九月一日大震にあひ庭樹の間に遁れて・第3首(會津八一) 
                        
2014・11・30(日)
  あたらしき まち の ちまた の のき の は に     解説
          かがよふ はる を いつ と か またむ
     (新しき街の巷の軒の端に輝ふ春をいつとか待たむ)

 惨事を前にポジティブに考え、復興の未来を確信し願う。

            黄葉まつり・ノブ君ハイキングへ
水晶の歌声をめざして5(あいち国際交流はなのき会) 
                     2014・11・29(土)
 このチャリティコンサートは、2011年から東日大震災被災者を支援するために、はなのき会が開催している。この会は女性の資質向上、国際理解を深め社会貢献をするために、研修会、在日外国人との交流及び支援、海外研修、ホームステイ、ホームビジットの受け入れなどをしている。
 今回参加して最も感心したのは、世界中で戦争が絶え間なく続き、国内では武力(自衛隊)で国際貢献するなどと言いながら、戦争への道を模索するかのような中にあって、平和を希求し、しかも実際に地についた活動をしている事だった。
 飯尾歩氏はオープニングトークで「平和について考えよう!」と言った。歌姫が「平和を!」などと言わないで、淡々と幼い時の被曝とそれ以降を語ったことはとてもインパクトが強かった。このコンサートに来て、まだまだ日本は捨てたものでは無いとほっとした。
 会を仕切るのはわがメルヘンのちゃーちゃんである。彼女の会場での猛働きに感心し、最後の堂々とした挨拶に仲間として鼻が高かった。
  

            はなのき会会長・ちゃーちゃん(向かって左)
高倉健と會津八一 2014・11・28(金)
 残念だが高倉健が11月10日に亡くなった。いろいろ思い出に浸っていると友人から「高倉健は自分の台本に八一のこの歌を自分の心情として貼っていた」「高倉健さんの八一はわたしも以前にNHKで見ました」とメールが届いた。素空も以前にこの番組を見た。
  夢殿の救世観音に(會津八一)   解説
     あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
              この さびしさ を きみ は ほほゑむ

 高倉健は自分の台本の最後にこの歌を自分の心情として貼っていた。彼は熱狂的な八一ファンだったと新潟日報が報じている。
 もともとこの歌の歌碑を所有していた奈良の原家から11月7日に法隆寺に移されて、もう一つの歌碑とともに盛大な除幕式が行われている。高倉健の死と除幕式は同じ11月初めに行われていることに何かの因縁を感じる。
 素空の恩師・故植田重雄は早稲田高等学院に入学した時「(鹿鳴集を)買い求めた。読みすすめるうちに衝撃を受ける歌がいくつもあった」と書き、その最初にこの歌をあげている。「・・・これはいままでの日本にない歌だと思った。至高の存在と人間の根本関係を感じさせる作品である。・・・
 この2基の歌碑を今年中に見に行こうと思っている。
水晶の歌声をめざして4(ウィルあいち 2014・11・27(木)
 バンドゥーラを演奏しながら歌うナターシャ・グジーは素晴らしかった。20歳で日本に来て14年、日本語の語りもなめらかである。日本語で歌った「秋桜(コスモス)」「防人の詩」、透き通るような歌声が会場に響いた。
 彼女はウクライナ出身、6歳の時、チェルノブイリ原発事故で被曝、その後いろいろ苦労を重ねて音楽家となり日本で活躍する。その体験を入れながらの自己紹介は淡々と語られるが、語っている内容は重い。
 バンドゥーラは初めてだった。ウクライナの伝統的な民族楽器で、60前後の弦が半音階で5オクターブに渡って調律されている弦楽器である。バンドゥーラの可憐な響きと彼女の美しい水晶の歌声が聴衆を魅了したのは言うまでもない。彼女の美声に腹痛を忘れていた。 
 フォークダンスに力を入れ、指導する立場にあるQちゃんが、彼女の服はウクライナ人がフォークダンスの時に着ている衣装だと言う。美しい人にはどんな服でも似合う。
  

              中央はスキー仲間のMさん、隣はご主人
養老公園からおちょぼさんへ 2014・11・26(水)
 出かけたのは18日、養老公園の紅葉は早かった。去年の第3火曜日は祖父江の銀杏を見に行ったがこの時もダメだった。この地方では11月末が良さそうだ。今度の金曜日にはノブ君親子と祖父江に再挑戦する予定だ。
 おちょぼさんは連れ合いの独壇場、くるみと素空は後ろをついて行き、荷物持ちになる。行きつけの麺類の店で昼食、前日に近所のHさんにおちょぼさんには「たいほう」の店があるね、と言われていたので店主に場所を聞いた。「すぐ近くだけど、本人は病気だそうだ」と言う。その時、ずっと「大鵬」と思っていたが「大豊」のことだと気が付いた。連れ合いはおかしいと思っていたけど「大鵬」と思っていたようだ。「大鵬」は去年のはじめに亡くなっている。店には行かなかったが、ネットにはこう書いてあった。
 『・・・店主 大豊泰昭は病気治療と療養のためしばらくお休みをいただく事になりました。お店にでられないことを、本人はもちろんスタッフ一同とても残念でありさみしくもありますが・・・「元気になるためのお休み」です・・・』
   

                  くるみも写っているよ(養老)
九月一日大震にあひ庭樹の間に遁れて・第2首(會津八一) 
                        
2014・11・25(火)
  うちひさす みやこおほぢ も わたつみ の        解説
          なみ の うねり と なゐ ふり やまず
    (うちひさす都大路もわたつみの波のうねりとなゐ振りやまず)

 大地震の中にあっても八一は冷静に対処し、歌8首を残す。
水晶の歌声をめざして3(ウィルあいち 2014・11・24(月)
 昼食後、歌姫・ナターシャ・グジ―の会場・ウィルあいちに向かう。徒歩で15分の距離だが、遅れたと思ったので信号無視すれすれで向かった。1時過ぎに着くと「開演は1時30分ですよ」とQちゃん、素空はこの日、微妙に何かが狂っていた。
 開演前に代表者・ちゃーちゃんやその家族と話した。ご主人は髪形を変えた素空をしばらくわからなかった。特別室にいた娘さんとお孫さんにも会った。孫・こっちゃんとスキーに行ったのは6年前、もう小学6年生だった。
   ウクライナの歌姫
     ナターシャ・グジー コンサート
     ~水晶の歌声とバンドゥーラの可憐な響き~
 オープニングトークは「平和について考えよう!」
 舞台に立った飯尾歩氏(中日新聞論説委員)の話は楽しかったが、又腹痛で途中退席した。ナターシャ・グシーの一曲目「キエフの鳥の歌」の時、会場に戻る。
夫婦の胸の内(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2014・11・23(日)
 学生時代、級友らと一緒にA社を受けたが、私だけ落ちてB社に入った。そのおかげで夫と結婚できた。「B社であなたに出会えてよかった」と言うと「おれは迷惑だった」だって。(迷惑歴五十年の妻・70歳)

 人と人の出会いは摩訶不思議、棺桶に入った時残った方の評価は?
満潮・干潮 2014・11・22(土)
 温かい日の午後4時頃、三滝川の河口近くでくるみは川遊びする。しかし、川の水位が満潮・干潮に影響されるので、深いと遊ぶことができない。そんなことから、満潮・干潮の仕組みをおさらいしようと思ったが、結構複雑で理解を諦め、以下の気象庁の説明を利用することにした。
 「地球は1日に1回自転するので、多くの場所では1日に2回の満潮と干潮を迎えることになります。 また、月が地球の周りを約1か月の周期で公転しているために、満潮と干潮の時刻は毎日約50分ずつ遅れます」
 くるみの望む干潮は1日2回あり、毎日50分ずつ動いていくと言う事。川遊びをするためには、それに合わせて散歩の時間を変えればいいと言うことだが、「4時頃散歩」は変えられない。だから、水遊びは「夏場の干潮が4時頃」に限定される。
 そんなことを考えていたら、四日市在住の者には便利なページがあった。気象庁の「満潮・干潮 四日市港」、釣り愛好家には最適なのかな!
                         くるみと養老公園へ
九月一日大震にあひ庭樹の間に遁れて・第1首(會津八一) 
                        
2014・11・21(金)
  おほとの も のべ の くさね も おしなべて       解説
           なゐ うちふる か かみ の まにまに
    (大殿も野辺の草根もおしなべてなゐうち振るか神のまにまに)

 死者9万1344人というとてつもない地震だった。八一は自註鹿鳴集でこう書いている。
 大震 いはゆる大正(1923)の震災なり。九月一日、恰(あたか)も午飯を喫し居る時、俄かに強く揺れ出したれば、庭に飛び下りしも、震動烈しくつづきて、地上に立つこと能(あた)わず。しばらく四つ匍(ば)ひになりたるまま、前後を打ち見るに、睡蓮を植ゑたる数鉢の水は、泥とともに飛び散り、屋根の瓦は大半落ちつくさんとす。余震はしばしば到りて、書棚は悉(ことごと)く倒れて畳の上に重なり合ひ、家の中には安んじて入りがたければ、戸袋より雨戸を引き出し来りて、邸内の杉の林の中に、所を選びて之を敷き並べ、客間の広き敷きものを剝ぎ来り、細紐にてその四隅を杉の林の梢に釣りて、これを以て雨除けとし、蚊取り線香にて夜の蚊を防ぎなどして、ここにて数日送るに、夜半に至りて、何者とも知れず、邸外より大声にて法外なる流言を伝え、甚しきは、垣根越しに窺ひ寄りて、ピストルを連発するものさえありき。かかることありきと、今も思い出すことあり。 
水晶の歌声をめざして2(デュフィ展) 2014・11・20(木)
 コンサートの前に愛知県美術館で開催(~12月7日)されているラウル・デュフィ展に出かけた。同伴のQちゃんは長年油画を描いてきたので、何でも聞ける師匠である。ただ、今は俳句作りで頭の中は一杯である。展覧会やコンサートで良い句が出来ているといいけど。
 20世紀のフランス・パリを代表するこの画家は「色彩の魔術師」と言われるだけあって多彩である。いろいろな分野の作品を見ているとその多才ぶりも窺える。とりわけ、赤を主にした作品に惹かれた。
 Qちゃん曰く「遠くの遠い人なのに身近に感じた。美の追求をした、器用な人で、色彩がよかった。わたし好みかな」
 美術館を出て同じ階のレストランで昼食、おしゃべりをしながら楽しく食べた。この食事が原因ではないがその後腹痛になり、コンサート会場まで続いた。電車の乗り遅れに続くこの日のトラブルである。
 デュフィ展案内より
 ラウル・デュフィ(1877-1953)は、ピカソやマティスなどとともに20世紀前半にフランスで活躍した画家です。彼は1937年に開催されたパリ万国博覧会のための装飾壁画《電気の精》に代表されるような、明るい色彩と軽快な筆さばきで描く独自のスタイルを築きました。
草場の陰って(朝日新聞・いわせてもらお) 2014・11・19(水)
 私は高校の英語教師。受験が近づいたある日、生徒の当番日誌に「私は英語が苦手です。でも頑張るので、先生も草葉の陰から見守ってください」と書いてあった。勝手に殺さんでくれ。英語より国語の方が心配だ。
             (静岡市袋井町・「あの世」の意味ですよ・50歳)

 随分年をとってからこんなミスをするととても恥ずかしい。思い込みはなかなか直らないもの。
水晶の歌声をめざして1(出発) 2014・11・17(月)
 11月15日(土)、メルヘンメンバー・ちゃーちゃんが代表を務めるあいち国際交流はなのき会主催のチャリティーコンサートに同じメルヘンメンバーのQちゃんと出かけた。
 朝、9時43分四日市発の急行に乗り、富田駅で落ち合うつもりで3,4番ホームに立っていたら、5番ホームからその急行が出ていくではないか!滅多にないことだが、5番ホームが使われることがあると言う。携帯メールで連絡して準急に乗り、桑名駅で落ち合ったのは11時10分になっていた。桑名では、素空が髪形を変えていたので彼女はすぐには気付かなかった。午前中は2人でデュフィ展(愛知県美術館)を見る予定である。
 ただ出足にしくじったので、この名古屋行きはいろいろな事が起こった。
                   (明日第3火曜日は独り言を休みます)
                  養老公園ーおちょぼさんートミジャス 
鹿鳴集・震余 2014・11・16(日)
 関東大震災の時に會津八一が詠んだ8首である。言い表すことができないほどの惨事を歌を以て追体験するばかりである。
 八一は震災の後の絶望的な状況の中で、全唐詩を手任せに読んでいるうちに、その中の絶句31文字を和歌に訳そうと言う大胆な試みをした。それが鹿鳴集最後にある「印象」(9首)である。
 関東大震災
 1923年(大正12)9月1日午前11時58分、関東地方南部を襲った大震災。最大震度7、規模はM7.9。5日までに人体に感じた余震は936回、各地に津波が襲来した。被災者は約340万人、死者9万1344人、行方不明1万3275人、重傷1万6514人、軽傷3万5560人、全焼38万1090世帯、全壊8万3819世帯、半壊9万1232世帯、損害額は推定約55億円余。
横田めぐみ 2014・11・15(土)
  會津八一記念館近くめぐみさんの拉致されし場にしばし佇む
              神奈川県 冨田茂子(朝日歌壇入選作)
 北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみ=失踪当時(13)=が新潟市内で消息を絶ってから、15日で37年経った。いまだに解決しない痛ましい事件である。上記の歌は移転する前の會津八一記念館近くの場所で詠まれたもの、消息を絶った場所から推測して、旧記念館のすぐ西にある西海岸公園で詠まれたものと推測する。拉致問題の早期解決を希望するが、政治的に利用されないようにと願っている。
 2007年8月、この西海岸公園を訪れたのは八一の歌碑を見るためで、ここが拉致の現場と考えられていたことは全く気がつかなかった。
  みゆきつむ まつのはやしを つたひきて 
                まどにさやけき やまがらのこゑ

      (雪に埋まった松の林を伝って来て、窓から
                 すがすがしい山雀の声がひびくよ)
 この碑の建立は平成元年10月22日なので、拉致事件より10年ほど後である。
  
クールなひと言(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2014・11・14(金)
 暑い戸外から帰宅して「家の中は涼しいなあ」と言うと、妻は「私たちの仲は年中冷え込んでますから」。背筋がゾクゾクしてきた。
                      (熱々が懐かしい夫・52歳)

 愛犬・くるみを溺愛する連れ合いの「熱々」はくるみに注がれている。
社会正義と内部告発 2014・11・13(木)
 11月7日の中日新聞に「第三の敗戦」(上田紀行)という記事が載った。
3個の敗戦とは、
 1 先の戦争の軍事的敗戦  2 バブルの崩壊からの経済的敗戦
 3 安心と信頼の敗戦(人間の使い捨て=私の身に何かあっても社会
    は助けてくれない。全ては自己責任とされ、失敗した人間は見捨
    てられ、使い捨てとなる)
 この考えに賛否は置くとして、ここで以下のように書かれていたことに衝撃を持った。その文を以下に引用する。
 “・・・学生に社会正義と内部告発についての講義をしたときのことだ。「あなたが就職して派遣された東南アジアの工場は有毒な廃液を流していて、下流で住民が病気になり死者も出ている。あなたは工場長にかけあったが、隠蔽する事を求められた。あなたはどうするか?」という問いに対して二百人はどう答えたか?
 1、「自分の名前を出して内部告発する」が三人。2、「匿名で情報をリークする」が十五人。3 何もしない」が百八十人いた。
 その結果に私が「君たち、自分の工場のおかげで人が死んでいるんだよ!」と問うても、大多数の学生たちは隣同士で顔を見合わせて「何もするわけないよな」とうなずき合うのだ。・・・

 まだ社会に出ていない学生の答えにびっくりした。遠い昔だが、素空たちは学校でそんな風な教育は受けなかった。少なくとも「社会正義」を持つことは大人になるための一つの条件だった。
 
村荘雑事・第17首(會津八一) 2014・11・12(水)
  むさしの の くさ に とばしる むらさめ の     解説
           いや しくしく に くるる あき かな 
     (武蔵野の草にとばしる村雨のいやしくしくに暮るる秋かな)

 この歌碑のある法融寺に友人Kと訪れたのは7年前、八一の墓前に膝まずいた事を昨日のように思い出す。
染弥改め菊丸 2014・11・11(火)
 1日にNHKで放送のあったNHK新人落語大賞は春風亭朝也が“やかんなめ”で大賞を取った。これは良かった。
 ところで、毎年諏訪神社で落語を聞いてきた林家染弥が9月に三代目林家菊丸を襲名し、披露公演を行っている。菊丸は上方落語界の大名跡で、約115年ぶりの復活とのこと、一層の精進と実力向上が求められる。
 襲名披露公演で一皮むけ、素晴らしい落語家に化ける場合が多い。11月23日(日)4時から行われる襲名披露(諏訪神社 神笑亭)を楽しみにしている。
 同時に芸濃評論家・前田憲司の出演もあるとのこと、どんな話をするか楽しみである。
 神社の社務所は畳なので寄席の風情あり、その上、境内に車を止めれるので便利である。
林家菊丸 プロフィール
 四日市市出身。1994年に四代目林家染丸に入門し染弥を名乗る。2004年なにわ芸術祭落語部門で新人奨励賞、2013年大阪文化祭賞奨励賞を受賞。今年9月27日に三代目林家菊丸を襲名し、なんばグランド花月で盛大な襲名披露公演が行われ、全国各地で披露公演が開催されている。
くじ運良好(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2014・11・10(月)
 私「宝くじ、何度買っても当たらないな」。妻「私という一等賞を当てたじゃないの」。私「…」。(ホンモノの一等賞を望む夫・56歳)

 宝くじは買わないが、クジはいい物が当った事がない。長年連れ添ったから、“妻”は入賞と言えるのかな?
  

                  くるみページへ
皇帝ダリア 2014・11・9(日)
 我家の皇帝ダリアが咲きだしたので、くるみと一緒に屋根に乗って日向ぼっこをしながら写真を撮った。ついでに、手を伸ばして1輪とって生け花にしたら、連れ合いの友達が造花だと言っていた。生け花で何日持つかな?
 挿し芽で増やして近所に配ったので、近所でも一斉に咲きだした。「私の家の方が沢山咲いている」などと自慢しあっている。花が咲くには芽が出て半年以上かかるので、待ちわびた後の開花は嬉しいものだ。1本の皇帝ダリアに蕾が50個以上ある。家の周りに10本あるので全部咲いたら、500輪以上になる。
    
村荘雑事・第16首(會津八一) 2014・11・8(土)
  わが かど の あれたる はた を ゑがかむ と   解説
          ふたり の ゑかき くさ に たつ みゆ 
     (わが門の荒れたる畑を描かむと2人の絵かき草に立つ見ゆ)

 2人の絵描きは中村彝の門下生と言う。中村彜の八一の歌に対する評価は掲載した手紙で良く分かる。
駆除 2014・11・7(金)
 天敵の 減りし生物 増え過ぎて 最も増えし ヒトが駆除する
                         長崎市 田中正和
 新聞の歌壇の入選作を見て直ぐにエボラ出血熱を思った。駆除されずに増え続けたヒトに真正面から敵対しているウイルスである。
 10月半ば、国連がエボラ出血熱について「あと60日が勝負。負ければ人類が敗北」と悲壮な訴えをした。
 知恵の発達で世界に君臨したヒトも絶対ではないのだ。もちろん、エボラ出血熱の早急な対策を望むが、多面、これは大きな警告だと思わなければいけない。神仏(絶対者)を想定して物事を考えると言う習慣は無いので、これが神による罰だとは思わないが、駆除されること無く傲慢になったヒトへの警告であると深刻に受け止めなければいけないと思う。
 自然界の中で動植物と共存し、またヒトとヒトが争わずに平和に生きて行くことを真剣に考えないと未来は暗いし、ヒトとして豊かに生きて行く楽しみも無い。
変遷(朝日新聞・いわせてもらお) 2014・11・6(木)
 子育てに忙しい頃、何かと理由をつけて夫を呼び出す友人を、ひそかに「疫病神」と名づけ、疎んじていた。だが30年経った今、ずっと家にいる夫を誘いだしてくれる「お助け大明神」と化し、心の中でそっと手を合わせている。(兵庫県尼崎市・信心深い妻・61歳)

 昼はほとんど家にいる素空、ひょっとすると疎んじられているかも?
日録 20世紀(1920・大正9) 2014・11・5(水)
 1920年のグラビアは以下である。
  ・「宮中某重大事件」!
  ・“シベリア出兵”が生んだ惨劇「尼港(にこう)事件」
  ・最高潮「普選運動」と原敬内閣の陰謀
  ・大リーグの汚点!「ブラックソックス事件」
 残念だがこの4件、全部知らなかった。宮中某重大事件とは皇太子(昭和天皇)の婚約相手(後の皇后)に色盲の遺伝因子があるとして山県有朋が騒動をおこした事件。
 尼港事件とは ロシア革命後、アムール川河口の港町ニコラエフスク(尼港)で、駐留していた旧日本軍や在留邦人約700人、資産家階級のロシア人数千人がバルチザン(ソビエト政府正規軍ではない民兵部隊)に虐殺されたこと。日本はこれを口実にして事件解決まで北樺太(からふと)を占領した。
 原敬内閣の陰謀とは盛り上がる普通選挙運動を抜き打ち解散でつぶした事。ただ、時代の流れで普通選挙法は5年後に実現する。しかし、同時に治安維持法が成立したため、この時点で大正デモクラシーは終焉する。
 ブラックソックス事件とはホワイトソックスの選手たちの八百長事件を表現したもの。
 この年に流行った歌は
 「叱られて」(清水かつら作詞 弘田龍太郎作曲)、この歌は知っていた。
     叱られて 叱られて あの子は町まで お使いに
     この子は坊やを ねんねしな
     夕べさみしい 村はずれ コンときつねが なきゃせぬか
村荘雑事・第15首(會津八一) 2014・11・4(火)
  しげり たつ かし の このま の あをぞら を    解説
          ながるる くも の やむ とき も なし 
    (繁り立つ樫の木の間の青空を流るる雲の止む時も無し)

 我が家の樫の木の下より見上げると背の高い皇帝ダリアが沢山の蕾を持っている。  
歩三兵 2014・11・3(月)
 孫のまっちゃん(小学一年生)が将棋好きになった。まだ動かし方を知っている程度だが挑戦してくる。先日、上級者に将周との手合いをお願いしたら、「歩三兵」という方法での対戦だった。覚えたての初心者に対する手合いで上手は玉以外の全ての駒を落とし、最初から歩を三枚手持ちにし、「二歩」を打つことが出来るという方法。
 飛車落ちとかの方法は知っていたが、この「歩三兵」ははじめて知った。その話を若い時からの将棋の相手である同級生・Nに話したら、子供の頃に父親からその手合いで教わったと言っていた。
 姉のココロ(小学三年生)は賢く、学校の成績も良いが、将棋やオセロなどのゲームは苦手なようで、まっちゃんには負けるようだ。
 覚えたての孫にまだまだ将棋で負けるわけにはいかないが、当方の腕もアマの三段の人に「そこで金を上がるようでは六級以下だ」と言われた程度のものである。
夫は毒味役(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2014・11・2(日)
 「プリンとヨーグルトが消費期限切れだぞ」と夫。はいはい、いつも期限切れ間近の値引き品ばかり買ってます。数日過ぎても大丈夫。今までおなか壊したことないでしょ。あんたが知らないだけだよ。(やりくり上手・67歳)

 つれあいも愛犬くるみも昨日の物はあまり食べない。せっせと古いものから始末するのは素空の仕事。お腹は結構丈夫。
星野富弘11~12月の詩画
        土の中の会話(下仁田ネギ) 
2014・11・1(土)
 人間は病気にならなければ 百二十五才まで生きられるんだって
 ウッソォ
 そうゆうことを書いた本が売れてるそうだよ
 へぇー
 だけど 病気がなくなったらさあ あの人たちのことだもの 
 からだを酷使して かえって早死にしちゃうんじゃないかね
 それも そうだね
 そろそろ ねようか 
 冬は眠るのにかぎるよ 
 そうだねえ 
 春までおやすみなさい


 下仁田ネギは群馬県下仁田町でしか栽培できない特産品で値段も高い。甘みが強く、非常に柔らかい滑らかな食感があり、すき焼きを始め、そのままてんぷらにすることもあると言う。
 どこかの大臣が配った意味がよく分かる。


飛  天 (素空 作)

 
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