7月の終わりに 2008・7・31(木)
 月の後半は猛暑で過ごしにくくなったが、今月はそれなりに充実した月になった。まずは法隆寺の再現壁画(法隆寺金堂展)を見たことで、八一の「病中法隆寺をよぎりて・7首」の解説ができたこと。その2は、陶芸家・柴田眞理子の世界から、陶芸に親しむことができたこと。パラミタ大賞は8月10日に決まる。その3は、澤地久枝「おちおち死んではいられない」(毎日新聞)と盛岡孝二の「働きすぎの時代」(岩波新書)に触発され、現在の混迷する社会について考えてみようと思ったこと。
 ただ、考えることは難しい。宗教の位置づけのところで戸惑い頓挫している。急がずにゆっくり進めたいと思っている。

十一面観音(向源寺) 2008・7・30(水)
 三重刻友会の第3回ツアーの主目的は滋賀県高月町にある向源寺(渡岸寺観音堂、とうがんじ)にある日本一美しいと言われる十一面観音。住職の丁寧な解説中も美しい観音さんに見とれていた。均整のとれた美しいプロポーションの平安仏を前に、天平彫刻の最高傑作と言われる奈良・聖林寺の十一面観音を思い起こしていた。
 ネット上で写真ページを探しリンクを入れたが、実物を見るに越したことはない。湖北に行くことがあるならぜひ立ち寄ってください。

梅花藻(バイカモ) 2008・7・29(火)
 湖北仏像鑑賞ツアーに出かけ、最後に滋賀県米原市にある中山道61番目の醒井宿(さめがいじゅく)に立ち寄った。梅花藻の名所で、沢山の観光客が訪れていた。清流に身をまかせて咲いている清楚で小さな花と、それを見に来ている人の多さがアンバランスで、梅花藻の控え目なたたずまいがかえって際立っていた。
 川沿いの醒井木彫美術館は残念ながら休館日だった。近くに伝統の技を継承した木彫りの里・上丹生がある。もう一度訪れてみたいところだ。

差別・・・!? 2008・7・28(月)
 宗教の話ではない。「つれあいにモノ申す(7・16)」より
 ●差別・・・!?
    私が「お父さん」と呼ぶと、「何や」と怒ったように返事するのに、孫から「ジジイ!」
   と言われても「なあに」とニコニコ顔。一度でいいから、その半分の笑顔を私にも向けて
   ください。                       さきのばばあ 50歳

 8月に入ると孫たちがやってくる。「ジジイ」を拒否して「スージ」を強制しているが、自分から「ジージがね!」などと言ってしまう。そんなことより、カコバー(ババア)になつく孫たちが「ジジイ」に寄ってきてくれるかどうか、今から心配する。

宗教の意味(キリスト教) 2008・7・27(日)
 メシア(救世主)待望の中で、多くの「メシア」が出現した紀元前後の地中海東岸で、ナザレのイエスはキリスト=メシアとなって、後のキリスト教の神となる。しかし、当時の体制とは相容れない福音の思想は、彼自身を十字架に、十二使徒のほとんどを死に追いやる。
 「健康な者には医者はいらない。いるのは病人だ」 宗教は幸福な者の中に出現するわけではない。精神的あるいは物質的弱者の救いとして求められる。だが、帝政ローマによる民心掌握とユダヤ教弾圧のためのキリスト教国教化(392年)でイエスの教えは変質する。(続)
 小説「聖書」 ウォルター・ワンゲリン著より
 イエスがいやしをおこない、福音を伝えるようになったとき、その対象となったのはつねに貧しい者、差別された者、病気に苦しむ者たちで、律法の立場からはけがれている、悪だとみすてられていた人々だった。「健康な者には医者はいらない。いるのは病人だ」という言葉どおり、イエスはたえず彼らとむきあい「裸の者に着せ、渇いた者に飲ませ、貧しい者にあたえる」という律法本来の精神を実行していった。・・・・・・・こうして、体制側との対立を深め、イエスは十字架への道をすすんでいくことになる。・・・・

猛暑2 2008・7・26(土)
 クーラーの効く自宅、外の猛暑、冷えた仕事場の間を出入りしていると身体に悪い。汗をかくと冷たいものも飲みすぎる。そんなわけで、今日はグロッキー、一日うららと一緒に居間でごろごろしていた。
 うららの散歩は連れ合いが、朝6時頃の涼しい時に行くことにした。夕方の散歩は夕食後の気温が下がった時間帯に変えたが、途中でぜいぜい舌を出して動きが鈍る。ついに散歩の3分の1ほど抱くことになった。散歩とは言えない?飼い主が甘いのか??

カワウソ?? 2008・7・25(金)
 三滝川で巨大な鼠のようなものがゆうゆうと泳いでいた。携帯で撮ったがはっきりとはわからない。岸の草むらに入っていくまで眺めていた。近くには青鷺もいた。夜、ふっと思い立ってカワウソの写真をネットで見るとそっくりである。猛暑、あるいは温暖化の影響なのかと考えてしまう。
 一昨日は家の近くで、走りまわって遊ぶフェレット(西洋イタチ)を隣人と口をあんぐりあけて眺め、昨夜は神社の境内で猫にいじめられている亀を助けた。今朝はクマゼミの合唱の中で目覚める。生き物たちに囲まれて生きているのだとあらためて思う。
 

既成宗教の失墜 2008・7・24(木)
 封建社会から自由平等博愛を旗印に近代社会=資本主義社会が生まれ、現時点ではその体制が社会の基本として是認されている。だが、この社会も沢山の矛盾が吹き出し、その解決の方法が模索されてきた。そこから生み出された一つがマルクス主義だったが、これはすでに終焉したと言える。
 その中で、宗教への期待が高まったが、キリスト教、仏教、イスラム教などの既成大宗教は、本当の困っている人たちの拠り所になるのではなく、資本主義(体制、政権)と共存する事によってのみ生き残ってきた。このことを既成宗教の失墜とする。蟹工船を読みだした報われない人たちをこの宗教は助けてはくれない。市場原理主義を掲げ、フリーター資本主義を作りだした現政権の一翼を担っているのが某宗教団体であることを考えれば自明のことである。

蟹工船ブーム 2008・7・23(水)
 多くが低賃金で不安定な非正規雇用者が、働く者の35%に達する現状は、表面的には蟹工船に描かれた世界に似ている。だが、マルクス主義イデオロギーと国家(ソビエト連邦)が存在し、その下でプロレタリア文学として書かれた蟹工船に現在を二重写しにしてみるのはおかしい。
 ベルリンの壁崩壊に象徴されるマルクス主義と主要国家の終焉、さらに既成宗教(イデオロギー)の失墜の中で、一人勝ちした現代資本主義社会における問題なのだ。
 年収200万円に満たないフリーターを含む非正規雇用者(35%)に支えられる日本の現状をある学者は「フリーター資本主義」と呼ぶ。どうしてこれほどまでに格差が広がったのか?をこの学者・盛岡孝二の「働きすぎの時代」(岩波新書)を参考に考えてみたい。

共同掲示板 2008・7・22(火)
 ひとりで運営するより、何人かでと思ったけれど、それでも維持は結構難しい。もう少し、こまめに投稿すればいいのだが、この独り言を書くことでアップアップしているので手が回らない。願わくば、多くの人の楽しい投稿を!
 ところで共同掲示板はteacupの無料掲示板を借りているが、アクセス最初のページはSUの私的ページを使っている。他のHPに使う予定なので、今回アドレスを以下に移動した。
            http://www.cty-net.ne.jp/~masahiro/don/
 お気に入りに登録と沢山の投稿を改めてお願いしたい。

猛暑(暑中お見舞い) 2008・7・21(月)
 梅雨明けし連日の猛暑、「暑い、暑い」の言葉ばかりが飛び交っている。エコカーと言われるハイブリットカーもクーラーをオンにすると途端にガソリン消費量が増える。ともあれ、熱中症にならないように気をつけましょう。
 ところで、先日の「地球環境サミット」も一向に地球の温暖化解決のための確たる合意をしなかった。そればかりか、物価の上昇、格差の拡大、弱者への無配慮などが蔓延しそうな社会になってきた。澤地久枝に触発されて、もう少し、社会の有様を考えてみたいと思っている。

作家・澤地久枝3 2008・7・20(日)
 この国の近未来を想像し、身震いした澤地を40年来の友、作家・小田実の死が襲う(19・7・30)。その衝撃からの立ち直りは、小田の遺志を継ぐ活動からだった。戦争までやりかねない大きな力をもった大きな人間たちとではなく、力は小さいが「破滅への道」には「私は嫌だ」と言いうる隣の小さな人たちと手をつないでいく人間でいようと語る。
 年金や医療費問題にも怒りを隠さない。「・・・・一生懸命働いて、ある年齢に達したら、穏やかな老後があるというのが、本来の国のあり方だと思う。・・・・
 有識者の言葉を連載した毎日夕刊の「おちおち死んではいられない」は澤地で完結した。9月刊行のこの本はずっしりと重い。

作家・澤地久枝2 2008・7・19(土)
 「昭和の語り部」として多くのノンファクション作品を発表した澤地久枝(77歳)は九条の会・呼びかけ人の一人として「実現不能の理想論とか、女書生の夢などと言われることは覚悟の上」で、現状を平和憲法の原点へかえしたいと言い「もうこの国は駄目だと投げてしまうのは簡単だけども、投げて得るものは何かと考えたら、無理にも希望を持っていたいし、希望を持ち続けるには勇気がいるのです」と決意を語り、さらに続ける。
 「いざ、有事」という時、政治家や金持ちは一線では役に立たない、もちろん年寄りもそうだ。なら、ボーナスも退職金もない不安定な非正規雇用者(今では労働者全体の3分の1超)が、ちょっといい条件を示されたら、戦争に出かけていくだろう。もう、そういう社会状況が出来ている。この国の近未来を想像し、身震いしたと言う。(続く)

作家・澤地久枝1 2008・7・18(金)
 澤地久枝は小林多喜二の蟹工船ブームの中で「あの時代は、人権なんてものは何もなかった。それでも、あまりの労働の過酷さに、死を覚悟して立ち上がった人たちの話です。今も過労死するほど残業させられたりする、ひどい労働条件はある。しかし、今は組合もストライキも会社側と交渉することも、すべて合法です。そういう権利を持っていながら、蟹工船にわが身をなぞらえるのは、矛盾なんです。・・・・」と言い「投獄から獄中死があった時代と人間的な要求を掲げても、そのことだけでは、投獄されたり、殺されたりすることない今に生きていることをもっと自覚し大切に」(毎日新聞)と展開する。
 過酷な現状を容認しているわけではない、もっと歴史を学んで、今と近未来を考えなさいと言っている。(続く)

野茂引退 2008・7・17(木)
 いつかはと思っていたが、野茂英雄投手(39歳)が現役引退した。日米201勝に象徴される彼の実力は別格である。1990年、ドラフトで8球団から1位指名を受け近鉄へ入団、1995年、任意引退選手になって近鉄を退団、年俸980万円で大リーグのドジャースに入団する。
 近鉄入団時、「投球フォームの改造は一切しない」と認めさせた「トルネード投法」と実績は誰もが知っているが、本当に彼の偉大なことは、多くの妨害(マスコミも加担)をはねのけて大リーグへの道を切り開いたこと。彼なくして、今日のイチローも松井もありえない。
 パフォーマンスを嫌い、実力と実績で存在感を示した野茂選手、本当にご苦労様でした。


鞍掛峠 2008・7・16(水)
 その昔、伊勢(三重県)から京都本山へ納骨の道であり、近江(滋賀県)からの伊瀬参宮の道であった国道306号鞍掛峠(791m)を車で初めて越えた。彦根城横の夢京橋キャッスルロードに出かけたのだ。
 四日市の自宅から彦根城まで、ネットでは、65.2Km・2時間22分と出た。実際は2時間弱だったが、さすがに65.2Kmのワインディングロードは短時間では走れない。ワインディングロードとは曲がりくねった坂道のことである。
しかし、峠越えの緑はとても美しかった。往復4時間、彦根は33度の猛暑、うららは迷惑だったかな?

第3火曜日 2008・7・15(火)
       今日は定休日独り言も御休み。
         
             私の耳は貝の殻  海の響きをなつかしむ     
コクトー


電光石火 2008・7・14(月)
 きわめて短い時間のたとえだが、最近では「電光」や「石火」の意味がわからない人がいる。「稲妻」と「火打石の火花」のことだが、電光をスイッチを入れたらすぐつく電球の光と思っている人がいる。これだと点灯後の立ち上がりが遅い蛍光灯だと言葉の意味がぼやける。
 ところで、今、環境に良いと推奨されている電球形蛍光灯、改善されてきたとはいえ、スイッチを入れた後、すぐに明るくならないものや、点灯後しばらくの間、明るさが不安定なものもあるので、トイレや玄関には不向きである。購入するときにその点を確かめて、立ち上がりの早いものを買う方が良い。

陶芸家・柴田眞理子7 2008・7・13(日)
 「2周 3周・・・・・・呼継技法の鈴木さん、新里さんの技法、そして柴田さんのと眺めているうち柴田さんに感じた不安定さが失せていき 美しさが 想像を絶する創造力が見えてきた。又色彩の外内の対比の妙が際立ってよくなり・・・・・・・楽しいひとときでした。勿論投票は柴田さん。(Y)
 艶やか過ぎる作品は好きではない。かと言って目立たない作品は印象が薄くなる。鈴木五郎の2メートルもある金継ぎの大壺に圧倒され、新里明士の小さく無数にあけられた穴がある美しい白磁に見とれる。そうした中で、単品ではもろく・壊れそうに見えた柴田眞理子の作品群が、静かで存在感のある不思議な空間を作っている。今回、先入観があったとは言え、このアートに見惚れて、一票を投入。

陶芸家・柴田眞理子6 2008・7・12(土)
 便りはこう続く。長年の芸術活動で培われたこの方の観察眼は鋭い。
 「先ず柴田さんの作品前・・・・・・・年寄り(?)の常として安定を望むからか、不安・もろい・壊れそう恐ろしいなど、いろいろな感情が生まれた。次に色に眼がいく。茫洋とした淡い外側の色彩 何かその色に魅かれるがはじめは正直つかみどころがないとおもった。ただ繊細さには脱帽。優美さにも敬意。絵もそうだが現代作家にはなかなかなじめない。昨年8月、岡部嶺男{唐九郎の息子}、9月荒川豊蔵をみたときと全く異なる感覚におそわれた。・・・・(Y)
 SUは、オーソドックスな陶磁器に疎いので、薄く仕上げた危ういまでのはかなさを醸し出す作品に見入り、「茫洋とした淡い外側の色彩」と内側の対照的なまでの鮮明で繊細な図柄を覗き込み、つぶやく。「どういう方法で作ったのだろう?」 発想が野暮なのだ。

陶芸家・柴田眞理子5 2008・7・11(金)
 独り言の「陶芸家・柴田眞理子」を読んでいただいた方から、便りをいただいた。その初めを以下に紹介する。
 「入り口の写真と個々の1点を眺めながら、さすが柴田さんのは優美・華麗・繊細{パソコン上でのうけうり?}と展示室へ。一歩入ったら作品の個性の強さに唖然。「私だ」「俺だ」「僕だ」とそれぞれが叫んでいるようで驚く。技術・形・色その他でのコンクールではない、これは好き嫌いだと一瞬思う。・・・・(Y)
 明日、パラミタミュージアムに行く。明日以降、便りの続きと陶芸大賞展の感想を書こう。

鈴虫の嫁ぎ先 2008・7・10(木)
 5月末にやっと孵化した鈴虫たちはまだ小さく、鳴き出すには月末になりそうだ。月初めに、小さかったけれど数百匹が奈良に嫁入りしていった。昨日今日と知人の督促で、第2陣が籠に入って嫁いだ。」
 鈴虫が大きくなっていくと飼っている4個の水槽が手狭になり、共食いなどの不幸が起こる。そろそろ、あちこちにもらって欲しいと思いだした。1匹でも鳴いているオスがいると渡しやすいのだけど。嫁ぎ先募集中!

散歩に出て! 2008・7・9(水)
 うららが玄関を飛び出し、リードを引っ張って先頭を切る。あちこち花や鳥を眺め、蟹と戯れる。
帰路はゼイゼイうららが止まりながら殿(しんがり)を務める。
アウバーデ
(玄関のユリ)
キキョウ
(盗人植え)
セキレイ
(三滝公園)
カモメ?
(三滝川)
蟹の子供
(堤防)
ああ疲れた!
家がいいわ。

病中法隆寺をよぎりて 7首 2008・7・8(火)
 全7首の解説に半年かかった。歌の理解がなかなかできなかったが、読み込むことと再現壁画に対面したことで八一の世界に入り込めたように思う。
  病中法隆寺をよぎりて(第6首) 
         うすれ ゆく かべゑ の ほろけ もろとも に 
              わが たま の を の たえぬ とも よし
       八一
          (薄れゆく壁絵の仏もろともにわが魂の緒の絶えぬともよし)
  病中法隆寺をよぎりて(第7首) 
         ほろび ゆく ちとせ の のち の この てら に 
               いづれ の ほとけ あり たたす らむ
         八一
          (滅びゆく千年の後のこの寺にいづれの仏ありたたすらむ)


孫たち 2008・7・7(月)
  「スージ、カコバー、元気ですか?ココロとまっちゃんは風邪を引いて咳と鼻水でお顔がぐしゃぐしゃです。でも頑張ってお薬飲んで良くなってきたよ。又会える8月を楽しみにしてるね!
 お宮参りの写真付きで、ジジ殺しの孫からのメールが届いた。8月初めに四日市に里帰りしてくる。早く帰ってこないかとジジババは指折り数える。
 夕方、「ココロ!」とうららの耳元でささやいたら緊張した。正月はココロから逃げ歩いたうらら、8月は仲良くなれるかな?
    ( おほてら の 八一 )

ルスツリゾート 2008・7・6(日)
 明日から3日間開催される洞爺湖サミットの「国際メディアセンター」がルスツリゾートに作られた。リンク先の写真の山の上から何度も滑り、美しい羊蹄山を背景に写真を撮ってから4年半経つ。とても懐かしい。
 「フラット、フラット、ブレーキをかけずに!」を合言葉に過激に滑ったが、体力の落ちた今では「エッジをかけて慎重に!」に変わった。

金堂壁画火災 2008・7・5(土)
 昭和24年法隆寺金堂壁画は火災でほぼ全滅した。それ以前に会津八一は、壁画を切り取って別の場所に保管し、金堂には現代作家の新しい壁画を掲げることを提唱した。だが、法隆寺の内外より猛烈な反感を受けたという。当時、新たな壁画とは大胆な提案だが、今は再現壁画で金堂は修復されている。
  病中法隆寺をよぎりて(第4首) 
         ひとり きて めぐる みだう の かべ の ゑ の 
                ほとけ の くに も あれ に ける かも
      八一
          (一人来て巡る御堂の壁の絵の仏の国も荒れにけるかも)

冷房 2008・7・4(金)
 茹だるような暑さでうららは舌を出しっぱなし、さすがに我が家もクーラーを入れた。
 奈良を訪れた日も暑かったので、上着が邪魔なぐらいだった。だけど、往復4時間の近鉄特急の強い冷房には上着を着ていても閉口した。少ない乗客にずっと同じ強さの冷風を流すから、寒くなってくる。復路は年配の婦人が寒いと車掌に言ったので助かったけれど。
 奈良から西大寺までの普通電車は弱冷房車で生暖かかった。短距離で扉が開閉し、乗り降りが多いのだから冷房の効きが悪い。特急と普通電車の冷房の利かせ方が逆だ。

車が動かない 2008・7・3(木)
 昼間、仕事で出ようとしたら車が動かない。キーを抜いても何か小さな音がしている。ジャフに来てもらったら、バッテリー上がりだった。ハザードランプを半日つけっぱなしにしたのが原因。エンジンはかかったが、どこかで充電をするか古ければバッテリーを交換せよとジャフの人が言う。昔のように車を走らせたら、充電が必ずできるというわけではないらしい。
 近くの行きつけのガソリンスタンドに相談したら、またかからなければすぐ行きますよと返事なのでありがたい。明日動くかな?

会津八一書簡展 2008・7・2(水)
 東大寺206世別当の上司海雲が東大寺観音院住職として活躍した時代(志賀直哉、会津八一、河合卯之助、杉本健吉、須田剋太、入江泰吉らと交流)は観音院が文化拠点であった。広く文学・芸術を愛した彼は中心人物として多くの世話をした。その上司海雲宛ての八一の書簡(124通)が新たに発見され、奈良大学が購入展示している。
 新潟・会津八一記念館蔵の八一作品(画像)が20点以上展示された会場は、まさしく「八一の世界」だった。35ページの無料目録配布に大学の並々ならぬ姿勢を感じた。ちなみに有名な万葉学者・上野誠先生はこの大学で教鞭をとる。

法隆寺金堂展 2008・7・1(火)
 今日(1日)から四天王が勢ぞろいしたからか、「法隆寺金堂展御一行」の観光バスが5台も入ってきた。会場を金堂に見立て、12面の再現壁画の中に諸仏を配置してある。まさしく「ぐるり360度 すべて特等席」だった。同道した鹿鳴人が感心した見事な照明の中に再現壁画が浮かび上がる。昭和42年から約1年かけて安田靫彦氏や前田青邨氏ら当時の画壇を代表する14人の画家が再現した縦約3.1メートルの巨大な壁画に圧倒される。必見である。
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