民生委員制度100周年・蟹江
2017・5・21

民生委員制度100周年・蟹江 
 蟹江町の民生児童委員代表の同級生Tから100周年記念事業に招かれたので同級生仲間Mと出かけた。蟹江町中央公民館大ホールを一杯にして、代表Tのあいさつの後、蟹江中学校の吹奏楽部演奏が始まった。
 中央でトランペットを吹くのは同級生Tの孫・こっちゃん(中学3年生)、この子を連れてスキーに行ったのは5歳の時、大きくなって堂々と演奏する姿に見惚れた。   
            

代表挨拶

TとM

こっちゃん


民生委員制度100周年・歴史 
 同級生仲間FとTは長年民生委員をして活躍してきた。彼女らがどんな活動をしてきたか詳しくは知らないが、蟹江の記念事業のパンフレットから以下を転載する。
 「民生委員制度」は、大正6年に岡山県で誕生した「済世顧問制度」が始まり。翌大正7年には大阪府で「方面委員制度」が発足し、昭和3年には方面委員制度が全国に普及。戦後(昭和21年)、民生委員令の公布により名称が現在の「民生委員」に改められた。この間、一貫して生活困窮者の支援に取り組むと共に、とくに戦後は、時代の変化に応じて新たな活動に取り組むなど、地域の福祉増進のために常に役割を果たしてきた。平成29年5月12日は、民生委員制度100周年記念日。
       
                       3つの基本姿勢
           社会奉仕の精神  政治的中立  基本的人権の尊重



民生委員制度100周年・加藤タキ 
 蟹江町の民生委員制度100周年記念事業「これからの福祉をみんなで考えよう!」(5月21日)の基調講演は「学んで老いず」(加藤タキ)だった。この話は素晴らしかった。己を失わず常に新しいことを学び経験することが人生だと話していた。蟹江の記念事業のパンフレットから以下を転載する。
 講師の加藤タキは有名な加藤シズエの娘で1945年東京生まれ。米国留学後、報道誌のリサーチャーを経てショービジネスの世界へ。 オードリー・ヘップバーン、ソフィア・ローレンをはじめ海外アーティストのCM出演交渉や音楽祭などで、国際間のコーディネーターとして先駆的な役割を果たす。 現在は、講演、TY、各種委員、著述など様々なメディアで幅広く活動。
 本名は、黒川多喜子、父は元国会議員の加藤勘十、母は社会運動家で元国会議員の加藤シヅエ、夫は建築家の黒川雅之。日本初の女性国会議員のひとり、母・加藤シヅエの志を継ぎ、AAR Japan[難民を助ける会]の副会長など、 ボランティアにも励む。趣味の社交ダンスは67歳から本格的に習い始め、発表の場を重ねて打ち込んでいる。日本アンチエイジング歯科学会「2009アンチエイジング・アワード」 受賞。夫・黒川雅之は、蟹江町出身の建築家・プロダクトデザイナー。
         
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