道風記念館と会津八一

道風記念館と会津八一1 小野道風 2012・5・7(月)
 愛知県春日井市松河戸町に同市出身と伝わる書道家・小野道風の記念館がある。道風は平安時代中期の能書家で、藤原行成、藤原佐理とともに「三蹟」と言われるが、雨中、しだれ柳に蛙が何度も飛びつき成功する姿をみて、書の上達に励んだという故事で良く知られている。
 このこじんまりした「書道美術館」に初めて訪れたのは、春の特別展「独往の人 會津八一」があり、昨日は講演「會津八一の美学」(新潟市會津八一記念館館長・神林恒道)があったからだ。
 余談だが、蛙と道風を描いている花札を日本の伝統文化として眺めてみると趣がある。賭けごとの道具としての一面からくる悪いイメージを脇に置いて鑑賞すると、花札の絵柄はとても楽しく美しいものである。

道風記念館と会津八一2 オリジナリティ 2012・5・9(水)
 「三蹟」、「書道の神」と言われる小野道風の書風は、楷書、行書、草書など各書体にわたって巧みで、力強く懐の大きい豊潤さを持ち、さらに道風が開拓した独自性を持つ。彼の書は中国東晋時代に書聖と呼ばれた王羲之の書法を基としており「王羲之の再生」と在世中には言われていた。
 王羲之が後世の書人に及ぼした影響は絶大で、日本においても奈良時代から手本とされており、行書の「蘭亭序」が最も有名である。素空らが習った書の手本はこの「蘭亭序」から出ていると言っても過言ではない。
 會津八一は書の独自性を第一にし、模倣を嫌い排したが、実際には蘭亭序など多くの法帖や金石文の拓本を専門家以上に見ている。しかし、模倣ではダメで、達意の字の間に自らの持ち味を出すべきだと言い、書におけるオリジナリティの大切さを説いた。
 記念館2階の展示室兼会議室を満員にした講演「會津八一の美学」で會津八一記念館館長・神林恒道は、少し照れくさそうに最近の「書の三家」は誰だと思いますかと問うた。答は會津八一、高村光太郎、中川一政で、「昭和の三大能筆」と言われるらしい。

道風記念館と会津八一3 古典への思い 2012・5・13(日)
 神林恒道(會津八一記念館館長)は會津八一の古代奈良への酷愛に象徴される古典主義について解説してこう言う。「19世紀以降の文明が分業主義による総体性の喪失により奇形化し醜くなったことに失望し、古代ギリシャや日本の古代の全人間的な表現を評価したことによる」
 28歳の時、八一は親友の伊達俊光への手紙でこう書いている。
「Humanity as a wholeを美とも真とも神ともして、個人に於ける人間性の完全完備を希求するのが、僕が半生の主張である。僕が希臘生活をよろこぶのも、古事記の神代の巻を愛するのも、この故である。僕が19世紀の文明に対してあきたらぬところあるは、僕の見解が氷の如く冷ややかなるが為めではない。分業主義の余弊として、deformityにみちみちたる此の世のあはれなる光景に対する悲憤の熱涙が、往々皮肉家の冷笑と混同されるのである」
 実際、早稲田大学ではギリシャ美術を講義し、その後奈良美術史や東洋美術史を担当する。教え子には分業主義を戒め、「個人に於ける人間性の完全完備」を説いた。
 古代奈良の酷愛や奈良の歌はこうした八一の芸術観を背景にして生まれている。
 注 Humanity as a whole   全体としての人間性
    deformity 形が損なわれていること、奇形

       
                     小野道風記念館

道風記念館と会津八一4 八一の奈良歌 2012・5・18(金)
 神林恒道(會津八一記念館館長)も言っているが、八一の奈良へのかかわりは失恋を背景したセンチメンタル・ジャーニーから始まった。それが「猿沢の池にて」の歌である。
     わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり 
             いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら 
 しかし、八一の古代への憧憬と芸術、学問への探求心が奈良歌を中心にした歌集・鹿鳴集を生み、また高いレベルの奈良に関する学術論文として結実していく。
 八一が初めて奈良を訪れた明治41年は、あの廃仏毀釈による仏教施設の破壊により荒涼としていた。処女歌集・南京新唱はそうした奈良の姿への「ため息」を詠んだ奈良歌であると神林恒道は強調し、「酷愛する奈良への捧げもの」であると言う。
 余談だが、奈良を35回訪れた八一の骨が唐招提寺にもあるということを初めて知った。墓は新潟市・瑞光寺にあり、東京(練馬)・法融寺に分骨されている。

道風記念館と会津八一5(完) 八一と道風 2012・5・24(木)
 友人Nと書道が「蘭亭序」(王義之)に大きく影響されていることなどを話し、書の良し悪しについて語った。オーソドックスな書を信奉する彼は「(八一が言うような)オリジナルな書は良いか悪いかの判断が難しい」と言う。たしかに芸能人などの独特の字などの判定は難しい。
 會津八一は小野道風の書を評価した。厳しく排したのは道風などの字を無批判的にただ真似ること。八一は言う「字の趣味といふものは自分が相当の域に達した時に自ら湧いて流れでるところのものである。謂はばその人の体臭の如きものである・・・」「(だから)王義之の趣味、顔眞卿の趣味、小野道風の趣味といっていくらその人の字を真似てみたところで、生れつき違ふものが何になるか、そんなことは声色の稽古と同じことである」「自分で気がつかないうちに自ら湧き出て来るのが、その人の持味であると私は考へた・・・」そして独自の書のための基礎訓練を経て高いレベルでのオリジナルな八一の書を確立した。
 書の良し悪しは難しいが、それを芸術として見る限りは「美」を中心に据えて鑑賞するのみだと思う。鑑賞眼の良し悪しも問われるが、俗っぽく言えば一軸何十万円もする八一の書は評価されているのだろう。
                  
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