枕草子(四十一~六十段)
2015・10~2016・4  (目次へ)

枕草子(四十一段)・七月ばかりに 2015・10・30(金)
 酷暑を越えた旧暦7月(秋の始め)の気分を語る。夏と秋の交錯に視点を置いて、台風(?)で涼しくなった秋の昼寝は結構なものとする。 
(四十一段)
 七月ばかりに風いと(た)うふきて、雨などさは(わ)がしき日、大かたいとすゞしければ、扇(あふぎ)もうちわすれたるに、汗(あせ)の香(か)すこしかゝへたる綿衣(わたぎぬ)のうすきをいとよくひき着てひるねしたるこそ、お(を)かしけれ。

 七月頃(秋の始め)に、風がたいそう吹いて、雨も非常に強く降った日、一帯がとても涼しいので、夏扇のことなどすっかり忘れて、汗の香りが少し匂う綿入れの薄いものをすっぽりと被って昼寝をする気分は良いものだ。



枕草子(四十二段)・にげなき物 2015・11・4(水)
 にげなき物とは「似合わないもの」ということ。中宮・定子に女房として仕えた地位から、不似合いな物を列挙する。「そうだそうだ」と全てに賛同は出来ないが、前半を意訳すると
  身分の低い者の家に雪が降っている景色や月が明るくさすのは似合わない。月夜に荷車にあった時。また、そんな車を高級牛がひいている不釣り合い。また、年とった女が妊娠して大きなお腹で歩く姿。若い夫を持っているというだけでもみっともないのに、その夫が他の女の元に行ったと腹を立てる姿にはあきれる。年老いた男が、寝ぼけている姿。また、老いた髭面の男が、椎の実をかじる姿も。歯がない老女が、梅を食べて酸っぱがっている顔。・・・
 これからは寝ぼけないようにと思う。      原文と訳 



枕草子(四十三段)・細殿に人あまたゐて 2015・11・10(火)
 清涼殿への通路に当る細殿(女房たちがたむろする部屋)は関所のようなもの。女房が沢山いて退屈しのぎに往来の者たちを品評したり冷やかしたりする。もちろん、この中に清少納言もいるが、昔も今も同じ、それなりの女性が沢山集まると恐ろしい。
(四十三段)
 細殿(ほそどの)に人あまたゐて、やすからず物などいふに、きよげなる男、ことねりは(わ)らわ(は)など、よきつゝみ袋(ふくろ)などに、衣(きぬ)どもつゝみて、指貫(さしぬき)のくゝりなどぞ見えたる、弓(ゆみ)、矢(や)、楯(たて)など持(も)てありくに、「たがぞ」ととへば、ついゐて、「なにがし殿(どの)の」とて行(い)くものはよし。けしきばみ、やさしがりて、「しらず」ともいひ、物もいはでも去(い)ぬるものは、いみじうにくし。
 細殿に女房が沢山いて、通りかかる人に迷惑もかまわず声を掛けている。小ぎれいな格好をした男(貴人の従僕)や小舎人童(雑用をする少年)などが、立派な包みや袋などに主人の衣服を包んでいて、その端から指貫の裾のくくり紐などが覗いている、また弓、矢、楯などを持ち歩いているので、「誰のか」と聞くと、その場にひざまずいて「何々様のです」と答えて立ち去るものはこころよく満足だ。気どったり、恥ずかしがったりして、「知りません」と言ったり、返事もしないで去ってしまう者は、とても憎らしい。



枕草子(四十四段)・殿司こそ 2015・11・21(土)
 殿司(とのもづかさ)とは後宮の清掃・乗り物・灯火など司る役所。また、その女官。ここでは女官をさしている。その下仕えの女官の若くて可愛らしい顔をした一人を自分が世話を焼いてみたい。衣装も季節に応じて新調し、流行に遅れないようにして宮仕えさせたいと言う。
 可愛い娘を世話焼きたい。いつの時代にでもあるのだろうね。
(四十四段)
 殿司(とのもづかさ)こそ、猶(なほ)お(を)かしき物(もの)はあれ。下(しも)女のきはは、さばかりうら山(やま)しき物はなし。よき人にもせさせまほしきわざなめり。わかくかたちよからむが、なりなどよくてあらむは、ましてよからんかし。すこし老(お)いて物の例(れい)知(し)り、おもなきさまなるも、いとつきづきしくめやすし。
 殿司(とのもづかさ)の、顔(かほ)愛敬(あいぎやう)づきたらん、ひとり持(も)たりて、装束(しょうぞく)時にしたがひ、裳(も)、唐衣(からぎぬ)などいまめかしくてありかせばや、とこそおぼゆれ。

 殿司は、これ以上ないほど優雅な役職である。後宮の下仕えの女官では、これほど羨ましいものはない。身分の高い人にも、ぜひ勤めてさせてみたいくらいだ。若くて美しい人が、身なりを立派に整えてこの職を務めたなら、更に素敵に見えるだろう。少し年取っていて宮中の先例について良く知り、テキパキ仕事をこなしているような人は、この仕事にふさわしくて見事だ。
 殿司の可愛らしい顔をした人を、一人自分が世話を焼いて、衣装も季節に従ったものとし、裳・唐衣なども今風の流行に見合ったものにして宮仕えさせてみたいと思われることだ。



枕草子(四十五段)・おのこは 2015・11・29(日)
 身分の低い男を従者としない貴公子で、しかも下襲(服)の裾が短いのをみっともないと言う。この当時、服の後ろの長さは身分によって決められていたと言う。文中の弁官(太政官の事務官僚)は高位では無かったので、短かった。清少納言に気にいられるには随身を引き連れ、後ろの長い服の高官でなければいけないようだ。
(四十五段)
 おのこ(を)は、又、随身(ずいじん)こそあめれ。いみじう美々(びゝ)しうてお(を)かしき君達(だち)も、随身なきはいとしらじらし。弁などは、いとお(を)かしき司(つかさ)に思ひたれど、下襲(したがさね)のしりみじかくて、随身のなきぞいとわろきや。

 男(身分の低い男)では、随身(警護に当る従者)が勝れているでしょう。たいそうきらびやかな服装で見事な貴公子でも、随身を連れていないのでは、見栄えがしない。弁官(太政官の事務官僚)などは、たいへん魅力のある官職だと思っているのですが、下襲の裾が短くて、随身もいないので、みっともない。



枕草子(四十六段)・職の御曹司の 2015・12・7(月)
 清少納言と「三蹟」と呼ばれる藤原行成は恋人同士と思われるほど仲が良かった。(三蹟は藤原行成、小野道風、藤原佐理)
 46段では中宮職の役所での2人の事を書くが、長くて分かりにくい。この当時、女は顔を男に見せないことがしきたりだったが、ここでは藤原行成に清少納言が顔を見られたと書いている。
 難しいところもあって、女房達の不評を買う所もあった藤原行成を清少納言は評価し認めている。(原文と訳へ  
 なお、2人の仲の良さは129段にも描かれる。そこでは百人一首にある
  「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」
を詠んだことが書かれている。この歌は藤原行成に送った歌である。
 なお、清少納言は藤原行成より5~10歳ほど年上だったと言う。



枕草子(四十七段)・馬は 2015・12・21(月)
 お(を)かし(趣がある、興味深い、心が引かれる)と思う馬を列挙する。馬は身近であった。最近は、なかなか見ることができない。
 文中、「葦毛」は白に青や黒の毛の混じった馬。「ゆうがみ(
木綿髪)」は馬のたてがみの白いものや雪降り髪を言う。
(四十七段)
 馬(むま)は いと黒(くろ)きが、たゞいさゝか白(しろ)き所などある。紫の紋(もん)つきたる。蘆毛(あしげ)。薄紅梅(うすかうばい)の毛(け)にて、髪(かみ)、尾(お)などいと白(しろ)き。げに「ゆふがみ」ともいひつべし。黒(くろ)きがあし四つ白(しろ)きもいとお(を)かし。
 馬はとても黒くて、ほんの少しだけ白い所があるのが良い。紫色の斑点のある馬(も良い)。葦毛の馬。薄紅梅色の毛で、たてがみや尾などが真白の馬。こんなのは本当に「木綿髪(ゆうがみ)」とでも言えるだろう。黒くて、四つ足が白い馬も、とても面白い。



枕草子(四十八段)・牛は 2016・1・7(木)
 牛は額、腹、足、尾が白いのが良いと言う。ネットの画像で探してみたがピッタリのものは無かった。
 随分前に四日市市水沢町の牧場で牛を見たが、街にいると身近なものではない。街を離れるとあちこちに小さな牧場があるので、今度ゆっくり見てこようと思う。
(四十八段)
  牛(うし)は ひたい(ひ)は、いとちい(ひ)さく白(しろ)みたるが、腹(はら)のした、あし、尾のすぢなどは、やがて白き。
 牛は、額がとても小さくてその部分の色が白く、腹の下や足、尾の先などがすっかり白い牛が良い。



枕草子(四十九段)・猫は 2016・1・12(火)
 猫は背中が黒、腹が白いのが良いと言う。長い間に沢山の猫を飼ったがどれもみんな良かった。とりわけ、子猫は可愛らしい。ただ、顔に変な模様や斑点のあるものは見場は悪い。
(四十九段)
 猫は 上の限り黒くて、腹いと白き。



枕草子(五十段)・雑色、随身は 2016・1・21(木)
  「雑色」は諸家で雑役に使われる身分の低い者、「随身」は護衛兵。これらは細身の方が良いとし、総じて男は若いうちは細身が良く、肥えていると眠そうで精神が弛んでいるように見えると言う。
 若い時はそうだろうが、年をとって素空のように細身だと「貧弱」に見えてこれも困る。
(五十段)
 雑色(ぞうしき)、随身(ずいじん)は すこしやせて、ほそやかなるよき。男は猶(なほ)、わかき程は、さるかたなるぞよき。いたくこゑ(え)たるは、ねぶたからむと見ゆ。
 雑色・随身は少し痩せて、ほっそりとしているのが良い。男は、若いうちは、そういった感じの細身が良い。とても太っている男は、眠たそうに見えていけない。



枕草子(五十一段)・小舎人童 2015・1・28(木)
 貴人の雑用に使われる少年(小舎人童)について書く。髪が美しく、声が綺麗で礼儀正しい子が利発そうだと言う。いつの時代でもそうだろうね。
 ・筋さはらかに、すこし色なる=毛筋がさわやかですこし色つやがある
 ・らうらうじ=“労々じ”で経験からくる巧みを言うが、ここでは利発
(五十一段)
 小舎人童(こどねりわらは) ちい(ひ)さくて、髪いとうるはしきが、筋(すぢ)さはらかに、すこし色なるが、声お(を)かしうて、かしこまりて物などいひたるぞ、らうらうじき。
 小舎人童は、ちいさくて髪がとても立派で、髪の先がさっぱりとしていて少し色つやのある子が良い。そんな子供が綺麗な声で、畏まった態度で話している姿は、利発そうに見える。



枕草子(五十二段)・牛飼は 2015・2・4(木)
  前段の小舎人童(こどねりわらは)に対比させて、牛飼(牛車の御者)の良い姿を言う。大柄で荒くて太い髪、赤ら顔の御者がテキパキと仕事をこなす(かどかどし)姿が素晴らしいと言う。小舎人童のようでは仕事にならないだろう。
(五十二段)
 牛飼(うしかひ)は おほきにて髪(かみ)あららかなるが、顔(かほ)あかみてかどかどしげなる。
 牛飼は、大柄で、髪が太くてバサバサしているのが、赤ら顔で仕事を的確にこなしているのが良い。



枕草子(五十三段)・殿上の名対面こそ 2016・2・9(火)
 「名対面(なだいめん)」とは殿上の間で行われる宿直者の点呼の事。それを聞いている清少納言、女房達の思いや評価を書く。
 ・好きな人の名だと胸が潰れるような思いがするだろう。
 ・便りのない冷淡な恋人の名の時はどんな気がするだろう。
 ・「名乗り方が良い」「悪い」「声が悪い」などと女房達の品定めは面白い。
 後半は粗忽で人々の笑われ者の源方弘(まさひろ)の話。
 方弘(蔵人)が名対面の時のしきたりである「定員不足の事情聴取」を怠り、注意されると責任を転嫁して滝口の侍を処罰すると言い、彼らにも笑われたこと。また、帝の御膳を置く棚に靴を置いて、大騒ぎになった時、気の毒がって周りが「誰のか分からない」と言っているのに「自分の汚い靴だ!」と名乗り出るほどの粗忽者だった。            原文と訳



枕草子(五十四段)・わかくよろしきお(を)とこの 2016・2・20(土)
 若くて身分のある一人前の男が身分の低い女の名を呼ぶ時は、あいまいなのが良いと言う。宮中などで付き合いのある女を呼びだす時は、直接にではなく、間に人を入れるのが適切だと書いている。
 男が女を呼びだす時の清少納言の考え、当時の上流社会での妥当な考えなんだろう。細かい所によく彼女は気がつく。
(五十四段)
  わかくよろしきお(を)とこの、下衆(げす)女の名(な)、よび馴(なれ)ていひたるこそにくけれ。知(し)りながらも、なにとかや、片文字(かたもじ)はおぼえていふはお(を)かし。
 みやづかへ所の局(つぼね)によりて、夜(よる)などぞあしかるべけれど、主殿司(とのもづかさ)、さらぬたゞ所などは、侍(さぶらひ)などにある物を具(ぐ)してきてもよばせよかし。てづから、こゑもしるきに。はした物(もの)わらはべなどは、されどよし。

 若くて人なみの身分の男が、卑しい召使い女の名前を、呼びなれているように呼んだのは、とても不愉快だ。名前を知っていても、何と言っただろうかという感じで、名前の半分は忘れたふうに呼ぶのは気がきいている。
 女を呼びだそうと奉公先の局(部屋)に寄った時、夜などは曖昧な名前の呼び方では困るだろうが、そんな時は、宮中では主殿司を、そうではない普通の家では侍所などにいる人を連れてきて呼ばせれば良い。自分で呼べば、声で誰か分かってしまうから。はした者や童女などは、名前をはっきり呼んでも良いが。



枕草子(五十五段)・わかき人 2016・3・4(金)
 若い女性や子供はふっくらしているのが良い、身分のある年配の男は肥えている方が良いと言う。五十段の「雑色・随身は少し痩せて、ほっそりとしているのが良い。男は、若いうちは、そういった感じの細身が良い。とても太っている男は、眠たそうに見えていけない」に対応している。
 容姿の見方はいろいろあるだろうが、概ね納得。
(五十五段)
 わかき人、ちごどもなどは、肥(こ)えたるよし。受領(ずりやう)など、おとなだちぬるも、ふくらかなるぞよき。
 若い女性や子供などは、太っているのが良い。受領をしているような年配の大人たちも、でっぷりいるほうが良い。



枕草子(五十六段)・ちごは 2016・3・12(土)
 身なりの良い小さな子どもが小弓や棒切れで遊んでいるのはとても可愛らしい。車の中に入れて抱きしめたいと思うし、その子から薫物(たきもの)の良い香りがするのはさらに良く、とても風流だと言う。
 現代でも同じ。無邪気な幼児の愛らしい姿に心動かされるものだ。
(五十六段)
 ちごは あやしき弓、笞(しもと)だちたる物など、ささげてあそびたる、いとうつくし。車などとゞめて、いだき入(いれ)て見まほしくこそあれ。又、さて行(い)くに、たき物の香、いみじうかゝへたるこそ、いとをかしけれ。
 幼児は、手製の変な弓や棒切れのようなものを振りかざして遊んでいるのが、とても可愛らしい。車に乗っているときはそこに止めて、子供を中に抱き入れて近くで見ていたいと思う。また、車に抱き入れたいと思った時、薫物の香りがとても強く香ってくるのは、非常に風流だ。



枕草子(五十七段)・よき家 2016・3・24(木)
 立派な家を訪れた檳榔毛(びろうげ)の車とそれにかかわる人達の姿や行いを良いものだと描写する。
 檳榔毛の車とは白く晒 (さら) した檳榔ヤシ科の植物の葉を細かく裂いて車の屋形をおおった牛車で、上皇・親王・大臣以下、四位以上の者、女官・高僧などが乗用した。
 清少納言が描いた当時の情景を気楽に想像して見るとよい。
(五十七段)
 よき家(いへ)、中門あけて、檳榔毛(びろうげ)の車のしろくきよげなるに、蘇枋(すはう)の下簾(したすだれ)、にほひいときよらにて、榻(しぢ)に打(うち)かけたるこそめでたけれ。五位六位などの、下襲(したがさね)のしりはさみて、笏(さく)のいとしろきに、扇(あふぎ)うちおきなどいきちがひ、又、装束(そうぞく)し、壺胡籙(つぼやなぐい)負ひたる随身(ずいじん)の出入(いでいり)したる、いとつきづきし。厨(くりや)女のきよげなるがさし出(いで)て、「何(なに)がし殿の(どのゝ)人やさぶらふ」などいふもお(を)かし。
 立派な家の中門を開けて、檳榔毛の車で白くきれいなのが、蘇枋色をした下簾のあざやかな色合いを見せて、車の轅を置くための榻に立てかけてあるのは素晴らしい。お供の五位、六位などの者が、下襲の裾を帯に挟んで、真っ白な笏の上に扇を置いたりなどして、あちこちに行き違い、また正装をして壺胡籙を背負った随身が出入りしているのは、この立派な屋敷にふさわしい。台所で料理をする小ざっぱりとした女が、顔を出して、「誰々様のお供の方はいらっしゃいますか。」などと聞いているのも、とてもよい。
 「車の轅を置くための台」 ・壺胡籙「矢を背負う細長い筒型のもの」



枕草子(五十八段)・滝は 2016・4・6(水)
 滝について書いている。冒頭の音無の滝と最後の轟の滝が対置しているのが面白い。解説書によるとこの轟の滝の所在はわからないと言う。滝の感じから言えば何処にでもある滝のように思うけど。
 (五十八段)
 滝は 音なしの滝。布留(ふる)の滝(たき)は、法皇の御覧じにおはしけむこそめでたけれ。那智(なち)の滝は熊野にありと聞(き)くが哀(あはれ)なり。とゞろきの滝は、いかにかしがましく、おそろしからん。
 滝は、(紀伊の)音無の滝が良い。(大和の)布留の滝は、法皇がご覧になるために出かけられたことがある素晴らしい滝だ。那智の滝は、霊場熊野にあるときくのでしみじみとした趣きがある。轟の滝は、その名から、どんなにかやかましく、恐ろしい滝なのだろう。



枕草子(五十九段)・河は 2016・4・13(水)
 心動かされる河(川)について述べる。詠まれた歌や川の名から感想を書いている。根拠とした歌を二首書いておく。内容は下記の訳を参照。
 飛鳥川
  世の中は何か常なる飛鳥川 きのふの淵ぞ今日は瀬となる(古今集)
 天の川原
  狩りくらし七夕つ女に宿借らむ天の河原にわれは来にけり
                                (古今集・在原業平)
 (五十九段)
 河は、飛鳥(あすか)川、淵瀬(ふちせ)も定めなく、いかならむとあはれ也。大井河。音無(なし)川。水無瀬川(みなせがは)。
 みゝと川、又も何事を、さくじり聞き(きゝ)けんとお(を)かし。たまほし川。細(ほそ)谷川。五貫(いつぬき)川、沢田(さわだ)川などは、催馬楽(さいばら)などの思はするなるべし。
 名取(とり)川、いかなる名を取(とり)たるならむと聞(き)かまほし。吉野川。天(あま)の川原(かはら)、「たなばたつ女(め)に宿からむ」と、業平がよみたるもをかし。

 河については、飛鳥川が、歌によれば、淵がいつ速い流れの瀬になるか分からないという、一体どのような河なのかと思うとしみじみとした趣がある。大井河。音無川。水無瀬川。
 耳敏川、これもまた何事をほじくり聞き出したのだろうかと思われて、面白い。玉星川や細谷川。、五貫川、沢田川などは、催馬楽などを思い起こさせる。名取川は、いったいどんな評判を立てられたのだろうかと聞いてみたくなる。吉野川。天の川原は、「たなばたつ女に宿借らむ」と、在原業平が詠んだのも面白い。



枕草子(六十段)・暁にかへらむ人は 2016・4・25(月)
 一夫多妻、通い婚の平安時代、朝帰る男の姿を描写する。女の立場から理想的な帰り方とそうでない場合を書いている。
 女に朝起こされ、衣装などは乱れていても名残の言葉を言い、別れている昼の間の気がかりなども語って去っていく姿が素晴らしいと言う。
 高校時代には絶対学ばない段である。その頃受験用に読んだ枕草子を今読みすすめると違った世界が広がってくる。  原文と訳(60段)

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