枕草子(一~二十段)
2015・1~6  (目次へ)

枕草子(一段)・春は曙。 2015・1・4(日)
 枕草子冒頭は季節の良い時を言う。春は曙(空の明るくなり始め)、夏は夜、秋は夕暮れ、冬は早朝が素晴らしいという。
 受験用に読んだけれど、覚えているのはこの一段ぐらい、先ずは読んでみるのも酔狂!
(一段)
 春は曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢(ほたる)飛びちがひたる。雨など降るも、をかし。

 秋は夕暮(ゆうぐれ)。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所(ねどころ)へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁(かり)などのつらねたるが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入(ひい)りはてて、風の音(おと)、蟲の音(ね)など。(いとあはれなり。)

 冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、またさらでも いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の火も、白き灰がちになりぬるはわろし。



枕草子(二段)・比(ころ)は 正月。 2015・1・12(月)
 枕草子は人から人への転写を経て、2種4系統の諸伝本へと複雑に成長し変貌した。だから、いろいろなものがある。素空が参考にするのは「新日本古典文学体系・枕草子」(岩波書店)
 この本の二段では“をかし(趣がある、風情がある)”“あはれ(しみじみとした趣)”を月毎に表すが、実際は正月から4月までである。ただし、古語で2000字余ある。脚注を参考に読むが、もう挫折しそうだ。読み続けている旧約聖書もまん中あたりの「詩篇」で進まなくなっている。
 1月にちなんで、二段から以下を転載する。
(二段)
 「正月。一日は、まいて、空の気色もうらうらとめづらしうかすみこめたるに、世にありとある人は、みなすがたかたち、心ことにつくろひ、君をも我をもいはひなどしたる、さまことに、お(を)かし。」
 (正月一日は、空の景色も珍しいほどにうららかで、一面に霞が出ているのに、世間にいる人たちはみんな、衣装・外見・化粧で特別に美しくして、主君も自分も末永くとお祝いしているのは、いつもと違った様子で面白い)


枕草子(三段)・おなじことなれども、聞耳ことなるもの。 2015・1・21(水)
 字数が少ないのでほっとする。
 饒舌はダメ、言葉少なに的確に話せと言う。枕草子も省略が多く、そこに余韻がある。草子の冒頭「春は曙。」がその一番の例。
 素空は人見知りし無口?だけど、友人の中ではしゃべり過ぎる。言葉少なで心情を伝えることは難しい。
(三段)
 「おなじことなれども、聞耳(きゝみゝ)ことなるもの。法師の言葉(ことば)。お(を)とこの言葉(ことば)。女の言葉(ことば)。下衆(げす)の言葉(ことば)にはかならず文字(もじ)あまりたり。たらぬこそおかしけれ。」
 (同じ意味なのに耳に聞こえる印象が違うもの。法師の言葉。男の言葉。女の言葉。身分のいやしい者の言葉は余分な事が多い。余計な事を言わずに言葉少ながよい


枕草子(四段)・思わん子を法師に 2015・2・4(水)
 世間の目が厳しい法師は気の毒だと言う。宗教者に世の中はそれなりの振る舞いを求めるが、清少納言は寛大だ。
(四段)
 「思はん子を法師になしたらむこそ心ぐるしけれ。ただ木のはしなどのやうに思ひたるこそいといとをしけれ。精進(さうじ)物のいとあしきをうちくひ、いぬるをも。わかきは物もゆかしからむ、女などのある所をも、などか忌(い)みたるやうにさしのぞかずもあらむ。それをもやすからずいふ。まいて験者(げんじや)などはいとくるしげなめり。因(こう)じてうちねぶれば、「ねぶりをのみして」などとがむるも、いと所せく、いかに覚ゆらむ。これ昔のことなめり。今はいとやすげなり。」
 (愛しい子を法師にするのは痛々しいことだ。世間が法師を木切れのように扱っていて気の毒だ。粗末な精進料理を食べることや寝ることにも(悪口を言う)。若い者はどんな物にも関心を持つ、女のいる所を覗く事もあろうがそれも良くないと言う。まして、修行が厳しい修行者は苦しそう。居眠りをすると「居眠りばかりして」ととがめる。修行者は窮屈でつらいだろう。これは昔の事で、今は気楽そうだ)


枕草子(五段)・大進生昌が家に 2015・2・12(木)
 清少納言が仕えた藤原定子(一条天皇中宮)が懐妊して内裏を退出する際、大進・平生昌(たいらのなりまさ)の邸が行啓先に選ばれた(定子の生家である二条邸は焼失していた)。この時の様子を記したのがこの五段である。定子の生家・藤原(道隆)家はすでに没落し、天下は藤原道長の時代になっていた。
 中宮職の3等官(大進)生昌のおかしく不作法な様を「わらい」としてとり上げているが、それを聞く中宮の穏やかで優しい受け取り方も描いている。
 なお、中宮は翌年ここで出産し崩御した。
           (原文へ、ここでは8段となっている



枕草子(六段)・うへにさむらふ御ねこは 2015・2・18(水)
 天皇が寵愛する猫を脅したとして、中宮の食事時、近くに控えていた犬が懲罰されて追放された。それでも戻ってきて、また折檻され息も絶え絶えになっているが、涙を流していた。犬も涙を流すのだと憐れまれ、天皇の勅勘は許される。面白くて可哀想なことだと清少納言は書いている。
 ペット好きには興味深い。特に犬が涙を本当に流すのか?と思って調べると事実だそうだ。ただ、悲しくて泣くのではなく、ゴミが眼に入ったり、病気の時に流すそうだ。
 と言うことなら、上記の犬は折檻された時に鼻の奥の方や喉で炎症を起していたのかもしれない。
 我家のくるみは涙ではなく目やにがよく出る。素空は鼻炎で鼻水と痰が続いている。



枕草子(七段)・正月一日、三月三日は、 2015・3・8(日)
 五節句の情緒を天候で描く。特に重陽の節句(9月9日)の菊と雨の描写が素晴らしい。
 重陽は菊に長寿を祈る日。陽(奇数)が重なる日そして、奇数の中でも一番大きな数字という意味で重陽と言う。奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われているが、素空の日常にはほとんど縁がない。
(七段)
 「正月一日、三月三日は、いとうららかなる。
  五月五日は、曇り暮らしたる。
  七月七日は、曇り暮して、夕方は晴れたる。空に月いとあかく、星の数も 見へたる。
  九月九日は、暁がたより雨すこしふりて、菊の露もこちたく、おほひたる綿なども、いたく濡れ、うつしの香ももてはやされて。つとめてはやみにたれど、猶くもりて、やゝもせばふりおちぬべく見えたるもお(を)かし。」
 (・・・9月9日は明け方から雨が少し降って、菊の露も沢山で、花にかぶした綿などもずいぶん濡れて、綿に移った花の香りも引き立てられて素晴らしい。早朝に雨が止んでも、曇っていてややもすると今にも降りそうに見えるのも面白い)


枕草子(八段)・よろこび奏するこそ 2015・3・23(月)
  位官の昇進した者の内裏での感謝の姿は素晴らしいと言う。美しい着物での立居振る舞いが目の前に浮かんでくる。
 素空は勤めでは“平”が続き、その後自営業になったので昇進には全く縁がない。一度昇進祝いなるものをしてみたかったと思った。
(八段)
 「よろこび奏(そう)するこそお(を)かしけれ。うしろをまかせて、おまえのかたにむかひてたてるを。拝(はい)し舞踏(ぶたう)しさは(わ)ぐよ。」
 
昇進して感謝を表す姿は見事だ。着物の裾を後ろへ長く垂らした姿で天皇の御座の方へ向かって立つ姿は素晴らしい。礼拝をし袖を左右にひるがえし、派手に振舞うのだ)


枕草子(九段)・今の内裏の東をば 2015・4・5(日)
 「定澄僧都(じやうちやうそうづ)に袿(うちぎ)なし、すくせ君(ぎみ)に袙(あこめ)なし」“背の高い定澄僧都が着た袿(長衣)は長衣に見えず、背の低いすくせ君が着た衵(短衣)は短衣には見えない”と言う。
 長衣の袿と短衣の衵とが、長身・短身の人が着た場合、長衣でも短衣でもなくなるとの軽口。それが面白いと言う。背の低い素空が着た半ズボンは長ズボンに近いと言うことかな。
 それにしても清少納言はよく日常の中の出来事を観察している。
 
(九段)
 「今の内裏(だいり)の東(ひむがし)をば北の陣(ぢん)といふ。なしの木の、はるかにたかきを、いく尋(ひろ)あらむ、などいふ。権中将「もとよりうちきりて、定澄僧都(じやうちやうそうづ)のえだあふぎにせばや」との給(たま)ひしを、山階寺(しなでら)の別当(べたう)になりてよろこび申す日、近衛府(づかさ)にてこの君のいで給へるに、たかき屐子(けいし)をさへはきたれば、ゆゝしうたかし。出(いで)ぬる後に「など、そのえだあふぎをばもたせ給はぬ」といへば、「物わすれせぬ」と笑い給(たまふ)。「定澄僧都(じやうちやうそうづ)に袿(うちぎ)なし、すくせ君(ぎみ)に袙(あこめ)なし」といひけむ人こそお(を)かしけれ。」
 
仮の内裏の東門を北の陣と言い、そこの高い梨の木はどれほどの高さかなどと言った。権中将が「下より切って、背の高い定澄僧都の扇にしては」と言う。僧都が山階寺・興福寺の別当になった時、その感謝をする日、近衛府での姿は高下駄を履いていたのでとても高い。「どうして扇をもたなかったのか」と問われ、「忘れた」と笑って答えた。「定澄僧都には袿なし、すくせ君には衵なし」と言った人こそ面白い)


枕草子(十段)・山は 2015・4・14(火)
  18の山を列挙して面白いと言う。ほとんどの山が歌枕(歌にしばしば詠み込まれている名所)で、清少納言の時代の人には関連する和歌がわかっただろう。才女・清少納言は何でもよく知っており、それを文に書きとめる。今で言うなら、走り書きのブログのようだ。走り書きは十九段まで続く。
(十段)
 「山は お(を)ぐら山。かせ山。三笠山。このくれ山。いりたちの山。わすれずの山。すゑの松山。かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ。いつはた山。かへる山。のちせの山。あさくら山、よそに見るぞお(を)かしき。おほひれ山もをかし。臨時(りんじ)の祭の舞(まひ)人などの思ひ出(いで)らるゝなるべし。三輪(わ)の山(やま)お(を)かし。手向山。まちかね山。たまさか山。みみなし山。」

 「かたさり山こそ、いかならむとをかしけれ」、山が、かたさる=片側による、遠慮して身を引くとはどんなだろうと興味が湧いて面白い。
 「おほひれ山もをかし。臨時の祭の舞人などの思ひ出らるゝなるべし」、この山の名(おほひれ)から、「大ひれや、小ひれの山は・・・」(東遊歌)が唱われる祭の姿が浮かぶ。


枕草子(十一段)・市は 2015・5・9(土)
  大和にある面白い市に言及する。特に海石榴(つば)市は長谷寺に参詣する人が集まり、観音に縁があるので特別に心ひかれると言う。
 海石榴市は庶民から皇族や貴族まで集まった所だが、歌垣(求愛のために男女が集まり歌い合ったり踊ったりした)で有名。万葉集の歌に
 
紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ
   “出会った君の名は?教えて。(名を聞くことは求婚)”
 
たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか
   “母が呼ぶ私の名を言いたいけど、知らない人には言えません。
    (名を言うことは求婚を受け入れること)”
(十一段)
 「市(いち)は たつの市。さとの市。つば市。大和(やまと)にあまたある中に、長谷(はせ)寺にまうず(づ)る人のかならずそこにとまるは、観音(くわんおん)の縁(えん)あるにやと、心ことなり。をふさの市。しかまの市。あすかの市。」
 
「市は辰の市、里の市がおもしろい。市が大和国に沢山ある中で、とりわけ海石榴(つば)市は長谷寺の参詣する人が集まり、観音に縁があるので特別に心ひかれる。他には、をふさの市、飾磨(しかま)の市、飛鳥の市が良い」


枕草子(十二段・十三段)・峰は 原は 2015・5・22(金)
 峰と原について書く。
 峰の良いのは摂津(大阪府北西部と兵庫県南東部)のゆづる葉の峰、山城(京都府南東部)が阿弥陀の峰、播磨(兵庫県西南部)の弥高(いやたか)の峰だと言う。原は摂津の瓶(みか)の原、山城の朝(あした)の原、信濃(長野県)の園原が良い。
 上記の峰と原に縁が無いが、園原だけはスキー場が山頂にあるのでなじみ深い。

(十二段)
 「峰は ゆづるはの峰(みね)。阿弥陀(あみだ)の峰。いやたかの峰
。」
(十三段)
 「原(はら)は みかの原。あしたの原。その原。」



枕草子(十四段~十六段)・淵は 海は 陵は 2015・5・28(木)
 枕草子は「をかし」の文学と言われるが、「をかし」の意味は今と違って、①趣がある、興味深い、心が引かれる ②すぐれている、見事だ、すばらしい ①②のどちらかだが、ここは①の意味で使われている。
 十四段~十六段は淵と海と陵について書く。いろいろ書いているが、固有の名はわかりにくい。
 「かしこ淵」はこの淵のどこが「かしこし(恐ろしい、慎むべきである)」なのか?という気持。「ないりその淵」は、な入りそ(入ってはいけない)の淵。その他、わかりにくいところがあるが、原文のみを下記する。
(十四段)
淵(ふち)は かしこ淵(ふち)は、いかなる底の心を見て、さる名を付けんとをかし。ないりその淵。たれにいかなる人のをしへけむ。あを色(いろ)の淵こそ、お(を)かしけれ。蔵(くら)人などの具(ぐ)にしつべくて。かくれの淵。いな淵。」
(十五段)
 「海は 水海(うみ)。よさの海。かはぐちの海(うみ)。いせの海。」
(十六段)
 「陵(みさゝぎ)は うぐひすの陵(みさゝぎ)。かしはばらの陵(みさゝぎ)。あめの陵(みさゝぎ)。」


枕草子(十七段~十九段)・渡は たちは 家は 
2015・6・5(金)
 渡とたち(舘または太刀)と家について書く。
 渡は水上の渡し場を言う。たち(十八段)はわからない。
 多くの解説書(特に高校生用)が十段~十九段を省略している。それはそれほど面白くないからだろうし、試験にも出そうにない。
(十七段)
渡(わたりは しかすがの渡(わたり)。こりずまの渡(わたり)。水はしの渡(わたり)。」
(十八段)
「たちは たまつくり。」
(十九段)
「家(いえ)は 近衛(このゑ)のみかど。二条わたり。一条もよし。
 染殿(そめどめ)のみや。清和院(せかい)。菅原(すがはら)の院。冷泉(れいせい)院。閑(かん)院。朱雀院。小野(おの)の宮。紅梅(こうばい)。県(あがた)の井戸(ゐど)。東三条。小六条。小一条。」



枕草子(二十段)・清涼殿のうしとらのすみの 2015・6・12(金)
  「清涼殿の」で始まる二十段は長文である。清少納言が中宮の和歌についての問いに見事こたえた回想記。清涼殿での天皇、中宮、女房たちの和歌をめぐる美しい情景が描かれる。
 宮中は古今集の和歌を暗誦していることが常識だと言う世界、村上天皇の后、宣耀殿の女御が全て記憶していたという逸話が語られる。
 原文は次を参照(でも読むのはしんどいよ)  

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