま の 
          ひづめ も あをく さす ひかげ かな    

   (谷川の底のさざれに我が馬の蹄も青く射す日かげかな)

 谷川の水の中の馬の蹄も青く見えるほどの日の光だと言う。憂患から解放されつつある八一は太陽の光も素直に受け入れる。


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山中高歌・第10首(会津八一) 2013・10・4(金) 解説

 かみつけ の しらね の たに に きえ のこる
          ゆき ふみ わけて つみし たかむな 
  
 (かみつけの白根の谷に消え残る雪踏み分けて摘みしたかむな)

 山中高歌の最終歌。 山田温泉での時を経て、憂患を克服しつつ穏やかになった八一は坪内逍遥に筍を送る。


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放浪唫草(会津八一) 2013・10・12(土)

 山中高歌に続いて放浪唫草(63首)を紹介する。

 鹿鳴集・放浪唫草
 “大正十年十月より同十一年二月に至る。
  唫草(ぎんそう)「唫」は「吟」の古字。「吟草」にて「詠草」といふに同じ。


 大正10年6月、「憂患」の山田温泉(山中高歌10首)を契機に、学校運営から学術の道に軸足を移す。その後の奈良行きを経て、同年11月から翌年2月まで西国九州の古寺古跡、石造美術の調査を行うとして西国を遍歴する。その時の歌が放浪唫草である。
 2月18日帰京した八一は、早稲田中学教頭辞任を坪内逍遥に3月22日に申し出て受理される。
 西国遍歴の意義は、捨て身の思いで旅立った病身の道人が大自然や古代の美術のおおらかな精神にふれることによって、心の懊悩煩悩が消え、腎臓障害、神経痛などからも解放され、心身ともに新鮮で充実した時を過ごすなかで生気を蘇らせたことにある。
               (植田重雄著「會津八一の生涯」を参考に)


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放浪唫草・第1首(会津八一) 2013・10・17(木)

 大阪の港にて   解説

  をちこち に いたがね ならす かはぐち の
       あき の ゆふべ を ふね は いで ゆく    

  (をちこちに板金鳴らす川口の秋の夕べを船は出でゆく)

 「憂患」の山田温泉(山中高歌10首)を経て、今度は西国の旅へ大阪から船出する。



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放浪唫草・第2首(会津八一) 2013・10・22(火)

 瀬戸内海の船中にて  解説

  わたつみ の みそら おし わけ のぼる ひ に
            ただれて あかき あめ の たなぐも 
      
  (わたつみのみ空押し分け昇る日にただれて赤き天のたなぐも)

 船で朝を迎えた瀬戸内海の雲はただれたように赤く染まっていた。



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放浪唫草・第3首(会津八一) 2013・10・27(日)

 鞆の津にて  解説

  きてき して ふね は ちかづく とものつ の
        あした の きし に あかき はた たつ    

   (汽笛して船は近付く鞆の津の朝の岸に赤き旗立つ)

 瀬戸内海航路の要所、鞆の浦に船は近づく。
 この古い港町の雰囲気が気に入った宮崎監督が『崖の上のポニョ』の舞台とした。



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放浪唫草・第4首(会津八一) 2013・10・31(木)

 鞆の津にて(第2首) 解説 

  ふね はつる あさ の うらわ に うちむれて
         しろき あひる の なく ぞ かなしき    

 (船泊つる朝のうらわにうち群れて白き家鴨の鳴くぞかなしき)

 海辺で鳴く家鴨が愛おしい。瀬戸内を行く旅情である。



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薬師寺・水煙 2013・11・1(金)

 水煙は仏塔の最上部にある火炎状の銅版で、火の字を嫌って水煙とよぶ。會津八一はその姿をこう詠んだ。この歌は八一の代表作の一つである。

 薬師寺東塔(第2首)   解説

  すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
            ひま にも すめる あき の そら かな
   (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな)

 今、薬師寺では「東塔水煙降臨展」(~11・30)が開催され、この「あまつをとめ(飛天)」が34mの高さから61年ぶりに降ろされ、間近に見れるという。先日から飛天(松久宗琳作)の浮彫を彫り始めたので余計に見に行きたいと思っている。
 奈良の友人・鹿鳴人は薬師寺を訪れ、水煙を詠った。

   水煙の天つ乙女ら舞い降りて吹く横笛の凍れる調べ                  (毎日新聞・やまと歌壇 入選)



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放浪唫草・第5首(会津八一) 2013・11・5(火)

 尾道にて  解説

  ほばしら の なか より みゆる いそやま の
         てら の もみぢは うつろひ に けり    

  (帆柱の中より見ゆる磯山の寺の紅葉葉うつろひにけり)

 船旅の八一は穏やかな心で陸地の寺の紅葉を眺める。



会津八一に関するブログ 409

放浪唫草・第6首(会津八一) 2013・11・14(木)

 尾道にて(第2首)  解説

  わが すてし バナナ の かは を ながし ゆく
          しほ の うねり を しばし ながむる    

  (我が捨てしバナナの皮を流しゆく潮の流れをしばし眺むる)

 誰もがしてみたい、あるいは実行した楽しいことである。



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放浪唫草・第7首(会津八一) 2013・11・20(月)

 厳島にて  解説

  みやじま と ひと の ゆびさす ともしび を
        ひだり に み つつ ふね は すぎゆく    

   (宮島と人の指差す灯火を左に見つつ船は過ぎゆく)

 海上から宮島の夜景を見ながら、九州への旅は続く。



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放浪唫草・第8首(会津八一) 2013・11・24(日)

 厳島にて(第2首)  解説

  みぎは より ななめに のぼる ともしび の
         はて に や おはす いちきしまひめ  
  
  (みぎはより斜めに登る灯火の果てにやおはす市杵島姫)  
 
 船上から見る宮島の灯火の奥にイツクシマ神社に祀られている市杵島姫(イチキシマ)を想う。



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放浪唫草・第9首(会津八一) 2013・11・29(金)

 ふたたび厳島を過ぎて  解説

  うなばら を わが こえ くれば あけぬり の
         しま の やしろ に ふれる しらゆき  

  (海原を我が越え来れば朱塗りの島の社に降れる白雪)  

 大正11年12月29日、九州の旅の途中に一度大阪に帰り奈良を訪れる。その時厳島神社に立ち寄った。


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唐招提寺(奈良市) 2013・11・30(土)

 薬師寺東塔の水煙を見に出かけた29日、唐招提寺まで足をのばす。八一の歌碑の周りを紅葉が彩りしていた。
  唐招提寺にて(第1首)   解説

   おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
         つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ

    (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)

  薬師寺東塔(第2首)    解説
   すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
         ひま にも すめる あき の そら かな
 
   (水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな)




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薬師寺・八一の歌碑 2013・12・4(水)

 11月29日名阪国道を奈良に向かって走る。高峰SAのずっと手前からみぞれが降りだした。心配したが奈良市内に入ると雨に代わっていた。
 今回の目的は会津八一が詠った「水煙の天つ乙女」である。東塔の水煙が降ろされていて見ることが出来るのだ。展示場では解説の僧侶を囲んで沢山の人がいた。この薬師寺のサービスはとても良い。しかし、今回は間近に見たいので早く終わって欲しいと思った。
  
 「東塔の水煙に彫られた天女たち、音楽を奏でて飛翔する彼女たちの衣の袖の間にさえ、美しく澄んだ青い秋の空が見えるではないか」と詠んだ八一、水煙を眺めながら「美しく澄んだ青い秋の空」を実際に想像してみると気持が高まり、改めてこの歌の良さがわかる。
 白鳳伽藍の西回廊の前には東塔修理で移された会津八一と佐々木信綱の歌碑が仲良く並んでいた。

 すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
         ひま にも すめる あき の そら かな

 行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲



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唐招提寺・八一の歌碑 2013・12・6(金)

 薬師寺東塔の水煙の見学以外にもう一つの目的があった。それは唐招提寺の八一の歌碑を見ること。以前に訪れているのに記憶にないからだ。
 薬師寺から1km歩いて唐招提寺に入ると金堂が迎えてくれる。正面のエンタシス風の8本の柱に八一の歌が自然に浮かんでくる。

 唐招提寺にて(第1首)    解説

  おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
       つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ

   (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ)

 歌碑は金堂に向かって左にあり、紅葉に囲まれていた。
  
 ゆっくりと寺内を歩きながら、諸仏を鑑賞し、御影堂前では公開されてない鑑真和上坐像を思い浮かべ、渡来時の苦労を想像する。新宝蔵では如来形立像(唐招提寺のトルソー)を正面左右からじっくりと眺め、その形の良さに見入りながら、仏像作成の糧になればと思った。



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上宮遺跡公園・八一の歌碑 2013・12・7(土)

 会津八一の奈良の歌碑・19基目が2012年10月に除幕されたところである。上宮遺跡公園は法隆寺の東南にあるが、分かりにくくて近くまで行ってから時間がかかった。遺跡公園自体が小さいこともあるが、近くに広がる住宅街が見通しを悪くしている。公園内には5つの歌碑があり、八一の歌碑は北東の角にあった。
 上宮遺跡公園は“かみや”と読む。ここは上宮王家・聖徳太子が住んでいたという言い伝えが残っている土地の大規模な遺跡群跡を整備した公園である。歌碑は

 法隆寺村にやどりて  解説

  いかるが の さと の をとめ は よもすがら 
           きぬはた おれり あき ちかみ かも
    (いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)

 ところがこの歌碑は以前八一の次の歌であった。

 五重塔をあふぎみて  解説

  ちとせ あまり みたび めぐれる ももとせ を 
           ひとひ の ごとく たてる この たふ

    (千年あまり三度めぐれる百年を一日のごとく立てるこの塔)
 
 調べるとこの歌碑は八一の筆ではなかったため、法隆寺前に新しく18番目の歌碑を建てた時にこの歌碑も八一筆のものに替えたと言う。書にこだわった八一であったため会津八一記念館は自筆の書でないと彼の歌碑と認めていない。
 19基目の歌碑を訪ねることができたが、帰路の渋滞(新名神、伊勢道、東名阪合流による)が気になったので、ゆっくりとした時間を取ることはできなかったのが残念だった。


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放浪唫草・第10首(会津八一) 2013・12・11(水)

 ふたたび厳島を過ぎて(第2首)  解説

  あけぬり の のき の しらゆき さながらに
         かげ しづか なる わたつみ の みや    

 (朱塗りの軒の白雪さながらにかげ静かなるわたつみの宮)

 雪景色の中の厳島神社、訪れて見たい光景である。  


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放浪唫草・第11首(会津八一) 2013・12・15(日)

 ふたたび厳島を過ぎて(第3首)  解説

  あかつき の ともしび しろく わたつみ の
        しほ の みなか に みやゐ せる かも    

  (あかつきの灯火白くわたつみの潮のみ中に宮居せるかも)  

 瀬戸内海の潮の上に厳島神社は浮かび上がるように建っている。


会津八一に関するブログ 419

放浪唫草・第12首(会津八一) 2013・12・21(土)

 ふたたび厳島を過ぎて(第4首)       解説

  わが ため に みて うちならし わたつみ の
         あした の みや に はふり は うたふ

  (我が為にみ手打ち鳴らしわたつみの朝の宮にはふりはうたふ)

 祈祷料を払った八一の願いに応じた神職の祈祷の姿を詠う。


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放浪唫草・第13首(会津八一) 2013・12・23(月)

 ふたたび厳島を過ぎて(第5首) 解説

  ひとり きて しま の やしろ に くるる ひ を
         はしら に よりて ききし しほ の ね

   (一人来て島の社に暮るる日を柱に寄りて聞きし潮の音)

 厳島神社の柱に寄りかかって潮の音を聞き、思いを詠う。


会津八一に関するブログ 421

鹿鳴集解説・完(今年を振り返って1) 2013・12・26(木)

 会津八一の歌の解説は2002年5月に始めた。そして第一歌集である鹿鳴集359首の解説を今年の11月に終えた。なんと11年かかっている。軽い気持ちで、興味のある歌を解説しようとしている間にはまってしまったと言っていい。
 最初は歌が詠まれた所を訪れ、写真を撮って掲載すると決めていたので遅々として進まなかった。奈良を詠んだ南京新唱99首を終えてからは現地を踏まずに机上での解説になったのでスピードが上がった。
 長い人生を漫然と生きてきた中で、なんとか形にできたものと言える。読んでいただいた方々、そして誤字や脱字の指摘や感想、批評をしてくれた仲間に心から感謝したい。


会津八一に関するブログ 422

放浪唫草・第14首(会津八一) 2013・12・27(金)  

 別府にて (第1首)   解説

  いかしゆ の あふるる なか に もろあし を
          ゆたけく のべて ものおもひ も なし
 
   (いかし湯の溢るる中に両脚をゆたけく伸べてもの思ひもなし)

 3週間あまり別府に滞在、心と身体の洗濯をする。 



会津八一に関するブログ 423

放浪唫草・第15首(会津八一)2013・12・29(日)

 別府にて(第2首)   解説

  はま の ゆ の には の このま に いさりび の
             かず も しらえず みゆる このごろ

    (浜の湯の庭の木の間に漁火の数もしらえず見ゆるこの頃)

 別府湾の壮大な漁火の光景を詠む。


会津八一に関するブログ 424

放浪唫草・第16首(会津八一) 2013・12・30(月)

 別府にて(第3首)  解説

  ひさかたの あめ に ぬれ つつ うなばら を
         こぎ たむ あま が たぢから も がも
   (久方の雨に濡れつつ海原を漕ぎたむ海人が手力もがも)

 心身が疲労した八一は逞しい漁師たちの姿を羨望する。
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