会津八一 寒燈集以後・菊久栄(一首)
                  昭和二十七年十一月一日
                  皇太子が立太子の礼を行はせらるるを祝ひての献歌 
寒燈集以後


菊  久  栄
「寒燈集に入れなかったもの、及び以後に詠まれた幽暗〜鐘銘、計57首を解説する。歌は會津八一全集巻四より選んだ。鐘銘は八一の最後の歌である」
「立太子の礼を行って皇太子を正式に定めた昭和27年11月1日、祝いの歌を詠んだ」
                                        会津八一の歌 索引
1 菊久栄
     しらぎく は か に こそ にほへ ひのもと の 
                 ひつぎ の みこ は いや さかえ ませ
歌の解説




会津八一 寒燈集以後・新年同詠船出応制歌(一首)
                       昭和二十八年二月五日
                       宮中歌会始の儀に際しての召歌 
寒燈集以後

新年同詠
船出応制歌
「寒燈集に入れなかったもの、及び以後に詠まれた幽暗〜鐘銘、計57首を解説する。歌は會津八一全集巻四より選んだ。鐘銘は八一の最後の歌である」
「昭和28年1月の歌会始に召人として詠んだ歌。この年の題は船出だった。敗戦の苦難を乗り越える悲願をこめた歌である」
                                        会津八一の歌 索引
1 新年同詠船出応制歌
     ふなびと は はや こぎ いでよ ふき あれし 
                 よひ の なごり の なほ たかく とも
歌の解説




    会津八一 寒燈集以後・鐘銘(一首)
                               昭和三十年十一月 
寒燈集以後


鐘     銘
「寒燈集に入れなかったもの、及び以後に詠まれた幽暗〜鐘銘、計57首を解説する。歌は會津八一全集巻四より選んだ。鐘銘は八一の最後の歌である」
「四国の八栗寺の依頼で鐘銘のため、歌と詞書きを作り、鋳造のために揮毫した。しかし、完成を見ずに昭和31年11月21日、この世を去ることになる。八一最後の1首である」
                                        会津八一の歌 索引
1 鐘銘
   五剣山八栗寺の鐘は戦時供出し空しく十余年を経たり今ここに昭和
   三十年十一月龍瑞僧正新に之を鑄むとし余に歌を索む乃ち一首を
   詠じて之を聖観世音菩薩の宝前に捧ぐその歌に曰く
     わたつみ の そこ ゆく うを の ひれ に さへ 
                 ひびけ この かね のり の みため に
歌の解説













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