水晶の歌声をめざして
ウクライナの歌姫・ナターシャ・グジー コンサート

水晶の歌声をめざして1(出発) 2014・11・17(月) 
 11月15日(土)、メルヘンメンバー・ちゃーちゃんが代表を務めるあいち国際交流はなのき会主催のチャリティーコンサートに同じメルヘンメンバーのQちゃんと出かけた。
 朝、9時43分四日市発の急行に乗り、富田駅で落ち合うつもりで3,4番ホームに立っていたら、5番ホームからその急行が出ていくではないか!滅多にないことだが、5番ホームが使われることがあると言う。携帯メールで連絡して準急に乗り、桑名駅で落ち合ったのは11時10分になっていた。桑名では、素空が髪形を変えていたので彼女はすぐには気付かなかった。午前中は2人でデュフィ展(愛知県美術館)を見る予定である。
 ただ出足にしくじったので、この名古屋行きはいろいろな事が起こった。



水晶の歌声をめざして2(デュフィ展) 2014・11・20(木)
 コンサートの前に愛知県美術館で開催(~12月7日)されているラウル・デュフィ展に出かけた。同伴のQちゃんは長年油画を描いてきたので、何でも聞ける師匠である。ただ、今は俳句作りで頭の中は一杯である。展覧会やコンサートで良い句が出来ているといいけど。
 20世紀のフランス・パリを代表するこの画家は「色彩の魔術師」と言われるだけあって多彩である。いろいろな分野の作品を見ているとその多才ぶりも窺える。とりわけ、赤を主にした作品に惹かれた。
 Qちゃん曰く「遠くの遠い人なのに身近に感じた。美の追求をした、器用な人で、色彩がよかった。わたし好みかな」
 美術館を出て同じ階のレストランで昼食、おしゃべりをしながら楽しく食べた。この食事が原因ではないがその後腹痛になり、コンサート会場まで続いた。電車の乗り遅れに続くこの日のトラブルである。
 デュフィ展案内より
 ラウル・デュフィ(1877-1953)は、ピカソやマティスなどとともに20世紀前半にフランスで活躍した画家です。彼は1937年に開催されたパリ万国博覧会のための装飾壁画《電気の精》に代表されるような、明るい色彩と軽快な筆さばきで描く独自のスタイルを築きました。


水晶の歌声をめざして3(ウィルあいち
 2014・11・24(月)
 昼食後、歌姫・ナターシャ・グジ―の会場・ウィルあいちに向かう。徒歩で15分の距離だが、遅れたと思ったので信号無視すれすれで向かった。1時過ぎに着くと「開演は1時30分ですよ」とQちゃん、素空はこの日、微妙に何かが狂っていた。
 開演前に代表者・ちゃーちゃんやその家族と話した。ご主人は髪形を変えた素空をしばらくわからなかった。特別室にいた娘さんとお孫さんにも会った。孫・こっちゃんとスキーに行ったのは6年前、もう小学6年生だった。
   ウクライナの歌姫
     ナターシャ・グジー コンサート
     ~水晶の歌声とバンドゥーラの可憐な響き~
 オープニングトークは「平和について考えよう!」
 舞台に立った飯尾歩氏(中日新聞論説委員)の話は楽しかったが、又腹痛で途中退席した。ナターシャ・グシーの一曲目「キエフの鳥の歌」の時、会場に戻る。



水晶の歌声をめざして4(ウィルあいち 2014・11・27(木)
 バンドゥーラを演奏しながら歌うナターシャ・グジーは素晴らしかった。20歳で日本に来て14年、日本語の語りもなめらかである。日本語で歌った「秋桜(コスモス)」「防人の詩」、透き通るような歌声が会場に響いた。
 彼女はウクライナ出身、6歳の時、チェルノブイリ原発事故で被曝、その後いろいろ苦労を重ねて音楽家となり日本で活躍する。その体験を入れながらの自己紹介は淡々と語られるが、語っている内容は重い。
 バンドゥーラは初めてだった。ウクライナの伝統的な民族楽器で、60前後の弦が半音階で5オクターブに渡って調律されている弦楽器である。バンドゥーラの可憐な響きと彼女の美しい水晶の歌声が聴衆を魅了したのは言うまでもない。彼女の美声に腹痛を忘れていた。 
 フォークダンスに力を入れ、指導する立場にあるQちゃんが、“彼女の服はウクライナの民族衣装で、私たち日本人がフォークダンスを踊る時に着たりする”と言う。美しい人にはどんな服でも似合う。
        

                    中央はスキー仲間のMさん、隣はご主人


水晶の歌声をめざして5(あいち国際交流はなのき会) 
                     2014・11・29(土)
 このチャリティコンサートは、2011年から東日大震災被災者を支援するために、はなのき会が開催している。この会は女性の資質向上、国際理解を深め社会貢献をするために、研修会、在日外国人との交流及び支援、海外研修、ホームステイ、ホームビジットの受け入れなどをしている。
 今回参加して最も感心したのは、世界中で戦争が絶え間なく続き、国内では武力(自衛隊)で国際貢献するなどと言いながら、戦争への道を模索するかのような中にあって、平和を希求し、しかも実際に地についた活動をしている事だった。
 飯尾歩氏はオープニングトークで「平和について考えよう!」と言った。歌姫が「平和を!」などと言わないで、淡々と幼い時の被曝とそれ以降を語ったことはとてもインパクトが強かった。このコンサートに来て、まだまだ日本は捨てたものでは無いとほっとした。
 会を仕切るのはわがメルヘンのちゃーちゃんである。彼女の会場での猛働きに感心し、最後の堂々とした挨拶に仲間として鼻が高かった。                                          

         
  
                 はなのき会会長・ちゃーちゃん(向かって左)


水晶の歌声をめざして6(帰路) 2014・12・3(水)
 コンサート終了後、ちゃーちゃん夫妻に挨拶して、Qちゃんと地下鉄へ向かう。切符売り場でスキー仲間のNさんと会う。彼女とは1月末のスキーに一緒に参加する。Nさんに「奥さんですか?」と問われて「ガールフレンドです」と軽口を叩いて別れ、地下鉄に乗る。
 発車してすぐに前の女性が席を立った。不思議だなと思っていたが、しばらくして気が付いた。そこは優先席、素空の頭を見て譲ってくれたようだ。笑い話でよく聞くが、まさか自分にとは思わなかった。親切はありがたいが、結構心が傷ついた。帰ってから、この事を話して笑いをとったが、ショックは続いている。
 そんな中で近鉄名古屋駅で改札を通ろうと思ったら、乗り降りできるPiTaPaカードが無くなっている。駅員さんに聞いて、2か所に電話してカードの停止をしたが30分ほどかかった。
 さらに四日市に着いて歩いていたら親戚の家族に会いしばらく立ち話、遅れたので時間を決めて待っていた連合いの機嫌が悪かった。
 素晴らしい絵や歌を見聞きでき、充実した一日だったが、ちぐはぐな一日でもあった。
                                          (おわり) 
inserted by FC2 system