5月の終りに 2003・5・31
 新緑の季節、わくわくしながら春スキーに出かけたが腰痛に見舞われた。同行者に多大の迷惑をかけたが、自らのショックも大きかった。若いときのような旺盛な新陳代謝による強化は望めないが、身体をいたわりながら鍛錬することは出来るはず。来シーズンには結果が出る。
 諏訪西組合は二人の優秀な若い血を入れた新しい執行部が船出した。組織の利点は内部努力ももちろん必要だが、外部から新しい力を導入できることだ。未曾有の逆風に抗して商店街に新たな新風が吹くことを!!

ひそみにならう 2003・5・30
 「カミさん」が買ってきた「知っているようで知らない日本語」を開いたら、3番目に「ひそみにならう」がある。悲しいかな!知らなかった。
 いたずらに人まねをして物笑いのタネになることを「西施のひそみに倣う」という。と解説がある。絶世の美女・西施が顔をしかめている(ひそみ)のを見て、まねをすれば美しくなると皆がいっせいに顔をしかめた故事に由来するらしい。なるほど茶番だが、「ひそみ」が愁いを含んで美しさを際立たせるのは西施だからだろうね。

災 難 2003・5・29
 車のCDが聞けなくなり、ラジオに代えて走っていたら、そこから切り替えができずに電源ボタンもパーになった。いつもの修理屋さんは基盤が悪くなっているので交換ですと無慈悲だ。でも、探してくれて丁度同じ物の中古があるので工賃だけでいいと言う。助かった。
 仲間が車上狙いにあってゴルフセットを取られた。車内のその他の貴重品は見向きもしなかったらしい。内々に彼の嘆きを紹介すると「トホホ・・・・・この間あんなに調子がよかったのに、また新しいの買って慣らすのは大変なんやに〜〜。もォ〜!!」となる。
 確かにオーディオは取り替えればいいが、慣らしたクラブの代わりはない。盗人も罪な奴だ。でもゴルフ用品業界の活性化に貢献したかもしれないので、ゴルフをする者として彼の不幸を心から気の毒に思うが、お金持ちだからまたいいクラブを買って下さいと言うしか慰めの言葉は無い。

中原淳一 2003・5・28
 午後刈谷にいた。刈谷美術館は義姉が通う病院の横にある。義姉は2時間ほどかかるので美術館の中原淳一展を勧めた。中原淳一?残念ながら彼の絵はSUの趣味の範疇には無かった。美術館の前で少し迷ったけど刈谷市内のドライブを選んだ。
 ゴルフショップがあったので、20年以上使っているゴルフのボストンバッグの代わりを探したが、デフレを反映してか廉価だが欲しいものは無かった。すぐ近くにあったスポーツ店にも無かった。驚いたのは入店時に客はなく、店の人ばかりだったことだった。
 5時過ぎ帰路へ、渋滞を避けて裏道を走り、あわただしく夕食を済ませてPPSへ駆け込んだら会議は中止だった。そんなわけでまだ自転車はない。

めだか 2003・5・27
 一昨日浜田から戻ってすぐに、西新地の自転車屋へ。たまたま店内にいた「マコト君のお嫁さん」を無理に散歩しようと誘って出かけた。1人で歩くより二人の方が面白い。諏訪神社の境内を通って湯ノ山街道へ出たがパチンコ屋(弥生館跡)の西にあるその店も閉まっていた。
 一号線へ出て帰ろうと思ったら熱帯魚屋のY君(同級生)に会った。聞けば自転車屋は閉店・移転したと言う。ならばと彼の店内に侵入しお魚見学、「おじさん、これは?」と言ったら「お兄さんと言え」とのたまう。そういえば昔から軽妙洒脱な男だった。その日我が家に5匹の緋メダカが来て3匹の天然メダカと同居することになった。
 
引 退 2003・5・26
 IさんとTさんが今日の諏訪西総会で引退された。組合創設時からの理事さんで「生き字引」のような方たちでした。SUも理事当時は随分お世話になった。改めてご苦労様と感謝の気持ちを送ります。
 総会ではJA2SHPさんの力作ビデオ(チューリップ)が放映され、来賓の県議を始めとする沢山の参加者が食い入るように見入っていました。改めて映像の力を感じました。web上では重さの問題が付きまといますが近未来には解決されるでしょう。
 
浜 田 2003・5・25
 夕方、水谷仏具店からKimuさんの実家の前を通って浜田へ歩いて出かけた。旧東海道は小学校へ通った懐かしい道だ。サンシを過ぎると四日市宿・ENDACYO(江田町)のノボリが立っている。町並みの変化を確かめるようにゆっくり歩いた。70メートル道路周辺は学習塾に制圧された感じだ。そこを過ぎると変化はあるが昔の面影が残っている。鯛焼き屋さんの閉じたシャッターに空間が作ってあり、ツバメが出入りしている。崇顕寺を過ぎたところの目的の自転車屋さんも閉まっていた。ついでだから母方の実家まで歩き、左折して十七軒町に出て一号線沿いに帰ってきた。時間にして20分かな?
 実は通勤を車から自転車に代えて腰痛予防にと思ったが、購入できず散歩になってしまった。鹿鳴人は最低10分の散歩をしなさいとアドバイスをしてきたから、まず今日は達成かな?

10周年記念特別展・仏像東漸 2003・5・24
 四日市博物館で100点ほどの仏像が6月1日まで展示されている。今日の土曜講座「仏像の見方・聞いて見てわかるこれであなたも仏像博士」赤川一博(本館学芸員) に開講前に行ったがすでに超満員だった。残念。結果、展示の仏像を十分に時間をかけてみることが出来た。
 それぞれに個性豊かな仏像の顔を眺めて歩くのが一番、次に作られたばかりの頃を想像してみる。仏を作ろうとした人々の考えや仏師の思いを推理するのも楽しい。まばゆいばかりの仏を拝した時代時代の人々の姿も思い描いてみる。
 ここには信心はない。亀井勝一郎が言う「仏教の理解と帰依」があればもっと深く見れるだろうと思うが。
 
デジカメケイタイ 2003・5・23
 DoCoMoが最大130万画素のデジカメ付きケイタイを宣伝している。びっくりする。これは手札サイズの写真のプリントに対応できる優れものデジカメなのだ。ケイタイがそこまで行くとはね。夕方、Nさんと上田パパの話をしたときにこのことも話題になった。残念ながらケイタイにはこれだけの容量を送る通信能力が今は無い。だから今は撮って直接プリントしたりPCに取り込んだりするだけだが、きっと将来技術は送信可能にするだろうと二人の考えは一致した。
 でも、生活の中に確固とした位置を占めたケイタイは以下のようなこともある。
 H15年の交通安全週間の年間スローガンの中に
  「パパやめて 脇見、携帯、飛ばし過ぎ」  「あぶないよ 携帯しながら こぐペダル」
便利さが悲劇を招いては何にもならない。気をつけてくださいね。車に乗るとすぐ電話したくなるSUは異常なのかな?

同窓会会長の娘 2003・5・22
 軍手に作務衣姿でテッセンの挿し木をしていたら、会長から電話、例の豪快なしゃべり方ではなく優しい。同窓会を手伝え!と言う命令でなく、娘が参加する演劇に行かないかとささやく。よく聞くと「超チャンネル会議」(ゴルジ隊)と言う。知ってるよと言っていろいろ話していたら、娘さんは市の広報のNさんの隣に載っていた上田さんという美人だ。びっくり!世間は狭いものだ。その上、トンビが鷹?オヤジからこんな美人は想像できない。

山椒大夫2 2003・5・21
  安寿恋しや、ほうやれほ。厨子王恋しや、ほうやれほ。
  鳥も生あるものなれば、疾う疾う逃げよ、逐わずとも。
 正道はうっとりとなって、この詞に聞き惚れた。そのうち臓腑が煮え返るようになって、獣めいた叫びが口から出ようとするのを、歯を食いしばってこらえた。たちまち正道は縛られた縄が解けたように垣のうちへ駆け込んだ。そして足には粟の穂を踏み散らしつつ、女の前に俯伏した。右の手には守本尊を捧げ持って、俯伏したときに、それを額に押し当てていた。
 女は雀でない、大きいものが粟をあらしに来たのを知った。そしていつもの詞を唱えやめて、見えぬ目でじっと前を見た。そのとき干した貝が水にほとびるように、両方の目に潤いが出た。女は目があいた。「厨子王」という叫びが女の口から出た。二人はぴったり抱き合った。

 山椒大夫の連載が完結した。目の治る話に、落語「景清」の定次郎の100日観音参りなどがある。こんなことがあればいいね。
 
足 湯 2003・5・20
 夕方、伊勢湾岸自動車道・長島PAは閑散としていた。でもここには15人ほど入れる素敵な足湯が無料で開放されている。瀟洒なつくりの中に脱衣室も作られていた。トリトンのちょっとした穴場かな!
 新潟・妙高池の平にあったちゃちな足湯は200円と書いてあった。
 
ウオーターレタス 2003・5・19
 昨日から遊びに来ている義姉と花を買いに出かけた。玄関先の陶器の水鉢にあったが、冬にはなくなった水草が「ウオーターレタス」と書いてホテイアオイと一緒に売っていた。去年随分増えたなと思ってネットで見たら面白いように増えると書いてある。
 病後のリハビリを兼ねたSU家での最初の活動が水鉢の清掃だったので水草がぴったりだった。買った花苗を鉢に植えたり、テッセンの挿し木を手伝ってくれる。明日は定休日なので「名古屋港ワイルドフラワーガーデン・ブルーボネット」に行こうと思っている。
 (注 この写真は原寸です)

ニコル 2003・5・18
 ニコルが部屋に一輪あるだけで全く趣が違う。前にPonガーデンから頂いたニコルの鉢の育成に失敗し、里帰りさせたことがある。
 もう一度行きたいとバラが思ったかもしれない。「バラを愛でる会」の最中、デジカメ撮影中のCさんに体当たりして折れた。家主に「早く帰るSUさんにあげよう」という気を起こさせたのか、見事に我が部屋で咲いている。

ガマノ川 2003・5・17
 「18日AM9:45ガマノ川の掃除をする」と自治会のお達しが来た。同時に「17〜18日に自宅前の側溝を掃除しなさい」とある。腰痛では出来ない。直ちに業務命令でキリンに強制。キリンは汗を垂らしながら1時間半かかって完了。SUは周りの草抜きをしながらうろうろしていた。
 ところで「ガマノ川」がわからない。自宅は三滝川の北にあるが、住んでから20年近く経つがこんな名前を聞いたことがない。家の前にどぶ川が流れているのでいろいろ推定し、多分そうだろうと家族会議で決定した。明朝はまだ寝ているので、申し訳にどぶ川沿いの草だけは抜いておいた。

パズルPC一号機 2003・5・16
 Win95を98にバージョンアップして使っていたPCがついにパンクした。過去に費やした費用を考えると捨てがたいが、もう丁重に葬ってやるのがいい時期だ。周辺機器のスキャナやMOがもったいないので使いたいが、ドライバがWinXPに対応してなかったり、接続の方法が違うので使おうと思っても面倒な作業が多い。
 K先生が子供のおもちゃにキーボードだけ使おうかな、と言っていたが再生して使える人があれば引き取って欲しい。でも先行きはお金を出して廃棄するしかない。2005年にマイクロソフトは新しいOSを発売する。進歩を嬉しいと考えるか、また費用がかかり使えなくなるものが多くなると嘆くか、どちらかを選択しなければいけない。
 
マーガレット 2003・5・15
 今朝、Nさん夫人とSUママが3番街のカフェ・マーガレットのカウンターで同席し、軽く会釈したがお互いに誰だかわからなかったらしい。Nさん登場で改めてご挨拶したらしいが、「灯台下暗し」だった。新しいお店が元気に繁盛して欲しい。そうすれば街も活気がでる。
 カウンターだけの小さなお店だからこれから大変だろうな!と夕方コーヒーを飲みながら思った。お店のママがお祭りでの店頭商いを考えていたので、鈴虫でも売ってみる?とつい余計な提案をしてしまった。今年もSU家の鈴虫が孵化し始めた。

Ponバラガーデン 2003・5・14     
                
(メルヘンバラを愛でる会)















33万円 2003・5・13
 夕張メロン2個の初値に33万円が付いた。初値のご祝儀値段とはいえその高額に驚く。確かに値段の高いものは総じて美味しい。食べず嫌いもあるが、廉価で劣悪な物を食べて嫌いになる場合がある。珍味の類で最初にまずい物を食べると嫌いになることが多い。
 友人の実家の新道通りの八百屋さんは高級な果物が置いてある。久しぶりにぶどうを食べた。いつもはそれほど食べないのに美味しいので沢山食べた。値段を聞いてなるほどと思った。デフレの時代の庶民の値段ではない。
 それにしても33万円と聞いて、悪徳政治家や商人を連想してしまうのはSUだけだろうか?

火事 2003・5・12
 午後消防車のサイレンの音を自宅で聞いた。春には珍しいなと思っていたら、電話でSU家のOさんのマンションのベランダが燃えているという。
 寝タバコで燃えていた布団を水をかけただけで消えたと思いベランダに出して出勤し、その後再燃した。「燃えた布団は風呂につけるぐらいにしなければ!」と消防士さんに注意されたという。ベランダだったので小事で済んだが、室内だったらと思うとぞっとする。火事は怖い。明日、消防署でこってりしぼられるだろう。それくらいは必要だ。SU家のもう1人も置きタバコが多い。2日に1回はタバコをすわないSUが消してまわっている。
 
白装束 2003・5・11
 けったいな集団だ。もし宗教団体だとしたら、時代を反映しているのかもしれない。かってマルクスは「宗教はアヘンである」といったが、共産主義やナチズムなどに代表される20世紀のイデオロギー体系が崩壊し他方民主主義も頼りなさが露呈している中で、拠り所をなくした人々にとって宗教は大きな意味を持ってきている。ある現代学者は「宗教は貧しい人々のビタミン剤といえるかもしれない」と言う。世界を見渡すと貧しい人々ばかりではなく、人の心の拠り所は「宗教」と「ナショナリズム」に大きく傾いてきている。事の良し悪しは別にして、行き過ぎると「オウム」事件や「民族間の大虐殺」などが頻発する。
 ところで新興宗教は信徒を100人集めれば教祖は裕福に暮らせるという。白装束がその程度のことなら心配ないけどね。
 
万古まつり 2003・5・10 
 今日明日と開催されている。主催者は12万人以上の人出を見込んでいる。友人Pはボランティアで焼きそば・みたらしのお手伝い、今日はPM3:00に完売したと言う。2年前、理事Sさんが奥さんの実家の手伝いをしていた。気前がいいのかお祭り気分で酔っていたのか陶器を随分安く売ってもらった。彼の本業は家電、店も自宅も全て面倒をみてくれている。
 毎年、奥様が陶器を買いに出かけるお供をするのだが、今夜は「うの会」と言う事でお声がかからない。重いものを持つのは苦手だからラッキーだ。

ハブにらみ 2003・5・9
 昨日、将棋名人戦7番勝負で挑戦者羽生善治王将(竜王・王座)が3連勝した。一時、前代未聞のタイトル独占7冠を持っていたスーパーエースだ。彼の妙手を羽生マジックと言い、ここぞというときの厳しい視線をハブにらみという。このハブにらみによる室内の緊張で、聞こえていた波の音が途絶えたと観戦記者が書き、緊張が解けるとまた聞こえ出したと言う。
 超一流の世界は素晴らしい。ヘボでもど素人でも味わうものが沢山ある。第4戦(5月19〜20日)が楽しみだ。

親不知 2003・5・8 
                   親不知(富山と新潟の県境にある、かつての難所)を
                           手前の新潟の浜辺から眺めた。
                             さすがに8号線はカーブが多かった。

                                 一つ家に遊女も寝たり萩と月 
                                                  芭蕉
                        安寿と厨子王は海路でここを越えて
                                   山椒大夫に売られていく。

 

視力 
2003・5・7
 腰痛再発の原因の一つに日頃の姿勢の悪さがあった。パソコンや新聞を読むときに見ずらいので前かがみの姿勢になる。秋口からずっと肩や首筋が凝るようになったのはそれが原因だろう。以前は「凝る」などと言う事は知らなかったのだから。
 今日視力を調べてもらったら、遠視がわずか一年で2度進んでいる。原因は不規則な生活と長時間のPCと言われた。普通より6時間ずれているが規則正しい生活を送っているので、主原因はPCである。泣く泣くメガネを新調した。あとは運動、親切な友人が週1、2回の水泳を誘ってくれたが・・・・               ARAIスキー
 
嫁入りしたPCたち 2003・5・6
 連休ボケでPPSへ出ると嫁入りしたNo.7の画面が起動しないという。訪問して接続を調べるとマウスが繋がっていない。うまく入らないので無理押ししてピンを曲げたようだ。何とか直して接続、さてコンセントを差し込もうと思ったらコードがない。出荷時の当方のミス。一件落着。
 No.5も大騒ぎになったがデスクトップの解像度が適切でなく、すぐ直った。No.2は特定のHPが見れないと言ってきた。これはセキュリティの設定の問題だと返事をした。どれも初歩以前のトラブルだが「中古だから・・」などと思われるのは困る。PPSが大切に使っていた優秀なPCたちだから、嫁ぎ先でいい仕事をして欲しいと願っている。今日No.8が旅立った。後2台はどこへ貰われていくのかな?

旅先で見たのは? 2003・5・5

 まさかの不運、地獄だった。念願の新潟・春スキーの滑り始めに腰痛に襲われた。無理な体勢で起こったわけではないのが情けない。雪面に座り込んで休養したが痛みが増してきてスキーを断念した。
 「旅先で見たのは」己の心のなかの風景ではなく、怠惰な生活の中で弱ってしまった背筋と腹筋を持つ自分の身体だった。決意したのは「PCを捨てて野にでよう!」だが、親切な友人達は「背筋・腹筋体操」を実行し、毎日メールで報告せよ!と言う。その親切さに涙しながら、ちまきを食べて不運を癒している。
 
旅先にて 2003・5・4
 「旅はどんなに私に生々としたもの、新しいもの、自由なもの、まともなものを与えたであろうか。旅に出さえすれと、私はいつも本当の私となった」(東京の三十年・田山花袋)
 2日未明、四日市を出た。今日深夜に四日市にたどり着けるだろうか?引用の旅のように長くはないが日常から離れて何を見ただろうか!

紀元前に 2003・5・3
 「この世でなにが悲しいといって、自分がいろいろのことを知りながら、無力のためにそれをどうにもできぬことほど悲しいことはない」(歴史・ヘロドトス)
 紀元前5世紀にヘロドトスはこう記している。こうした悲しみの系譜は延々と現代に受け継がれているだろうね。「古典に学ぶ」 いいことだ。本屋に古事記口語訳決定版があり、手にとって危うく衝動買いをするところだったが、「家に積んである原文を読みなさい」と神の啓示があったので思いとどまった。
 
地球のどこかで 2003・5・2
 「今日もわれらに日々のパンをあたえたまえ、のあと、おまえは、なんて言ったの?」−−「おかあさん、おこらないでね!」と、小さな女の子が言いました。「あたしね、こうお祈りしたのよ。そして、パンの上にたくさんのバターをつけてくださいましって!」(絵のない絵本・アンデルセンより)
 「あたしたち、今夜ね−−何だと思う?−−あたしたち、今夜ね。あたたかいジャガイモがたべられるのよ!」そして女の子の顔は幸福に光りかがやきました。ろうそくがその顔をまともに照らしました。(ろうそく・アンデルセン童話集より)
 飽食のこの国は、遠い昔に置き忘れて来たのだろうか?こんな感動を。
 
たびびとに 2003・5・1
 新緑の美しい5月になった。数年前仲間達と奈良・新薬師寺と白毫寺を訪れた。
 「たびびと の め に いたき まで みどりなる・・・・」と八一が詠んだ高畑には新薬師寺の薬師如来を囲む十二神将がいた。お堂の中の仏達が射し込む光に浮かび上がっていたのが印象的だった。
     たびびと に ひらく みどう の しとみ より 
                  めきら が たち に あさひ さし たり
 八一
            (旅人に開く御堂のしとみより迷企羅が太刀に朝日さしたり)

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