お 水 取 り
(SURUMEの独り言より転載)

出張 2008・3・2(日)
 昨日の出張はスキーではない。十一面観音悔過法要・2月堂修二会(お水取り)の初日である。奈良インターカルチャーの企画に友人・鹿鳴人と参加し、4時から東大寺筒井寛昭執事長の講義を1時間みっちりと受ける。この筒井執事長には、前に大仏の台座の上でメルヘングループが説明していただいたことがある。
 5時半、堂前の良い場所を確保し、7時開始のおたいまつを待つ。最適と言われる場所で見下ろすと続々と見学の人が訪れてくる。後で知ったが8000人が集まった。初めて見るおたいまつと勤行は感動的だった。(明日に続く)

おたいまつ  2008・3・3(月)
 修二会の華、おたいまつです。

 (近鉄で四日市から奈良へは西大寺で乗換えて各駅停車で2駅である。乗換えを間違えて、別の方向へ1駅行ってしまい奈良駅前で待つ鹿鳴人を30分待たせた。同じミス3回目、この場を借りてお詫びする)

修二会(しゅにえ)  2008・3・4(火)
 「お水取り」「おたいまつ」として有名だが、本当は11人の練行衆による十一面観音悔過法要。おたいまつは、練行衆が二月堂に上がるための灯りにすぎず、それを二月堂の舞台で、華やかな炎として演出をしただけで、序章と言ってよい。おたいまつが終わり静けさが戻る二月堂で、修二会の行はその張り詰めた空気の中夜遅くまで、日によっては明け方まで続く。
 今回、内陣でその悔過の行を見た。それは静寂の中で躍動する音とリズムの世界と言ってよい。友人・鹿鳴人はこう表現している。
西暦752年大仏さんの開眼の年から、ことし1257回目。欠かさず続けられているということのなかに、すばらしい歴史と伝統を感じました。それはたぶん、1257年前と同様であろうと想像すると、修二会を僧侶とともに多くの人々が支え続けてきた重みとともに、時間的な同時性をふかく感じるものでした

音とリズム 
 2008・3・5(水)
 練行衆の行は、11人による長短、緩急のある節の付いた声明(しょうみょう)を中心に行われる。それだけで素晴らしい仏教音楽と言えるが、そこに多彩な音と動きが幾重にも重なり、一大スペクタクルが作り出される。
 差懸(さしかけ、木の履物)で床を踏み鳴らす音、念珠(ねんじゅ)、鈴、法螺貝、鐘、ハゼ(もち米を炒ったもの)を撒く音に、五体投地(ごたいとうち、練行衆の1人が体を投げ出し五体板で膝で打つ行)などの荒行が重なる。灯明の薄明かりの中で展開される驚くべき行に終始圧倒される。言葉では伝えることのできない素晴らしい体験だった。
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