志賀高原スキー
2015年3月6日(金)~8日(日)

志賀高原・初日 
 3年ぶりに志賀高原スキー場に4人で出かけた。2泊3日だが初日から沢山滑りたい。しかし遠い。5時過ぎに自宅を出て順番に仲間を乗せ、370km走って志賀高原・高天ヶ原マンモススキー場を滑りだしたのは11時過ぎだった。途中は仲間が作ってくれたおにぎりでの朝食とトイレ休憩だけである。素空は出発からスキー服着用を要請し、すぐに滑りだすので、のんびりしたいスキー仲間には嫌われる「過激な」スキーヤーである。
 一の瀬ファミリースキー場で昼食とその後一回の休憩をとった以外はずっと滑っていた。O君とMさんが先に終わって車に帰ったが、リフトの止まる寸前までTさんと滑り、熊の湯スキー場にある宿・中日山荘に入る。
 前日の睡眠が1時間余、車中で1時間弱の睡眠だったので夕食まで爆睡する。
 歓談しながら美味しい夕食を食べたがアフタースキーは無かった。ハードスケジュール?過激な滑降?年齢?全員が早めに睡眠に入っていた。

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志賀高原・寺子屋スキー場 
 一日目、志賀高原・寺小屋山(2125m)にある寺子屋スキー場で滑った。「標高が高く、とにかく雪質がいいので“志賀高原に来たらまず寺小屋を目指す!”という人もいるほど・・・」と言われている雪質の良いゲレンデである。嬉しい事には整備された中級のコースなので仲間4人がそれぞれに楽しんで滑れる。ゲレンデを何度も滑って、一の瀬ファミリースキー場に戻って休憩した。ここでビールを飲んだO君と少し疲れたMさんはタンネの森オコジョスキー場を通り、高天ヶ原マンモススキー場の駐車場にある車に戻った。Tさんと素空は高天ヶ原で数回滑ったが、非圧雪のこぶ斜面はしんどい。平気で滑るTさんに脱帽、彼女はタフである。
         
                 寺子屋山とスキー場
       
               左から Mさん Tさん O君 


志賀高原・中日山荘 
 宿泊は中日山荘、名前の通り中日新聞社の施設である。新聞社関連のTさんのおかげで2002年から志賀高原スキーの宿になっている。この時のメンバーから今は2人がリタイアしている。
 熊の湯スキー場・横手山スキー場に隣接する便利な場所にあり、宿のスタッフは穏やかで親切である。料金は普通のスキー宿の半分ぐらいで豊富で美味しい料理を楽しむことができる。また、行き届いた設備の中でゆったりと過ごせる。ただ、過激?なスキーで皆疲れたのか二日ともアフタースキー(ウノなど)が無かった。
 ところで、他のメンバーと普段の睡眠時間帯が違うので消灯などとの関連でいつも就寝に苦労する。最近はスマホに入れた落語を聞きながら眠りにつくが、今回はスマホから青空文庫にアクセスして本を読むことを思い付き、国木田独歩の武蔵野を開いたが、読む間もなく眠りについていた。
          


志賀高原・いろいろなスキー 
 宿で同宿した親子はテレマークスキーの競技会に出ると言う。普通のスキー(アルペンスキー)は足をしっかりとスキー板に固定しているが、テレマークスキーは踵(かかと)が固定されていない。板を履いて歩く時に便利だと言う。また、スキージャンプで使われている。
 一の瀬ダイヤモンドで一本杖スキーの集団に出会った。物干しざおほどの一本の棒をストック代わりに使っていてびっくりした。この一本杖スキー(リリエンフェルト式スキー術・オーストリア式スキー術)はもともとは急な斜面を滑るために考案されたようだが、今の2本のストックになって無くなった。いろいろなスキーがあるものだ。
           


志賀高原・熊の湯スキー場 
 2日目はこのツアーのベースである熊の湯スキー場・横手山スキー場・渋峠スキー場を朝から夕方まで滑った。雪質が良かったので、従来は苦戦した熊の湯の上級コース4本(黒線部分・最大斜度33度)を気持よく滑った。今回のツアーでは一番満足感があった時間だった。
 今のリフトは3人乗り以上の高速が主流なので、最後に乗った横手山のシングルリフトは珍しかった。シングルは何年も乗ったことが無い。このゲレンデは最大斜度8度だった。
 宿に戻ってゆっくりと風呂に入り、夕食を楽しく食べた。スキーは楽しい。

図をクリック(熊の湯スキー場)

志賀高原・焼額山スキー場 
 3日目は2時にスキー場を後にすることにした。O君希望の焼額山スキー場頂上にゴンドラで上がって滑る。長いコースで険しいところや幅が狭いところもあるのでMさんにはきつかったようだ。一の瀬ダイヤモンドスキー場のレストランでNさんの家族と合流し、昼食をとる。
 その後、Nさんの孫・リョウ君と一の瀬ファミリースキー場を一緒に滑った。孫と滑れるNさんが羨ましい。
 ビールを飲んだ0君とMさんは先に車まで戻った。残りの時間をTさんと高天ヶ原マンモススキー場を滑ったが、最後に腰が痛くなってギブアップ、元気に滑りまくるTさんに「ゲレンデの過激派リーダー」の称号を送り、ゲレンデの鉄の女としてチャッチャー(ちゃーちゃん+サッチャー)と言う愛称で呼ぶことにした。
 2時に帰路につき、腰痛をこらえて自宅に着いたのは8時過ぎだった。車の走行距離740km。  (おわり)
      
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