9月のおわりに 2007・9・29(土)
 接続の都合で、明日から数日ホームページの更新ができないので、今日は9月を振り返っておこう。と言ってもそれほど特筆するほどのことはない。
 真夏かと思うほど残暑がきつかったが、念願の夏スキーを実現できた。結果は未だにあちこち筋肉痛があり、大きなあざが残っているが、スポーツの楽しい季節になってきた。
 ビルマ(ミャンマー)の武力弾圧など国際社会が激動しているなかで、アベさんは政権を放棄して遁走した。日本の行く末を心配するが、未だにあきれ返っている。

軍事政権 2007・9・28(金)
 ビルマ(ミャンマー)では、権力をむき出しにした恐ろしい弾圧が民主化のデモを襲っている。あろうことか日本のカメラマンも命を落とした。軍隊が他国を襲うイラク戦争も悲惨だが、軍隊が自国民を襲うなどは想像を絶するぐらいに酷く、そして悲しい。
 東京の友人から、緊急のアピールが届いた。彼は言う。「・・・1988年のような大虐殺につながる恐れがあると心配しています。趣旨に賛同される方は、アムネスティのUA(Urgent Action緊急行動=差し迫った深刻な人権侵害を防ぐため、迅速に抗議の声を届ける活動)に参加してください
  http://www.amnesty.or.jp/
  http://www.burmainfo.org/politics/88GSG_200708.html

NTT 2007・9・27(木)
 電話を1ヶ月ほど移転させたいと思ってNTTに出かけたら、今は全て電話で対応していると言う。116番にかけると電話番号、氏名、住所で本人を確認してから、とても親切な対応をしてくれる。心の中で “ガリバーNTTも大変なんだと思う
 ことは簡単で、移転先に電話回線があれば、工事費は2000円ほどで良い。屋外からだともう少し費用が要る。こまごまとした配慮があって工事と移転の日時が決まった。それではよろしくお願いしますと言ったら、まだ話が続いて 「インターネットの接続は宜しかったでしょうか?」「はあ〜?、CTYですので〜〜」と答える。激烈な企業戦争を垣間見た。

イナゴ 2007・9・26(水)
 先日行った亀山サンシャインパークでイナゴに出会い、懐かしいなと思っていたら、庭の芙蓉の葉の上にイナゴがいる。我が家で小さなバッタはよく見かけるが、イナゴは初めてだ。
 子供の頃、田んぼに沢山いたのでよくイナゴ取りをした。もともと稲作民族の栄養源として食用とされたが、現在ではほとんど食べらない。戦後の食糧難の影響か、幼い頃は家庭でもイナゴの佃煮などを作って食べた。それほど美味しいものではなかったが、思い出深いものがある。

星野富弘カレンダー・ぶどう 2007・9・25(火)
       喰われてもよし        つぶされてもよし
        干されてもよし    一番甘くなって枯れよう

 1970年、富弘さんは体操の指導中に重傷を負い、入院生活の間にキリスト教の洗礼を受ける。母親や看護師などの手助けを契機に、口にくわえた筆で詩を添えた水彩画を描き、一世を風靡する。
 亡母がキリスト教の牧師さんからいただいたのが始まりで、以来ずっと我が家にカレンダーを架けている。

絵葉書 2007・9・24(月)
 古い物の処理をしていたら、亡くなった母が作った絵葉書のアルバム2冊が出てきた。幼い頃、その中の京都や奈良、日展の絵葉書を何度も見て遊んだ。鉛筆で落書きしたものが沢山あるから、多分、兄かSUが書いたのだろう。
 「・・・今日は日光の山を登りました。雲につつまれた桜、白樺の様を珍しく見受けました。そして今は東京と違って美しい旅館で中襌寺湖を窓に見ています」 
 京都の学生だった母に修学旅行中の母の妹が送った中禅寺湖の絵葉書で、一銭五厘の切手が貼ってある。

ノックアウト 
2007・9・23(日)
 サマースキー(マットスキー)に挑戦した。スキーの覚えはじめに、簡単なマットスキーをしたことはあるが、本格的なものは初めてで、見事にノックアウトされた。転ぶこと10数回、腕はかすり傷だらけ、尻は打撲で青あざ、身体中筋肉痛だ。昨夜は痛くて寝返りができなかった。
 スキー場のプロが言うには、全国でも1,2を争う難易度のある人工スキー場だそうだ。
 帰ってから一緒に行った仲間にメールを送った。
 「今日はご苦労様、一緒に出かけてくれてありがとう。また行こうね!っていつもは言うけどやっぱり雪のゲレンデにしよう!

亀山ハイウエーオアシス 
2007・9・22(土)
 関宿の帰りに亀山PAに寄る。隣接する都市公園「亀山サンシャインパーク」と一体となり、緑地や湖など豊かな自然に囲まれたハイウェイオアシスになっているので、うららはここでもゆっくりと遊べた。売店裏側の大きな池のまわりに各種設備がある。お弁当を持って創志や琴音と遊びにこれる場所がまた増えた。

会津屋 2007・9・21(金)
 休みに関宿に出かけた。近いこと、うららが町並みを自由に歩けること、連れ合いが初めて、と言う条件に合致した。地蔵堂を中心に古い宿場の風情が維持されている。
 地蔵堂横の会津屋で蕎麦を食べる。平日でほとんど人がいなかったからか、うららも入り口付近に入れてもらった。我家にとってはラッキー!この会津屋は江戸時代の関を代表する旅籠のひとつで、「関の子万」は当時「山田屋」と呼ばれたここから出ている。會津八一が新潟古町の遊郭「会津屋湾月楼」の次男として生まれたことを思い出しながら、時間を過ごした。

ガンの村 2007・9・20(木)
 中国河南省「ガンの村」について、新聞やネットで読む。紹介されている中国の流行歌。
50年代には米も研げたし野菜も洗えた、60年代には洗濯もできたし灌漑もできた、70年代には水質が悪くなり、80年代には魚蝦(ぎょか)が絶滅し、90年代には下痢が続いてガンになった・・・」 “「淮河」(わいが)の変わりゆくさまを歌う”
 四日市喘息や水俣病を思い起こせばとてもよくわかる。50年代半ばから起こった日本の公害は、70年代に一応の解決が出るまで20年近い歳月がかかっている。その結果、まだまだ不備があるとはいえ、中国とは比べようも無いぐらい生活の安全が守られている。
 上記の歌は本当に悲しい歌だ。中国製品を批判するのも大事だが、日本が同じ道をいかにして克服してきたかを伝えることが急務だと思う。

火事 2007・9・19(水)
 隣接する商店街の14軒が焼けた。営業が低迷する駅周辺商店街なので、ほとんどが個人営業の商店には、自力で即座に耐火構造の店舗を再建できる店は多くないだろう。低金利の融資ができて再建しても、借入金を返済する活力が今の商店街には乏しい。同級生の店2軒、その他も大半が知り合いである。行政や周辺の温かい支援をお願いしたい。
 40年余前の12月、SU家は火事で焼け出された。親戚の家に仮住いし、厳しい寒さの中、後片付けした惨めな毎日を子供だったがはっきりと覚えている。
 「火事は怖い。全てを持っていく」と知り合いがつぶやいていた。同感。

第3火曜日 2007・9・18(火)
 今日は定休日独り言も御休み。

         病む妻の 足頸にぎり 昼寝する 末の子見みれば 死なしめがたし     吉野秀雄    

アベ総理逃亡 2007・9・17(月)
 「美」からは全くかけ離れた「醜」と言える行為は、この人の資質の問題だったのだ。SUはコイズミさんから流れる超タカ派路線にずっと異議をとなえて来たが、今となってはこの人に真面目に反対したのが馬鹿らしいぐらいだ。
 この逃亡の物語ることは政権政党・自民党の驚くべき力量の低下と構造的な腐敗である。総裁の首をすげ替えた位では解決しない。一度政権を明け渡して、野党として組織を自浄したほうが良い。アベ総理と自民党が犯した過ちを無かったかのように総裁選をゲームのように過熱報道するメディアの罪も大きい。
 政治は政策とそれを実行する人と組織が全て、それを判断するのは国民なのだ。
      解散して民の声を聞け! 9・16 噴火山さんに呼応して)

    近火見舞いありがとうございます。この場を借りて御礼申し上げます。

停電 2007・9・16(日)
 仕事場が午後10時半ごろ停電になった。電気の使いすぎでブレーカが上がったかと思ったが、ドアの外が赤い。30分も前から近くで火の手が上がっていたのだ。火元はコスモ楽器店と言われている。幸い、隣は耐火建造なので類焼の恐れは無いが、火の粉が怖い。深夜12時半ごろ、火は衰え灯りが戻った。その時、自宅隣家の消防団の団長が来て、もう大丈夫と言ってくれたが、AM2:00現在わずかな放水は続いている。

メ〜テレニュース 更新時間: 2007年09月17日07:04:38
 三重・四日市駅近くの商店街で火災、十数棟が全半焼
16日午後10時前、近鉄四日市駅から東に300メートルほどのアーケード街にある楽器店のビルから出火しました。警察によりますと、消防車17台が消火にあたりましたが楽器店の3階建てのビルが全焼したほか周辺の商店など十数棟、面積にしておよそ900平方メートルが焼けました。一時は炎が高く上がり黒い煙が立ち上って周辺は騒然としたということです。警察と消防で17日午前9時から出火原因を詳しく調べることにしています。


人が良すぎて・・・ 2007・9・15(土)
 「あなたは人が良すぎて、いつも損ばかりしています」と妻が言います。おれもつくづくそう思います。よりによって、おまえと結婚したんだからね。(営業マンの夫 新聞より)
 SUは人が良すぎるわけでもないが、いつの間にやら我家は山の神が支配する。干し物にベランダに出たのでテレビのチャンネルを変えたら、ダメと言われた。干してる間はいいだろ、と言ったら、家のテレビはみんな私のもの!なんだって。と言うわけで、深夜にそっと録画したものを見ている。

塑造、石造(仏像の話7) 2007・9・14(金)
 造仏の種類の一つに粘土(塑土・そど)を使った塑造がある。心木に藁縄などを巻きつけ、荒い土から細かい土へと盛り上げて作り、焼成は行わない。奈良時代後期に流行したが木彫りが、主流になった平安時代にはほとんどなくなる。土を加えたり取ったりして簡単に作れるので、当時の人には大変喜ばれたが、もろくて崩れやすいことと重いことが欠点である。奈良・新薬師寺の十二神将像が有名である。
 石造(せきぞう)は文字通り石で作る方法だが、日本には彫刻に適した石が無いので発達せず、すぐれた作品は少ない。各地に有名な石仏群(大分県臼杵市)などが存在するが、風化が激しい。多くは道端のお地蔵さんとして彫られている。

雨のち晴のち・・・ 2007・9・13(木)
 1年3ヶ月前にゴルフをリタイアした。理由はとても下手で、プレーが楽しくないのに、コンペの幹事を辞めさせてもらえなかったから。と言うことでプレー中止宣言、幹事も辞任できた。ところが、何もしないと運動不足になる。困っていると友人から誘いがあった。
 同伴者に迷惑をかけない形でルールを無視することを条件に参加。(スコアをつけない、プレーの途中をカットする場合もある等) ところが気楽なのが良かったのか、スコアカードに記入しなくてもわかるほど成績がいい。昼食時、ニコニコしていたら、やっぱり後半で大叩き、その上、深夜に足の裏が痛くなった。雨のち晴のち足痛。


                                雨のち晴 2007・9・12(水)





 夜来の大雨が晴れて 
  
(三重カントリー  1番ホール 午前8時24分)


愛と恋 2007・9・11(火)
 お風呂場で、おもむろに5歳の娘がこう切り出しました。「ママ、愛と恋って似ているよね」。いきなり何を言い出すのかと内心ドキドキしている私に向って、娘は自信たっぷりに解説し始めました。「『あい』はね、大っきなハートなの。それでね、『こい』は泳ぐの」。娘の顔は大まじめなので、私は思わず噴き出してしまいました。(毎日新聞・女の気持ち)
 朝日新聞の「子供のつぶやき・あのね」欄が縮小されて、楽しみがなくなっていたが、久しぶりに笑った。琴音もその内にこんな事言うのかな!

考えるだけの餘裕(八一の講演) 2007・9・10(月)
「實に君みたい頑固な奴はなかつた」そこで僕が、「僕がちつとも頑固なんでなく、ほかの人が輕薄なんだ」といふと、「そういへばそれまでだけども、輕薄か頑固かは兎も角、君は人が右といへば左といふし、左といへば右へ行く、西洋史の試驗があるといふと日本歴史の本を讀む、漢文の試驗があるといへば英語の本をみてゐる」「そんなことがあるもんか」といつて笑ひましたけれども。實際にその話の如くんば宜しくないですな。さういふのは宜しくないけれども、人が皆右右といふ時に左のことも心の中に考えるだけの餘裕がないと矢張り人間としても、地方人としても國民としても、世界の人としても私は十分でないと思ふ。
 会津八一が戦後すぐに新制新潟高校で講演した一部である。オリジナリティを大事にした彼の真髄が語られている。 

琴音ママより写真とメール 2007・9・9(日)
8月はありがとうございました。琴音は思い出したように、片言ですが“スージ、カコバー”と口にしますよー。昨日で1才6ヶ月になりました。ささやかです
がケーキでお祝い。“甘い、甘い”と大喜びで食べました。身長78センチくらい、体重10.7キロ前後、元気元気の琴音です。(9・7)
 嬉しい便りだ。我家は琴音の写真があちこちに貼ってある。スージは琴音10月カレンダーをそこに追加した。

流れに掉(さお)さす 2007・9・8(土)
 「時流に逆らう」という意味だと思っていたが全くの誤りだった。正解は「傾向に乗って勢いを増す行為をすること」で、文化庁の調査では正解が20%弱、不正解が60%を超える。
 漱石の草枕で「智に働けば角がたつ。情に棹させば流される」とあり、ここから、何となく逆らうことだと思い込んだ。本当は「人情のおもむくままに身をまかせると流される」と言うこと。
 いい加減に学び、その後訂正することが無いと誤ったまま過ごしてしまう。若い子の語彙力の無さを嘆くより、この年になって間違いの多いことを恥じるばかりである。

三つ巴 2007・9・7(金)
 巨人、阪神、中日のプレーオフへのマジックが点灯した。まだまだ我が横浜を応援するが、ここに来てセリーグは面白くなってきた。
 「ニコニコニコ、当然でしょ!(今日)負けても余裕余裕」(巨人ファン・ゾウ)
 「ネットで経過を見てや!(今日、巨人に勝って)うっふっふ」(阪神ファン・HR)
 「(昨日は)あ〜〜、もうだめだ。(今日は)あっ、やっぱり大丈夫」(中日ファン・ヨシオ)

 ところで、夏前には存在感が希薄だった阪神ファンが急に「湧いてきた」ような昨今である。他球団のファンの動向を眺めて楽しむしかないか、寂しいな〜。

旅 2007・9・6(木)
 息子の幼い頃、二人で計画を立てずに車でよく旅に出た。幹線道路に出るたびに右か左かを決め、宿泊も現地で探す。旅慣れしてない時は、宿を探すのに手間取り、大阪の環状線をぐるぐる回ったこともある。
 先日、午後遅く新潟から富山へ向う。日暮れて富山県内に入り、サービスエリアの電話帳で宿を探す。土曜日はビジネスホテルが意外に空いている。翌朝、井波彫刻を見学した後、帰路につく。1泊2日、走行距離1130km、ちなみに6年前の1407km・4泊5日の旅の後は体調を崩した。ところが今回は元気だ。好きなことだけしているからだろう。

道心中衣食 2007・9・5(水)
 仏像と書を紹介する2007年9回目。圓教寺(姫路市)の長吏・大樹孝啓さんの書と同寺の「六臂如意輪観音座像」です。
書 「道心中衣食」・・・・・・伝教大師御遺誡(遺言)第四項に「道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし」とあります。道心とは正しい道を求める心、菩提心、求道者の心掛け、法の為には身命を捧げても悔いないという心。
法を求め正しく生きるならば、一応の衣食は具わってくるものである。物が豊かであっても、法を求め正しく生きようとする心は生まれない。』
(大樹孝啓)
  長吏とは寺の長として、寺務を統轄した役僧。他の寺でいう座主・検校・別当などにあたる。
    大樹さんは書寫山圓教寺第140世長吏。

柏崎から新潟へ 
2007・9・4(火)
 新潟に向って北陸自動車道を柏崎方面に走っていると一車線規制・50km制限になっている。道路の白線が上下に左右にうねっている。中央分離帯に亀裂ができている所もある。しばらくすると、ところどころで道路工事をしている。中越沖地震の影響なのだ。道路の左右にはブルーシートで覆われた応急処置の民家も目立つ。改めて地震の恐ろしさを実感した。
 会津八一が最後に暮らした北方文化博物館新潟分館の人が「幸い新潟市内は地震の大きな被害は無かったのですよ」と言って、施設内を親切に案内してくれた。そこから小一時間走って、豪農の里・北方文化博物館も見学してきた。

ことばの饗宴3 
2007・9・3(月)
 岩波文庫「ことばの饗宴」」(読者が選んだ岩波文庫の名句365)から。
   現在は過去と未来との間に画した一線である。
   この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。
                        森鴎外『青年』  京都府 伊藤俊春

 過去の栄光や悲惨に浸っていてもダメだし、未来の夢ばかりで生きていても、なんら充実した今が訪れないと解しておこう。現在は過去の結果であり、現在は未来の原因であることは自明の理、過去と未来との連関の上に現在を捉えながら、今を大事にしたい。

世界陸上 2007・9・2(日)
 女子マラソンで、土佐礼子選手は38キロ過ぎで5位に落ちたが、驚異的な粘りで40キロ過ぎまでに2選手を抜き3位に上がると、そのまま2時間30分55秒でゴールし、日本にとっては初メダルである銅メダルを獲得した。その粘り強い走りと根性に心打たれなかった人はいなかっただろう。
 土佐に比べると我が横浜(プロ野球)のだらしなさはどうだろう。勝率5割を割って4位に低迷している。粘りと根性でプレーオフを戦える3位になれ!と叱咤激励したい。
 北京オリンピックでは、今回残念な結果だった種目の選手たちが活躍することを祈る。

9月のはじめに 2007・9・1(土)
 今日は涼しい風が吹きぬけた。連日の猛暑に痛めつけられた心と身体が一度に復活したような気がする。9月の声を聞くと急に戸外に出たくなる。まずはスポーツの予定を入れた。そして、秋の春日野に遊んでみたいと思う。
    かすがの に おしてる つき の ほがらかに  
                 あき の ゆふべ と なり に ける かも
      八一
         
(春日野におし照る月のほがらかに秋の夕べとなりにけるかも)    

   
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