2018・12・22   

叔 母 101歳で亡くなる 
 2018年12月17日素空にとってたった一人の叔母が亡くなった。叔母について書いたブログをここに集め、さらに写真を掲載したい。  写真集


97歳の叔母 2015・3・18(水)
 素空には“おじ”が2人、“おば”が5人がいるが存命なのは父方の叔母一人である。歩いて行ける場所に住み、好きな叔母だが、最近は法事のとき以外には訪ねたことが無い。
 先日、同年の従兄弟(叔母の長男)と電話で話したら、たまには叔母に会いに来いと言う。志賀高原のお土産を持って訪ねた。耳が遠いのはわかっていたが、高価な値段の補聴器を無くしたとのことで、従兄弟の嫁さんが通訳代わりである。さらに中学2年生(14歳)の息子さんも会話に加わってくれた。
 先ずは年齢を訪ねた。「97歳、8月で98歳になる」と返事が返ってきて、びっくり、とてもそうは見えない元気なおばあさんである。聞けば、買い物にも行くし、身体に悪いところは無いと言う。“人生50年・・・”などと思っていた素空には驚異的な年齢である。思わず、冗談で「ばけものみたい」と言ったら、皆は笑ったが叔母には聞こえない。積もる話をいろいろしていて2時間以上経ってしまった。おじさん(叔母の夫)の38回忌を秋にすることを聞いて帰ってきた。
 後で気がついたが、土産は長野の姨捨SAで買ってきたものだった。今は温かい家族に囲まれてにこにこ暮らしている叔母は幸せである。

100歳の叔母 2018・8・13(月)
 たった一人長生きしている叔母に久しぶりに会った。素空のおじおばはこの叔母しかいない。耳が遠いこともあって素空と同年の息子のお嫁さんが同席してくれた。数年ぶりなのでわかるかなと思ったけど「・・・ちゃん、久しぶり!」と言ってくれた。その後はいろいろな話をして時間のたつのを忘れるぐらいだった。
 もうじき101歳になるが、年の割には肌はきれいでみずみずしい。「おばさん、顎をあげて!」と言って首元を見たがしわはそれほど目立たない。
 少し、認知症気味だが体はどこも悪くない。最近体調不振が続く素空にはとてもうらやましい。
 数年前に法事で兄とずっと話していて別れた後、家族に「あの人だれ?」と言ったらしいので、同じことが言われてないか心配だ。しばらくしたら兄と一緒に会いに行きたいと思っている。


休日(11月20日) 2018・11・21(水)
 義姉の49日なので、新しく買った骨壺をもって四日市墓地公園の墓に参った。ただ小さくて義姉の父母の骨が入らないのでもう一つ必要になった。新たに購入し年末にやってくる息子達と一緒にお参りしようと思う。
 昼はペット可とあったので名古屋のレゴランド前にあるショップ、メイカーズピアに出かけた。さすがに店内での食事は無理だったので、外のテーブルでくるみと一緒に食事した。火曜日は定休日の店が多く、全体に閑散としていたし食事の店以外の商店はほとんどなかった。レゴランドに入らない限り、もう一度行こうとは思わない。
 夕方は入院した叔母の見舞いに兄と出かけた。8月30日に101歳になった叔母が8日に心筋梗塞で倒れた。認知症が進んでいて素空のことはわからないようだったが、何度もその白髪を染めなさいとアドバイスされた。いろいろなことが理解できないようだが、とても元気だった。しかも可愛らしい。その後同年の息子と一緒に食事をしたが、心臓の機能が3分の1、肺にも影響が出ているので医者は年内ぐらいかなと言っていると話していた。
 叔父叔母は皆亡くなっているので、たった一人の叔母にはもう少し生きて欲しいと思っている。


「あなた誰」 2018・12・5(水)
 「あなた誰」と言われたショックそのままに
                病室を出て涙ぐむ吾

   (名古屋市) 川面 得英   中日歌壇・12月3日
 昨日、101歳の叔母の見舞いに兄と一緒に訪れた。甥である兄と素空を識別できない叔母をこの歌を思い出しながら見舞った。「涙ぐむ」まで行かないが、小さい時から可愛がってくれた叔母とのいろいろが思い出されて心が痛んだ。
 見舞いする前に叔母の一番下の娘(従妹)に電話して、彼女がいるときに病室に行った。飲み物をちょうだい、食べ物を欲しいという叔母に従妹は優しく与えていた。兄は叔母の手を握りながら何度も話しかけていた。たった一人の叔母の回復を心から願っている。


叔母の死 2018・12・21(金)
 病院からサービス付き高齢者向け住宅に移ると従兄弟から連絡があって2日後、訃報が届いた。その時、少し元気になったと言っていたので突然のことに驚いた。医者が入院当初年内いっぱいかなと言っていたらしいが、それが本当になってしまった。納得はいかなかったがお別れに兄と駆け付けた。
 高齢なので家族葬に近いが、家族は子供が多くひ孫もいるので大勢である。従兄弟は通夜も本葬も挨拶の途中で涙で言葉を詰まらせていた。同年で小さい頃から一緒に過ごした彼の気持ちはよくわかる。もらい泣きした。
 ただ、101歳で大往生と言っていいので、お棺に花や想い出の品々を納めると誰かが写真を撮ろうと言った。皆が笑顔で何度も撮影した。
 
火葬、骨上げ後「還骨法要(かんこつほうよう)」でお寺さんがこう言っていた。「火葬前の皆さんの笑顔での写真撮影にはあまりないので驚きました。とてもいいことですね」
 多くの家族、親族に送られて良かったね、叔母さん!
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