H15・10・7
明日香の山並み
蘇我倉山田石川麻呂は蘇我氏一族であったが、入鹿とは敵対し大化改新では娘婿の中大兄皇子に加担した。その石川麻呂が造営を始めたのが山田寺。だが649年謀反の疑いをかけられた無実の石川麻呂はこの寺で自害した。この悲劇的な山田寺跡を会津八一が詠んだ。 くさ ふめば くさ に かくるる いしずゑ の くつ の はくしゃ に ひびく さびしさ (草ふめば草に隠るる礎の靴の拍車にひびく悲しさ) 何も残っていない山田寺の草原を踏み分けていくと草に隠れた礎石に乗馬靴の拍車があたって 鋭い響きが出る。嗚呼!なんと淋しい響きだろう。 |