枕草子(六十一~八十段)
2016・5~2017・7  (目次へ)

枕草子(六十一段)・橋は 2016・5・11(水)
 面白い名の橋を列挙する。全てが歌枕。棚橋は板一枚を渡した橋だが、多くの歌に歌われている。
 「天の川棚橋渡せたなばたのい渡らさむに棚橋渡せ」(万葉集巻10)
 昔、棚橋と言う名の知人がいたが、意味がたった一枚の板を渡した粗末な橋とは思ってもいなかった。
 なお、橋の解説を最下段に付記する。
(六十一段)
 橋は あさむづの橋(はし)。ながらの橋(はし)。あまびこの橋(はし)。浜名(はまな)の橋(はし)。ひとつ橋(ばし)。うたゝねの橋(はし)。佐野(さの)の船橋(ふなはし)。ほり江の橋(はし)。かさゝぎの橋(はし)。山すげの橋(はし)。をつの浮橋(うきはし)。一すじわたしたる棚橋(たなはし)、心せばけれど、名を聞(き)くにお(を)かしき也。
 橋といえば、あさむづの橋。長柄の橋。天彦の橋。浜名の橋。ひとつ橋。うたた寝の橋。佐野の船橋。堀江の橋。鵲(かささぎ)の橋。山菅の橋。をつの浮橋である。たった板一枚を渡した棚橋、ずいぶんけちな橋と思うが、名前を聞くのが面白いので・・・。
 ・あさむづの橋 福井市浅水町にある朝六つ橋。
 ・長柄の橋    大阪市大淀区を流れていた長柄川に架けられていた橋。
 ・天彦の橋    不明。歌では天彦は天人、山彦の意で使う。
 ・浜名の橋    浜名湖の入口に渡した橋。
 ・ひとつ橋    1本の木だけをかけ渡した橋。一本橋。丸木橋。
 ・うたた寝の橋 人が寝ていることから命名された。後世では吉野に
           義経ゆかりの「うたたねの橋」があったと言う。
 ・佐野の船橋  船を繋いだ橋。上野国佐野(群馬県高崎市下佐野町)
 ・堀江の橋    難波の堀江。
 ・鵲の橋     かささぎの渡せる橋におく霜の
               白きを見れば夜ぞ更けにける 大伴家持
 ・山菅の橋    日光の神橋(山菅橋、山菅の蛇橋)
 ・をつの浮橋   浮橋は船を並べ板を渡した橋。滋賀県野洲郡。



枕草子(六十二段)・里(さと)は 2016・5・21(土)
  興味ある里の名前を列挙する。 今ではほとんどが場所を特定できないようだが、相坂は大阪または逢坂(滋賀)のことかな?
 つまどりの里とは自分の妻をとられたか、あるいは人の妻を取って自分の妻に「もうけ」たのか、それが面白いと書いている。決して今言う妻をめとることでは無い。
(六十二段)
 里(さと)は 相坂(あふさか)の里(さと)。ながめの里(さと)。ゐ(い)ざめの里。人づまの里(さと)。たのめの里(さと)。夕日の里(さと)。
 つまどりの里(さと)、人にとられたるにやあらむ、我まうけたるにやあらむ、とをかし。伏見の里(さと)。朝顔(あさがほ)の里(さと)。
  里といえば、相坂の里。ながめの里。寝覚の里。人妻の里。頼めの里。夕日の里である。妻取りの里というのは、人に妻を取られたのであろうか、それとも自分が人の妻を奪い取ったのであろうか、面白い。伏見の里。朝顔の里。



枕草子(六十三段)・草は 2016・6・10(金)
  興味深く心が引かれる32の草を紹介する。詳細は原文と訳(63段)を参照。ここでは仏像作りに関連する蓮(28番目に登場)の訳を書いておく。
 蓮の葉、他のどんな草よりも優れていて素晴らしい。「妙法蓮華経」の名前にも使われているように、花は仏様にお供えし、その実は数珠(じゅず)の珠(たま)に貫き、念仏を唱えて往生極楽に生まれ変わる縁にしようとするものだから。また、他の花がない初夏の季節に、青く澄んだ池の水に、紅の蓮の花が咲いているのも、本当に見事だ。翠翁紅(すいをうこう)という言葉で、詩に歌われているくらいだ。
 32の草
 菖蒲(さうぶ)。菰(こも)。葵(あふひ)。沢潟(おもだか)。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔(こけ)。雪間(ゆきま)の若草(わかくさ)。こだに。かたばみ。あやふ草(ぐさ)。いつまで草。ことなし草。忍ぶ草(ぐさ)。道(みち)芝。茅花(つばな)。蓬(よもぎ)。山すげ。日すげ。山藍(あゐ)。浜木綿(はまゆふ)。葛(くず)。笹(さゝ)。青(あを)つづら。なづな。なへ。浅茅(あさぢ)。蓮(はちす)。唐葵(からあふひ)。さしも草。八重葎(やへむぐら)。つき草。



枕草子(六十四段)・草の花は 2016・6・25(土)
 34段(参照)では木の花について書いていたが、ここでは 63段に続いて16の草の花を紹介する。ほとんどが秋の花である。詳細は原文と訳(64段)を参照。
 「敢えて取り上げて持ち上げてあげるほどの花ではないが、かまつか(雁来花)の花は可憐だ。名前がちょっと嫌な感じだが。雁の来る花と文字では書いている」と書いている「かまつか」は、らうたげ(可憐だ)と表現しているので会津八一が詠っている「雁来紅(かまづか)=葉鶏頭」とは違うようだ。
16の草の花
 撫子(なでしこ)。女郎花(をみなへし)。桔梗(きゝやう)。朝皃(あさがほ)。刈萱(かるかや)。菊(きく)。壺菫(つぼすみれ)。竜胆(りんだう)。かまつか(雁来花)。かにひ(雁緋)。萩(はぎ)。八重山吹(やへやまぶき)。夕顔 (ゆふがお)。しもつけ。蘆(あし)。薄(すゝき)。 



枕草子(六十五段)・集は 2016・7・25(月)
 (六十五段)
 集は 古万葉。古今。
 和歌集は万葉集、古今集がよい。

 古万葉は新撰万葉集(菅原道真撰)に対しての万葉集の呼び名。


枕草子(六十六段)・歌の題は 2016・7・25(月)
 (六十六段)
 歌の題は 宮こ。葛(くず)。三稜草(みくり)。駒(こま)。霰(あられ)。

 歌の題は、都、葛、三稜草、駒、霰がよい。
 
 三稜草は知らなかったのでネットで調べ、写真を転用した。
 
ミクリ科の多年草で溝や浅い池に生える。葉は根生し、長い線形。夏、花茎の先が分枝し、上方に雄性の、下方に雌性の頭状花序をつける。花後、緑色球形の栗に似た集合果をつける。




枕草子(六十七段)・覚束(おぼつか)なきもの 2016・8・9(火)
 不安なものを四つ列挙する。2番目の「知らぬ所に、・・・」では、中宮のお供などで闇夜に他の女房達と出かけた時、先方があからさまに姿が見えてはいけないと燈火もつけないところで並んで座っている時の気持ちは不安だという。あとの三つはだれもが納得できる不安である。
 (六十七段)
 覚束(おぼつか)なきもの  十二年の山ごもりの法師(ほうし)の女親(めおや)。知らぬ所に、闇(やみ)なるに行(い)きたるに、あらはにもぞあるとて、火もともさで、さすがに並(な)みい(ゐ)たる。
 いま出(い)できたる物(もの)の、心もしらぬに、やむごとなき物持(も)たせて人のもとにやりたるに、をそくかへる。物もまだいはぬちごの、そりくつがへり、人にもいだかれずなきたる。

 不安なもの 比叡山に12年も籠って修行をしている法師の母親。初めての家に、月のない闇夜に行ったところ、姿があらわになり過ぎるといけないだろうということで、燈火もつけないで、それでもずらりと並んで座っている時の気持ち。
 最近雇ったばかりの召使の、気心も知れない者に、大切な物を持たせて人のところに使いにやったところ、帰りが遅くなった時。物もまだ話せない小さな赤ん坊が、そっくり返って人に抱かれようとせず、泣いていること。



枕草子(六十八段)・たとしへなきもの 2016・9・13(火)
  「たとしへなし」は共通点のないこと、ここでは正反対のものという意味。「思ふ(愛す)人と憎む人」は「私が」でも「私を」でも理解できるが、その続きの「おなじ人ながらも心ざし(愛情)ある折とかはり(心変わり)たる折」は「私を」である。愛の問題をとらえたところが面白い。
(六十八段)
 たとしへなきもの 夏と冬と。夜と昼と。雨ふる日と照(て)る日と。人の笑(わら)ふと腹(はら)だつと。老(お)ひ(い)たると若(わか)きと。
 白(しろ)き黒(くろ)きと。思ふ人と憎(にく)む人と。おなじ人ながらも心ざしある折とかはりたる折は、まことにこと人とぞおぼゆる。
 火と水と。こえたる人、やせたる人。髪(かみ)ながき人とみじかき人。
 正反対なもの 夏と冬と。夜と昼と。雨の降る日と日の照る日と。人が笑うのと腹立つのと。老人と若人と。白いのと黒いのと。愛す人と憎む人と。同じ人でありながら、自分に対して愛情のある時と、心変わりしてしまった時とでは、本当に別人のように思われる。火と水と。太った人と痩せた人と。髪が長い人と髪が短い人と。



枕草子(六十九段)・夜烏どものゐて 2016・10・6(木)
 烏の夜の生態をとらえ、昼間のずる賢い烏とは違って愛嬌があり趣があるという。昔も烏はずる賢い存在だったのかな?
 ところでそんな夜烏を「をかし」という。古典での美的表現の代表は「をかし」と「あはれ」なので、以下に簡単にまとめておく。
 「をかし」は「面白い・趣がある」、「あはれ」は「しみじみとした情緒がある」と思えばよいが、「あはれ」は対象を知的・批評的に観察し、鋭い感覚で対象をとらえることによって起こる情趣で、枕草子は「をかし」の文学。「あはれ」の代表は源氏物語、深いしみじみとした感動・情趣を表す世界である。
(六十九段)
 夜烏(よがらす)どものゐて、夜中ばかりに寝(いね)さは(わ)ぐ。落ちまどひ木づたひて、寝(ね)おびれたるこゑに鳴(なき)たるこそ、昼(ひる)の目(め)にたがひてをかしけれ。

 夜烏が沢山木に止まっていて、夜中ごろ、寝ぼけて騒いでいる。木から落ちそうになって慌てふためき、枝から枝へと飛び移り、今、目覚めたような寝ぼけた声を出して鳴くのは、昼間のずる賢そうな姿とは違っていて趣きがある。



枕草子(七十段) 2016・10・14(金)
  恋人と一夜を過ごす時の「をかし」(面白い・趣がある)を書いている。清少納言らしい感性である。
 内容は下段の現代語訳を見てもらえばよいが、さすがに高校生用の枕草子解説書では扱われていない。
(七十段)
  しのびたる所にありては、夏こそお(を)かしけれ。いみじくみじかき夜の明(あけ)ぬるに、露ねずなりぬ。やがてよろづの所あけながらあれば、涼しく見えわたされたる。猶(なほ)いますこしいふべきことのあれば、かたみにいらへなどする程に、ただゐたるうへより、烏(からす)のたかくなきて行(い)くこそ、顕証(けせう)なる心ちして、お(を)かしけれ。
 又、冬の夜いみじう寒きに、おもふ人とうづもれ伏(ふ)して聞(き)くに、鐘の音の、たゞ、物の底(そこ)なるやうに聞(きこ)ゆる、いとお(を)かし。烏のこゑも、はじめは羽(はね)のうちになくが、口(くち)をこめながらなけば、いみじう物ふかく、とを(ほ)きが、明(あく)るままにちかくきこゆるも、お(を)かし。

 人目を忍んだ逢引の場所では、夏が一番情趣がある。とても短い夏の夜がもう明けてしまったので、一晩中ちっとも眠らずにいた。どこもかしこも昼間と同じように開け放したままで夜を過ごしたので、庭も涼しく見渡すことができる。(一晩中語ったのに)やはりまだ少し話し足りないことがあるので、お互いに受け答えをしているうちに、座っている頭の上を、烏が高い声で鳴きながら飛んでいくのは、まるで誰かに見られているような気持ちがして面白い。
 また、非常に寒い冬の夜、恋人と夜具に埋もれて寝たまま聞いていると、お寺の鐘の音がまるで物の底で鳴るかのようにこもって聞こえるのが面白い。鳥の声も初めは羽の中で鳴くのだが、口を突っ込むようにして鳴くので、とても深くて遠い場所からのように聞こえているのだが、夜が明けてくると段々近くで鳴いているように聞こえてくるのも面白い。



枕草子(七十一段)・懸想人にて来たるは 2016・11・24(木)
 女性たちが沢山いて話しているところへ来て長居する男のお供の態度が悪いとその人の評価が台無しになる。だからお供はきちんとその者の性格を見きわめた上で連れ歩きたいものだという。下段の現代語訳(黒字)を読めばいいと思う。
(七十一段)
 懸想(けそう)人にて来(き)たるは言(い)ふべきにもあらず、たゞうちかたらふも、又、さしもあらねどおのづから来(き)などもする人の、簾(す)の内(うち)に人々あまたありて物などいふに、ゐ(い)入りてとみにかえりげもなきを、ともなるお(を)のこ、わらはなど、とかくさしのぞきけしき見るに、斧の(をのゝ)柄(へ)も朽(くち)ぬべきなめりと、いとむつかしかめれば、ながやかにうちあくびて、みそかにと思ひていふらめど、「あな侘(わび)し、煩悩苦悩(ぼんなうくなう)かな。夜は夜(よ)中に成(なり)ぬらむかし」といひたる、いみじう心づきなし。かのいふ物(もの)はともかくも覚えず、このゐたる人こそ、お(を)かしと見え聞へ(え)えつることも失(う)するやうに覚ゆれ。
 又、さは色(いろ)にいでてはえいはず、「あな」とたかやかにうちいひ、うめきたるも、下(した)行(ゆく)水の、といとを(ほ)し。立蔀(たてじとみ)、透垣(すいがい)などのもとにて、「雨ふりぬべし」など聞えごつも、いとにくし。
 いとよき人の御とも人などはさもなし。君達(だち)などのほどは、よろし。それより下れるきはは、みなさやうにぞある。あまたあらむ中にも、心ばへ見てぞ、率(ゐ)てありかまほしき。
 恋人として来た男の場合は、(長居は)とりたてて言うまでもないが、ただ仲がいい程度の人でも、あるいはそれほどではなくても、たまたま訪ねて来た人が、簾の内に女房が沢山いて対応しているので、座り込んでしまってすぐには帰りそうにない。それを、お供してきた家来・童子などがどうなっているのかと顔を覗かせて様子を伺っているのだが、これでは斧の柄も腐ってしまいそうだ(時間がかかるたとえ)、帰りは何時になるかわからないと迷惑がり、長々とあくびをして、人には聞こえないと思って言うらしい、「ああ、つらい。煩悩苦悩だな。もう夜中になってしまっただろう」などと言っているのは、非常に不愉快である。こんなことを言う従者に対しては、取るに足らぬ連中だから何とも思わないのだが、(この従者の主人である)目の前に座っている男に対して、今まで素晴らしいと思って見たり聞いたりしてきた事も、消えて無くなってしまうように思われることだ。
 また、それほどはっきりとは言わずに、「ああ」と甲高い声で言ってため息をつくのは、歌にある「言はで思ふぞ言ふにまされる」という気持ちなのだろうと可哀想に思う。庭の立蔀(たてじとみ)や透垣(すいがい)などの所で、「雨が降ってくるぞ」などと、聞こえよがしに言うのも、ひどく憎らしい。
 特別身分の高い人のお供の人などは、このような非礼な振る舞いはしない。名門の若君といった人々のお供は、良い。それより身分の低い者の供人は、みんなそのような問題がある。たくさんいる家来の中でも、きちんとその者の性格を見きわめた上で、お供に連れ歩きたいものだ。



枕草子(七十二段)・ありがたきもの 2016・12・9(金)
  めったにないものを列挙するが、「舅(しゅうと)に褒められる婿。また姑(しゅうとめ)に可愛がられる嫁」から始まって列挙されるものは現代でも納得できるものだ。最後に人と人の仲良い関係は終生続けがたいと言う。よく観察していると思う。とにかく身近な人間関係は昔も今も難しい。
(七十二段)
  ありがたきもの 舅(しうと)にほめらるゝ婿(むこ)。又、姑(しうとめ)に思はるゝ嫁(よめ)の君(きみ)。毛(け)のよくぬくる銀(しろかね)の毛抜(けぬき)。主(しう)そしらぬ従者(ずさ)。露のくせなき。
 かたち、心ありさま、すぐれ、世にふる程(ほど)、いささかの疵(きず)なき。同じ所に住(すむ)人の、かたみに恥(はぢ)かはし、いさゝかのひまなく用意(ようい)したりと思ふが、つゐに見へ(え)ぬこそかたけれ。
 物語、集(しう)など書(か)きうつすに、本に墨(すみ)つけぬ。よき草子(そうし)などは、いみじう心して書(か)けど、かならずこそきたなげになるめれ。男(おとこ)、女をばいはじ、女どちも、契り(ちぎり)ふかくてかたらふ人の、末(すえ)まで仲よきこと、かたし。

 めったにないもの 舅(しゅうと)に褒められる婿。また姑(しゅうとめ)に可愛がられる嫁。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人の悪口を言わない従者。まったく欠点がない人。
 容姿・心・態度が優れていて、世間に交わってもまったく非難されない人。同じ所に奉公して住んでいる人で、お互いに面と向かって顔を合わせず、少しの隙もなく相手に配慮しているような人はいない者だが、本当にこういった人はめったにいない。
 物語や歌集などを書き写す時に、元の本に墨を付けない人。立派な本などは、非常に注意して書き写すのだけれど、必ずといっていいほど、よごしてしまうようだ。男と女の関係については言うまでもない、女同士でもずっと仲良くしようと約束して付き合っている人でも、終わりまで仲が良いということはめったにない。



枕草子(七十三段)・内のつぼね 2017・1・23(月)
 「内(裏)のつぼね」とは宮中の局、後宮の御殿に作られた女房達の部屋。清少納言が仕えた中宮定子は登花殿に住んでいた。そこに女を訪ねてやってくる男たちのいろいろの動作、状況を興味をそそられるものとして書いている。詳細は原文と訳(73段)を参照。
 面白いなと思ったのは、訪ねて来た男が簾(すだれ)の帽額(もこう・布)と下にある几帳(きちょう・間仕切り)の間にある少しの空間(隙間)で女と語る場面。
外に立っている男と室内の女房が話をする時に、この隙間が二人の顔のところに当たっているのも面白い。背が高すぎたり低すぎたりすればどうだろうか(上手くいかないかもしれない)、しかし世の中の大半の人は上手くいっているようだ
 背の低い素空には長身の「女房」にはむかないかも!
 内裏を詳しく調べたことがなかったが以下の図で登花殿を調べた。
          内 裏



枕草子(七十四段)・職の御曹司におはしますころ 2017・2・5(日)
 「職(しき)の御曹司(おんぞうし)」
とは大内裏にあった中宮職の役所で、内裏の右外、建春門(左衛門の陣)と陽明門(近衛の御門)の間にある。もちろん、ここには中宮・定子と清少納言などの女房がいた。勢いのある定子のまわりの女房達や殿上人、上達部などの開放的で生き生きとした様子を書いている。
 詳細は原文と訳(74段)を参照してほしいが、「職の御曹司」と文中にある「左衛門の陣・建春門」「近衛の御門・陽明門」の場所を大内裏の図から確認してほしい。
 簡単な現代語訳を以下を!
 職の御曹司に中宮のおいでになるころ・・・南の廂に御帳台を立てて、更にその南の又廂に女房たちは控えている。
 (内裏に行くために)陽明門から建春門にお向かいになる上達部の方々の先駆けの掛け声を聞いては大騒ぎする。何度も聞いているので先駆けの声を「あれは誰」などと言い当てる。また誰かが「それは違うわ」と言うと下女に見に行かせて、言い当てた人は得意顔で「ほらね」と言うのも面白い。
 有明の月の頃、深い霧が立ち込めた庭に、女房たちが下りて散歩するのをお聞きになって、中宮もまだ早い時間にお起きになられた。女房たちが外に出たり庭に下りたりして遊んでいるうちに、段々夜も明けていく。「左衛門の陣まで行って見物しよう」と言って、門の外に出ていくと、私も私もと後を追いかけて続いてゆく。殿上人が大勢の声で詩を吟じてこちらにやってくるので、職の御曹司の建物に逃げ込んで彼らとお話をする。「月を眺めていらしたんですね」などと感動して、そこで歌を詠む人もいる。
 夜も昼も、殿上人がやって来るのが絶えることがない。上達部さえも参内される途中で、特別に急ぐ用事でもない限りは、必ずここにお立ち寄りになる。



枕草子(七十五段)・あぢきなき物 2017・3・19(日)
  面白くないものを言う。決心(希望)して宮仕えしたのに勤めが嫌だと思っている人、養子の醜い顔、通ってきてくれない婿と並べる。
 清少納言的感覚で述べられているが、ほとんど現代でも通じることだ。
(七十五段)
  あぢきなき物 わざと思ひ立(た)ちて宮づかへに出(い)でたちたる人の、物憂(う)がり、うるさげに思ひたる。養子(とりこ)の、顔(かほ)にくげなる。しぶしぶに思ひたる人を、しゐて婿(むこ)どりて、思(おもふ)さまならずとなげく。
 おもしろくないもの わざわざ決心して宮仕えに出た人が、勤めを面倒くさがって煩わしく思っている。養子の顔が醜いということ。気の進まない人を無理に婿にして、自分の思い通りに通ってきてくれないと嘆く人。


枕草子(七十六段)・心ちよげなる物 2017・4・9(日)
  75段の「あじきなきもの・おもしろくないもの」の反対を言う。以下に解説本を参考に意味を書いておくがよくわからない。
 ・卯杖(うづえ)の法師 
   正月の初卯の日に邪気を払うという杖を持って祝言を
   述べながら街を回った法師
 ・御神楽(みかぐら)の人長(にんぢやう)
   神楽(神に奉納するため奏される歌舞)の指揮をとる人
 ・神楽(かぐら)の振幡(ふりはた) 
   意味不明。底本の違いで「御霊会(ごりょうえ)の振幡」とする
   解説本もある。
どちらにしても布などを竿の先に掲げて先頭を
   行く姿だろう。
(七十六段)
 心ちよげなる物(もの) 卯杖(うづえ)の法師(ほうし)。御神楽(みかぐら)の人長(にんぢやう)。神楽(かぐら)の振幡(ふりはた)とか持((も)たる物(もの)。
 気持ち良さそうなもの 卯杖(うづえ)の法師。神楽の人長(にんじょう)。神楽の時、振幡(ふりはた)とかいう物を持った人。



枕草子(七十七段)・御仏名のまたの日 2017・5・15(月)
  罪障懺悔(神仏に過去の罪を悔いて許しを請うこと)を怠るが、管弦や秀句に惹かれる清少納言自身のことを書く。
 下段の口語訳を気楽に読んで欲しい。
(七十七段)
 御仏名(みぶつみやう)のまたの日、地獄絵(ぢごくゑ)の御屏風とりわたして、宮に御覧ぜさせ奉(たてまつ)らせ給(たまふ)。ゆゝしういみじき事かぎりなし。「是(これ)見よ、是見よ」と仰せらるれど、さらに見侍らで、ゆゝしさに、こへやにかくれ伏(ふ)しぬ。
 雨いたうふりて、つれづれなりとて、殿上人、上(うへ)の御局にめして御遊びあり。道方(みちかた)の少納言、琵琶いとめでたし。済政(なりまさ)筝(しやう)の琴(こと)、行義(ゆきよし)笛、経房(つねふさ)の中将笙(しやう)の笛(ふえ)など、おもしろし。ひとわたり遊(あそび)て琵琶ひきやみたる程に、大納言殿「琵琶(びは)声やんで物語(がたり)せむとする事をそし」と誦(ず)じ給へりしに、かくれ伏したりしも起(お)きいでて、「猶(なほ)罪(つみ)はおそろしけれど、もののめでたさはやむまじ」とてわらはる。

 御仏名の翌日、地獄絵の御屏風をこちらに持って来させて、帝が中宮にお見せになられる。地獄絵は気味悪く恐ろしいこと限りない。帝はわざと「これを見よ。これを見よ」とおっしゃるのだが、私は「いいえ、拝見いたしません」と申し上げて、あまりの気味悪さに、小部屋に引っ込んで寝てしまった。
 その日は、雨がひどく降っていて、手持ち無沙汰だったので、殿上人を上の御局にお召しになって、音楽の催しを開かれた。道方の少納言の琵琶の演奏が、とても素晴らしい。済政の筝の琴、行義の横笛、経房の中将が笙の笛なども見事だ。一通り演奏して、琵琶も弾き終わったところで、大納言様が「琵琶声やんで物語せむとする事をそし(白楽天)」と吟じられたので、それまで隠れて眠っていた私は我慢できずに起きだしてきて、「やはり仏罰は怖いですけど、素晴らしいものに惹かれるこの性格はなおりますまい」と言って、一同に笑われた。



枕草子(七十八段)・頭中将の 2017・6・10(土)
 清少納言の根拠のない悪いうわさ話を聞いた頭中将が、それを信じて彼女を蔑み、いじめようと「蘭省花時錦帳下(白楽天)」と書いて、「これに続く下の句はどんなものでしょうか」と手紙を渡す。
 女性は漢文の知識をひけらかせない時代なので難しい問題である。しくじると中宮・定子の名誉にもかかわる。清少納言は詩の続きの「盧山雨夜草庵中」を「草の庵をたれかたづねむ」と訳して返事する。それが和歌の下の句なので反対に上の句をつけてという意味を持っている。
 返信に困った頭中将と取り巻きが降参した。帝も知ることになって中宮も清少納言も評価が上がったという話。
 原文はとても長いので口語訳を読んで楽しんで。
          原文と訳(78段)1   原文と訳(78段)2



枕草子(七十九段)・返(かへる)としの二月廿余日(よひ) 
         2017・7・10(月)
 一時、清少納言をいじめようとした頭中将(78段)を翌年素晴らしいと褒める。長文なので以下の訳を読んで欲しい。原文と訳(79段)
 文中から彼女の頭中将の描写を以下に書いておく。
 「・・・素晴らしいお姿で歩み寄られた。桜襲(さくらがさね)の綾の直衣が大変華やかで、裏の色つやなどは何とも言えないほど清らかなのに、薄紫染めの濃い指貫には藤の花の折枝の模様を豪華に浮き織りにして、袿(うちぎ)の紅色の打った光沢など、輝くばかりに見えている。紅色の下には、白や薄色の下着がたくさん重なっている。狭い簀子(すのこ)に片足を下ろしたままで、少し簾の下近くに寄って座っておられる姿は、本当に絵に描いたような、物語の中で素晴らしいと言われているような貴公子ぶりで、この人こそが絵・物語に出てくる人なのだというように思われた



枕草子(八十段)・里(さと)にまかでたるに 2017・7・26(水)
 清少納言の最初の夫と言われる 橘則光との別れのいきさつを書いている。詳しくは原文と訳(80段)
を見てほしい。
 橘則光との間には子供もあったが、彼女は機知にとんだ言葉、行動を理解できない彼の間抜けさに呆れたと書き、彼が「(歌が嫌なので)これが最後で絶交しようと思ったら、歌を詠んでよこしたらいい」と書いてきた手紙に対して以下の歌を送った。
 くづれよる妹背(いもせ)の山の中なればさらに吉野の河とだに見じ
 「妹背山(夫婦仲)も崩れ始めてしまったので、二つの山の間にながれる吉野川(2人の間を通う河)も流れなくなってしまいましたよ。(もうおしまいね)」
 彼からそれっきり何も来なくなり、その後、橘則光は遠江介になって赴任、二人の仲も終わった。
 「彼女の才気渙発さが夫婦仲の邪魔をしたようで、才女はこの時代、あまりいい恋愛に恵まれたなかったよう」と言う人もいる。
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