四日市博物館
2015・6・5

四日市博物館1・丹羽文雄記念室 2015・6・6(土)
 メルヘン(同級生の会)は春の奈良に続いて今年3月にリニューアルオープンした四日市博物館を6月5日に訪れた。目的は新設された“四日市公害と環境未来館(2階)”だが、予想外の事などがあって楽しいものになった。
 集合は館内を観終わった12時として、午前中は各自が自由に館内を廻ることにした。
 まず3階の常設展にある丹羽文雄記念室に入った。丹羽文雄(1904~2005)は四日市出身の文化勲章受章作家で名誉市民でもある。陳列の中に数年前に読んだ作家の「日々の背信」を見つけた。ここは以前と同じだが思い入れの深いところだ。丹羽文雄は三重県四日市市北浜田にある崇顕寺で1904年に生れ、早大文学部を卒業後、一時生家の寺で僧職に就いていた。素空の母方の実家はその寺が菩提寺で、亡母との縁談の話があったと聞いている。そんなことを思い出し、また、この日のメンバーは丹羽文雄と高校が同じだと言うことに気がついた。
 ところで、22年前にできたこの博物館の今の館長は有名な洋画家・谷岡経津子(ふつこ)さん、彼女は日展会友、光風会会員で四日市大学名誉教授である。
           


四日市博物館2・時空街道 2015・6・9(火)
 以前は四日市の歴史を太古から陳列展示していたが、リニューアル後は時空街道という体感型の常設展になっており、町の発展とそこに住む人々のくらしの変化を感じられる場所になっている。①時空街道の旅②久留倍の村③四日の市④四日市宿⑤四日市湊⑥展覧処「白里亭」と続いている。
 入室するとすぐに「ご説明しましょうか?」と男の人が親切に
声をかけてくれた。博物館が誇る市民による解説ボランティアである。説明を受けながらリアルな旅人(人形)の手に驚く。これだけで、博物館に来たかいがあったと思った。後で聞いたことだが、この階だけで7億円(総額24億円)かけていると言う。ちゃーちゃんと一緒に旅籠に上がり、実際に戸の上げ下ろしを体験しているとえっちゃんが合流した。驚いた顔をした彼女がそのボランティアの方は知り合いだと言う。名前は佐橋さん。
 館長はちゃーちゃんの旦那さんの同級生、その話をしたら佐橋さんが連絡をとってくれた。解説が終わるころに館長が現れる。館長は洋画家、日展でいつも作品を見てきた本人が目の前にいる。親切な館長の出現で予定を変更、午後も博物館内で過ごした。
            
        
                 左から佐橋さんと館長


四日市博物館3・館長 2015・6・11(木)
 谷岡経津子館長は親しみやすい方で、我々にいろいろ説明しながら、解説ボランティアの佐橋さんのこともほめる。写真撮影はOK、各種のパンフレットを5人分用意し、新しい企画や館運営の話などをしてくれた。7億円かけて新しくなったプラネタリウムは1億4千万個の星を投影でき、その数は現在日本一なので、ぜひ見て行けと言う。2時半の開演の10分前に来るようにと言い、昼食は何処がいいと言うことまでアドバイスしてくれた。
 その後、2階の四日市公害と環境未来館見学中にサイン入りの絵葉書を渡しに来てくれたのには感激した。
 午後は四日市駅周辺を散策する予定を変更、博物館に入り、4階の書道展を見て5階のプラネタリウムへ向かった。館長のアドバイスが適切だったのは上映作品が“四日市公害と環境未来館”と連携していたからだ。



四日市博物館4・四日市公害と環境未来館 2015・6・13(土)
 時空街道で合流したポンちゃん、仕事の都合で直接“四日市公害と環境未来館”に来たQちゃんを加えて5人で館内を廻る。
 今でも400人近くの公害認定患者がいる四日市公害、やっと3月に四日市博物館内に資料館が出来た。四大公害発生地(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)で資料館が無かったのは四日市だけだった。今回の開館への被害者ら関係者の努力を評価したい。
 歴代の市長が資料館の設置に消極的な中で、開設に踏み切った田中俊行市長は「行政の企業に対する遠慮もあったと思う。私も負のイメージを強調しない方がいいと思った時期がある」しかし「大きな犠牲を払った四日市公害は市にとって『負の遺産』かもしれないが、産業の発展と環境保全を両立させる街づくりの先駆けとなった『正の遺産』とも言えるだろう」と語る。しかし、市の努力は評価するが、こうした発言から読みとれるようにあるいは“四日市公害と環境未来館”と言う命名からもわかるように、公害の被害の大きさ、事の重大さの表現が足りない。“産業の発展と環境保全を両立させる街づくり”が強調される。
 ただ、建設地の候補だったコンビナートが立地する被害が沢山出た塩浜地区の連合自治会が「住民の感情を逆なでする」と反対したりする困難の中での開設はとても立派である。さらに5階プラネタリウムで放映される「アース・メッセージ」が連携していて見ごたえがあった。
 次回で子供の頃の体験をまじえて、もう少し四日市公害についてふれてみたい。


四日市博物館5・四日市公害と環境未来館2 2015・6・15(月)
 公害は1960(昭和35)年ごろから発生。石油化学コンビナートの排煙が原因で多くのぜんそく患者が出た。患者が起こした訴訟で津地裁四日市支部は72年、企業6社の共同責任を認め、8800万円余の損害賠償を命じた。その後、市や国の施策で産業廃棄物が規制され、環境は徐々に改善されてきている。
 1960年ごろ、小学校の遠足・海水浴では重油が肌に着いたから、煙だけでは無く、産業廃棄物も海に流されていた。高校時代に食べた地元の魚は臭くて食べれなかった。他県から国鉄(現JR)の汽車に乗って四日市に近くなると排煙が臭くて窓は開けてはおれなかった。受験生時代を含む少年時代だったのでただ傍観するだけだったし、裁判の判決が出たころは四日市を離れていた。
 “四日市公害と環境未来館”に入館した時、広々とした空間に整然と資料や映像が並んでおり、立派だな!と言うのが第一印象だった。ただ、何かが違うと思った。仲間に「せめて排煙や魚の臭さが体験できたらいいのに」と言った。それは自分には環境汚染当時の現実が迫ってこなかったと言うことである。
 しかし、館内では沢山の映像を見ることができ、とりわけ「四日市公害裁判の記録 証言で綴る四日市公害裁判」(19分)はよくできている。これは中部映像関連事業社協会コンテストの大賞になっている。
         


四日市博物館6・食事 2015・6・18(木)
 博物館内には食事をするところはない。しかし、市の中心である近鉄四日市駅近くなので食べるところは沢山ある。5月に見学に来た義姉には都ホテルの和食の店を紹介した。
 我々は美食大臣の肩書を持つポンちゃんが、四日市文化会館近くの“旬彩たちばな”を予約してくれていた。注文した“点心弁当 嵯峨野”は美味しかった。
 今回は“四日市公害と環境未来館”を目的としたが、もう一つの柱は食事会である。そしてその中心は“おしゃべり”。近況からありとあらゆる話題に会話が続く。美味しいものを食べて会話する、この会が長い間仲良く続いてきた秘訣はここにあるようだ。 


四日市博物館7・プラネタリウム(完) 2015・6・22(月)
 リニューアルされたプラネタリウムはフロアを宇宙の港として、宇宙船で旅立つ。今回のリニューアルに合わせて制作されたオリジナル番組「アース・メッセージ」は“四日市公害と環境未来館”と連携して宇宙から地球を眺めることで、地球規模での環境問題を考えることを意図している。
 プラネタリウムはぜひ見てと勧めてくれた谷岡館長と合流し、一緒に観賞した。公害当時の四日市の星空とよく見えるようになった現在が映し出される。宇宙の美しい映像に楽しい時間が過ぎて行った。館長は放映後も館内に置かれた本物と同じ宇宙服や古い映写機などを親切に説明してくれた。
 四日市公害は企業(コンビナート)が利益を追求する陰で多くの人が犠牲になった。公害を負の遺産として産業の発展と環境保全を目指すと言うが、環境保全がはずされて産業の発展だけが追求されないか心配である。「お金を軸に競争して社会を発展させるのが最も効率がよい」と考える今の社会では常に弱い者は犠牲になる。
 今進行する地球の温暖化の悪影響は多くの生物を死に追いやり、人間をむしばみつつある。企業の方しか見ていないような日本の現政権ではこの先が心配で仕方が無い。
 公害の資料とプラネタリウムの美しい星空を見て感じ、考えたことである。
          
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