韮山反射炉

 反射炉とは、銑鉄を溶かすための千数百度の高温を得るために溶解室の天井部分に炎や熱を反射させて銑鉄に集中させる構造となっていることから反射炉という名がついたそうです。日本は幕末に外国の脅威にさらされていました。この反射炉は伊豆韮山の代官であった「江川英龍」によって設計建設されたものですが、この人は先見の明がありペリー来航の20年前から必要性を幕府に訴えていたそうです。
 幕府は取り上げていませんでしたが、ペリー来航があって初めて必要性を悟り建設を命じました。しかし、2度目の来航までに間に合わず幕府は丸腰のままで条約交渉を余儀なくされました。幕府が早く取り上げていれば歴史も変わっていたかも知れません。
 平成27年に世界文化遺産に登録されました。5月初旬に訪れましたが、実物を目の当たりにして幕末の幕府には凄い人がいたのだと改めて感心した次第です。
                       2017年6月3日
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