会津八一 寒燈集・銅鑼(五首)
                               昭和二十年三月
寒 燈 集




銅   鑼
「寒燈集は昭和19年6月から21年6月までの212首を収録した歌集。敗戦を挟んだ苦難の時代に詠まれた。空襲による罹災、疎開、きい子の死、その後の孤独な生活が奈良の歌とは違う新しい歌境を作っている。とりわけ、下落合秋艸堂の自然を詠んだ歌(閑庭)、きい子への挽歌(山鳩、観音堂)、戦後の孤独な身辺の歌(炉辺、榾の火)は読む者の心に迫って来る」
「下落合秋艸堂に16年住み、昭和11年に目白文化村秋艸堂に移った。その下落合秋艸堂を回想して詠んだ閑庭・45首に続いて、同じ秋艸堂で開いた奈良美術研究会にちなんで詠んだ5首である」  
                                        会津八一の歌 索引
1 銅鑼(第1首)
はじめて草盧(そうろ)に奈良美術研究会を開きしより今にして二十年にあまれり身は遂に無眼(むがん)の一村翁たるに過ぎずといへども当時会下(えげ、えか)の士にして後に世に名を成せるもの少からずこれを思へば老懐いささか娯(たのし)むところあらむとす
   草盧 草で作った小さな家、草庵。自分の住居をへりくだっていう語。
    無眼 目が無いことから転じて無知であること。
    会下 門下     
    くさ の と に こもごも のき の どら うちて 
                 とほく とひ こし わかびと の とも        
歌の解説
2 銅鑼(第2首)
    うらわかく さい ある ひと と まどゐ して 
                 うまらに くひし そば の あつもの
歌の解説
3 銅鑼(第3首)
    ひとつき の うまさけ くみて はる の よ を 
                 すずろに ときし なら の ふるごと      
歌の解説
4 銅鑼(第4首)
    くり ひらく ふるき ゑざう に かたむきて 
                 まなこ あつめし よひ の ともしび
歌の解説
5 銅鑼(第5首)
    あをによし なら の みてら の ふるがはら 
                 たたみ に おきて かたりける かも       
歌の解説
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