6月の終わりに  2009・6・30(火)
 今月は、なんと言っても南京新唱(会津八一)の「歌と解説」を完了したことに尽きる。それなりに時間と労力を注いだので、感慨深いものがある。今後、歌集全体の解説と感想を加えるとともに巻頭歌から順に99首の解説を再検証しようと思っている。
 今月の我が家の主役は子犬のくるみ、とても活発でケージから出すと家じゅうを走り回る。先住民「チチ、ハハ、うらら」もたじたじである。遊び相手をしながらしつけを行っているが、その時間と労力も大変なものである。


月下美人  2009・6・29(月)
 蕾を見つけたのは25日、どんどん大きくなって28日夜に咲いた。ほぼ満開になった10時の写真は連れ合いが撮ってくれた。深夜2時帰宅、寝ぼけているうららを横に置き、ぽんすけも入って記念撮影、くるみはぐっすり眠っていたので撮影には参加させなかった。朝にはもう終わっていたが、我が家で初めて咲いたこの一瞬は楽しい時間だった。

PM7:30

PM8:30

PM10:00

PM11:30

AM2:00

翌朝
その瞬間  2009・6・28(日)
 月下美人の蕾が夕方からかすかに動きだした。7時過ぎから徐々に蕾を揺らしながら花が開きだしたので、写真を撮りつつ開花を待つ。8時半ごろには3分ほど開き、今日は出勤を遅くしようと思っていたら、こんな時に限って出勤要請の電話がかかってきた。
 後ろ髪をひかれる思いで自宅を後にする。店は忙しく、見に戻る暇もなかった。深夜までは咲いているだろうから、今から急いで帰って大輪の花を見よう。

日本書紀  2009・6・27(土)
 「日本書紀全訳・現代文(上下)宇治谷 孟著」をネットで安く手に入れたので、ぱらぱらと読んでみた。同時代に書かれた古事記は物語性があり、まとまっているので読みやすいが、日本書紀はそうはいかない。原本が30巻あり、購入して手元に置くような本ではない。今回、現代文で初めて読んでみたが、それほど読みやすいわけではない。歴史学者か皇国史観の人ならなら我慢できるだろうが、素人の読むものではなかった。
 読み始めの神話編で印象深かったのは、跡取りが長男ではなく、ほとんどが次男だったこと。やっと権力を樹立した大和朝廷が、自らの権威を確立するための最初の正史だが、ドロドロした権力闘争を随所に垣間見ることができ、そのあたりは面白い。

 日本書紀は、奈良時代に成立した日本における伝存最古の正史で、六国史の第一にあたる。
  舎人(とねり)親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う


マイケル・ジャクソン  2009・6・26(金)
 連れ合いはM・ジャクソンの大ファンだった。日本公演の切符を手に入れるため、友人たちに頼んだことを覚えている。ということで我が家には彼のCDが沢山あり、音楽音痴のSUでも「スリラー」などは何度も聞かされて覚えている。しかし、低音の方が魅力があると思っていたので、彼の音質にはなじまなかった。当時「M・ジャクソンの声はどうなの?」とジュニアに聞いたら、素晴らしいと返事があり、そうなんだ!と思ったことも思い出す。
 悲報に接して連れ合いは「BADを出してその後終わった」と言う。ともあれ、一世を風靡したポップスの王者に哀悼の意を表したい。

月下美人  2009・6・25(木)
 昨秋にもらった月下美人に花芽がついた。咲かすのは難しいと聞いていたのでびっくりしている。去年まで咲いていた孔雀サボテンは手入れが悪く今年は咲かなかった。
 5年前に初めて開花を見たのは、吉田さん宅で10月だった。夜咲きだしてたった一晩だけで終わる花、我が家で見ることができそうなので楽しみにしている。
花  2009・6・24(水)
 春の花が終わったころに、子犬のくるみがやってきた。くるみの世話で花の手入れがお留守になっているが、それでも季節とともに花たちは美しく咲いてくれる。昨日今日の我が家の話題は大きく咲いた黄色の百合とメダカの泳ぐ鉢の可憐な睡蓮だ。花数を数えているクレマチスは250本を超え、まだ少しずつだが咲き続けている。

銀杏の木4(完)  2009・6・23(火)
 銀杏をトラックに積み終わると住職に「ぜひ、本堂に上がってお参りを!」と促がされた。広い堂内の真ん中に阿弥陀如来立像が安置されている。ずっとキリスト教のもとで過ごしてきたので、先祖代々の墓に来ることはあっても、菩提寺でお参りするのは初めてだった。
 その後、我が家の宗教の違う二つの墓の話などを住職とする。ここの墓地でも、放置される墓が増えて無縁仏化しているという。寺ではそれらを合祀する供養塔の建設中だった。次回は親族でお伺いしたい、と話して別れてきた。
 切られた銀杏の木はいろいろなことを物語ってくれた。因縁であろうか!

餓死  2009・6・22(月)
 日本において餓死と言う状態を想像するには、生産力がとても乏しかった大昔か、戦争のような極限の状況しか思いつかない。豊かな社会と言える先進国日本で、桑名市の餓死した53才の男性はどんな気持で最後を迎えたのだろう。その気持ちを思うといたたまれない。
 男性は2月末に生活保護の再申請をしたが、放置されて2ヶ月後に死亡した。行政の対応に怒りを感じる。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する(憲法)」ならば、まさしく行政の怠慢でしかない。隣人が困れば手を差し伸べる事は人として当り前である。組織と財源を保障された行政に、公僕としての理念も努力も無いならば、この世は闇だ。私達が納税したお金を、困った人に使うことに誰が反対するだろう。

銀杏の木3  2009・6・21(日)
 菩提寺・西信寺(菰野町)から来た銀杏の木は都合で上部を切り取った部分、本体はしっかりと残っている。境内には本殿を上回る高さの立派な柏慎(いぶき)の木もある。
 亡父は寺の近くで生まれ育ち、長じて四日市に出て法律関係に進んだ。「お父さんや親戚の人たちがいつもお参りした寺ですよ」と住職が言う。少年時代にこの銀杏や柏慎(いぶき)の周りで遊んだであろう父の姿を想像する。
 こうした因縁のある銀杏が、仏像の素材になることは感慨深い。先生や仲間たちの手で仏像に生まれ変わることは楽しみだ。

ヒヨコちゃんの絵  2009・6・20(土)
 孫のココロの絵と一緒にジュニア夫婦から贈り物が届いた。SUは父にプレゼントをした覚えは皆無、むしろあの手この手で支援ばかりを仰いでいたので、律儀な子供たちには感心する。毎年「父の日のプレゼントはいらないよ!」と断っているが、いざ届くと嬉しいものである。そのうち、孫から敬老の日プレゼントも届きそうだけど、それはまだまだ辞退したい。
 ピカソ風のココロの絵、画題を見てヒヨコと納得。それでも、ミュージシャンの子供だから、ひょっとすると大化けして“ココロ画伯”となるかも!と勝手に考える。それがジジババなのだ。

銀杏の木2  2009・6・19(金)
 原木を乾燥し、用途に応じて使うためにはそれなりの作業と時間がいるが、今回は「早めに木取りして、木口にボンドを塗って日陰に置いたほうがよい。どんどん割れていくから!」と先生からのアドバイスがある。この銀杏で会員がいろいろな仏像を作っていくことになるが、SUは手がけている香薬師像で手いっぱいである。
 ただ、先生が銀杏で彫った釈迦像は木地が美しく魅力的なので、何らかの仏像を彫ってみたいと思っている。

銀杏の木1  2009・6・18(木)
 菰野のお寺から、銀杏の木を切ったので仏像の材料にどうですかと先生の所に連絡があった。先輩の軽トラックに乗って出かけると、なんとSU家の菩提寺である。
 両親がキリスト教に改宗して亡くなったので、亡父の骨を先祖代々の菩提寺の墓とキリスト教の墓に分骨した。キリスト教をメインに考えたので、それ以来お寺さんとは疎遠になっていた。30年ぶりの住職に挨拶して、直径が1メートル以上で、長さが1メートル前後の銀杏を4本貰って帰ってきた。切ったばかりなので、ひずみが無くなるまで寝かす時間も入れると仏像になるには相当先になる。銀杏は先代の住職の時にもう大きかったという話だから、樹齢は200年近くあると思われる。ちなみに直径70cmで樹齢100年ぐらいらしい。

サッカー日本代表  2009・6・17(水)
 ワールドカップアジア予選最終戦、アウエーでオーストラリアに2対1で負けた。一緒に観戦していたスポーツに詳しい義兄によるとフォワードの攻撃力の力不足は歴然としているという。オシム前監督も日本の軽量のフォワードでは、重量級のオーストラリアのディフェンス陣に通用しないと言っていた。今後も応援したいが、力不足の上にチームや選手個人の魅力が乏しいとファンからも見放される。
 ところで義兄には、ゴルフの帰りに自宅に来てもらって、子犬・くるみの面倒をお願いする時のために初顔合わせをしてもらった。愛想のいいくるみに顔を舐め回されて閉口していた。

第3火曜日  2009・6・16(火)             
         今日は定休日独り言も御休み。

    うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)とわが見む  
                                       大伯皇女    (万葉集 巻2・165)


総務相更迭 2009・6・15(月)
 郵政問題で総務相の首が飛んだ。ことの良し悪しは別にして、大臣の首が如何に軽いことか!民間企業の会社トップと天秤にかけられたのは気の毒であるが、政治家の質の低下と地位の低さを象徴しているようだ。その昔、崩壊寸前だった与党(自民党)を救ったのはコイズミさんだった。「自民党をぶっ壊す!」と言って人気を取り、郵政選挙を劇場化して圧勝した。だが、その後選挙無しで政権をたらい回ししている。これでは、いくら良い政策を取っても民意は付いていかない。
 千葉市長選で31歳の野党系の新人が大差で当選した。国民はよく見ているから、侮ってはいけない。ただ、千葉知事選のように中身の薄いタレント候補に弱い面はいただけないが。

スロージョギング 2009・6・14(日)
 NHKの「ためしてガッテン」でスロージョギングを勧めていた。「ラク〜に走れちゃうのに、血糖、血圧、尿酸値などの数値を下げ生活習慣病改善効果が絶大!しかも、脳までイキイキさせちゃう」と言う。
 ポイントは
  (1)背筋を伸ばす(2)やや前傾姿勢(3)足はけらずに押すだけ(4)時速4km(5)1日30分
 最近血糖値が高く、医者から筋力を上げて糖分の消化を促進させよ、と言われている。このスロージョギングは不思議なことに遅筋を強化し、その周辺の血管も増やす。同じ速度で動きながら、ウォーキングとは効果に雲泥の差があるという。怠けものにもよさそうな方法だ。

南京新唱(なんきょうしんしょう) 2009・6・13(土)
 会津八一の処女出版である歌集・南京新唱(99首)全ての解説を終えた。下記は終歌である。歌の地を訪れること、オリジナルな解説と写真を掲載することを念頭に、ほぼ7年かかった。その間、メルヘンの仲間や友人達、奈良の鹿鳴人の協力に支えられた。ありがとう。
   東京にかへりて後に
       ならやま を さかりし ひ より あさ に け に
                    みてら みほとけ おもかげ に たつ
     解説
          (平城山を離りし日より朝に日にみ寺み仏面影に立つ)

皇帝ダリア 2009・6・12(金)
 丈が3〜〜5mになり11月ごろに咲く皇帝ダリアがもう2m余に伸びた。茎も立派で地中の水も栄養も根こそぎ持って行きそうだ。このダリアは去年友人Pからもらって育て咲かせたものだが、枯れた後、残った茎からまた延びてきた。挿し穂で増やしたものはまだ50cmほどしか育っていない。
 ところで、友人Pの旦那さんが中国に仕事で一年ほど行くので、今日は壮行会だった。メルヘンが兵庫や愛知から駆け付けたが、壮行会と言うより、おしゃべり会だった。ついでにパラミタミュージアムの棟方志功展も皆で鑑賞してきた。

孟宗竹 2009・6・11(木)
 名の由来は、孝行な人物を取り上げた中国の「二十四孝」に列記された三国時代の呉の孟宗による。親孝行な彼が、真冬に「筍を食べたい」という年老いた母親の願いに、竹林に入って哀嘆したところ、筍が生えてきたという話である。
 いつも筍を頂く先生の竹林の間引きを今日は手伝った。竹間を2m間隔ぐらいにし、日当たりを良くする作業である。弟子としてここは一番頑張ろうと勇んで出かけた。ところが、20mぐらいある孟宗竹をのこぎりで切って倒し、短く切る簡単な作業だが、すぐにあごが上がってしまった。体力のないせいだが、農家の跡取りに生まれなくて良かったとつくづく思った。

ワクチン 2009・6・10(水)
 小犬・くるみの2回目のワクチンで獣医へ出かけた。犬ジステンパーなどの5種混合〜9種混合ワクチンで、くるみは外出も注射も初めてだった。爪を切ってもらい、耳にカビが繁殖して汚れていたので、消毒して塗り薬をもらってきた。
 くるみが我が家に来た時から臭いがきつかったのは、赤ちゃんなので風呂に入れてないことやトイプードル特有の臭いと思っていたが、病気の耳の臭いだった。1週間後に再診、1ヶ月後に狂犬病の注射。
 保険がないので医療費は高い、うららのグルーミング代のためにSUは美容院行きをカットされている。くるみの医療費とグルーミング代のしわ寄せはどこへ?

古い書類 2009・6・9(火)
 6月と12月は営業所の中、30ヶ所ぐらいを1ヶ月かけて掃除をする。スタッフがほとんどするが、改造して倉庫にした2階の掃除を自分が始めた。倉庫にして1年半、物を整理せずにどんどん置いたので足の踏み場もない。整理ボックスや本箱を並べ替え、さらに簡易の棚を作った。その上で、自分しか処理できない書類などに手をかけたが、40年も前の亡父の書類が沢山出てきた。主に組合関係の書類だが、その他法律関係のものもある。チェックして仕分けし、大半のいらないものは廃棄することにした。
 精力を注いだものも時を経ると無価値になる。なんとも悲しいものである。

割烹 2009・6・8(月)
 最近では日本料理店をさす言葉だが、本来の意味は「肉を割(さ)いて烹(に)る」の意から食物を調理することで日本料理のこと。また、割烹着(炊事や家事の時、着物の上に着る)も簡単なエプロンなどに主役の座を追われつつある。まだ着物が日常的に使われていた昔に、白い割烹着の母親がかいがいしく働いていた姿を今でも印象深く思い出す。
 同級生の経営する割烹・若紀久が、3周年記念で親子料理対決2番勝負をする。第1ラウンド アイナメ対決 第2ラウンド 太刀魚もしくは、いぼ鯛。なかなかいい企画だ。

アウェー 2009・6・7(日)
 日本がウズベキスタンに辛勝して本戦出場を決めた。しかし、1点先取後の防戦一方の試合は胃腸に悪かったし、前途の多難さを思う。改めてワールドカップ予選の質の高さとアウェーでの戦いの難しさを実感した。
 専門家は苦戦の原因を、ここ数試合で圧勝した攻めるシステムが、逆境に立たされた時に対応する術を持ち合わせていなかったと分析する。たしかにそうした面はあるだろうが、親善試合(キリンカップ2試合8ゴール)と言う対戦相手がレギュラーを温存し手抜きする場での勝利に慢心した事もあるだろう。3万観衆が全てウズベキスタン、その上、審判の不可解な判定が続いたアウェーの厳しさもあった。ともあれ、今後の活躍に期待したい。

可視化 2009・6・6(土)
 拷問による自白の強要と不完全なDNA鑑定で17年半の刑務所生活を送った菅家さん、その釈放が実現した。良かったと思うが、無実の人を罪に陥れない努力と体制が必要だ。旧憲法(明治憲法)下で行われた強権的な捜査及び裁判で、犠牲になった例は枚挙にいとまがない。その教訓も生かされた現憲法下で、科学的な根拠に基づいた適正な捜査を実現するためには、取り調べ全過程の録画・録音(可視化)が不可欠だが、現法相はその気がない。
 また、現状の厳罰化の流れが、無理で強引な捜査を助長している面も見逃せない。無実の罪に落ちるのは他人だけではない。自らにも降りかかることを肝に銘じておいた方がいい。

夕食 2009・6・5(金)
 食事の順序はまずチチ、次にハハとうららが同時に始める。新参のくるみは3人が終わるまでお預け。チチが一番なのは、暇で先に食卓に座っているからで、偉いからではない。今日、食事を始めたらご飯が炊けてなかった。うららと一緒に、チチハハはおかずと汁物だけで始めた。ご飯が無いので全く間の抜けた夕食になった。後で御茶漬を食べたけどね。
 ところで、うららは甘やかして育てたので、食べ物を選り好みし時間がかかる。くるみは柔らかくしたドッグフードに飛びついてすぐ食べてしまう。食後、うららは早く2階に上がって遊ぼうとチチに催促し、くるみは隔離した部屋を飛び回って自分で遊ぶ。初めのしつけが肝心だ。

アメリカと闘った? 2009・6・4(木)
 「日本はアメリカと闘ったことがあるのですか?」「そうです」「それで、勝ったのですか?」 絶句・・・・・。先の戦争から63年、若い人たちの中で戦争があったという事実すら知らない人が出てきている。“戦争に対する反省”の風化どころでは無くなってきているのだろうか?
 戦時、学徒として出陣する教え子を見送った会津八一には、その頃の社会情勢に応じた歌が百首弱ある。天皇大好き人間で、基本的には保守的な人物だったが、物事を合理的に見る目は確かだった。しかし、戦争の流れの中で止む追えず作った戦争肯定的な歌二十首弱は、戦後の歌集の中から取り除いている。終戦後の知識人の常識であり良心だった。

皮靴 2009・6・3(水)
 宮仕えでもないのに長年オーソドックスな革靴を愛用していた。しかし、数年前からほとんど履かなくなった。皮以外のカジュアルな靴を普段は履き、改まった席や旅行にのみ革靴を使う。先日、東京を3万歩歩いた靴は気に入っている革靴だったが、皮底が減っているようで危なっかしい。張り替えを依頼したら、合成の靴底になって帰ってきた。本皮製を希望したが、強度の問題や高料金のため、修理屋さんは勧めなかった。
 子犬のくるみが部屋にある箱をかじるので、開けてみたら新品の革靴だった。夫婦ともに何時何処で買ったか覚えがない。ともあれ、下駄箱に収納したが履くのは何時になるやら?

画家・中村彝(つね) 2009・6・2(火)
 先日出かけた東京国立近代美術館で、結核のため37歳でこの世を去った中村彝の作品に初めて出会った。「エロシェンコ像」である。この画家の名前を知ったのは、会津八一の随筆(渾齋隨筆)の中にある「中村彝君と私」である。
 2人は大正12年に一度だけ会った。八一の歌を愛唱する彝は、翌年12月20日に手紙でその歌を絶賛し4日後に亡くなる。「彝さんはこの方の歌を毎日唱ってゐるうちに、一度に喉がつまって亡くなったのだそうです」と駆け付けた八一が紹介されたと随筆にある。
 その他の八一文献からも知っていた中村彝の作品との出会いは、関根正二の作品とともに美術館での喜びだった。

6月になって 2009・6・1(月)
 数日前に孵化したと奈良から知らせがあった鈴虫が、我が家でも昨日から生まれだした。虫たちは身の安全のため、慎重に外気温を確かめてから誕生してくる。基準の温度が数日続かないと決して生まれない。自然の不思議、魅力的な所だ。
 紫陽花が咲き始めた。初夏から夏への始まりであり、山の緑が目に鮮やかな季節だ。
  東京にかへるとて (八一)
       あをによし ならやま こえて さかる とも
                  ゆめ に し みえ こ わかくさ の やま
     解説
           (あをによし平城山越えて離るとも夢にし見えこ若草の山)

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