個人と社会1 2011・2・13(日)
 社会の禁煙化が進む中で、その有無を言わせぬ風潮に危惧を感じている。タバコを吸わないジャーナリスト・斎藤貴男さんへのインタビュー記事(お上頼みの禁煙は個人の自由を損なう 2009・5・23朝日新聞)から引用する。
ーどうして禁煙一色になったと思いますか。
「ある時期から、国が巧みに運動を取り込んでいったことが一つ。もう一つは、みんな自分で生き方を自由に選ぶことが怖いというか、生き方を規制してほしがっているためのような気がします」
ー・・・飲食店の禁煙化が進んだおかげで、安心して外食を楽しめるようになった人も少なくありません。
「・・・お上が決めたからみんなで従う。お上にお願いして自分たちを規制してもらう。結果的に都合が良ければ満足してしまうようなら、ぼくらはどこまでもお上に頼る存在になってしまわないか。失うものも想像してほしい」  


個人と社会2 2011・2・14(月)
 斎藤貴男は「お上まかせ」では失うものが大きいと言う。
「犯罪や伝染病の予防のように、法律や制度で禁じなければならないことと、個人が主体的にやめることは別です。喫煙の規制は、たばこの苦手な人たちにはいいでしょう。でも、ある領域で国や自治体から規制されることを許してしまえば、次は違う領域に踏み込まれてしまわないとも限りません。たとえば、社会全体の生産性や経済的利益を阻害しかねない思想とか」
 こうしたことは、日本の敗戦前に個人の尊厳が無視されていたことを思い起こしてみればわかりやすい。最近は国や行政がマスコミを取りこみながら行う「規制」が、大手を振ってまかり通っている。そのため、個人の自由な領域がどんどん狭まっている。路上やスキー場のゲレンデで、吸い殻の始末さえすれば喫煙はかまわないと思うが、今は喫煙禁止だらけである。
 「喫煙」を他の言葉に変えてみると怖さがわかる。「服装」「言論」「思想」「共同行動」「自転車の乗り方」「外出(規制)」、括弧の中は何でも構わないが、国家や共同体の指導者達が許容すること以外は徐々に締め付けられていく傾向にある。個人(自ら)を大切に思うなら、そんなことにわざわざこちらから迎合していくことはない。

個人と社会3 2011・2・17(木)
 斎藤貴男は「禁煙一色」の理由の一つをこう述べた(個人と社会1参照)。
「もう一つは、みんな自分で生き方を自由に選ぶことが怖いというか、生き方を規制してほしがっているためのような気がします」
 個人と共同体の関係について、吉本隆明は共同幻想論・規範論の中でこう書いている。
『ニーチェはいかにもニーチェ的な皮肉をこめて「人はみな一つの共同体のなかで生活し、共同体の利便を享受している(おお、なんという利便だろう!われわれは今日これを往々にして過小評価するが)。人は保護され、いたわられて、外部(・・・)の人間すなわち<平和なき者>が曝されている或る種の危害や敵意に心悩まされることもなしに、平和と信頼のうちに住んでいる。ードイツ人は、<悲惨 Elend>(ēlend)という語の原義の何たるかを、よく知っているー。つまり、そうした危惧や敵意を顧慮すればこそ人は自分自身を共同体に抵当に入れ、共同体にたいして義務を負ったのである。」とのべている。』                         
 共同体には小から大まであり、またそれらが同心円でつながれている場合も、そうでない場合もある。似非なものや歪められたものもある。そうした中で個人が自らの尊厳を保ちながら自由に生きてくためには、余程の洞察と決意が必要になる。

個人と社会4 2011・2・20(日)
 「禁煙一色」のその先の恐ろしさを考えているだけだが、昭和10年代の共同体(ここでは日本)の法と倫理、生活がどれほどのものだったか、「少年H」(妹尾河童著)から引用する。
・敵国語(英語など)はダメなので「“カキフライ”が“牡蠣洋天(かきようてん”・・・“サイダー”が“噴出水(ふんしゅつすい)”・・・自動車の“ハンドル”を“運転円把(うんてんえんぱ)”
・小学校(国民学校)の歌「勝ち抜く僕らは少国民~天皇陛下の御為に~死ねと教えた父母の~赤い血潮を受け継いで~心に決死の白だすき~かけて勇んで突撃だ。・・・・
・国家総動員法が成立すると、国民動員体制のための大政翼賛会が発足し、社会は軍部の方針を追認するだけのものになった。「欲しがりません勝つまでは」のもと、全ての自由な行動、発言は封じられ、軍部の上意下達のもと個人の自由はすべて奪われた。
 平和な今では考えられないことだが、これは事実だし、こんな社会では暮らしたくない。

個人と社会5(完) 2011・2・22(火)
 斎藤貴男は言う。 「政府の健康問題の専門家と議論した時『健康を個人の自由にゆだねてもいいのか』と反論されました。一人の肉体も国の管理下にあると言わんばかり。健康の問題は、十分な情報が行き渡っていればあとは各人にゆだねるべきです
 この政府の専門家の思考は「軍部の上意下達」とあまりに似通っているではないか。
 斎藤はこうも言う。「成人全員が喫煙者というのもおかしいけれど、誰も吸わないのもおかしい」 イエスマンばかりの組織とか、誰もが同じ服を着ている世界や、嘘ツキばかりの社会を想像すれば理解できる。
 川上弘美は「七夜物語」のなかで主人公の子供にこう語らせている。「いいところも、へんなところも、まじりあってでこぼこで。そういうものがすてきなんだよ。・・・ものは、徹底的にうつくしいものがいいのだと、さよは思っていた。でも、もしかしたら、違うのかもしれない。いい子の中にいい子じゃない部分があるから、すてきなのかもしれない
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