古川柳(誹風柳多留より)

古川柳(誹風柳多留より) 2012・9・20(木)
 子が出来て川の字形(なり)に寝る夫婦
  子が増えてくると
 子沢山州の字なりに寝る夫婦
  離縁などで片親になると
 しばらくはりの字にねたる天川屋
  天川屋義平(天野屋利兵衛)は、赤穂浪士のために女房を離縁して武器を調達した。

 誹風柳多留(はいふうやなぎだる)は、江戸時代中期から幕末までの川柳風狂句集、ほぼ毎年刊行されていた。全167編。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・3(水)
 役人の子はにぎにぎを能覚(よくおぼえ)
   今も昔と同じ、役人への賂は横行する。
 是(これ)小判たつた一晩居(ゐ)てくれろ
   庶民の小判(お金)は右から左へと出て行く。
 裏店(うらだな)へ小判の這入(はい)る素晴らしさ
   小判は貴重、下っ端の武士の給金は年3両だった。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・11(木)
 国の母生まれた文(ふみ)を抱(だき)あるき
   遠くに嫁いだ娘の初孫の便り、手紙を赤ん坊のように抱く親の情愛。
 国の親手答のする封を切り
   これも同じ、子からの手紙は嬉しいものだ。
 
 学生時代に「手答」?のある手紙をせっせと親に送った。オヤジが亡くなった時、大事に保管された段ボール一杯の手紙が出てきた。末尾はどれも「お金送って!」。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・15(月)
 お袋をおどす道具は遠い国
   遠くに行くと脅して、へそくりを引き出す道楽息子。
 母親はもったいないがだましよい
   子に甘い母親はだましよい。
 棒ほどなこと針ほどに母かばい
   「棒大針小」に言って父親の前で子をかばう。
 ちとしめてくりようと親仁(おやじ)寝ずに居る
   父親はそうは甘くない。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・19(金)
 子を持ってやうやう親のばかが知れ
   親不孝を繰り返したが、自分が親になって親馬鹿を理解する。
 孝行のしたい時分に親はなし
   親馬鹿の心理が分かって親孝行をしたいと思っても。
 孝行のしたい時分は我も耄(ぼ)け   “折句倉(おりくぐら)より”

 なんと言う皮肉、ボケが始まる我身への警句。


古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・23(火)
 母の手を握って炬燵(こたつ)しまわれる
   惚れた娘あるいは愛する嫁の手ではなく、母親の手を握った。

 落語にこんな話がある。
 三味線の稽古後、師匠(女)と男弟子達がコタツに入っている。
 「師匠の手を握っても分からないかな?」と考えた弟子が、コタツの中で師匠の手をギュッ!「握り返してきたぞ…。ひょっとしたら、俺に気があるのかな?」一人で喜んでいると、向こうから声がかかって師匠は行ってしまう。「ん? 師匠は向こうへ行ったのに、手だけこっちにある!?」「エヘヘヘ、俺のだ」「何で握るんだよ?」「俺も師匠の手と思ったんだ。ここでこうなったのも何かの縁、腕相撲でもしようか?」

古川柳(誹風柳多留より) 2012・27・(土)
 寝て居ても団扇(うちわ)のうごく親心
  添い寝ではなく、座ったままでの母心。
 物さしでひるねの蠅を追つてやり
  子の昼寝、蠅を追い払う母は優しい。心温まる句だ。
 子を持つた大工一足おそく来る
  父の示す親心もほほえましい。子ゆえの遅刻。
 子の頭ちよつとたたいて知らん顔
   オヤジはこんな事をして仕事場へ。

 育てた子供が今は親、こんな気持ちで子育てしているだろう。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・10・29(月)
 我が好かぬ男の文は母に見せ
   好きではない付け文の男を母に断ってもらう気弱な娘。
 捨てられぬ文が島田のしんになり
   愛しい人の手紙は髷(まげ)の芯(しん)に用いて大事にする娘心。
 惚れたとは女のやぶれかぶれなり
   女が「若い時は親に従ひ、盛りにしては男に従ひ、老ては子に従ふ」(毛吹草・寛永15年)という時代、愛の告白は余程のこと。まさしく「やぶれかぶれ」なのだ。
 男でも惚れたとは言いにくい。「惚れたとは短い事の言いにくき」がこの世界なのだが、この世の中心をなす素晴らしい世界でもある。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・11・8(木)
 相性(あひしやう)は聞きたし年は隠したし
   男との相性(生まれ年で占う)は知りたいが、年は隠したい娘心。
 本の年いひないひなと膝でおし
   お転婆娘ならこう迫る。
 白状を娘は乳母(うば)にしてもらひ
   箱入り娘は色恋を乳母に頼る。恋の悩み、あるいは子が出来た?
 きかぬふりするは娘の吉事なり
   婚礼前の娘の嬉しさと恥ずかしさ。

お転婆ではこうはいかない。娘心はいろいろ、なかでも「恥ずかしさ」は風情がある。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・11・9(金)
 姑(しうと)めの日向ぼつこは内を向き
  娘も嫁入りすると強敵がいる。
 姑を今でもいびるひいばゝあ
  上には上がいるものだ。
 叱らずにとなりの嫁をほめて起き
  粗相のあった嫁を直接叱らない。真綿で首を絞めるようなもの。

 我欲を捨てて仲良しに!こんな世界は川柳だけでいい。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・11・23(金)
 泣きながら眼(まなこ)をくばる形見分け
  この時代の形見分けの中心は衣類、貴重品だった。
 泣き泣きもよい方を取る形見分け
  今は「泣く泣くもよい方を取る形見分け」が人口に膾炙(かいしゃ)する。
 泣き泣きもうかとは呉れぬ形見分け
  与える側からはこうなる。
 背の低かった父の形見分けの服は高価な物もあったが、もらった親族はほとんど着れなかったと思っている。

古川柳(誹風柳多留より) 2012・11・29(木)
 絵で見ては地獄の方が面白し
  極楽は蓮と迦陵頻伽(かりょうびんが・上半身が人で下半身が鳥の
  仏教における想像上の生物)しか描かれてなく退屈なところと言う。
  落語の大ネタ・地獄八景亡者戯(YouTube)はとても面白い。
 極楽は見たい所だが行く気なし
  川柳の世界ではこうひねくれる。しかし、案外真っ当かも。 

古川柳(誹風柳多留より) 2012・12・3(月)
 三人で一人魚(うを)食う秋の暮れ
  誰が生臭物の魚を食べたの?と直ちに想定できれば素晴らしい。分からなかったと言う意味で取り上げた。新古今集の三夕の歌(「秋の夕暮れ」を結びとした三首の名歌)が前提になっている。だから、三人は寂蓮法師、西行法師、藤原定家となる。
  さびしさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮
  心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ沢の秋の夕暮れ    西行
  見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋(とまや)の秋の夕暮れ 定家
 寂連と西行は僧だから魚は食べない。定家だけは俗人なので魚を食べるだろうと言ううがち(表に現れない事実・世態・人情の機微を巧みにとらえること)。川柳もなかなか難しい。

古川柳(誹風柳多留より)完 2012・12・11(火)
 真つ白な名歌を赤い人がよみ
  これも和歌を知らないと分かりにくい。
 「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞふじの高嶺に雪はふりける(万葉集・山部赤人)」を背景に「真つ白」と「赤い人」を縁語にして詠んでいる。
 「田子の浦にうち出てみれば白妙のふじの高嶺に雪はふりつつ(新古今集)」に対して
 赤人を白妙にした新古今
 と和歌に素早く対応した見事な川柳が詠まれている。
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