4月の終わりに 2015・4・30(木)
 雨が多く寒かった月の前半が信じられないくらいに暑くなった。冬から春の花、パンジー、ビオラ、オキザリスが急に勢いを無くした。しかし、春は花の宝庫だ。木蓮、桜、ハナミズキ、牡丹と咲き繋いで楽しませてくれる。
 今月はメルヘン(同級生の会)で久しぶりに訪れた奈良の旅が良かった。未だにその余韻が残っている。
 もう一つ良かったことは、愛犬・うららが元気なことだ。ちょうど1年前の4月に体調を崩して夏まで不調が続いた。そのため、4月を迎えることにいくばくかの不安を持っていたからだ。
 今年初めてのゴルフで「1年ぶりのゴルフだね」と言ったら、義兄に「去年の4月はうららの病気でゴルフを欠席したよ」と言われた。夏まで不参加だったし、秋以降はメンバーやメンバーの家族の病気で中止になった。と言うことは1年半ぶりと言うことになる。ゴルフバックから、毛糸のべストが出てきたのは、一昨年の秋に使って出し忘れたと言うことらしい。

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春の奈良6・頭塔(完) 2015・2・27(金)
 頭塔(ずとう)はあまり知られていない。奈良市高畑町にあるピラミッドのような土製の塔(土塔)で、一辺が30m、高さ10m、7段になっていて、石仏が配置されている。
 後世の研究で「仏塔」と結論付けられたが、玄昉の首塚であるという伝承から「頭塔」と呼ばれて来たらしい。ではこれはいったい何なのかと言うと難しいが、仏塔であるなら、お釈迦さんの遺骨(舎利)を安置した場所と言うことになる。各地の寺にある塔と同じようなものだと思われる。
 壁面にある仏像を双眼鏡でながめたりしてひと時を過ごした。ここもずっと訪れたいと思っていた所なので、見学の予約をしてくれた鹿鳴人にとても感謝している。
 最後に鹿鳴人の店「器まつもり」でお茶を頂いて休憩し、解散した。
 じっくりと奈良を味わったとても良い旅だったので、6回に分けてブログに書いた。(完)

 頭塔は鍵がかかっており事前の予約が必要。
   現地管理人・仲村表具店(0742-26-3171) 料金300円。
    
ナルシシスト(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2015・4・28(火)
 めいに男児の赤ちゃんが生まれた。赤ちゃんと同じ誕生日の私に「この子には、いいだんなが見つかるよ」と夫はご満悦。でもね、赤ちゃんは男の子よ。それともうひとつ間違いがあるけど、私からは言えません…。
                        (妻のみが知る・67歳)

 この夫が何歳か分からないけど、早ければボケてもいい頃、それと人生を悲観的に見るよりは楽観的に考える方が幸せだ。 
春の奈良5・万葉植物園 2015・4・27(月)
 早大教授・大橋 一章(かつあき・1942年生れ)が今年出版した「會津八一」(中央公論新社)の中で“春日大社の万葉植物園にある八一の歌碑が彼の碑の中で一番素晴らしい”と書いてあったので、無性に行きたくなった。この歌碑を見るために兄に同行して貰ったのは随分前である。
 歌は彼の歌集のトップに出てくる「春日野にて(第1首)」である。
     かすがの に おしてる つき の ほがらかに     解説
           あき の ゆふべ と なり に ける かも 
    (春日野におし照る月のほがらかに秋の夕べとなりにけるかも)
 この植物園は9000坪の敷地に万葉集にかかわるものを含む約300種類の植物があり、代表的な万葉歌の陶板と植物解説が並んでいる。あいにくの雨で足早になったが、歌も観賞しながらゆっくりと散策すると楽しい一日になる。また、訪れたいと強く思った。
  
奈良博物館即興・第2首(會津八一) 2015・4・26(日)  
  あせたる を ひと は よし とふ びんばくわ の     解説
           ほとけ の くち は もゆ べき ものを   
   (褪せたるを人は良しとふ頻婆果の仏の口は燃ゆべきものを)

 「古色蒼然としたものを喜び、“わび”とか“さび”とか言って評価する」ことが、芸術を離れて骨董趣味に陥ることがある。作られたばかりの仏像の口は赤だと言う。
牡丹園・長島水辺のやすらぎパーク 2015・4・25(土)
 昨日(24日)はノブ君ハイキング。常滑にある「やきもの散歩道」を歩いた。1.6kmのアップ・ダウンのある小道をゆっくりと歩き、昼食後、長島にある「長島水辺のやすらぎパーク」の牡丹園を訪れた。
 ノブ君パパも素空もテレビの放送で知っていたが、場所がわからない。伊勢湾岸道の長島パーキングで場所を聞き、ナビを頼りにたどり着いた。そこには見事な牡丹園があった。
 素空の連れ合いが花の無い時期に行ったことがあり、「何にもないところよ」と言っていた場所だが、長島川に隣接したこのパークの中心に「旧久我屋敷」があり、そこでは籐細工の展示会が行われていた。また25日からは「長良川舟めぐり」(30分・500円)が行われると言うことだった。
 牡丹が見事でお勧めしたいが、見ごろは明日ぐらいまでだと思う。
 牡丹を見て1号線に出るとそこは又木茶屋だった。ここは一昨年の近鉄沿線ハイキング(9・22)で訪れた場所だったし、去年のメルヘン昼食会(桑名)の後で立ち寄ったところである。又木茶屋の1号線を距てたすぐ前にこのパークの大きな駐車場があった。
  
  
待ち合わせ 2015・4・24(金)
 朝6時45分に友人が車で迎えに来るので、前夜、目覚ましを二つ用意し早めに寝た。朝、ドアを叩く音がしたので目覚めた連れ合いに「お父さん!Oさんが来たのでは」と起こされる。びっくりして起きると6時45分、すぐに服を着て飛び出し謝って搭乗した。「おかしいな?6時20分に目覚ましをかけてあったのに。連れ合いまで起きないなんて」と弁解する。「いいよ、僕も遅れたことがあるから」とOさんに慰められて出発した。
 集合出発の時間をきちんとしたい素空は自分が率先して守ることに努力している。そして、きついけれど、集合時間を決めるのではなく、出発時間を約束することにしている。それは出発時間に十分間に合うように集合して欲しいと言う意味である。だから、時間を間違えることはほとんどないので不思議で仕方が無かった。
 行き先で楽しい時間を過ごしていると携帯の目覚まし音が鳴った。時間を見ると8時20分だ。目覚めなかった意味がわかった。自宅の目覚まし時計も今鳴っているのだと思った。 
難読駅名・北海道(読み) 2015・4・23(木)
  1 留辺蘂 るべしべ (アイヌ語のルペシペ“峠を越えて行く道”から)
  2 安足間 あんたろま
      (アイヌ語のアンタル・オマ・プ“淵のある場所”から)
  
3 大楽毛 おたのしけ (アイヌ語のオタノシケ“砂浜の中央”から
  4 筬島 おさしま
      (アイヌ語のオサシマンナイ“川尻にある小さな沢”など諸説)
  5 晩生内 おそきない
      (アイヌ語のオ・ショキ・ナイ“川尻が高くなっている川”から) 
  6 大麻 おおあさ (「大曲」と「麻畑」2つの集落の名前を合わせた)
春の奈良4・春日大社 2015・4・22(水)
 春日大社は20年に一度の社殿などの修理のため、4柱のご神体が仮殿に移されている。今年は第60次の式年造替(ぞうたい)である。それを記念して御本殿(国宝)が特別公開されている。特別公開は20年に一度と言う。本殿の前から、さらに140年ぶりに後(うしろ)からも参拝できると言う貴重な経験だった。
 通常、神社は本殿の前までは入れず、拝殿などから参拝する。子供の頃、「何があるのだろう?」と近くの神社の本殿に塀を乗り越えて入ったが、そこには小さな社殿があるだけだった。子供には立ち入り禁止の所に入ることに意味があったのだろう、そのことだけを鮮明に覚えている。
 春日大社の燈籠に囲まれた表参道をゆっくりと歩きながら、戦地に向かう若者の姿を詠んだ八一の歌を思っていた。
   かすがの の かみ の やしろ に たらちね と     解説
               たづさはり きて ひと の をろがむ
 
    (春日野の神の社にたらちねとたづさはり来て人のおろがむ)
   
奈良博物館即興・第1首(會津八一) 2015・5・20(月)  
  たなごごろ うたた つめたき ガラスど の         解説
           くだらぼとけ に たち つくす かな 
   (たなごごろうたた冷たきガラス戸の百済仏に立ちつくすかな)

 冷たいガラス戸の向こうには美しい百済観音が立つ。食い入るように見続ける熱い八一の心。

難読駅名・北海道
  1 留辺蘂 2 安足間 3 大楽毛 4 筬島  5 晩生内 6 大麻


                   (明日第3火曜日は独り言を休みます)
                               花ひろば トミジャス
牡丹 2015・4・19(日)
 庭の牡丹が咲きだした。連れ合いは喜んで切り花にする。紫と黄色のフリージャーも添えられている。牡丹とともにナルコユリも咲きだして、店のカウンターに活けられた
 牡丹とナルコユリは思い出深い、6歳で亡くなったうららが1歳の時に撮った写真が浮かんでくる。我ながらよく撮れたと思うもので、「あの写真」と言うだけで夫婦間ではわかる。うららはいないけど、思い出の写真は残る。こんな時、写真はいいものだと思う。
 ところで、よい環境と言えない我が家の庭の隅で牡丹は毎年よく咲いてくれる。それはすぐ切ってしまう連れ合いのおかげだという説がある。
  
                   2015・4・15
  
                   2006・4・24
病院にて(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・4・18(土)
 父(77)が脳出血で倒れた時のこと。不幸中の幸い、マヒも残らず入院中、眼(め)の動きを見るため、人さし指を立てた看護師に「私の指を追ってくださいね」と言われた父。「はい」と言いながら、真顔で看護師の手を握り、指を折った。        (静岡市・看護師さんは大笑い・48歳)

 勘違いだったのか、それとも茶目っ気のあるお父さんだったのか?同じ立場になったら指を折る方になりたい。気まじめ過ぎる?我が身を反省して。
春の奈良3・東大寺本坊 2015・4・17(金)
 今回の目玉は東大寺本坊にある日本画家・小泉淳作の襖絵である。5年がかりで取り組み、85歳で完成させた大作(平成22年)である。
 NHKの日曜美術館 「千年の花を咲かせたい ~小泉淳作・東大寺ふすま絵に挑む~」(2011年1月23日放送)で知ってからずっと見たいと思っ

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ていた。公開は4月10日からわずか3日間、奈良行きが10日だったのはラッキーだ。この襖絵展については鹿鳴人のブログに紹介されている。小泉淳作の見事なしだれ桜を見て欲しい。襖絵には「東大寺本坊の桜」があるが、実際に本坊の庭のしだれ桜も見事に咲いていた。雨だったからか訪れる人が程良く、ゆっくりと鑑賞できた。
 その後、御本殿が公開されている春日大社に向かった。
豊浦にて (會津八一) 2015・4・16(木)  
  ちよろづ の かみ の いむ とふ おほてら を    解説
           おして たて けむ この むら の へ に
   (ちよろづの神の忌むとふ大寺をおして建てけむこの村の辺に)

 仏教伝来、それを広めようとする蘇我氏と阻止しようとした物部氏の歴史的な構想を想定して詠んだ。
春の奈良2・八一の歌碑 2015・4・15(水)
 東大寺本坊に入る前に鹿鳴人が誘ってくれたのは大仏殿前の八一の歌碑である。
   東大寺にて(第1首)    解説
     おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
                  おほき ほとけ は あまたらしたり 
 大仏をこの宇宙に広く満ち広がっておられる(あまたらしたり)と詠むこの歌にふさわしい大きなものである。高さ276cm、幅75cmの御影石で作られた石碑は台石をあわせると 3mを越える。
 予定に無かった歌碑見学に導く友人の心配りが嬉しい。彼を頼りにしたメルヘンの奈良見学は15年余になる。この歌碑を2000年9月23日に訪れている。     
  
枕草子(十段)・山は 2015・4・14(火)
  18の山を列挙して面白いと言う。ほとんどの山が歌枕(歌にしばしば詠み込まれている名所)で、清少納言の時代の人には関連する和歌がわかっただろう。才女・清少納言は何でもよく知っており、それを文に書きとめる。今で言うなら、走り書きのブログのようだ。走り書きは十九段まで続く。
(十段)
 「山は お(を)ぐら山。かせ山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。わすれずの山。すゑの松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。いつはた山。かへる山。のちせの山。あさくら山、よそに見るぞお(を)かしき。おほひれ山もをかし。臨時(りんじ)の祭の舞(まひ)人などの思ひ出(いで)らるゝなるべし。三輪(わ)の山(やま)お(を)かし。手向山。まちかね山。たまさか山。みみなし山。」

 「かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ」、山が、かたさる=片側による、遠慮して身を引くとはどんなだろうと興味が湧いて面白い。
 「
おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などの思ひ出らるゝなるべし」、この山の名(おほひれ)から、「大ひれや、小ひれの山は・・・」(東遊歌)が唱われる祭の姿が浮かぶ。
お小遣い(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・4・13(月)
 高校2年の息子から、お小遣いを催促された。財布の中のお札は、折り目がたくさんついていたり、クシャクシャになっていたり。「汚いお金しかないけど」と言いながら渡そうとすると、「お母さん、何か悪いことでもやったの?」と真顔で返された。   (長崎市・私は清廉潔白です!49歳)

 幼い頃に母の机からお金を取り出して、公園で駄菓子を買った。「汚いお金」とまでは行かないが、そのことですごく叱られた。で、その後は汚いお金には近づかない。

難読駅名・鳥取(読み) 
  1 馬路 まじ  2 温泉津 ゆのつ (「温泉が湧く港」に由来)
  
3 周府 すふ (戦国時代の豪族、周府氏から)  
  4 美談 みだみ (「御田を見る神」を祀る美談神社から)
春の奈良1・メルヘンと鹿鳴人 2015・4・12(日)
 メルヘン(同級生の会)の奈良行き(4月10日)は久しぶりだ。行き先は京都、滋賀、奈良、兵庫の中からメンバーの希望が多かった奈良になった。
 奈良と言えば會津八一、彼を研究する素空には全く異存はないがもう一つの理由は奈良にはとても優しく物知りの鹿鳴人がいるからだ。素空の学生時代の同級生だが、今やメルヘンにとって彼なしに奈良旅行はありえない。そして、背後に隠された大きな理由は久しぶりに集まっておしゃべりをすることにある。
 近鉄四日市駅から車で、三重・愛知組が7時半に出発、兵庫からは奈良10時半集合でkimuちゃんが電車でやってくる。
 ところが予定より1時間も早く奈良に着いた。道路が空いていて走っている他の車が早かったからだろうが、それにしても早かったと感じたのは、盛り上がった車内のおしゃべりにもあるだろう。
 鹿鳴人と一緒にコーヒーを飲み、小雨の降る中、東大寺本坊(本坊襖絵一般公開)へ向かった。
  

                      東大寺本坊
日録 20世紀(1924・大正13) 2015・4・11(土)
 1924年のグラビアは皇太子裕仁親王ご成婚。他に
  ◦ 宮澤賢治デビュー作「春と修羅」の評判
  ◦ 米国、「排日移民法」で“日本叩き!”
  ◦ 中国国民党第1回全国大会と孫文の輝き!
 1月26日に結婚されたのは後の昭和天皇である。このことが前年9月1日の関東大震災による東京の沈鬱と不安な空気を一掃したと言う。
 宮澤賢治の詩集「春と修羅」は1000部自費出版されたがほとんど売れなかったという。生前は不遇で、有名になったのは37歳で死んだ翌年、彼の全集が出版されてからである。
 日本人移民を排除する法がこの年成立した。日本人に職を奪われた白人労働者の反発などが背景にあると言う。この頃、アメリカにいた日本人は12万人余だった。1941年に太平洋戦争が始まると11万人が強制収容所に入れられたと言う。アメリカに渡った先人の苦労を思う。
 しかし、いつの時代にも国家と国家、民族と民族の対立があり、そのもとで苦しむのは多くの人々であることは間違いない。 
聖林寺にて(會津八一) 2015・4・10(金)  
  あめ そそぐ やま の みてら に ゆくりなく     解説
           あひ たてまつる やましな の みこ 
      (雨そそぐ山のみ寺にゆくりなく会ひたてまつる山階の皇子)

 十一面観音で有名な聖林寺で旧皇族に出会ったその感動を詠む。

難読駅名・鳥取
  1 馬路 2 温泉津 3 周府 4 美談 
雪柳とボケの花 2015・4・9(木)
 冬から春にかけて、三滝川の慈善橋近くの河川敷では白い雪柳と赤いボケの花が咲く。毎年、楽しみにしてきたし、くるみの散歩場として使わせてもらうので伸び過ぎたボケの枝の先を切って時々そろえてきた。
 ところが、去年、業者が二つとも切り取った。多分、うまく管理し育てて行くのだろうと思っていたら、乱雑に根元から刈ってそのままになっている。今年はちらほらとわずかに咲くだけで、よく見ないと存在すらわからない。根から抜き取って整地するならわかるけど、なんと中途半端なことだと思う。
 一昨日午後、雨が止んだので、ハイキングがてら老松橋から慈善橋、三滝橋を通って四日市橋をくるみと往復した。川面に鳥たちはいるが、河原に花の無い風景はさびしい。自然生えの菜の花だけが黄色く輝いていた。
個数限定(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・4・8(水)
 近くのスーパーで、インスタントコーヒーの「お一人様1個限り」の特売があった。レジ待ちの列で前の人の買い物かごを見ると、特売品が2個入っていた。おかしいな、と思ってよく見ると、赤ちゃんを抱っこした若い母親だった。           (大分市・赤ちゃんも一人前・71歳)

 よく子供を何人も連れて行く笑い話は聞くが、赤ちゃんがインスタントコーヒーとはね。爺さんが赤ちゃんを抱いて行ったら、誘拐と間違われそう。
奈良の歌 2015・4・7(火)
 中日新聞の中日歌壇・小島ゆかり選(4月5日) 
   ひらがなの八一の歌に親しみてならやま歩く春の真昼間
                           (伊賀市 福沢義男)
 八一の奈良の歌を思い浮かべながら、快い春の奈良を歩く。なんと贅沢なことだろう。
 今年のメルヘン(同級生)の旅は奈良である(4月10日)。東大寺本坊(本坊襖絵一般公開)、春日大社特別参詣(式年造替)、万葉植物園(八一歌碑)、頭塔などを訪ねる予定だが、このプランを作り、実際に先導してくれるのが奈良在住の鹿鳴人である。
 普通と違うのは、彼が「奈良まほろばソムリエ」の資格を持っているからだ。奈良まほろばソムリエは奈良県内の歴史・観光・文化・行事・自然・地理などを網羅した専門知識を身につけた最高の資格で、種々のボランティア活動や地域との交流活動を行っている人達だ。
 「いらぬ気づかいはいらないですよ、奈良まほろばソムリエガイド楽しんでいますから」と彼からのメールはとても嬉しい。良い一日になりそうだ。
   はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり 
                ほとけ の には に はな さく らし も
   はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は 
                をゆび の うれ に ほの しらす らし

 八一の歌を口ずさみながら歩く奈良を楽しみにしている。
動物の交通事故 2015・4・7(火)
 スキー場への道で猪か鹿の子供の死骸があった。車も相当傷んだだろうと話しながらしばらく走ると狸が横たわっていた。一度に二つの事故に遭うのは珍しい。ハンドルを切りながらよけて走ったが、可哀想な姿である。気分が沈んでしまう。
 高校一年生の時に妊娠した三毛猫が火事で行き場なくなり、我が家にやって来た時から何匹も猫を飼った。しかし、アルバと名づけた白い猫が家の前で車にひかれてから猫はいない。外に慣れていなかったアルバが車のライトに威嚇した姿勢で向かい、引かれたようだ。コロと名づけた犬も車にひかれて死なせてしまっている。動物の死骸がそんなことを思い起こさせた。どんな場合も死は悲しいことだ。
 余談だが「アルバ」とはアルバトロス(ゴルフでパーより三打少ない打数)からとったが、長年主催したゴルフの会の名もアルバとしていた。
医者の卵(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・4・6(月)
 医学部を受験した孫娘から「サクラ咲く」の電話。切ってから家族に「眼科を目指すそうだ」と言ったら、同居している男の子の孫(7)が聞き耳を立てていて、大人びた顔で「ジイジ、これでガンになっても治してもらえるね」。そっちのガンじゃ・・・・・・。  (東京都葛飾区・何科でも楽しみ・70歳)

 春休みにマイコプラズマ肺炎で入院した孫・琴音は元気になって今日から小学4年生の生活をはじめた。もし医者になってくれたとしてもその頃は患者にもなれない遠い世界にいるかもしれない。

難読駅名・新潟(読み) 
  1 北条 きたじょう  2 土底浜 どそこはま
  
3 栗生津 あおうづ (「粟が生えている船着き場」に由来)  
  4 小千谷 おぢや (「泥の落ち合うところ」に由来)  
  5 新発田 しばた (「新しく開発された田」に由来)  
枕草子(九段)・今の内裏の東をば 2015・4・5(日)
 「定澄僧都(じやうちやうそうづ)に袿(うちぎ)なし、すくせ君(ぎみ)に袙(あこめ)なし」“背の高い定澄僧都が着た袿(長衣)は長衣に見えず、背の低いすくせ君が着た衵(短衣)は短衣には見えない”と言う。
 長衣の袿と短衣の衵とが、長身・短身の人が着た場合、長衣でも短衣でもなくなるとの軽口。それが面白いと言う。背の低い素空が着た半ズボンは長ズボンに近いと言うことかな。
 それにしても清少納言はよく日常の中の出来事を観察している。
 
(九段)
 「今の内裏(だいり)の東(ひむがし)をば北の陣(ぢん)といふ。なしの木の、はるかにたかきを、いく尋(ひろ)あらむ、などいふ。権中将「もとよりうちきりて、定澄僧都(じやうちやうそうづ)のえだあふぎにせばや」との給(たま)ひしを、山階寺(しなでら)の別当(べたう)になりてよろこび申す日、近衛府(づかさ)にてこの君のいで給へるに、たかき屐子(けいし)をさへはきたれば、ゆゝしうたかし。出(いで)ぬる後に「など、そのえだあふぎをばもたせ給はぬ」といへば、「物わすれせぬ」と笑い給(たまふ)。「定澄僧都(じやうちやうそうづ)に袿(うちぎ)なし、すくせ君(ぎみ)に袙(あこめ)なし」といひけむ人こそお(を)かしけれ。」
 
仮の内裏の東門を北の陣と言い、そこの高い梨の木はどれほどの高さかなどと言った。権中将が「下より切って、背の高い定澄僧都の扇にしては」と言う。僧都が山階寺・興福寺の別当になった時、その感謝をする日、近衛府での姿は高下駄を履いていたのでとても高い。「どうして扇をもたなかったのか」と問われ、「忘れた」と笑って答えた。「定澄僧都には袿なし、すくせ君には衵なし」と言った人こそ面白い)
心配事(朝日新聞・いわせてもらお) 2015・4・4(土)
 中学2年の娘が「(部活)先輩の安否が心配」と言う。行方不明にでもなったのかと思い、びっくりして聞いてみたら、心配していたのは高校入試の「合否」だった。その後、先輩は合格して一安心。
         (宇都宮市・来年の娘の合否が一番心配・44歳)

 言葉は難しい。「合」と「安」は何となく似ている。ところで友人の子供が不合格だった。なんともやるせない。

難読駅名・新潟
  1 北条 2 土底浜 3 栗生津 4 小千谷  5 新発田
初物 2015・4・3(金)  
 昨日、安達先生の竹林で先輩Kさんと筍掘り。Kさんは自らも竹林を持つ本職で素空は雑用係である。
 「私のところは今朝まだだったのでだめだろうけど行ってみよう」Kさんが言う。その通りで全く見当たらなかった。
 先生が体力的に弱られたので竹林が少し荒れている。それで、切り落とした竹や折れた竹をノコギリを使ったりして整理した。次回(2週間後)のためにと思っていたら、Kさんが「あった!」と1本目を掘りだした。目に見えない筍を長年の勘をたよりに地下足袋の裏に感じながら探り当てるのだ。そんな技は素空には無いので最初から見つける事を放棄して、せっせと片付けていた。片付けて探しやすくなったのもあるらしく、6本になった。
 先生と生徒で分け、押し頂くようにして1本頂いてきた。初物である。美味しい上に気持が爽やかになる。
 先生夫人から「腰が痛いのに筍堀りご苦労様」とメールを頂いた。竹林で遊び、美味しい筍を食べ、感謝のメールが届く、筍掘りは止められない。
山田寺の址にて・第2首 (會津八一) 2015・4・2(木)  
  やまでら の さむき くりや の ともしび に       解説
           ゆげたち しらむ いも の かゆ かな
     (山寺の寒き厨の灯火に湯気たち白む芋の粥かな)

 蘇我倉山田石川麻呂は蘇我氏一族であったが、入鹿とは敵対し大化改新では娘婿の中大兄皇子に加担した。その石川麻呂が造営を始めたのが山田寺。だが649年謀反の疑いをかけられた無実の石川麻呂はこの寺で自害した。この悲劇的な山田寺跡を会津八一が詠んだ。
三四郎 2015・4・1(水)
 三四郎で浮かぶのは姿三四郎と漱石の三四郎。姿三四郎は魅力的な柔術家の物語ということだけが漫画を読んだ頭に残っている。
 朝日新聞で連載していた三四郎(漱石)が3月終わった。若い頃に読んだ時は、三四郎のヒロインに対する実らなかった淡い恋に不満をいだきながら、ヒロイン美禰子の科白「ストレイシープ」(迷える子羊)だけがずっと言葉として残っていた。読後、三四郎と同じように上京して学生時代を過ごしたが、広田先生のような識者に交わることもヒロイン美禰子のような魅力的な女性に出会うことも無かった。
 で、三四郎を再読してどうだったの?と聞かれると困ってしまう。何十年もたったのに我が身はいまだに「ストレイシープ」としか言いようがない。それも深い意味ではなく、現実にあくせくする迷える小人ぐらいの事である。
 ネットで「三四郎はどういった訳で評価されるのですか?僕の中には何も残りませんでした」とあり、ベストアンサーとして以下のように書いてあった。
 「学力不足に起因する無理解から、三四郎が十分に鑑賞できなかったということですね。20年後に読み直してください。その時点で学力が向上していれば、“何も残りませんでした”との発言を撤回することになると思う」
 40年近くもたつのに理解が進化していないので恥ずかしい。
    

 
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