南部丘陵公園・孫たち 2011・4・30(土)
 パパママが用事で出かけたので、スージとカコバー、貞叔父さんと5人で南部丘陵公園に出かける。ココロは2回目、まっちゃんは初めてだった。くららは残念ながらお留守番。
 滑り台を怖がらずに何度も楽しみ、丘登りを難なくこなし、動物たちも見学した。夕方帰宅、くららの散歩後、パパママも合流して「満殿の湯」でお風呂に入り、そこで夕食を楽しんだ。


13時間・孫たち 2011・4・29(金)
 ジュニア一家は千葉を朝5時半に出たが、渋滞で四日市に着いたのは13時間後の夕方6時半だった。運転のパパは大変だったようだが、子ども達は車疲れなど何処へやら、夕食後部屋中をくららと一緒に飛び回っていた。4か月前の正月より活発になり、よくしゃべる。3歳のまっちゃんもしっかり話すようになった。
 その後、2人はパパの叔父・貞さんにカコバーと会いに行った。叔父さんはゴーカイジャー・マッチャンの餌食になっているかな?
   


「絆」への不安 2011・4・28(木)
 日本中が「一致協力」「絆」で結ばれようとしている時、小沢昭一がそれに「ちょっと心配なのであります」と遠慮がちに朝日新聞で異を唱えている。3・11以降の今、とても勇気ある発言だと思う。彼の考えは1月20日の独り言を参考にして欲しい。
 戦争と焼跡を経験した彼は語る。『それまでの戦争中の「一億一心」と言う全体主義的風潮から、敗戦で得たのは「てんでんバラバラ」になった個人一人ひとりの自立だった。その自立の中で自由なるものを味わって、それにすがりつこうと思い、みんがが希望を持った。だから戦争を体験した者には「絆」は怖い言葉だ。若い人には「絆」は新鮮な言葉でしょうが、いつの間にやら意味がすり替わらないように気をつけましょう
 彼が言いたいのは本当に自立した個人が、状況の的確な分析と判断のもとで、震災の復興に協力しようと言うことだと思う。官公庁の広報やマスコミのフィルターのかかった情報を吟味し、「一致協力」や「絆」の中身を常に検証しなければいけない。

雨とくらら 2011・4・27(水)
 今日はよく雨が降っている。草花には恵みの雨だが、くらら達は散歩に出れないので機嫌が悪い。いつも夕方の散歩の時間になるとそわそわして催促に来る。そこへ電話の音がなるともっと要求が激しくなる。出かけているハハが帰ってきて散歩に行けるからだ。
 「今日はくららを連れて商店街まで来て!」ハハからの連絡で、久しぶりにお店に3人で出かけた。雨を避けてアーケードの下を散歩してお店に到着。ハハに飛びつき、床を走り回った後に夕食になった。こんな時はいつもと違って美味しいものがもらえる。
 くららに聞いたら「雨の日でもアーケードのある街に行けたら、嬉しいワン!」と答えていた。

孫と連休 2011・4・26(火)
 端午の節句が近づいたので兜や破魔弓の写真が届いた。ポーズをする姉・ココロの横で微妙な表情のまっちゃん、正月に仮面ライダーオーズになってSUを攻撃したやんちゃとはとても見えない。もっとも今は海賊戦隊ゴーカイジャーにたっぷり浸っているとのことだ。
 余震の続く千葉から連休に一家でやってくる。揺れのない四日市でゆっくり過ごせばよいが、SU
ゴーカイジャー・マッチャンの波状攻撃にどう耐えるかだ。
    


凌原発(りょうげんぱつ) 2011・4・25(月)
 『・・・未曾有の原子力災害に遭った日本は原発の未来とどう向き合ったらよいのか。・・・老朽原発に頼り続けるのでは報われない。むしろ、原発をしのぐ技術で世界の先端に立てないだろうか。反原発、脱原発というよりむしろ、代替エネルギーで原発を凌駕(りょうが)する「凌原発」社会を目指したい』  山中季広(朝日新聞ニューヨーク支社長)
 考えさせられる提案だ。原発はアダムとイブが手にした禁断の実と同じで、制御できない限り、手を付けてはいけないものだった。今回の、予想すらできない大損失を考えれば、もう原発は効率の良いものではないので、エネルギー政策の根本的な見直しが必要だ。そのためには「大量生産、大量消費」という日本がたどってきた道の大幅な見直しを伴わないと難しいだろう。

救世観音2 2011・4・24(日)
 4月16日に書いた救世観音は聖観音と同じ意味だが、日本にだけある名前だ。「くぜかんのん」と会津八一は書いているが、「くせ」「ぐせ」「ぐぜ」どの呼び名でも良いようだ。
 喜多 上(文芸評論家)は開帳されている法隆寺夢殿の秘仏救世観音について、フェノロサや八一の言葉を引用して語っている。秋艸会報31号から以下に転載。
 “この像は正面から見ると気高くはないが、側面ではギリシャ初期(アルカイック)の美術の高みに達していよう。(中略)しかし、最高に美しい形は横顔の見えにある。鼻は漢人のように高く、額は真直ぐで聡明である。唇は黒人に似てやや分厚く、静かで神秘的な微笑みが漂う(フェノロサ)” 動の正面より静の側面を評価し、横顔の神秘の微笑みを絶賛しています。・・・この側面への着目が以後の仏像の見方を変えたといっても過言ではありません。・・・八一もフェノロサの先駆的な仕事を評価し、こう続けています。 “昔の日本人は仏教に対する信仰から、真正面より仏像を礼拝して其有難さも美しさも同時に感じたらしい。然し吾々としてはそれ程の信仰は無いから、側面から見て此像が何程美しくあり得るかを、今一度見なほす余地があるかも知れぬ” (卓話 會津八一の今日 喜多 上 12月21日 新潟・瑞光寺)
   

ハナミズキ 2011・4・23(土)
 ハナミズキが咲きだした。春になると白い花は白木蓮やコブシから始まってユキヤナギと続き、白のハナミズキにバトンを渡す。去年は4月25日に独り言でハナミズキを書いている。
     「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず
 初唐の詩人劉廷芝の詩がすぐに浮かんでくる。花達は変わらず咲いてくれるが、見ている自分は随分と歳を取ったと思う。30年ほど前、このハナミズキの苗を買ったのは、四日市の光運寺で毎年5月17日に開催される縁日・秋葉山の植木市だった。この植木市は無くなったが、建て替えが進んでいる光運寺の本堂が完成したら大きな縁日が復活するかもしれない。
  

牡丹 2011・4・22(金)
 牡丹からすぐに浮かんでくるのは立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」「牡丹に唐獅子」などの言葉だ。花言葉は「王者の風格」と言うことだが、その豪華さにいつも圧倒される。牡丹が咲き始めたので2輪を室内に飾り、2輪を筍のお礼に昨日プレゼントした。
 春に次々と咲く花の中で、とりわけ艶やかな牡丹は我家のお気に入りである。その存在感のある花を木下利玄は見事に詠っている。
    牡丹花は 咲き定まりて 静かなり 花の占めたる 位置のたしかさ

          
筍2 2011・4・21(木)
 全くなかった先々週に続いて安達家の竹林に入る。今日もほとんどない。Kさんと2人でやっと掘った5本の中の小さいものを、1個初物として頂いてきた。今年の不作は、一説には猛暑と厳寒の影響だと言う。
 帰路、先生宅近くの和食・日乃出の社長に筍4本をもらい、立ち寄った刻友会仲間Nさんの奥さんから「コウナゴのクギニ」と筍用にと糠をもらう。帰宅後、「掘ったばかりの茹でたてだよ」と連れ合いの友人から筍が届く。不作のはずなのにSU家は豊作だ。


チューリップ 2011・4・20(水)
 昨日、チューリップ展開催中の木曽三川公園を訪ねた時は晴れていた。シートを敷いてくららと食事を楽しんだ。その前後は天候が崩れたが室内にいたので助かった。
 休日の覚書
  朝はドッグショップでくららの爪切り、三川公園でチューリップを見ながら昼食、花ひろばで
  コーヒーと買い物、知人の退院祝い、夕食(ラーメン店・田)、くらら入浴、その他。


第3火曜日 2011・4・19(火) 
         今日は定休日独り言も御休み。

         原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む      
                                 美原凍子(福島) 朝日歌壇より

電子化と本 2011・4・18(月)
 デジタル化の流れの中で石川九楊(書家)は言う。「いま起きていることは通信の異常な発達。文化を創造するという生産行為には、なんのかかわりもない」「書物は、書き手が無意識の領域から、必死で新しい言葉を汲み上げてきた歴史の蓄積だ」「消える本は要らない。たまたま書物の形態をとっただけの本が多すぎた。出版や新聞は、バブル期と比べて売れ行きが落ちたと嘆く。貧しいながら、苦しいなりに、前向きで生きたバブル以前の原点に戻るべ時だ」 全く同感だが、消えない本と確信して本棚に保管した本も年月と共に劣化している。また、いつか読むだろうと購入した全集などは出番なしに並んでいる。良書を大事にしても今後、再読も入れてそれらを読み込む意欲、能力、時間が?と思うと気分は良とは言えない。ただ、「大量生産、大量消費」の名のもとに乱売される薄っぺらな書籍や雑誌が、今回の災害を期に、身の丈に合ったバブル以前への回帰として淘汰されるならいくらか気分は晴れそうだ。


あーちゃんと  2011・4・17(日)
 ボタンの蕾が膨らんできた。例年4月半ばに開花するが、今年は寒かったので開花にはもう少しかかりそうだ。時を争うかのようにハナミズキも開き始めた。裏ではテッセンが蕾を持ってぐんぐん伸びるので蔓を毎日フェンスに誘引している。
 北側に引っ越してきた3歳のあーちゃんが窓からその姿を見ていて「何しているの?」と連れ合いに聞いてきた。「お花が咲いたらあげるからね」と連れ合いとあーちゃんの対話がフェンス越しに続いている。「小さな声で呼んだけどおばさんが出て来なかったの」とか「犬は怖かったけどもう触れるよ」と言うあーちゃんはとてもかわいらしい。その内、フェンスを越えて我が家にやってきそうだ。そしてゴールデンウイークにくる予定の我家の孫たちと遊ぶかもしれない。

救世観音  2011・4・16(土)
 法隆寺夢殿の秘仏救世観音像(飛鳥時代)は聖徳太子等身と伝えられている。明治17年
、この絶対秘仏を開扉させたのがアメリカ人・フェノロサである。
 「もしこれを見なば仏罰たちどころに至り地震たちまち全寺を毀(こぼ)つであろうと抗(あらが)う寺僧を説き伏せて開扉せしめた話は有名である」(吉野秀雄)
 巻かれていた白布を取り除いた東洋美術史家のフェノロサは言う。「飛散する塵埃(じんあい)に窒息する危険を冒しつつ、凡そ五百ヤードの木綿を取り除きたりと思ふとき、最終の包皮落下し、此の驚嘆すべき世界無二の彫像は忽ち吾人の眼前に現れたり」(有賀長雄訳)
 この秘仏が5月18日まで開帳されている。また、救世観音を詠んだ会津八一の歌碑が法隆寺近くの個人の家に建っている。夢殿を訪れこの歌碑に会いに行きたい。
   夢殿の救世観音に
       あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
                 この さびしさ を きみ は ほほゑむ 
         
         (天地にわれ一人ゐて立つごときこの寂しさを君はほほゑむ)    解説

核を愛する  2011・4・15(金)
 「私たちはいかにして心配するのをやめて核を愛するようになったのかー。この命題の示唆するところをもっと内面の深みで考える時が来ている」(辺見庸 水の透視画法 中日新聞)
 昨年9月オバマ大統領が核実験を行った後に辺見庸が書いた一節であるが、今日本が置かれている状況にぴったりの言葉だ。彼は世界の核兵器開発競争と核戦争への憂いを述べているのだが、核兵器を原発と書き変えても十分に通用する。
 原爆被爆国として戦後の復興を行ってきた日本にとって、原発は実質的にも感覚的にも忌避すべきものだったが、高度成長経済を通過する中で、エネルギー確保のために原発事故への心配をやめてしまった。SU自身も原発の危険性を忘れかけていたことを、今深く反省している。日本と言う国家社会や日常の便利さを維持するためには「原発は必要」と言う人がいるが、東日本で起こった未曾有の事故を契機に新たな生活形態とエネルギーの創造に着手するのが自然の流れだ。人類は必要に応じて新しいものを作ってきた。今それが試されるいる。

細川護煕元総理  2011・4・14(木)
 細川元総理は「大震災という未曽有の危機に、どう向かうべきか」と言う新聞記者のインタビューに答えて語る。「江戸時代でも戦後でも思い起こして、今こそ質素な暮らしに戻ることを考えるべきでは。コンビニは24時間営業している。テレビも夜通し、やっている。そんなことは、やはりおかしい。無用のぜいたくと浪費を憎む精神を日本人が再び自覚して涵養(かんよう)していくならば、日本は欧米が刮目(かつもく)する文明国になるでしょう。それが実質国家だとおもう。ある意味で、いい機会だと思います。バブルとか経済成長とかいう中で、みんな身の丈にあった暮らし方を忘れてきましたから」(朝日新聞 2011・4・13)
 一線で活躍する政治家や経済人には見えないことが、見えると言うことだろう。現役政治家の時は頼りないと思った政治家だけど。

那谷寺の鐘楼  2011・4・13(水)
 水彩画を描く友人Yは昔のスキー仲間である。雪が嫌いになったのかと思っていたら、那谷寺で雪を描いていた。
那谷寺(なたでら)は仏教寺院で高野山真言宗別格本山として717年に建立されましたが、その後江戸時代加賀三代藩主前田利常によって再建され、後に参拝に訪れた松尾芭蕉が「石山の石より白し秋の風」の名句を残すほど秋の紅葉は絶景です。
 まだ雪の残る2月26日に参拝しました。この境内の森の中に鐘楼がありました。1649年に建立されたこの鐘楼は国の重要文化財に指定されているもので、雪も少し残っており絵になると思い描いてみることにしました。アンバランスなほど屋根が大きく感じました
』と水彩画ページに書いている。

ルーシー・リー  2011・4・12(火)
 ウィーン生まれのイギリスの陶芸家、ルーシー・リー(1902年〜1995年)作品展をパラミタミュージアムが17日まで開催している。平日はそれほど来館者が多くないのだが、今日は沢山いて、とりわけほとんど女性だったので驚いた。ルーシー・リーの作品を初めて見て、その繊細で優美な作風が女性を引き付けるのだと気がついた。普段、関心を示さない連れ合いもルーシー・リー には興味を持っている。轆轤で薄く作った素材に施された釉薬や線描は細やかで美しい。日本の陶磁器とは違うが異国風(西洋風)でもないとても端正な作品たちが、静かな雰囲気を作っていた。先日見た白磁展より良かった。
 ところでパラミタミュージアムの名誉館長、小嶋千鶴子さんの陶人形展」展示の作品は、東日本大震災の義捐金のため、急遽即売されたがすべて完売になっていた。

選挙 2011・4・11(月)
 予想されたこととはいえ、政権党・民主党の惨敗はある意味で見事だ。驕る平家なのか、力量不足か、はたまたそもそも欠陥車なのか、震災対策活動のただなかでも真摯に反省しなければいけないだろう。
 ただ、地方議員選挙の場合は、マニュフェストのようなものが皆よく似ているので、選ぶのはなかなか難しい。身近なので人柄や縁で選ぶ人も多いだろう。
 他地区で県議選に出ていた新人が落選した。この人を昔知っていたが、酒癖が悪く宴席では女性達を追い回してとても嫌われていた。もう少しで当選だったが、そんなことを知っているので落選を聞いてほっとしている。人格は人を選ぶときの重要なポイントになる。

災害と短歌 2011・4・10(日)
  大地震の間なき余震のその夜をあはれ二時間眠りたるらし (仙台市 坂本 捷子)
 活字や映像で繰り返し災害の実情を見てきたが、短歌と言う表現はまた違った思いを伝えている。今日の朝日歌壇、4人の選者が選んだ40首は1首を除いて全て東日本の震災の歌が選ばれている。被災地からまた全国から寄せられた歌は心打つものばかりである。
  過疎採るか原発取るかこの地にも決断迫る時勢のありき   (新潟市 伊藤  敏)
 マスメディアに乗って声高に空疎に語る一部の人の言葉より、研ぎ澄まされた詩的表現は人々の本当の叫びを伝えてくる。


 2011・4・9(土)
 「今年は寒かったので桜が遅いね」「週末が見ごろかな?」「もう満開、明日の日曜は盛り上がるだろうな」「桜は早い。あっという間だね
 SU家の今週の会話。くららを入れて海蔵川桜まつりに今日行ってきた。

中宮寺・歌碑 2011・4・8(金)
 奈良に会津八一の17基目の歌碑が建ったのは中宮寺門跡・日比野光尊さんの熱い願いだった。中宮寺は「奈良の古寺と仏像―會津八一のうたにのせて―」新潟展へ本尊の菩薩半跏像の出展を断っていたが、たび重なる災害に苦しむ新潟県民のためにと門跡が許可し、また門跡自身が新潟展開催中に新潟市、佐渡市、長岡市の講演など精力的に活動した。
 そんな中、門跡は半跏像と共に飾られた八一の歌の
軸装に惚れ、所望されたそうだが、これは会津八一記念館所蔵の大切なものだからもちろん断られた。それなら、この歌の歌碑を中宮寺に建てたいと願ったことが建立につながった。沢山の人が賛同、寄付し7月8日建立の会発足会議から5カ月弱、11月29日には除幕式が行われた。この除幕式に出席できなかったことは残念なので、早めに中宮寺には出かけたいと思っている。
        みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
                       あさ の ひかり の ともしきろ かも 
  

 2011・4・7(木)
 仏像教室の代表世話人で筍掘りが本職のKさんと安達家の竹林に入る。地下足袋と唐クワを持つKさんが筍を探して掘る後ろで、SUは唐クワを担いでうろうろする。しかし、今日はプロが足裏で探しても筍は全くなかった。今年の寒さが影響したのだろうか?Kさんは「旬の筍以外は食べたくない。教室の仲間にそれを食べさせたかったのに、残念!と言う。明日、明後日と雨模様なのでその後かなと言いながら、教室まで手ぶらで帰った。
 帰路、開花が遅れていた桜があちこちで見事に咲いていた。今度の日曜は絶好の花見日和になりそうだ。  

春日野(八一と健吉の合同書画集) 2011・4・6(水)
 かけてあった薬師寺東塔の書画から久しぶりに若草山の書画に取り替えた。八一が初めて奈良を訪れた時の作だが、緑の若草山が眼に飛び込んでくるようだ。冬が終わり春が来ると自然に奈良に行きたくなる。まずは昨年、中宮寺に建立された八一の歌碑と半跏思惟像に会いに行きたい。
   東京にかへるとて 
      あをによし ならやま こえて さかる とも 
              ゆめ に し みえ こ わかくさ の やま
      解説
             (あをによし平城山越えて離るとも夢にし見えこ若草の山)
   中宮寺にて
      みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の 
              あさ の ひかり の ともしきろ かも 
        解説
             (み仏の顎と肘とに尼寺の朝の光のともしきろかも )
 

やきもの談義3(完) 2011・4・5(火)
 この本(やきもの談義)は白洲正子が加藤唐九郎の話を聞く対談である。白洲はプロローグで言う。「(対談の目的は)一つには、永仁の壺の真相を知りたいこと、もう一つは、世間で怪物といわれている唐九郎が、はたしてそれ程化けものじみた人間なのか、私は自分の眼で確かめてみたかった
 やきもの談義2で唐九郎の印象に触れたが、白洲の人となりは聞き手であるためになかなかつかみがたい。ただ、男尊女卑の唐九郎の考えにうなずいたりするところに疑問を感じたが、1960〜70年代の過激な女性解放運動などには批判的な旧思想の持ち主だったようだ。そのことは旧華族出だったことに起因するかもしれない。
 そんなことを思っていたら、4月3日の日曜美術館は白洲正子展だった。「日本人の美と心」を追求した文筆家・随筆家と言う解説にある意味での「古さ」を理解した。しかし、番組の中で見る彼女が見出した日本の美は素晴らしいものだ。隠れた美を掘り起こし続けた姿に、無名の職人による市井の美術工芸の美を発掘した柳宗悦を思い出した。
 白洲 正子  
   
1910年ー1998年、随筆家。夫は白洲次郎。現在、日本文化のプロデューサーとして多くのジャンルで
  活躍する白洲信哉は孫の一人で、次男と小林秀雄の娘明子の子である。

群れて飛ぶ 2011・4・4(月)
 昨日は鳩が今日はカモメが群れて飛んでいた。ぶつかることのない整然とした美しい集団飛行である。集団行動する理由は、強者から身を守ることや餌が採りやすいということらしいが、整然と群れて飛ぶことや一斉に方向転換できるのはなぜか?その理由がネットに書いてあった。本当かどうかはわからないが、観察した学者が導き出したものだそうだ。
 ・ 仲間の方へ集まろうとする。 ・ 同じ速さで飛ぼうとする。 ・ ぶつからないようにする。
 独立独歩、オリジナリティの確立を希求しても、人とは弱いものである。いたずらに群れて飛びたいとは思わないが、今回の東日本の災害を目の当たりにして、群れて助け合うことの大切さを痛切に思う。

罰について(9)完 2011・4・3(日)
 厳罰主義の風潮には組しないと書いたが、その理由として人が人を裁くことができるのか?という疑問、さらに宗教的見地から長老・ゾシマや親鸞の言う神や仏の救済の思想も参考にした。一方、法によって人は裁かれるが、そのもとになる法そのものの相対性と時代性を問題にし、絶対的なものでないことを述べた。
 また、昨今の厳罰主義は判断の基準を「家族の絆」に置いていることが多い。殺人事件で「残された家族の気持ちを考えると・・・」とよく言われるが、そのこと自体は正しいとしても、「家族の絆」を超えた大局的な観点からの判断も重要だと思う。
 裁けば良いわけではない。罰を与えないで良いならそれに越したことはない。
 「未開社会では、・・・〈清祓〉(はらいきよめ)の儀式では行為そのものが〈法〉的な対象であり、ハライキヨメによって犯罪行為にたいする罰は代行され〈人〉そのものは罰を負わないとかんがえられる」(共同幻想論 吉本隆明)
         罰について(全文)

ユキヤナギ 2011・4・2(土)
 慈善橋(三滝川)の北詰めの川原にあるユキヤナギが満開になった。20mほどに広がった真っ白な光景は圧巻である。我家の鉢で育てている一株のユキヤナギも満開だが、群生する川原のユキヤナギとは比較にならない。桜の開花前に白いユキヤナギや白木蓮が春の到来を教えてくれる。
 今日は近くに寄って香りを嗅いでみた。美しい白には似合わない独特の匂いがする。この匂いに誘われる人もいるようだが、人によっては苦手かもしれない。しかし、鮮やかな白が何にもまして素晴らしい。

 
4月の初めに 2011・4・1(金)
 東日本大震災からもう20日以上たった。想像を絶する津波の猛威、死傷者の多さ、壊滅した町や村の惨状、そして原発の事故とその影響、それらを目の当たりに見ながら過ごした3月だった。4月の初めは桜の開花を期待しながら春の到来を喜ぶものだが、今年は到底そうした気分になれない。
 被災地の早急な復旧と原発事故の処理を強力に進めて欲しいと思っている。
 そんな中、放射線被害の可能性のある千葉の孫たちが元気に過ごしているのが唯一の喜びと言って良い。
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