「大和路」(堀辰雄)と會津八一1 2012・9・30(日)
 會津八一は唐招提寺でこう詠んだ。 
  おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
           つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ      
    (大寺のまろき柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ) 解説
 堀辰雄は「大和路」冒頭の「10月・夕方、唐招提寺にて」で
 「いま、唐招提寺(とうしょうだいじ)の松林のなかで、これを書いている。
・・・秋の日が一ぱい金堂や講堂にあたって、屋根瓦(やねがわら)の上にも、丹(に)の褪(さ)めかかった古い円柱にも、松の木の影が鮮やかに映っていた。それがたえず風にそよいでいる工合は、いうにいわれない爽(さわ)やかさだ。此処こそは私達のギリシアだ・・・この寺の講堂の片隅に埃(ほこり)だらけになって二つ三つころがっている仏頭みたいに、自分も首から上だけになったまま、古代の日々を夢みていたくなる。・・・」
 鹿鳴集を携えた堀辰雄が上記の八一の歌を思い浮かべていたことは想像に難くない。「古い円柱」「古代の日々を夢みていたくなる」は古代のギリシャや日本への思いであり、それは八一の「ものをこそおもへ(深いもの思いに耽っている)」に通じる。
 しばらく、「大和路」の中に八一を探してみたい。
お手本(朝日新聞・いわせてもらお) 2012・9・29(土)
 高校3年の孫が「オレ、朝日新聞の『天声人語』を書き写してるよ」という。「ためになるでしょう?」と聞いたら、「意味がわからん」という。更に、こう付け加えた。「手が汚れないように、終わりから書いてるからかもな」
       (岡山県倉敷市・孫は大学受かるでしょうか・77歳)

 万年筆で葉書の宛名などを書くときは、手で汚れるので左端から書いている。しかし、この高校生には意表を突かれた。
  

                     月下美人4輪咲いた
うららのお墓 2012・9・28(金)
 7月の末にうららの一周忌を済ませた。ジュニア一家も帰省していたので、うららも喜んでいただろう。夏が終わり涼しくなったので、少し庭の手入れをし、うららの墓を作り卒塔婆を立てた。
 隣は平成8年4月17日に亡くなった白の雄犬・チコの墓である。彼が使っていたクシ、ブラシと一緒に各種鑑札が埋めてある。
 うららの毛、おもちゃなどをガラスの瓶に入れて埋葬した。命日は平成23年7月31日。わが家の庭に先輩チコと共に眠る。 
さあナーイアスの娘たちよ! 2012・9・27(木)
 さあナーイアスの娘たちよ!泉へ案内しておくれ!
 慈悲深い処女たちよ!私にはまだあなたたちの贈り物を詩い
 (パイエーオーンが、あの「健康」の神々が、そう命じているのだが)、
 その水晶のような水を讃える務めが残っているのだ。
 おお心地よい流れよ!水に渇えてぐったりとした人々が
 熱望する唇とふるえる手であなたたちの新しい生命を
 ひと息に飲みほすと、爽快な活力が血管を満たしてくれるのだ。
 田舎の年寄りはこれ以上に心暖まるものを知らなかった、
 人類の祖先はこれ以上に心暖まるものをけっして求めはしなかった。
 穏やかな平和にめぐまれたその平静な毎日は
 熱狂的な歓楽とむかつくような落胆とがくりかえす
 発作など味わいはしなかった。平穏に、心も足りて、
 病からも神の恵みに守られながら、
 幾世代も生きてきたのだ。そして彼らの運命は
 ただ老齢だけで、死ではなくむしろ眠りだったのだ。
                     (アームストロング)
 
   ナーイアスは、ギリシア・ローマ神話に登場する泉や川の女性の精霊
小山田美術館 2012・9・26日(水)

花のある部屋
 小山田美術館に「丘の会展」の油絵を見に行った。前からこの美術館の名は知っていたが、行ったのは初めてである。目的は知人・佐治悦子さんの作品である。精緻に描かれた「花のある部屋」は素晴らしい。パソコンスクールが縁で親しくなった年上の方だが、楽天市場で自社の陶器を販売するなど精力的に活動する女性である。
 先日の仏像彫刻展に来ていただいたが、席を外していてお会いできなかった。今日はその折のお礼を言い、いろいろ絵について説明を受けた。油絵の良さを再認識する良い機会だった。
 この美術館から700mの所に小山田記念温泉病院がある。この病院の側を通る時、控えめでとても優しかった父方の伯母を思い出す。病院で亡くなったのはずいぶん昔である。
禁則(朝日新聞・いわせてもらお) 2012・9・25(火)
 JR横浜線に乗った時、近くの親子の会話が聞こえた。「次はなんていう駅?」と息子が聞くと、父親がぼそりと「きくな」。息子が不思議そうな顔で再び「何て駅?」と尋ねると、父親は「きくな、だってば!」。「聞くな」ではなく「菊名」だった。  (三重県伊勢市・聞いてもいい駅名でした・55歳)

 「この花は何て名前?」
 「しらん!」
 「知らない事もあるのだ」
 「紫蘭 (しらん)だよ」   (2番煎じ) 
比叡山の鐘 2012・9・24(月)
 滋賀坂本の瑞応院へ伝教大師像を返却し、ノブ君親子と坂本のケーブルカーで比叡山を訪れた。若い時、ノブ君パパとは京都で暮らしたので、京都の八瀬から叡山ケーブルで2人で登ったことはあるが、遠い昔でその当時の記憶は曖昧だ。
 根本中堂を中心に東塔(延暦寺)を回る。一昨年訪れているので余裕を持ってゆっくり回ることができた。寺内に気持のよい鐘の音が鳴り響くので、8月に訪れた三井寺の鐘のことを思い出した。その折、ブログに『順路にとらわれず寺内を回っていると程よい鐘の音が時間を置いて聞こえる。さすが「三井の晩鐘」だと感慨にふけりながら、最後に鐘の前に立つと、1回300円とある。あさましい!』(2012・9・3)と書いた。
 比叡山の鐘楼は目立たない形で小さく「一回50円を!連打はしないで」と書いてある。鐘前の賽銭箱に100円を入れ、ノブ君が鐘を突く。阿弥陀堂を見た帰りにもう一度鳴らした。三井寺の時に感じた違和感がない。50円だからかどうかはわからないが、100円入れたから、もう一回と思うのはあさましい?
スフィンクスの謎かけ(ギリシャ神話) 2012・9・23(日)
 スフィンクスは小高い丘の上に陣取り、謎かけをして、旅人に答えられないと死ぬのだぞと脅した。
 「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足で歩く者とは、誰のことか?」
 多くの人を殺したスフィンクスは顔が女性、身体がライオンである怪物だが、オイディプスに謎を解かれ、それを恥じて丘の上から身を投げ出して死んでしまった。
 面白い話なので、ギリシャ神話から引用した。
 朝とは、四つんばいで這い回る赤ん坊の時代、昼は2本足でしっかり歩く時代、夜は杖を使う老人の時代を指す。ということで答えは「人間」。
 2本足の時代に留まっていたいが、そうもいかない年代になってきた。

            永平寺唐門の絵  (Masanori.Y)
反抗期?(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・9・22(土)
 夫が電車で席を譲られたが、座ろうとしない。「人の好意は素直に受けた方がいいよ」と言っても、知らん顔。反抗期は十代だけだと思っていたのに。          (助言する妻)

 敬老の日に孫たちから「スージ・カコバーいつもありがとう。今日は敬老の日だから動画を送るね!バイバ~~イ!」とメールで届いた。孫からは大歓迎だが、いささか抵抗の気持ちもわいてくる。
ツクツクボウシとクロアゲハ 2012・9・21(金)
 くるみを連れて用事で遠出した。くるみがおとなしく車に乗っていたご褒美に、帰りに四日市の垂坂公園を散歩する。ここは最近夜景スポットで有名である。
 道路で隔てられた南側の公園に入り、そのまま垂坂山の通行止めになっている狭い車道を歩く。道には毬栗が落ち、萩が咲いている。しきりに鳴くツクツクボウシに、秋の風情を感じながら歩いているとクロアゲハが悠然と飛び交っている。「おかしいな?クロアゲハが9月に飛ぶなんて!」と思ったが、今年の暑さならまだ夏なのだと気がついた。
 クロアゲハとクマゼミ、オニヤンマの3つは子供の頃、とても欲しかったがほとんど手にできなかった。捕獲が上手な同級生をひそかに尊敬したものだ。ところが、残念なことに最近の子供たちは見向きもしなくなった。
 そんなことを考えながら歩いていたら、団地を横切って垂坂のゴルフ練習場の上部に出た。練習に通ったことはあるが、高い所から練習風景を見るのは初めてだ。しばらく見ていたが、車を止めた場所に行く道が分からなかったので、もと来た道を急いで引き返した。秋の気配を感じる散歩は楽しく、満足げのくるみは、帰路膝の上でのんきにお休みになっていた。
古川柳(誹風柳多留より) 2012・9・20(木)
 子が出来て 川の字形(なり)に 寝る夫婦
  子が増えてくると
 子沢山 州の字なりに 寝る夫婦
  離縁などで片親になると
 しばらくは りの字にねたる 天川屋
  天川屋義平(天野屋利兵衛)は、赤穂浪士のために女房を離縁して武器を調達した。

 誹風柳多留(はいふうやなぎだる)は、江戸時代中期から幕末までの川柳風狂句集、ほぼ毎年刊行されていた。全167編。
堀辰雄と會津八一 2012・9・19(水)
 最近手に入れた岩津資雄著の「會津八一」で八一の歌と「大和路」(堀辰雄)の関連が書かれていた。
 私の古都奈良への関心は「古寺巡礼」(和辻哲郎・1919年)と「大和古寺風物誌」(亀井勝一郎・1943年)だったが、堀辰雄の「大和路・信濃路」(1943年)にも影響を受けている。
 上記以外に會津八一の「鹿鳴集」(1940年)が多くの人の古都奈良への導きの書になっている。
 しかし、当時は會津八一を全く知らず、「大和路」が鹿鳴集に大きく影響を受けていることを読み落としていた。早速読み返してみて、鹿鳴集を手に奈良を歩く堀の姿が鮮明に浮かび上がってきた。
 「大和路」の中で触れているが、その時書いた小説が「曠野」(1941年)、早速、ネットの青空文庫で探して読んだ。短編なので関心のある方はどうぞ。王朝物の悲恋。(青空文庫・曠野へ
戦争オタク? 2012・9・17(月)
 『・・・「戦争も辞さない」と書いた横断幕が掲げられていたのが目を引いた。小さな無人島の領有をめぐって、戦争を始めるほど、両国の政府も国民も愚かではない。』(中日春秋・9月16日)
 コスモポリタンである素空から見れば、今回の日中の騒動は愚かさの極致に見えるが、日本人だと自覚している人の場合、今の中国反日デモに何らかの反応をする。だが、不毛な争いによって起こる政治経済上の損失や人命にかかわるほどの騒動は誰もが望まないことだし、愚かなことだ。
 この事態は、報道上では石原知事の尖閣諸島に対する行動に端を発する。騒動を非とするなら、愚かさの発端は彼にあるとも言える。だが、誰一人としてそんな指摘をしない。そうした内からしか物事を見ない、世界的視野の欠落した風潮をとても心配する。たとえば、自分が西洋人になったとして事態を眺めれば、もっと違う面が見えてくるはずだ。
 同じ中日新聞紙上で、時事通信が行った世論調査「次の首相にふさわしい人」でトップに自民党の石破茂が選ばれている。海兵隊の必要性を叫ぶこの人はどう考えても「戦争オタク」にしか私には見えない。
  (明日第3火曜日は独り言を休みます)ードッグショップ3軒ハシゴ 
メタボの原因(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・9・16(日)
 食事中に妻はいつも「もったいないから残さずに全部食べてね」という。一度でいいから「おいしいから全部たべてね」という言葉を聞いてみたい。
                    (残飯整理係の夫・70歳)

 「身体にいいから食べてね」とずっと言われてきた。そのたびに「おいしいから食べてね」と言って欲しいと思ってきたが、年を取った最近はその言葉に納得するようになった。仕事柄、1日2食は1人で食べるので、残り物を何度かに分けて食べるのが日課になっている。(残飯整理係の夫2)
パターを持ってきて 2012・9・15(土)
  ボールをバンカーからやっと出してグリーンに乗せた。クラブを乗せたカートの所にガーさん(同級生)がいたので、大声で「僕のパターを持ってきて」と叫ぶと「無いよ」と返事、グリーン周りにいた他の2人に聞いても知らないと言う。(最近はキャディ無しのゴルフをしている)
 この日は数ホール前、グリーン横に2本のクラブを忘れ、後ろのパーティに届けてもらっている。しばらく考えた後、サンドウェッジと一緒にパターを手に持っているのに気がついた。それを知ったガーさんが大喜びしている。それには訳がある。9年前の北海道スキーで手にストックを持っているのに、彼が「無い無い」と大騒ぎして皆の笑い物になったことがあるからだ。こんなに喜ぶとはあの事件がよほどトラウマになっているのかな?
 ともあれ「あの時とは年が違う!」と強弁するのが精いっぱいだった。
 そんなことがあったからか、今年の冬のスキーは北海道に行きたいと彼が言っていた。
独りよがり(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・9・14(金)
 ドラッグストアの抽選券があったので、夫に「買い物のついでに、くじ引きしてきて」と頼んだら、「僕はくじ運が悪いから、君の方ががいいよ。なんたって、こんないい夫を当てたんだから」だって。
                  (貧乏くじを引いた妻・69歳)
 なるほど物は言いようだ。ところで素空は本当にくじ運は良くない。(配偶者は除く!)
            仏像彫刻展 会員写真(安達ページ)
萩 2012・9・13(木)
  あきはぎ は そで には すらじ ふるさと に 
          ゆきて しめさむ いも も あら なく に   解説
 會津八一は萩を失恋を背景にしてこう歌った。
 富弘さんの9,10月を飾る詩と絵は「支えられて(ハギ)」、同じ詩歌でもこうも違うものだ。
       
週一ハイキングはゴルフ 2012・9・12(水)
 快晴のゴルフ場は爽やかと言うより残暑で暑かった。彫刻展で水彩画を友情出品してくれた米川氏と回る。
 夜、スマートフォンの歩数計が4000歩になっていた。少ないのは当たり前で、プレー中はカートの上に置いてあったから計測されていないのだ。
 ゴルフ場にはヤマヒルはいないが、ボールを「食べる」草むら、林、池があるので厄介だ。
  
高倉健と會津八一 2012・9・11(火)
 9月8日のNHKの番組「高倉健73分スペシャル」を見た兄から「會津八一の歌が放送で出てきた」と電話があり、翌日録画を届けてくれた。
 夢殿の救世観音に(會津八一)
  あめつち に われ ひとり ゐて たつ ごとき
          この さびしさ を きみ は ほほゑむ   解説
     (天地にわれ一人ゐて立つごときこの寂しさを君はほほゑむ)
 高倉健の台本の最後にこの歌が大事に貼り付けてあるのだ。数分前に彼が「心を研ぎ澄ます」と言うようなことを語ったことと関係あるのだろう。 
ヒエンソウ(飛燕草) 2012・9・10(月)
 「ヒエンソウはキンポウゲ科の一年草。高さ30~90センチ。初夏、青・紫色の花が総状に咲く。南ヨーロッパの原産で観賞用」と解説されている。ネットから写真を探した。
 この花に興味を持ったのは、ギリシャ時代のヒアシンスとはヒエンソウではないかと「ギリシャ・ローマ神話」の脚注に書かれていたからだ。
 神話では美貌の王子フュアキントスが頭に当たった円盤で落命した時、血がしたたり、紫のヒアシンスが生まれたと言われている。そしてずっとそのヒヤシンスは今の花だと思っていたので、ヒエンソウが気になった。
仏像彫刻展御礼 2012・9・9(日)
 彫刻展は今日で終了しました。期間中、沢山の方々に見ていただき感謝しております。途中から目録を刷り増ししなければいけないほどでした。
 思わぬことに今日の展示室の片付け・撤去に親族・友人たち7人が駆けつけてくれた事は百万の援軍を得たようでした。
 また、チャリティー作品も売り切れになり、仲間にお願いして展示作品をその中に追加しました。無事終了してほっとしています。
           安達先生夫妻と教え子の方の写真
   
鳥居口から蒼滝へ(御在所岳山麓) 2012・9・8(土)
 先週の週一ハイキングは、雨後の山道を鳥居口から蒼滝へ向かった。片道2.7kmだがアップダウンは結構きつい。半分ほどで休憩したら、ズボンの裾に何か虫がいる。払ってもなかなか取れないので、強くタオルで叩きつけて落とした。尺取り虫のように動くこの黒い虫がヤマヒルだった。
 蒼滝の手前が通行止め(土砂崩れ)で引き返す。帰路もヤマヒルにあったので、鈴鹿スカイラインに出て舗装路を降りた。
 泉鏡花の「高野聖」に出てくるヒルの場面を思い出したが、自らそれを体験したのは初めてだ。ただ、上から降ってくるようにではなく、地から素早く這い上がってきた。
 調べると、ヤマヒルは暑い時期、標高400m以下のところで、雨の日に活発に活動するとのことだった。
                    仏像彫刻展
    
仏像展示会・メルヘン 2012・9・7(金)
 同級生(メルヘン+1)がかけつけてくれた。先生夫妻と早速記念撮影、仲間はありがたい。その後、同級生で昼食、「仏像より昼食」?いつものパターンだが必ず食事タイムが付く。次回は大阪繁盛亭行きを決めた。
 チャリティー作品50体もほとんど買っていただいたので、明日明後日のために展示している作品をチャリティーに寄付しようと思う。
    
  
作家・高橋源一郎(朝日新聞より抜粋) 2012・9・6(木)
 (テレビで)「尖閣諸島に香港の活動家が上陸した」というニュースのコメントを求められた。ぼくは正直に「そんなことは、どうでもいい問題のように思う。『領土』という国家が持ち出した問題のために、もっと大切な事柄が放っておかれることの方が心配だ」と答えた。
 帰宅すると、ぼくのツイッターのアカウントに数えきれないほどのリプライ(返事)が届き、そこには「非国民」「国賊」「反日」「死刑だ」「お前も家族も皆殺しにしてやる」といった罵倒と否定のことばが躍っていた。
 国家と国民は同じ声を持つ必要はないし、そんな義務もない。誰でも「国民」であるまえに「人間」なのだ。そして「人間」はみんな違う考えを持っている。同じ考えを持つものしか「国民」になれない国は「ロボットの国」(ロボットに失礼だが)だけだーーというのが、ぼくにとっての「ふつう」の感覚だ。・・・
                    (賛同するコスモポリタン・素空)
    
                   仏像彫刻展
仏像彫刻展(9月5日) 2012・9・5(水)
 昨日に続いて、沢山の友人知人がやってきてくれた。ありがたいことだ。今日は素空の菩提寺・西信寺の住職夫妻が見えた。実は写真の阿弥陀如来立像(円空彫り)は彫刻展後この寺に奉納される。以下を参照!
 「この仏像は、真言宗大谷派西信寺(三重県三重郡菰野町永井642)にある樹齢200年を超える銀杏の木で作られています。2009年6月に安達正秋・三重刻友会に大木の一部が寄贈され、ご本尊である阿弥陀如来像を製作したものです。仏像展示終了後、西信寺へ奉納する予定です」

      
我慢強さの秘密(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2012・9・4(火)
 結婚四十年。よほどのことがないと病院に行かない夫。「どうしてそんなに我慢強いの」と聞いたら、「おまえさんと暮らしているから」と言われた。(我慢弱い妻・59歳)

 連れ合いと暮らしているうちに、あんなに短気だった自分が今は「我慢強い夫」になっている。
            仏像彫刻展(9月4日) 今日から開催
  
    
近江八景 2012・9・3(月)
 琵琶湖沿岸の景勝地を近江八景と言う。「瀬田の夕照(せきしょう)」「石山の秋月(しゅうげつ)」「粟津の晴嵐(せいらん)」「三井の晩鐘(ばんしょう)」「唐崎の夜雨(やう)」「比良の暮雪(ぼせつ)」「堅田の落雁(らくがん)」「矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)」。
 落語・近江八景では三十一文字で「乗せたから、先粟津か、ただの駕籠、比良石山や、馳せらしてみい」と紹介し、さらに十七文字で「七景は霞の中に三井の鐘」と語る。
 瑞応院の帰りに三井寺を訪ねた。三井の晩鐘と七体の円空仏に惹かれたからだ。順路にとらわれず寺内を回っていると程よい鐘の音が時間を置いて聞こえる。さすが「三井の晩鐘」だと感慨にふけりながら、最後に鐘の前に立つと、1回300円とある。あさましい!とても不快であった。
 後日、水彩画のY氏と話したら、こちらが鐘の話をする前に、「300円」には幻滅したと話してきた。
仏像彫刻展 2012・9・2(日)
 展示作品を5月から紹介してきてが、84体しかできなかった。チャリティー作品を入れて170体ほど展示するので是非ご来場を!
 ・9月4日(火)~9日(日) 9時から16時
    (設営のため4日は13時から)
 ・四日市文化会館第3展示室
四日市港11(完) 四日市公害と環境未来館 2012・9・1(土)
 久しぶりにくるみと出かけ、川越地区にある中部電力川越火力発電所のパーキングで遊んだ。南の空には複数のハングライダーがゆっくりと旋回している。良い眺めだ。
 ところで、公害裁判判決から40年の今年、四日市市では「四日市公害と環境未来館」の名称で市立博物館内に公害資料館を作ることになった。
 四日市港とコンビナートは地域の産業発展に大きく貢献してきた。今回、周辺を散策してその巨大さと影響力を再認識した。しかし、そのために起こった負の遺産について目をつぶるわけにはいかない。何処へ出かけても四日市と言うと「公害の町ですね!」と言われる。そのたびに「またか!」と苦笑しながらも、若い頃に味わった苦い思いと被害にあった人達のことを忘れてはいけないと肝に銘じている。
  
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