5月の終わりに  2011・5・31(火)
 ゴールデンウイークは孫達と楽しく過ごし、同級生達とは会津八一の歌碑を求めて奈良に遊んだ。満たされた5月だが、仏像作りは遅々として進まない。
 目を外に向けると次から次へと原発事故の隠ぺいされた事実が公表されている。目の当たりに見る悲劇的な現実と識者の原発に対する啓蒙で、世論は大きく廃止の方向に向かっているようだ。ただ、過去の例を見れば世論はころころ変わるので信用できない。付和雷同が付きまとう世論などに影響されず、常に「人間の命」を第一に考えればおのずと真っ当な道は明らかになると思う。原発事故の収拾と震災の復興を願う日々が続いている。
桜と「はっと」7 【コンビニ食の朝食】
 ・・・・(宿の朝食は予約できなかったので)8時に連れと一緒にコンビニに向かう。連れの一言で気づいたが、その時刻、すでに下駄箱も駐車場も空っぽ。みんな仕事熱心なんだなあと、漠然と考える。コンビニは宿から歩いて3分ほどの距離にあった。近くの巨大なモクレンの花が満開だった。ブロック塀が一部壊れている家がある。コンビニとはいっても、全く聞いたことのない名前のローカルな店で、建物周囲の塗装も半分はげていた。中に入ると、普通のコンビニだったが、食品の棚は3分の2くらい空っぽで、あまり食欲をそそらない唐揚げ弁当、焼き肉弁当の2種類が2個ずつと、あとはおにぎりだけで、ゆで卵もなかった。迷った末、私は唐揚げ弁当、連れはおにぎり、それにカップのみそ汁を買って帰り、宿のロビーで食べる。・・・・

ブルーシート  2011・5・30(月)
 しばらく見なかった知人が現れて、「福島へ屋根の仕事で行っていた。現地はブルーシートばかりだ」と言う。仙台から帰った友人のメールには「東北新幹線の窓からはブルーシートのかかった屋根が多くて・・・・仙台から松島への電車・仙山線の窓からはもっと多くの被害で、辛かった・・・」と書かれていた。
 昨日紹介した“桜と「はっと」5”にはこう書かれている。「車がおよそ300メートルごとにブレーキを踏むので怪訝に思っていると、“地震のせいなんです”と言う。夜なので私たちには見えないが、道路のあちこちに亀裂が入って段差ができているためなのだ
 ブルーシートの屋根と隆起と亀裂の続く高速道路の記憶が鮮明に蘇ってきた。2007年の新潟県中越沖地震の40日後、新潟市会津八一記念館に向かった時の光景だ。
 悲惨な現実が生の声で伝わってくる。早期の復旧を願うばかりだ。
桜と「はっと」6 【雰囲気は、場末の日帰り温泉宿】
 ホテルに到着したのは、小雨模様の夜11時頃。タクシーを降りる前に、ポールに取り付けた看板が見えた。そこは砂利を敷いた駐車場で、建物の入口が見えないほどたくさんのワゴン車やバンタイプの車が駐車している。建物は2階建てで、ホテルというより旅館のたたずまい。入口ドアを入ると背の高い下駄箱があって、たくさんのスニーカーがぎっしり詰まっている。右手のもう一つのドアを入ると玄関で、別の小さな下駄箱がある。そこからは、カーペットだけで区切られた段差のないロビーになっていて、雰囲気は「場末の日帰り温泉宿」。・・・・部屋へ向かうが、エレベーターもエスカレーターもないので、連れは昇りがきつい。しかし、建物の内部も部屋の中も予想以上にきれいで、部屋は少し狭いが、ちゃんとバス・トイレもある。とにかく明日に備えて、寝よう。

夢違観音  2011・5・29(日)
 法隆寺大宝蔵院では真っ先に白鳳仏の代表・夢違観音が迎えてくれた。端正で若々しい顔立ちと立体的な姿は前時代の平板的な飛鳥仏(金堂の釈迦三尊像や夢殿の救世観音)とは大きく違う。飛鳥時代は大化の改新を経て白鳳時代になるが、この仏たちの変貌の経緯は興味ある所だ。以前に彫った香薬師像も白鳳仏、青年のような顔は夢違観音に似通っている。
 夢違はかって「ゆめたがい、ゆめたがえ」だったが、今は「ゆめちがい」と呼ばれる。法隆寺が「ゆめちがい」と言い始めてかららしいが、なぜ呼び名が変わったのかも興味あるところだ。
桜と「はっと」5 【300メートルごとにブレーキ】
 仙台から石越までの鈍行電車は、乗り降りする人が自分でボタンを押してドアを開閉する車両だったので、「へえ」と思ったが、中学生の頃までは毎年、夏休みにこの路線を上野駅から蒸気機関車の夜行列車で行き来したことを思えば、なんのことはない。あの時は、開けた窓(もちろん、冷房なんかない!)から入ってくる機関車のススで顔もシャツも真っ黒になって到着したし、駅のホームでおじさんがだみ声で「アイスクリー!」と売りにくるアイスクリームが、とてもおいしかった……。
 石越駅からホテルまではタクシーで30分ほど。走り出した車がおよそ300メートルごとにブレーキを踏むので怪訝に思っていると、「地震のせいなんです」と言う。夜なので私たちには見えないが、道路のあちこちに亀裂が入って段差ができているためなのだ。

Nさん 理事長へ  2011・5・28(土)
 諏訪西振興組合でSUが一緒に仕事をしていたあのNさんが理事長に就任した。高い能力で精力的に活躍する彼の就任は遅いくらいだ。まずはおめでとう!そして今後の商店街の活性化に期待しよう。彼のブログ パズルランドな日々は続く
   (仕事の割り振りが得意な彼には近寄らないようにしている世捨て人風・SURUME)
桜と「はっと」4 【ホテルは満室、満室…】2
 3軒目くらいで、「なぜ満室なんですか?」と不満げに聞いてみると、「震災救援のお客様が多いんです」との返事。ちょっと不安になる。案の定、栗原市に7、8軒あるホテルは全部ダメ。
 この地域にいちばん近い大きめの都市は一関市なので、そこのホテルを調べてみるが、全部ダメ。それではと、南へ下った古川市、やっぱりダメ。あとは仙台しかない。仙台に泊まっても、2時間もあれば現地までいける。 仙台のホテルを1軒1軒当たるのは大変なので、27?28日に空きのある市内のビジネスホテルということで検索してみたら、「条件に該当するホテルはありません」ーー 一気に頭から血が下がる。
 こうなったら、イヤでも親戚に迷惑をかけるしかないのかと覚悟しかけて、さっき電話した栗原市のリストのいちばん最後の、建物の画像もないようなホテルが話し中だったのを思い出し、ほとんど期待せずに電話し直してみた。「ちょっとお待ちください」の後、数秒待たされて、「ツインならお取りできます」との返事。どんなホテルだか分からないし、ツインも嫌だけれど、とにかく「地獄で仏」だ。

百済観音  2011・5・27(金)
 中宮寺から法隆寺大宝蔵院・百済観音堂に行く。会津八一は百済観音を詠んだ。
       くわんおん の せ に そふ あし の ひともと の 
                    あさき みどり に はる たつ らし も
   解説
       ほほゑみて うつつごころ に あり たたす 
                     くだらぼとけ に しく ものぞ なき
      解説
 いつ見ても細身の八頭身に驚き“これが八頭身なのだ!”と内心で叫んでしまう。そして、今にも落としそうな風情で水瓶を持つ左手に視線が行く。
 観音の光背を支える葦のほとんど見えない緑に春を感じ取った八一の感受性の深さに脱帽する。そして、うつつとも夢ともなき心地で立っておられると詠んだ第二首は観音礼賛の極致と言える。素晴らしい像と歌、良い時間を仲間達と過ごすことができた。

ジュディ・オング倩玉(せいぎょく)  2011・5・26(木)
 パラミタミュージアムで彼女の木版画展を見てきた。日本家屋をテーマとした作品、その中でも赤と黒の色調の立体感がある版画が素晴らしい。平等院鳳凰堂を描いた「鳳凰迎祥」(100号)も素晴らしい。この作品は8回目の日展入選作で法隆寺にも奉納されている。倩玉は版画家名で本名・翁倩玉(ウォン・チエンユィ)から来ている。
 彼女の知名度か?沢山の人が訪れていた。今月29日(日)まで、同時に江里康慧・佐代子夫妻の仏像と截金(きりかね)展」が開催されている。


桜と「はっと」3 【ホテルは満室、満室…】
 目的地は、大地震で「最大震度7」だった宮城県栗原市。通常なら新幹線で仙台の2つ先にある「くりこま高原」駅を利用するところだが、震災の影響で、仙台と一ノ関(岩手県一関市)の間が4月28日まで不通。やむなく、仙台から東北本線の鈍行電車でトコトコ1時間15分ほど行った石越(いしこし)駅からタクシーを利用。石越まで行っても、辺鄙な町なので、仙台駅で夕食を済ませたという次第。
 今回の旅行は、新幹線が震災のための臨時ダイヤでpdf の時刻表しかない上に、鈍行利用などで、列車時刻調べがややこしく、パソコンとにらめっこ。
 一方、親戚の家に迷惑をかけたくないし、面倒な付き合いも避けたいという私たちは、以前も利用したことのある栗原市のホテルに宿泊する予定で計画を進行。念のためにホテルが平常営業していることだけを確認して、列車調べを先行する。
 さて、いざ宿泊予約の電話をすると、そのホテルは満室だという。パソコン疲れの頭で「連休に差しかかるからかな…」などととんちんかんに考えながら、ネットで周辺のホテルを探し、なるべく近そうなところから電話するが、「満室」、「満室」…。

ユーストリーム「参議院テレビ 脱原発への道」 2011・5・25(水)
 友人・NKDさんから紹介された動画を見て、悲惨な原発事故の内実が良くわかった。参議院行政監 委員会の参考人は脱原発の下記4人。1人15分程度の最初の発言を時間のある時に聞いてみて下さい。全部で3時間余あるので、最初の1時間だけで良いと思います。
  (ユーストリーム「参議院テレビ 脱原発への道」  
    小出 裕章   京都大学原子炉実験所助教
    後藤 政志   芝浦工業大学非常勤講師
    石橋 克彦   神戸大学名誉教授
    孫   正義   ソフトバンク株式会社代表取締役社長

桜と「はっと」2 2011・5・24(火)
【人災電力会社の記者会見?】   (4月27日)
 たった3日前までは、この時期に、まともに走るかどうか分からない東北新幹線に乗るなど、2人とも夢にも思っていなかった。
 旅行を決定した25日には、東京・仙台間が開通したばかりなのに、いきなり原因不明の停電で、乗客が3時間も車内に閉じ込められた??というニュース報道があった。だから、2日後の今日、「もしかしたら現地まで行かれないかもしれない」と覚悟を決めざるを得ない。
 新幹線改札前の円柱形のベンチに腰掛けて、じっと待つ。構内放送は「東北新幹線は、電源設備のトラブルのため大宮・宇都宮間で運転を見合わせています」と言うばかり。その次は「遅れております15時38分発の仙台行きやまびこ○○号は、大宮まで運転します」ーーえ? とりあえず大宮まで行って、その先はどうなるの? 
 そして、その後は「遅れております△時△分発の▲▲号は×分に発車します」であって、「停電が直った」とか、「不通区間の運転が再開した」といった説明は全くない。
 確実なことが言える自信がないからなのだろうが、その放送を聞いているうちに、あの無責任極まる人災電力会社の記者会見を思い出してしまった。
 結局、私たちは1時間40分の間、円柱形ベンチで待ち続け(そのうち1時間は早く着きすぎた自己責任としても)、4時8分発車予定のところ40分遅れで東京駅を出発した。しかし、心配した途中トラブルもなく、定刻の30分遅れ(遅れを10分取り戻す快挙!)で仙台駅に到着。
 仙台駅で、ほっと一息つきながら、刺身と「ばっけ(ふきのとう)味噌」と稲庭うどんで飲んだビールは、うまかった。

桜と「はっと」1 2011・5・23(月)
 去年の11月「美味しい牡蠣とタンチョウの報告」を転載させてもらったNKDさん(業界新聞の元編集長)から“桜と「はっと」”と言うルポルタージュが届いた。目的地は宮城県栗原市、了解を得て少しずつ転載する。栗原市は最大震度7だった所、感情を抑えた文章から現地の様子を感じてください。
 【停電のため運休中】
 
4月27日午後3時少し前、東京駅。横須賀線のホームは地下4階にあるので、地上までは遠く、時間がかかる。なるべくゆっくり歩こうと思ってはいても、その遠さが頭にあるので、意識に反して少し早足になる。その分、連れが遅れる。立ち止まって振り返り、追いつくのを待つ。87歳の母親は、まだまだ足腰が丈夫で、毎日、健康維持も兼ねて出歩いているが、やはり年相応だ。こちらはエスカレーターを目指しているのに、相手はエレベーターを探していることに気づき、そのことを思い知らされる。予定より1時間も早く着いたのに気持ちに焦りがあるのは、横須賀線の車内で見た「停電のため運休中」の電光ニュースのせいだ。目指すは、新幹線乗り場。
      
      

遠足と引越し 2011・5・22(日)
 ねーねは千葉動物園へバス遠足、僕はお留守番なのだ。ねーねはいいな!早く大きくなって幼稚園に行きたいよ〜〜。  まっちゃんより  5・17     
 今日のパパからの電話
 昨日無事引越しました。歩いて3分ほど離れた所、通勤駅までが少し長くなりました。前より新しく部屋も大きくなりました。部屋はまだ片付いていませんし、ネットもつながっていません。また、出かけて来てください。
       


中宮寺・歌碑3 2011・5・21(土)
 会津八一はこの寺で「み仏の顎と肘のあたりにこの尼寺のかすかな朝の光が射し、なつかしく心ひかれることだ」という意味の歌を詠んだ。この歌はひっそりとした尼寺の淡い朝の光の中にある漆塗りのような黒い半跏思惟像が対象だが、現在の本堂では歌の良さが失われている。なぜなら、幾多の苦難の道(何度かの火事や移転等)を歩んだ中宮寺の本堂は1968年建立の耐火建造物で、歌の中の尼寺とは大きく違っている。その上、本堂から我々が想像するのは如来像なのに、如意輪観音あるいは弥勒菩薩と言われる仏が置かれていることにも違和感は否めない。本尊の脇侍であったであろうこの像には小さくて静寂なお堂が似合う。
 そうではあるが、この像に対座して八一の歌を味わうときは目を閉ざし、100年ほど前の尼寺を想ってみると良い。だれもが歌の素晴らしさと半跏思惟像の魅力に捕らわれてしまう。
 『この姿態柔婉な像が尼寺の尼達に護られかしづかれてゐることはいかにもふさわしいが、してみると、「あまでらの」という句も、尼寺だから尼寺といったといふ以上の趣致を一首に添えてゐることに気附く』   (吉野秀雄  鹿鳴集歌解)
  

100円の義援金 2011・5・20(金)
 列ができているゴルフ場のフロントで「東日本震災への義援金を100円頂いてよろしいでしょうか?」「いいですよ」と返事したが何だか腑に落ちない。友人は「これで2100円の寄付をした」と声高にしゃべっていた。震災後に21回ゴルフをしたのかな??
 帰ってから気がついたことは、今の状況でしかも周りに人がいる状態で100円の要請は断れない。既に他所で寄付しているのに断れば「一致協力や絆」に反するように取られかねない。そもそも義援金は自主的なものである。ゴルフ場がわずか100円の義援金を半強制で取るのではなく、プレー料金から自らが100円を拠出すれば自然なのにと思った。些細なことだが大事なことのように思う。

中宮寺・歌碑2 2011・5・19(木)
 昨年11月29日建立の歌碑、その実現までの門跡・日比野光尊さんの活躍は4月8日に書いた。5月13日、友人達と一緒に中宮寺に出かけた。訪れるたびに新たな感動を呼び起こしてくれる本尊・木造菩薩半跏像を前に本堂でゆっくりした時間を過ごした。
       みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
                   あさ の ひかり の ともしきろ かも
   解説
 この仏と共に八一の歌碑があることが嬉しい。
             


風呂上がり 2011・5・18(水)
 風呂上がりの美女2人。私たちが誰だかわかる?月に1度の定休日はハハが入浴させてくれる。チチはドライヤーで乾かす当番。ドライヤーが終わるとベットの上で風呂上がりダンスをするの。アップした動画を見てね!
 昨日、午前中は4人で私たちの食べ物を買いにお出かけ。午後、チチハハは五葉松の新芽切り、草抜き、鉢の花の入れ替え、肥料撒きなど庭の手入れ、その上で私たちの入浴だからハハは疲れて早くに寝入っていた。チチは翌日ゴルフだと言って、早くベットにもぐり込んできたので2人で顔をなめて、チチへの愛を示したよ。
 

第3火曜日 2011・5・17(火)
         今日は定休日独り言も御休み。

    ほほゑみて うつつごころ に あり たたす くだらぼとけ に しく ものぞ なき
 
                                    会津 八一

 ミョウガ 2011・5・16(月)
 「香りがいいよ」。採りたてのミョウガを薦めたら、「ミョウガを食べると、物忘れするというから」と拒否。いえいえ、あなたのひどい物忘れを忘れさせてくれる妙薬ですよ。
       (気遣いに疲れる妻・66歳)
  −つれあいにモノ申す  中日新聞よりー
 最近物忘れがひどい。若い時からミョウガが大好物だったからかな?嫌いだったメモをとったりしてフォローしているけど、会話に「それ」「あの」が多くなった。ミョウガを食べまくって改善されれば良いけど、さらにひどくなったら目も当てられない。

夢殿と救世観音 2011・5・15(日)
 会津八一の歌碑を見て夢殿に入る。夢殿は厩戸皇子(聖徳太子)を偲んで天平11年(739)に建てられた。中央に聖徳太子等身と伝えられる秘仏救世観音像が安置されている。
 修学旅行生の途切れる事のない列に押されてじっくりと見る事ができなかったのが残念だが、飛鳥仏としての特徴的な正面鑑賞用の仏と言える姿を脳裏に焼き付けた。金堂の釈迦三尊像(飛鳥仏)と共にアルカイックスマイルの面長の顔は特徴的である。その後見た白鳳仏である夢違観音との違いは大きい。夢違など白鳳仏は二面的=立体的で、かつそのおもざしが青年を想わせるリアルなものになっている。
 恩師・植田先生は著書でこう言う。「道人(八一)にとって伝説の救世観音が聖徳太子と等身であり、太子は観音の化身だった。小主観、小自在を拒絶して、完璧な澄みきった一首が生まれるためには、絶対者としてのみほとけと人間との出会いにすべてが賭けられているのであろう」大正時代、閑散とした法隆寺で救世観音に対峙した八一の心境には遠く及ばない。 
 


マクロビオティック 2011・5・14(土)
 法隆寺・夢殿近くの玄米庵で昼食をした。マクロビオティックの店と紹介がある。フランス語で長寿法の意味で玄米、野菜、海藻などを中心に摂取する食事法を指す。仲間7人はマクロビランチを食べたと言うことになる。
 この店は2009年3月29日に開店、宮大工が熊野の杉を使って建てたそうだ。店のHPにはこう書いてある。
 毎朝、竈で玄米ご飯を焚き、竈で蒸した玄米餅米を、杵と臼で玄米餅についています。
暖簾を、くぐると日常の喧騒を忘れてくつろげる和風の庭園、小道を進めば、熊野の杉で作られた自然素材の木造建築、店内は、昔ながらの土間、竈、漆喰の壁の空間でゆっくりとおくつろぎください。

 人出の多い観光地周辺では総じてろくな食べ物屋がない。今回は◎、この店を探し予約してくれた友人・鹿鳴人に感謝。    (photo by cya-)  
           


原家の歌碑 2011・5・13(金)
 夢殿の救世観音を詠んだ会津八一の歌碑は原家の庭に立っている。仲間たちと今日訪れ、やっと見る事が出来た。(生駒郡斑鳩町法隆寺北1丁目10番)
       あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
                 この さびしさ を きみ は ほほゑむ 
  解説
 歌碑の裏にはこう記されている。
      昭和五十四年五月十六日
                玉泉  原  與司明
                        光  子        建立
          撰 
 書        宮川 寅雄
          刻    工        太田 重喜
          用    石        神鍋山麓萬劫石

 歌碑の詳細が分からなかったが、今回知り得たことを表記しておく。

美味しい添加物 2011・5・12(木)
 出勤する夫が、家の猫に向かって言った。「今日も休みか」「毎日、お休みでいいな」。二度も、三度も。それって、私への当てこすり!
     (当てこすり 365日休みなしの主婦・62歳 中日新聞、つれあいにモノ申す)
 我家では食べ物をえり好みするうららとくるみにSUが大声で言う。「ドッグフードが一番!」「栄養のバランスが最適なのがドッグフードと獣医さんが言っていたでしょ
 くららと連れ合いは知らん顔しているので大声で解説する。「ハハに言っているんですよ。美味しい添加物をいつも与えるから、ドッグフードを食べない」叫んでも叫んでも改善は無し。食事時、くららはSUから離れて、ぴったりハハに寄り添っている。

生きているから(イチヤクソウ) 2011・5・11(水)
 5〜6月の富弘さんのカレンダーは「生きているから」。
        痛みを感じるのは 生きているから
        悩みがあるのは 生きているから
        傷つくのは 生きているから
        私は今 かなり 生きているぞ 
         1997年
 この詩に10代に出会ったら、あるいは40代に知ったなら「かなり」はどう受け止めていただろう。作者51歳の作品である。富弘さんは1946年4月24日生まれ。
         


外来種 2011・5・10(火)
 女房に太っ腹を見せたら、のたまった。「外来種には、餌やらぬ」(飼われている夫)
                −つれあいにモノ申す  中日新聞よりー
 我家の玄関の睡蓮鉢にカダヤシ(めだか)が諏訪神社の池からやってきたのは4年前、冬の間全く姿を見せなかったが、暖かくなったら水面に出てきた。このメダカは外来種の胎生魚で子供を直接産み落とす。雌は大きなお腹をしているが、当家の女房はカダヤシは外来種だけどせっせと餌を与えて大事にしている。
         
カダヤシ 
 アメリカ・メキシコ産の小魚。繁殖力旺盛で蚊の幼虫を好んで食する事から「蚊絶やし」と呼ばれ、日本・アジア一帯に移入された。悪水質にも強く、日本原産のメダカと入れ替わる様に増殖した。2006年2月には外来生物法の特定外来生物に指定された。 

法隆寺再建論争 2011・5・9(月)
 法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える、聖徳太子ゆかりの世界最古の木造建築寺院である。創建は推古天皇15年(607年)とされ、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されているが、現存する法隆寺が焼失後再建されたという再建論者と建築様式の分析から(伝承どおり)創建のままであるとする人たちとの間で激しい論争が明治時代より行われてきた。会津八一は文献と実物(瓦など)の検証を唱えながら再建説をとり、独自の説を展開した。今では、聖徳太子当時のものであると考えられる前身伽藍・若草伽藍が1939年に発掘され、再建説が主流になっている。
 現在では木材の科学的な分析等により、607年創建ではなく7世紀後半が定説になっており、またスーパーヒーローと言える聖徳太子は当時の厩戸皇子のことで、太子の名は後の人が創作したことは定説化されている。
 近々、寺を訪れる予定だが遠い昔のことを想いながら歩いてみたい。

子供の日 2011・5・8(日)
 5月3日に四日市を出て、ママの実家・小田原に無事着いた孫たちは、子どもの日は小田原城で過ごしていた。なんと子供達は元気なんだろう。疲れのかけらも無い。四日市の三滝川で撮ったくらら達との動画をアップしたので見てください。
         


蛍火 2011・5・7(土)
 辺見庸は言う。「・・・蛍が励起しているのは光ではないからだ。未来でもない。過去をいざない、過去にいざなう」「・・・私の居場所。古びた鏡みたいなメコン川面。はるかな星々。それら任意の地点間を、蛍が成仏できない霊を負うてゆらゆらと飛び交う」「・・・いまの蛍はかって森や湿原で明滅していたあれら魂の蛍たちの子孫なのだろうか。森や湿原や川には数限りない人の死があった。蛍は過去と死ーいまを往還する冷光だった
 時空をつなぐものとして蛍火を取り上げた辺見庸の去年の文である。古来、蛍を死者の霊魂とする言い伝えがある。そんなことを思っていたら、今回の震災がもたらした荒野に、蛍が飛び交う情景が自然に浮かんできた。当地でも蛍火が川面に浮かぶ時が近づいた。

時事呆談 2011・5・6(金)
 80歳以上とおぼしき高齢者仲間で原発談義。カタカナに弱いAさんが「そう言えばシートベルトが・・・・・」と言うのを聞いたBさん。「あんた、若い人に笑われるで。ありゃシーボルトやないか」 (京都市・正解は「シーベルト」や・81歳) ー朝日新聞ー
 時節柄のネタで面白いが、こんな言葉を正確に覚えるより今回の福島原発事故を受けて、原発の是非を考える事が大事だ。有害な放射性物質の完全な処理ができない限り、廃止すべきだと考える。
 4月28日、中部電力がこの時期に定期検査中の浜岡原発3号機を7月から稼働すると発表したことに、びっくりし呆れてものが言えなかった。東海地震の想定震源域の真上に立地している浜岡原発だと言うことを忘れているのだろうか。
 今日、菅内閣が全面停止を要請したのは正解だと思う。地震対策でもたもたする内閣としては上出来である。

地下足袋と筍 2011・5・5(木)
 K先輩と安達家の竹林で筍を掘った。今年は不作だが、今日はそれなりにあるので長く伸びていてもう食用にならない物はそのまま残しておく。筍の先が地表に出てないのがベスト、外の光に当たった先端は緑になっている。日に当たっていない黄色を探すが、見つけるのはとても難しい。
 先輩は地下足袋の裏で筍の先を感じながら探す。その後をついて行って初めて靴裏に感じたので見ると筍だった。初めてのことで喜んで唐鍬で掘り起こし「やった!」と叫んだら、「SUさんのために残しておいたよ」とKさんの一言。


「諏訪ホール」ホームページ 2011・5・4(水)
 (プライベートページがあるのに)どうして店のホームページが無いのか?とよく質問されていた。いろいろ作りづらい所があったことと本人の怠慢だった。使用ソフトの中に程よいテンプレートがあったのと勤めている「ユウスケ」がプロ麻雀の世界で頭角を現してきたので彼を前面に押し出して作った。どうぞ、アクセスしてください。      諏訪ホール・HP 

四日市港公園・孫たち 2011・5・3(火)
 富双緑地・霞港公園・シドニー港公園とポートビルで遊ぶ。富双緑地ではボールやフリスビーで遊び、シドニー港公園の遊具で長い時間楽しんだ。夕食後ジュニア一家は帰路についたが、インターネットの渋滞情報を見ると赤字(渋滞)がいたる所にある。何時間かかるだろう?元気に帰れることを願って送りだした。残ったジジババはぐったり、大仕事が終わった。
  


川島パーキングエリア・孫たち 2011・5・2(月)
 岐阜県各務原市の川島パーキングエリアにあるオアシスパークアクア・トトぎふに出かけた。ここは犬もほとんど入れるので、くららも一緒に出かけた。年々施設が充実して子どもたちには楽しい場所だ。淡水魚水族館、観覧車、カード迷路、木舟遊覧、食事などで瞬く間に半日が過ぎた。帰路車中で孫とくららはぐったり、まっちゃんとくるみはほとんど寝ていた。この2人はよく似ている。遊びまわってすぐ眠る。
 


キッチン 田(DEN)・琴音と将周 2011・5・1(日)
 今日は雨だったので野外では遊べなかった。昼食を「ラーメン&焼酎の美味しい店 キッチン 田(DEN)」で食べる。開業して1年のSUの先輩のお店、ラーメンが美味しいし、店主が誠実な人なのでカコバーのお気に入りである。総勢7人、奥の座敷でゆっくりと食事、孫たちはジグソーパズルやSUが作った尻取りカードで遊んだりした。
 食後はジャスコでお買いもの、ピエロさんに風船をもらってクララとまっちゃんは大喜び。
    「キッチン 田」 四日市市西阿倉川1210−2 電話 059−331−9409  良いお店です。一度お出かけください。 

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