狛坂磨崖仏

狛坂磨崖仏1 パトカーの先導で 2012・5・28(月)
 高さ6mの花崗岩に刻まれた磨崖仏は金勝山の山中(滋賀県栗東市荒張地先)にある。ずいぶん前から見たかったもので、26日思い立って出かけた。調べると馬頭観音堂の駐車場に止めて、45分ほど歩けばよいと書いてある。近くにある道の駅・こんぜの里で地図をもらって説明を受けたのに目指す駐車場とは全く正反対の方に出てしまった。
 車を止めて、近くの人に聞いていると駐在さんがやってきて「今から出かけるので、わかりやすいところまで送るから後ろからついてきて」と言う。車一台がやっとの山道をパトカーで先導してもらった。別れ際に「ここを右に行けばいい、三叉路になったところを右に曲がって」と丁寧な説明を受けた。
 道を間違えて幸先が悪いと思ったが、パトカーに先導してもらうという貴重な経験が出来てラッキーだった。ところが目指す三叉路はちっとも現れない。狭い林道をずいぶん走ったのでまた間違ったかと不安になったが、無事到着してほっとした。
 ここから何十年ぶりの山道登山(ハイキングコースだが)が始まった。
         
               

狛坂磨崖仏2 磨崖仏への道 2012・6・1(金)
 スキーのシーズンオフに山登りを考え、まず手始めに丘陵地帯にある石仏や景勝地を求めて歩くことにした。この狛坂磨崖仏は奈良末期から平安初期に作られた新羅的要素のある魅力的な如来三尊像で、ずいぶん以前から行こうと思っていたところだ。
 登山靴など用具を引っ張り出し、食べ物その他をザックに入れて出かけたが、気が付いたら登山靴を積み込むのを忘れた。
 駐在さんが「昨日、雨が降りましたから山道は気を付けてください」と言う。「うっかり、登山靴を忘れたのですが?」当方の運動靴を見て「その靴なら大丈夫でしょう」とOKが出た。ただ、下り坂で一度滑って転んでしまった。
 馬頭観音堂からハイキングコースに入る。道は狭く坂も多いのでいわゆる登山道と言えるが、整備されており案内板もあるので順調に進めた。15分くらいで竜王山の山頂(標高605メートル)にでた。そこから新緑、山つつじ、鶯の声などを楽しみながら磨崖仏へと歩く。所々で現れる下界の景色を眺め、写真も沢山撮りながら、磨崖仏に1時間ほどでたどり着いた。
        


狛坂磨崖仏3 新羅風の造像 2012・6・7(木)
  白洲正子が著書・かくれ里で書いている。「磨崖仏は、聞きしに勝る傑作であった。見あげるほど大きく、美しい味の花崗岩に、三尊仏が彫ってあり、小さな仏像の群れがそれをとりまいている」
 1時間弱の登山コースを歩いて眼の前に現れる磨崖仏は白洲正子でなくても素晴らしいと思う。
 この磨崖仏を知ったのは、故毛利久神戸大教授の著書・仏像東漸である。「Ⅴ 当麻寺弥勒菩薩仏像と新羅様式」で取り上げ、この弥勒菩薩と類似点が多いことから新羅的だと言い、新羅からの渡来人を造像の周辺に想定すると言っている。石仏の案内板にも「渡来系工人によるものと考えられる如来三尊像」と書いてある。ところで、ネット上で阿弥陀(如来)三尊像としている場合があるが、所説を参考にすると阿弥陀仏とは断定できないから如来三尊像と言うのが正しいだろう。
 ちょうど12時になったので、石仏の前の岩の上に陣取り、ゆっくり昼食を取る。頭の中は渡来人たちが山中にこの大きな石仏を彫った当時に飛んでいき、想像は好きなように広がり、石工達の汗する姿が浮かんでくる。そして風雨にさらされ風化していくこの仏像の行く末を心配した。

狛坂磨崖仏4 再訪を思って帰路へ 2012・6・15(金)
 狛坂磨崖仏は金城山(こんぜやま)ハイキングコースの一角である。磨崖仏を見て引き返し、途中で左折し耳岩、天狗岩方面に進み、多くのハイカー、登山家とすれ違った。圧倒的に中高年が多く、颯爽とした10人ほどの女性の後を2,3人の男性がゆっくりと行くグループの姿は、現代社会を表しているようだ。若いグループは頼もしい男性が中心である。
 ここは四方からの登山口があり、また沢山の見る物があるので再訪したいと思う。標高も600mぐらいなのでちょうどいい。
 早めに車に戻り、こんぜの里に寄る。県民の森を遠望し、道の駅で土産を買って帰路へ、夕方の渋滞前に有料道路を走り帰宅した。尻尾を振って喜ぶくるみといつもの時間に散歩ができた。        おわり 
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