2015・6~10  (目次へ)

枕草子(二十一段)・おいさきなく 2015・6・19(金)
 清少納言による女性の宮(宮中)仕え礼賛論。
 「えせざいはひ (似非幸ひ・見かけだけの幸)=きまじめに、夫の出世を願い、ただ家庭を守っているだけといった、形だけで中身のない幸福」を求める女性はだめで、(利点のある)宮仕えをすべきだと説く。
 宮仕えする側(清少納言など)からの一方的な主張だが、一理はある。ただ、それが宮中勤めであることは片寄っていて現代には通じない。なかなかなじめない一文である。原文は次を参照



枕草子(二十二段)・すさまじき物 2015・6・27(土)
 「すさまじ」は物が期待通りの姿を取らない時の不快感を言う。清少納言は時節はずれや期待はずれでうんざりさせられるものを列挙する。冒頭で「すさまじき物、ひるほゆる犬」と言う。これは犬は夜ほえるものだから、調和を乱していて不快だとする。わが家の犬・くるみは昼吠えて夜は寝ているので彼女に嫌われそう。
 この段の中心は、今年は確実と予想されたが国司の任官にもれた家の状況をすさまじく、やりきれないものとして描写する。任官に期待して集まり騒ぐ従者達の落選後の手のひらを返したような姿を描いている。
 作者の父清原元輔は国司を歴任しているので、清少納言も選にもれたあとの「すさまじき」状態を経験したようだ。
 この段は長い。ネットの原文へ。 


枕草子(二十三~二十四段)・たゆまるゝ物 人にあなづらるゝ物  2015・7・6(月)
 「たゆまるゝ」とは怠りがちになること、「あなづらるゝ」とは馬鹿にされることを指す。精進は肉食を断ち戒を守り勤行すべき日、月に数日あった。築地のくづれは経済力の無さや直さないだらしなさを指し、それは軽蔑の種だと言っている。以下に原文と訳を記す。
(二十三段)
 「たゆまるゝ物 精進(さうじ)の日のおこなひ。とを(ほ)きいそぎ。寺にひさしくこもりたる。」
 
怠けがちになるもの 精進の日のおつとめ。当日まで十分に時間のある準備。寺に長い間参籠の場合。
(二十四段)
 「人にあなづらるゝ物 築土(ついじ)のくづれ。あまり心よしと人にしられぬる人。」

 人に馬鹿にされるもの 土塀の崩れ。皆の見る所がお人よしということになっている人。


枕草子(二十五段)・にくき物 2015・7・13(月)
  憎らしい物を列挙する。ほとんどが人に関するものだが、憎いものを鋭く見抜き、小気味よくはっきりと言及する。清少納言らしい明るさがあり、それが枕草子の一つの魅力である。
 以下になるほどと思うものを抜粋する。全文はここへ。
 ・急用があるのに長話する客、とくに軽く扱えない人
 ・訪問してきた高齢の高位の女人の不作法な振舞い
 ・れっきとした身分の人が酔ってわめき「もう一杯飲め」と強制する
 ・噂話の大好きな人、聞きかじりの話を得々と受け売りする人
 ・人目を忍んで通ってる男を知っていて吠える犬
 ・苦心して迎えいれて共寝した男がいびきをかく
 ・迎え入れた男が無神経でいろいろ音を立てること
 ・人の話に割り込んでくる出しゃばり
 ・新参の女房が古参の人をさしおいて、新人を教えたり世話を焼く
 ・深い仲になっている男が以前に関係のあった女をしゃべったりほめる
 ・着物の下で跳ねたり、着物を持ち上げようとする蚤
 ・出入り口の戸を閉めない人


枕草子(二十六段)・心ときめきする物 2015・7・19(日)
 “心ときめく”とは胸がわくわくどきどきすること、良いことへの期待を表すことが多いが、不安も表す。
 「待(まつ)人などのある夜・・・音」男の人を待っている夜の物音にはっとする、わくわくする。やっぱり清少納言は明るい性格なので不安よりも喜びを書くのだ。“恋人を待ちわびる=心ときめく”が良いよね。
(二十六段)
「 心ときめきする物  雀(すゞめ)の子がひ。ちごあそばする所のまへわたる。よきたき物たきて、ひとりふしたる。唐鏡(からかゞみ)のすこしくらき見たる。よきお(を)とこの、車とめて案内(あない)しとはせたる。かしらあらひ、化粧(けそう)じて、かうばしうしみたる衣などきたる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、猶いとお(を)かし。待(まつ)人などのある夜、雨の音、風の吹(ふ)きゆるがすも、ふとおどろかる。」

心のどきどきする物  雀の子を飼う。赤ん坊を遊ばせている所の前を通る。高級な薫物(たきもの)を焚いて、一人で横になっている時。中国製の鏡の少し暗いのを覗き込んだ時。身分の高そうな男が、家の前に車を止めて、使いの者に何か聞いた時。髪を洗い化粧して、良い香りが焚き染められた着物を着た時。その時には特別に見ている人がいない所でも、心がとても浮き立つ。約束した男を待っている夜、雨の音や風が建物を揺らがすような音も、(男が来たのかと)胸がどきどきするものだ。


枕草子(二十七段)・すぎにしかた恋しき物 2015・7・27(月)
 “過ぎて行った時の事が恋しく思われるもの”を身の回りから取り上げる。非常に心を動かされた人からの手紙を探しだした時などをあげる。
 素空にとって恋しきものは過ぎ去った時そのもの、清少納言のような繊細には浮かばない。
(二十七段)
「すぎにしかた恋しきもの  かれたる葵(あふひ)。雛(ひいな)あそびの調度(てうど)。二藍(ふたあゐ)葡萄染(ゑびぞめ)などのさいでの、を(お)しへされて草子(そうし)の中などにありける、見つけたる。又、折から哀(あはれ)なりし人の文(ふみ)、雨などふりつれづれなる日さがし出(いで)たる。去年(こぞ)のかはほり。」

過ぎて行った時の事が恋しく思われる物 (加茂の葵祭の時の)枯れ残っている葵の葉。人形(ひな)遊びの道具。二藍(藍と紅の中間色)・えび染め(うすい紫色)などの裂いた端切れを押しつけられて本の間から見つけた時。また、受け取った時、非常に心を動かされた人の手紙を、雨などの降るさびしく退屈な日に、探し出した時。去年使った夏扇。



枕草子(二十八段)・心ゆく物 2015・8・2(日)
 心ゆくとは胸がすっとし、心地よいこと。いろいろ書いているが、程よくしかも的確に話しする来客や法師、禰宜が良いと言う。
 ちょっと面白いのは「調食(てうばみ)」、双六で二つの賽が同じ目を出す(ぞろ目)を争う遊びの事。調(ぞろ目)が多く出る快感を書く。ゲームは昔も今も楽しい。夜起きて飲む水も良いと言う。深酒の目覚めの水は美味しいものだが、清少納言が酒を飲んで書いたとは思えない。
(二十八段)
「心ゆく物  よく書(か)いたる女絵(ゑ)の、ことばお(を)かしうつづけておほかる。物見のかへさに、のりこぼれて、お(を)のこどもいと多く、牛よくやるものの車走らせたる。しろくきよげなる陸奥紙(みちのくにがみ)に、いといとほそう書くべくはあらぬ筆してふみ書(か)きたる。うるはしき糸(いと)のねりたる、あはせぐりたる。調食(てうばみ)に、調(てう)おほくうちいでたる。物よくいふ陰陽師(おんやうじ)して、河原(かはら)にいでて、呪詛(ずそ)のはらへしたる。よる寝(ね)起きてのむ水。
つれづれなる折に、いとあまりむつまじくもあらぬまらうとの来(き)て、世の中の物語この比(ごろ)ある事の、お(を)かしきも、にくきも、あやしきも、これかれにかかりて、おほやけわたくしおぼつかなからず、きゝきよき程に語(かたり)たる、いと心ゆく心ちす。
神寺などにまうでて物申さするに、寺(てら)は法師(ほうし)、社(やしろ)は禰宜(ねぎ)などの、くらからず、さはやかに、思ふほどにもすぎてとゞこほらずきゝよう申(まうし)たる。」
満足するもの  上手く描いている女絵で、気の利いた注釈の言葉が多く付けられているもの。見物の帰りがけに、車から衣裳を出して、車添いの大勢の家来の男たちが従って、牛の取り扱いに慣れた従者が、牛車を速く走らせている様子。真っ白で清らかな陸奥紙に、非常に細い文字で、ほとんど文字が書けないくらいの細筆で手紙を書けた時。綺麗な練糸を、二筋合わせて繰ったもの。てうばみに、調目を多く打ち出した時。よく喋る陰陽師を雇って川原にでて、呪詛のお祓いをしてもらった時。夜に目覚めた時に飲む水。
することもなくて退屈な時に、それほど親しくもないお客さんがやって来て、世の中の雑談をしていく。最近起こった面白い話でも、イライラする話でも、奇妙な話でも、あれこれと話し続けて、宮中の公の話題でも個人的な話題でも、とても情報が豊富であり、こちらが聞きやすいように配慮して話してくれるのは、本当に気持ちが良いものである。
社寺にお参りして、お願い事をお祈りしてもらう時に、寺なら法師、神社なら禰宜といった人たちが、予想していた以上に分かりやすくはっきりと淀みなく、こちらの願意(願っている事柄)を申してくれた時。


枕草子(二十九段)・檳榔毛“びらうげ”は 2015・8・8(土)
 檳榔毛(びろうげ)の車とは檳榔樹の葉を裂いて飾った車で、皇族以下の上流人の正式の乗り物。そうした車は格式ばってゆっくりと走らせるのが似合っている。普通の車は早い方がいい。ゆっくりだと見栄えがしないと言う。その見方が面白い。
 ところで、富士山があっという間に過ぎて行く新幹線、風情も何も無さそうなリニアモーターカー、どんな人にも似合わない。利益追求に忙しい企業と人にはわずかにマッチするかな?
(二十九段)
「檳榔毛(びらうげ)はのどかにやりたる。いそぎたるはわろく見ゆ。
網代(あじろ)ははしらせたる。人の門の前(まへ)などよりわたりたるを、ふと見(み)やるほどもなく過(すぎ)て、ともの人ばかりはしるを、誰(たれ)ならんと思(おも)ふこそお(を)かしけれ。ゆるゆると久(ひさ)しくゆくは、いとわろし。」

檳榔毛の車(上流の正式の車)は、ゆっくりと走らせたほうが重々しく見える。急いで走らせてしまうと、不体裁だ。
(格式ばらない)網代の車(竹や檜で編んだ板で葺いた車)は走らせたほうが良い。家の門の前を通っていった車が、ゆっくり眺める間もなく通り過ぎてしまい、お供の従者たちの姿だけが見える。いったい今の車は誰の車なのかしらと思うのが面白いのだ。そこで時間をかけてゆっくりと通り過ぎるなんていうのは、あまりに風情がない。


枕草子(三十段)・説経の講師は顔よき 2015・8・13(木)
 出だしで、説経(経典の意味を説いて聞かせる)は顔の良い僧の方がいい、醜い僧では集中できないと清少納言らしい書き方で意表を突く。中身は説経聴聞の際の役を退いた蔵人の俗物ぶりを批判し、対照的に身分の高い貴公子の程よい態度を評価して書く。
 ところで蔵人はもと皇室の文書や道具類を管理する役であったが、その後、朝廷の機密文書の保管や詔勅の伝達、宮中の行事・事務のすべてに関係するようになった。
    文と訳はこのページへ
 新聞の経済欄のコラムで“「イケメン」は、生涯所得で2700万円も得をする”(美貌格差ー生れつき不平等の経済学)と紹介されていたが、この40年に日本企業の最高責任者(CEO)にイケメンはほとんどいないとも書いてあった。
(三十段冒頭)
「説経の講師(こうじ)は顔(かほ)よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説(と)くことのたう(ふ)とさも覚ゆれ。ひが目(め)しつればふと忘るゝに、にくげなるは罪や得(う)らむと覚ゆれ。・・・」
説経の講師は美男子なのがよい。講師の顔に見とれて見守っていればこそ、その説き聞かせる仏法のありがたみも分かる。よそ見していると、聞いたことをすぐに忘れてしまうので、顔の悪い講師の説法を聞くのは、説法をちゃんと聞けずに罪を犯してしまうような気分になる。


枕草子(三十一段)・菩提といふ寺に 2015・8・22(土)
 仏道に縁を結ぶ法華八講(法華経八巻を朝夕一巻ずつ講じ、四日間で全巻を講義)で、説法に感動した時に「早く帰っておいで」と言われたが、断りに詠んだ歌(千載集などにある)を得意げに披露する。
  もとめてもかゝる蓮の露ををきて憂世に又はかへる物かは
    “自ら求めても濡れたいありがたい蓮の露(仏縁につながりたい)を
     さしおいて、嫌なことが多い俗世に再び帰るものですか”
(三十一段)
菩提(ぼだい)といふ寺(てら)に、結縁(けちゑん)の八講(かう)せしにまうでたるに、人のもとより「とく帰給(かへりたまひ)ね。いとさうざうし」といひたれば、蓮(はす)のはなびらに、
  もとめてもかゝる蓮(はちす)の露をを(お)きて憂世(うきよ)に又はかへる物かは
とかきてやりつ。誠にいとたう(ふ)とく哀(あはれ)なれば、やがてとまりぬべくおぼゆるに、さうちうが家の人のもどかしさも忘れぬべし。

菩提という寺で結縁の八講が催されたのでお参りしたところが、ある人から「速くお帰りを、あなたがいないととてもつまらない」という手紙がきたので、蓮の葉の裏に、
 自ら求めても濡れたいありがたい蓮の露(仏縁につながりたい)をさしおいて、嫌なことが多い俗世に再び帰るものですか。
と書いて送った。非常に尊い説法で感動したので、そのまま出家したいような気持ちなので、あの家路を忘れた湘中老師(そうちゅうろうし)のように、私の帰りを待っている家人の非難を忘れてしまいそうになった。


枕草子(三十二段)・小白河といふ所は 2015・8・30(日) 
 小一条の大将の邸(小白河殿)で結縁の八講(三十一段参照)があった。庭に立てた車の中から見たり聞いたりしたその時の様子を描写する。
 講座の始まる前の上達部(公卿)の素晴らしい装いや立ち居振舞いを描く一方、後から来て遠くに停めた女車に上達部が使いを出して無視される話を書く。清少納言は暑いし他の仕事があって帰ったりしたが、ずっと4日間、車を立てて静かに聴聞した人は素晴らしいと言う。
 この話は彼女がまだ宮仕えしていない頃の見聞。 原文( 32段)



枕草子(三十三段)・七月ばかり 2015・9・6(日)
 舞台は女房(宮中などに仕えた女官)の局(部屋)、後朝の別れ(男女が一夜をともにした翌朝の別れ)の後の違う男女の風景を描く。
 男が帰った朝、格子をあげていた女房の局の前にやってきた男が立ち寄ってたわいない話をする。日がさらに登って明るくなったので、男は別れてきた女への手紙を書かずにこんな所で道草をしたことを後ろめたく思いながら、自分が訪れていた所も、自分以外の男が寄り道をして声を掛けているのかと想像する。それが面白いと書く。恋愛が自由で男が女のもとへ行くことが習慣だった時代の描写である。 原文と解説へ



枕草子(三十四段)・木の花は 2015・9・11(金)
 春から初夏にかけて咲く木の花を評価する。その基準は詩歌や人事との関連を重視する。そこに彼女の教養の深さが垣間見れる。写真は書かれた花(ネットから転用)、本文・訳は次のHP参照
    
  
      


枕草子(三十五段)・池は 2015・9・23(水)
 をかし(趣がある、興味深い、心が引かれる)と思った池を書く。その基準は詩歌によるところが大きい。(原文へ
 推奨する磐余(いわれ)の池は、大津皇子の辞世の歌で有名。
  
百伝(もも)伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
     (磐余の池に鳴く鴨を見ることも今日まで、
                  もう死ななくてはならないのだ)
 猿沢の池は采女が身投げしたと聞いて、帝がわざわざ行幸したことが素晴らしいと言い、その時の事を柿本人麿の歌から想像する。
  
わぎもこのねくたれ髪を猿沢の池の玉藻とみるぞかなしき
     (愛する人の寝乱れた髪を猿沢の池の
                 美しい藻かと思って見るのが悲しい)
 筆者はもちろん會津八一の歌を思い出す。
  わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり 
               いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら
  解説
 枕草子は気楽に現代語訳だけを読んで楽しめばいい。訳を以下に書く。
 池は勝間田の池。盤余の池が心ひかれる。贄野(にえの)の池は、初瀬(長谷寺)にお参りした時、水鳥がたくさん隙間なく並んでいて、騒がしく一斉に飛び立っていったのが、とても素晴らしい面白かった。
 水無しの池というのは、池なのにどうしてこのような名前を付けたのだろうかと聞いてみると返事は「雨の多い五月など、とにかくいつもより雨が激しく降ろうとする年には、この池には水が全く無くなってしまう。反対に、日照りが続く年には、春の初めに大量の水が湧き出てくる」、「いつも水が全く無かったら、水無しの池という名前をつけても良いが、水が出る季節もあるというのに、一方的に名前を付けてしまったものですね」と言いたくなった。
 猿沢の池は、采女が身投げしたことをお聞きになって、帝が行幸なされたことがある池、その帝のお心がけは非常に素晴らしいものである。「寝くたれ髪を」と、人丸(人麿)が詠んだというその時の光景を思うと、何とも言いようがない。
 御前の池は、どういった由来があってこの名前を付けたのだろうかと、知りたくなる。鏡の池、狭山の池は、あの三稜草(みくり)を詠んだ歌が風情があるので、心ひかれる。
 こいぬまの池。原の池は、「玉藻を刈るな」という歌があるので面白く思う。



枕草子(三十六段)・節は 2015・9・29(火)
 5節句(1、3、5、7、9)は5月5日の節句が一番素晴らしいと言う。菖蒲や蓬(よもぎ)を禁中(宮中)の御殿の軒から下々の小屋まで一面に葺いている様は素晴らしく他の節句には無いと述べる。また、中宮の御所での薬玉の事や菖蒲を使ったいろいろな飾りや手紙に言及し、皆の気持が優雅で華やかであると言う。最後を「夕暮れ、郭公(ほととぎす)が名乗るようにして鳴いて通り過ぎていくのも、この日は全てが素晴らしい事のように感じる」とする。
  (原文と訳へ
 余談だが昔は郭公の声を「テッペンカケタカ」と聞き、今は「特許許可局」とする。実際の声をネットで聞いてみたが「キョ、キョ、キョコキョコ」と聞こえた。



枕草子(三十七段)・花の木ならぬは 2015・10・7(水)
 花の咲かない木(花を賞するのではない)について書く。その数19。桂、五葉松、たそば(かなめもち)、真弓、宿り木、榊、楠、檜、楓、あすなろ、ねずもち、楝(あふち)、山橘、山梨、椎、白樫、ゆずり葉、樫、棕櫚(しゅろ)。(原文と訳へ
 清少納言らしい感性で木々をとらえて書いているが、同時に歌や漢詩を背景にしたところも多いので結構難しい。
 19の中から日頃素空が仏像作りに使う檜についての部分を紹介する。
「檜(ひ)の木、これまた人里近くには生えていない(身近でない)木だが、建築の材料として扱う“三葉四葉の殿造り”という歌(催馬楽)も面白い。また、五月には、“木から滴り落ちるしずくで雨の音を真似する”(唐詩)ということだが、それも殊勝で哀れである」 



枕草子(三十八段)・鳥は 2015・10・13(火)
 20種の鳥をとり上げるが、ほとんどが観察してというよりは詩歌などからの知識による評価だ。主に「うぐいす」と「ほととぎす」について述べる。両方とも素晴らしいが、うぐいすはいつまでも鳴く事(季節感が無い)や夜に鳴かないのは欠点だと言う。それに比べてほととぎすの夜明けの鳴き声は気品があり、6月になるとぱったり鳴かないのが素晴らしいと言う。
 最後に「夜鳴くもの、何もめでたし。ちごどものみぞ、さしもなき」(夜泣きの赤ん坊はいただけない)と上手に締める。      (原文と訳へ



枕草子(三十九段)・あてなるもの 2015・10・17(土)
 “あてなる”とは上品で高貴な美しさを言う。当時の社会と清少納言の感性によるが、姿かたち、色彩、光沢の美しさをあげる。可愛らしい幼子が苺などを食べる様子が“あてなるもの”とは、きわめて女性らしい。
(三十九段)
あてなるもの うす色にしらかさねの汗衫(かざみ)。かりのこ。削(けづ)り氷(ひ)にあまづらいれて あたしき金椀(かなまり)にいれたる。水晶(すいさう)の数珠(ずゝ)。藤(ふじ)の花。梅の花に雪の降りかゝりたる。いみじううつくしきちごの、いちごなどくひたる。

上品なもの(品があるもの) 薄紫色の下着(衵・あこめ)に白がさねの上着(汗衫・かざみ)。かるがもの卵。削った氷に甘いあまづら(甘味料)を入れて、新しい金属のお椀に入れたもの。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪が降りかかっている景色。とても可愛らしい幼い子供が、苺などを食べている姿。



枕草子(四十段)・虫は 2015・10・24(土)
 14種の虫をとり上げ、ユーモアを交えて語る。
 鈴虫(今の松虫)、ひぐらし、蝶、松虫(今の鈴虫)、きりぎりす(今のこおろぎ)、はたをり(今のきりぎりす)、われから(海草につく虫)、ひを虫(かげろう)、蛍、みの虫、ぬかづき虫(米つき虫)、蝿、夏虫、蟻。
 みの虫の話は面白いが分かりにくい。親に捨てられた子供が秋になって「ちちよ、ちちよ」とはかなげに鳴くのが可哀そうだと言うが、みの虫は実際は鳴かない。俳句の秋の季語に「蓑虫鳴く」があるが、これは他の虫の鳴き声と間違えたらしい。
 「ぬかづき虫(米つき虫)も殊勝な虫だ。ちっぽけな虫なのに仏教の修行をしたいと、頭をいつも地面に付けて歩くという礼拝の業をしているとは」などと歩く時に頭を上下する米つき虫を面白く描く。
 蝿は嫌われているが、蟻も憎らしいと言っている。
                    原文と訳へ

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