2015・12・25
星占い1・歌の意味がわからない 太陽を詠む(第2首) おほそらの獅子の宮居にやどる日のゆうをよき日とあをうましけむ 上記の歌は會津八一の歌。本人が没にしたものだが、彼の死後、拾遺の中に取り上げられている。メールでこの歌の意味を問われたが、さっぱりわからない。 八一だから、日本の古代に関係があるだろうと「獅子の宮居」を友人の宮司に聞いたがわからない。 とりあえず、直訳して「(太陽が)大空の獅子の宮(住家)に泊まる(沈む)日の夕方を良い日だとして私をお産みになったのだろう」としたが、全く意味をなさない。 その後、八一が大学卒業後英語教師として赴任した新潟の寒村(板倉村)で星座を観測していたことを思い出した。学生時代に小泉八雲に学んだ詩人キーツ(卒論になっている)などから古典ギリシャへと進み、ギリシャ神話の神々の名がつけられている星座に興味を持ったのは自然だ。 「獅子の宮居」とは西洋占星術の星座(獅子座)の事だったのだ。 八一は板倉村で5年過ごしたが、その時星座の研究に時間を割いている。「田園に灯をとぼして夜な夜な狸が立っている」と言う噂が立ったが、それは提灯を持って星図を読み、星を見ていた八一だった。 当時の親友への手紙で失恋した彼女(渡辺文子)を「(君と)我が恋ふる人とをたとえなば、・・・・、彼女は北天のLyraか」と書いている。 “Lyraは琴座(りらざ)の星” 星占い2・獅子座の人 英語教師をした新潟で星座を研究した八一にはこんな俳句がある。 「日の暮れて獅子座に飛ぶや赤蜻蛉」 「星ならば君は何星夕涼み」(先輩の博士を偲んで) 新潟から戻った早稲田中学教師時代に少しの間だったが「古代希臘学会」(大正5年)から「日本希臘学会」(大正9年)を設立し会長として活動する。その頃に「おれはもともと獅子座の住人なのだが、縁あってこの地球に生れてきた。縁尽きれば、またわしは獅子座に帰ってゆくのだ」と八一は言っている。 星座を研究した八一が獅子座の住人と言うことは、彼は星占い(西洋占星術)にも精通していたと思われる。占星術で獅子座は、7月23日ー 8月22日に生れた人の性格や相性、運命を占うとある。八一は8月1日に生れている。 星占い3・古代ギリシャへの憧れ 少し星占いからそれるが、八一が「日本希臘学会」(大正9年)を設立した翌年、長野の山田温泉で詠んだ「山中高歌10首」の第6、7首を紹介したい。古代ギリシャの神々に精通した歌である。 いにしへ の ヘラス の くに の おほがみ を あふぐ が ごとき くも の まはしら 第6首 (いにしへのヘラスの国の大神を仰ぐがごとき雲の真柱) 「古代ギリシャの偉大なゼウスの神像を仰ぎ見るような雲の柱であることよ」と詠み あをぞら の ひる の うつつ に あらはれて われ に こたへよ いにしへ の かみ 第7首 (青空の昼のうつつに現れて我に答えよ古の神) 「青空が広がるこの現実の世界に姿を現して、憂患の中にある私の呼びかけと問いに古代ギリシャの神よ、答えてください」と叫んだ。 「この時代は、兄のギリシャが奈良の弟をいつも連れそって歩いていた」(植田重雄)が、この後、八一は奈良美術の研究に没頭して行くのである。 話を星占いに戻そう。 星占い4・西洋占星術1 「獅子の宮居」とは獅子座(7月23日ー 8月22日)の事だと言うことにたどり着いたが、事は簡単ではない。若い時から「占い」に関心がなかったので星占いを理解するまでに時間がかかった。わかっているのは8月1日生れの八一は占星術で獅子座(生れ)と言うことだけ。 西洋占星術について国立科学博物館のHPから以下を転載する。 「ある人の誕生日と星座を結びつけ、その人の性格や運勢を占うのが星占い、西洋占星術とよばれるものです。 太陽や月、惑星は星座を作る星(恒星)とことなり、星座の間を動いて行きます。そこで占星術では、生まれたときにこれらの天体が位置する星座の性格が、その人の一生を決めると考えます。特に、私たちの生活にもっとも影響する太陽の位置する星座が、基本的な運勢・性格を決めています。星座の中で太陽の動くみちすじを黄道とよびますが、黄道にそった12の星座を黄道12星座とよんでいます。じっさいの星座には大小があり、太陽が位置する期間もまちまちなので、占星術では星座(Constellation)のかわりに宮(Sign)とよび、1年を12等分して黄道12宮とよびます。 星座(宮)の性格とは、その名前から連想される性格です。たとえば、しし座は勇猛な性格、てんびん座はかたよりなくバランスをとる性格、というように説明されます。・・・・」 星占い5・西洋占星術2 占星術を地球を中心にし、太陽が動くと考えると以下になる。 地球から見て、太陽が一年かけて地球の周りを一周する時に描く天球上の大円を黄道といい、これを一二等分したものが十二宮で、太陽が一カ月ごとにこれらの宮を順に移動すると考えられた。それぞれ星座の名前でもって呼ばれ、それが占星術の十二星座になっている。 誕生時に太陽が十二宮のどの宮(サイン)に位置したかにより、その人物の性格や相性、運命などを占う。 星占い6・八一の歌の意味 太陽を詠む(第2首) おほそらの獅子の宮居にやどる日のゆうをよき日とあをうましけむ 星占いから考えて、意味は 「太陽が獅子宮(獅子座の方向にある7月23日ー 8月22日)にある時の夕方を良い日と定めて私を生んでくれたのであろう」となるだろう。 太陽を詠むの第1首は ひのかみのこがねのむちにおどろきてそらにみだるるあかつきのくも 「夜明けの太陽の輝く陽射しに驚いたように暁の雲が乱れている」と言う意味だと思うが、歌としては2首とも凡作である。 八一の解説ページの読者の質問に、西洋占星術の仕組みを学習しながら上記の結論を出した。 「世の中には知らないことが多い」が感想だが、連れ合いに「獅子座、知っているよ。私が生まれた時だよ」と言われた。 星占い7・吉野秀雄の挽歌(追記) 会津八一の唯一の弟子、歌人・吉野秀雄が以下のように詠んでいる。 挽歌一首 先生別号を獅子宮人と称せるによりて いまよりは天(あめ)の獅子座のかがやきを 大人(うし)のまなこと観つつ励まむ |