四日市港

四日市港1 2012・4・16(月)
 くるみと一緒に旧四日市港に出かけた。3年前にうららと行ったことを思い出しながらの散歩である。海風と波の音に初めは戸惑っていたくるみだが、しばらくすると誰もいない旧港を走り回っていた。
 少年時代に自転車で同級生と来て、この小さい灯台の下で過ごしたことも自然に思い出した。灯台の向こうには有名な「潮吹き防波堤」が見える。今は港としての機能は無くなっていて、静かな港内はのんびりとした時間を過ごせる。
 四日市港は今は石油コンビナートを中心にした巨大な工業港だが、その昔、安政の大地震で崩壊した港を廻船問屋・稲葉三右衛門が私財をなげうって明治17(1884)年に修築し完成させた。それがこの旧港である。その後は綿花の輸入など、繊維原料の輸入港と発展し、工業港となった。
       

       
  
四日市港2 2012・4・22(日)
 港を修復完成させた廻船問屋・稲葉三右衛門の像はJR四日市駅前にあり、小さい頃から眺めてきたので、港=稲葉三右衛門は脳裏に焼き付いている。旧港は埋め立てられて石油コンビナートの一部になり、今では「潮吹き防波堤」や小さな灯台が昔を偲ばせるものとして残っているだけだ。
 ところがこの旧港が平成8年に国の重要文化財に指定されていた。小さな稲葉翁公園があり、稲葉三右衛門翁顕彰碑や波止改築記念碑が建っているが、ここは忘れられたような寂しい場所なので重要文化財とはびっくりした。もう少し、誰もが行きたくなり、楽しい時間が過ごせるような場所にすれば良いと思う。ただ、南へ続く防波堤はきれいに整備されている。フロムナードと命名されたここは散歩やデートの場所に良さそうだ。
                 






四日市港3 2012・4・26(木)
 四日市港ニュース(四日市港管理組合)を回覧で見た。
  2011年の港勢・速報値
   ・入港船舶数は17,556隻(外航船1,670、内航船15,886)
   ・輸出441万5千トン、輸入3,837万2千トン
  2012年予算
   ・一般会計59億3,036万4千円、特別会計26億9,781万3千円
 数字だけ見ても巨大な港だとわかる。ずっと港の近くに住んできたが、数値を真剣に見たのは今回が初めてだ。


四日市港4 2012・5・2(水)
 慈善橋から三滝川の堤防を下って伊勢湾の海に出ることがくるみと素空の望みだが、JR関西本線は下にある通路で越えることができても名四国道(23号線)で遮られる。一度目は自転車で二度目は車で挑戦して行けないことがわかった。
 旧四日市港周辺からなら行けるかと思って出かけたが、「四日市港2」で紹介したように三滝川の両岸は第2コンビナートで、コスモ石油を中心とした会社で占められていた。仕方が無いので、コスモ石油の製油所が見える北納屋公園で遊んで帰ってきた。
 すぐそばにある巨大な四日市港を「群盲撫象」になるかもしれないが、時間をかけて見て歩こうと思っている。
          

                  
四日市港5 概要 2012・5・16(水)
 概要を書いておこう。大きくは5つの地域でなっており、その中に3つのコンビナートがある。(四日市港地図 四日市港管理組合 参照)
1 四日市地区(千歳地区)
    第一埠頭 第二埠頭 第三埠頭 旧港 第二コンビナート
2 霞ヶ浦地区
   四日市港ポートビル 霞ヶ浦南埠頭 四日市コンテナターミナル
   第26コンテナターミナル、各種大型クレーン、石炭貯炭施設
   霞ヶ浦北埠頭 LNG・LPG受入桟橋  第三コンビナート
3 塩浜地区、石原地区
   石炭埠頭  第一コンビナート 
4 川越地区
   LNG受入桟橋 漁港  中部電力川越火力発電所
5 シーバース
   (シーバースとは、 原油やLNGなどの危険物を、船舶を陸上港に
    直接停泊することなく、積荷を安全に搬出入するために海上に
    設けられた桟橋。「原油(LNG)受入基地」とも呼ばれる)

四日市港6 四日市地区(千歳地区) 2012・6・5(火)
 くるみと一緒に四日市地区(千歳地区)で遊ぶ。四日市港の概要で書いたように四日市港は大きく分けて5つの地域でなっている。四日市地区・第二埠頭では自動車運搬船へ次から次へとホンダの車が積まれていた。ここには穀物専用のサイロもあり、中部地区の穀物供給基地としての役割を果たしている。港湾作業が行われていて進入禁止の場所も多いが、釣りをする人あり、車を止めて昼食を取る人ありで、港は以外にのんびりしている。
 この四日市地区は素空の若い頃は四日市港の中心であり、港と言えばここだった。戦後、羊毛の輸入が大幅に伸びたが、昭和30年代前半の塩浜地区の石油化学コンビナートの誕生で原油の輸入が急速に増え、四日市港は典型的な工業港へと発展する。
 コンビナートが出来つつある中学生時代には自転車で出かけて旧港でよく遊んだが、足を延ばしてこの四日市地区にも入り込んだものである。
 青春時代はデートの場所だったような気もするが、記憶はあいまいである。今はくるみとデートを楽しんでいるのだが。
         


四日市港7 塩浜地区、石原地区 2012・6・13(水)
 くるみと遊んだ四日市地区(千歳地区)の南側の塩浜地区に第一コンビナートが大規模に作られたのは1960年頃だった。その後第2コンビナート(四日市地区)、第3コンビナート(霞ケ浦地区)と拡大されるが、公害問題が発生し、最初に多くの住民が苦しんだのはこの塩浜地区と南の磯津地区だった。ここには昭和四日市石油と石原産業がある。
 石原産業の巨大な煙突を見上げながら小中学校に通った。この煙突は、東洋一の高さ 185mの煙突だったが、1944年の東南海地震で、先端 が50m折れたと言う。それでも見上げるほど大きかったのだ。その煙突も今はもうない。大きな煙突から慣れ親しんだ石原産業は60年代の公害企業の一つだし、最近ではフェロシルト事件などで不正行為を繰り返している困った企業だ。
 1960年代、国鉄(現JR)関西線で京都方面から四日市に汽車が近付くとコンビナートの夜景はとてもきれいだったことを覚えている。しかし、沢山の煙突が排出するスモッグで窓を開けることは出来なかった。
           
                四日市地区から見る塩浜地区、石原地区

四日市港8 緑地公園とコンビナート 2012・6・23(土)
 旧四日市港から北(名古屋方面)は第2、第3コンビナートが続く。コンビナートの中には入れないが、コンビナートと四日市市街地との緩衝地帯として国道23号線(名四国道)に沿って公園など、いろいろの施設が作られている。
 今回は午起交差点で名四国道に入り、霞ケ浦緑地公園にくるみと一緒に入った。公園の南端に霞ケ浦第1、第2球場とサッカー場があり、その北に四日市ドームが横たわる。ここは多くの市民の憩いの場所だが、緑地は巨大な第2、第3コンビナートに囲まれている
 幼い頃は午起、霞ケ浦は海水浴場だった。とりわけ、霞ケ浦は有料の海水浴施設があり、巨大な水槽に大型のエイが泳いでいた。と言うことは緑地公園もコンビナートもすべて埋立地の上に作られているのだ。コンビナートを作りだした人間の活動エネルギーの大きさに驚くが、あの泳ぐことができた砂浜が全く無くなってしまったことは悲しい。 
 
   

四日市港9 緑地公園とコンビナート2  2012・7・6(金)
 日を改めて再度緑地公園にくるみと出かけた。四日市ドーム周辺で弁当を食べる予定だったが、強風でドーム前に止めた車に戻って昼食にした。このドームは1997年(平成9年)開場の多目的施設だが、収容人員が5千人弱でサッカーの公式戦等の大きなイベントは出来ない中途半端なものである。バブル経済終焉時に作られ、箱物行政と揶揄された施策の産物だ。
 ドームの西に四日市競輪場があり、北には霞ケ浦体育館と弓道場がある。この弓道場は母方の今は亡き従兄が通っていて「弓は心の持ちようだ」と生前に語っていたのを昨日のように思い出した。
 さらに北に行くとオーストラリア記念館がある。羊毛の輸入で関係のあるシドニー港と姉妹港となっていて、そのシンボルとして1970年開催の大阪万博のオーストラリア・パビリオンを移設したものだ。2005年の愛・地球博のオーストラリア館で展示されていた巨大カモノハシもここにある。
 オーストラリア館の北にあるヨット置き場でUターンしてその日の散歩を終えた。散歩中、東には第3コンビナートが続き、巨大な工場群と煙突が林立する。夜になると今売り出し中の「四日市コンビナート夜景」となる。 
  ( 記念館は2013・11に閉館、翌年取り壊された


四日市港10 霞ケ浦地区から川越地区 2012・7・25(水)
 霞ケ浦緑地公園はオーストラリア館の北にプールがあり、新たに霞★ゆめくじら(遊園地)が出来た。さらに北の四日市港ポートビル(14階建て)周辺には霞港公園、シドニー公園があり、その北に富双緑地がある。この富双緑地には四日市市漁業協同組合(富洲原支所)の直売所があり、一般の人も魚を買うことができる。
 高校時代に下宿で出た臭い魚はここで買い求めてきたものではないかと推測する。当時、すでに四日市港周辺の汚染は広がり、魚は食べられるようなものではなかった。無理をして飲み込んでいたが、兄は紙に包んで部屋に持ち帰りそっと棄てていたようだ。
 それより以前、小学校の遠足・水泳は富洲原の海水浴場だったが、身体に重油の斑点が付くほどに海は汚れていた。直売所があると言うことはずいぶん良くなったと言うことだろうか。
 富双緑地の北に中部電力川越火力発電所を擁する川越地区がある。四日市地区から川越地区、そして海上にあるシーバース(桟橋)を含めて四日市港となる。四日市港はとても大きいものだと改めて思う。

四日市港11(完) 四日市公害と環境未来館 2012・9・1(土)
 久しぶりにくるみと出かけ、川越地区にある中部電力川越火力発電所のパーキングで遊んだ。南の空には複数のハングライダーがゆっくりと旋回している。良い眺めだ。
 ところで、公害裁判判決から40年の今年、四日市市では「四日市公害と環境未来館」の名称で市立博物館内に公害資料館を作ることになった。
 四日市港とコンビナートは地域の産業発展に大きく貢献してきた。今回、周辺を散策してその巨大さと影響力を再認識した。しかし、そのために起こった負の遺産について目をつぶるわけにはいかない。何処へ出かけても四日市と言うと「公害の町ですね!」と言われる。そのたびに「またか!」と苦笑しながらも、若い頃に味わった苦い思いと被害にあった人達のことを忘れてはいけないと肝に銘じている。
       
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