60年安保 2012・1・22(日)
 日米安保条約(軍事同盟)の是非を巡って国論が2分し、巨大な反対闘争が行われた時はまだ子供だった。ただ、国会で死亡した東大生・樺美智子の名前は脳裏に焼き付いている。
  みな貧しく一途(いちず)に激しゆきしかな岸上大作、樺美智子よ
 1月21日中日新聞に載った「追憶の風景」で1943年生まれの福島泰樹はこう詠んでいる。さらに以下が続く。
  みな雨に濡れていたっけ泣いていたフランスデモの若者が行く
 紹介されている岸上大作の歌は
  血と雨にワイシャツ濡れている無縁ひとりへの愛うつくしくする
 この二人、福島も岸上を知らなかったが、70年安保世代の素空には歌が臨場感を持って迫ってくる。1939年生まれの岸上は国学院大学で闘争歌を歌う学生歌人として話題を呼び、福島は早稲田大学で安保闘争、第一次早大闘争にかかわった歌人で、歌謡の復権を目指した「短歌絶叫コンサート」を全国で開催していると言う。
 その時代を体験していないが、映像や文献で知っており、またこのような短歌で散文以上に伝わってくる。
 
岸上大作(きしがみ だいさく、1939年 - 1960年)は兵庫県出身の歌人。母子家庭に育つ。國學院大學文学部に入学し、安保闘争に身を投じて負傷。1960年の秋、安保闘争のデモの渦中に身を投じた経験と恋とをうたった「意思表示」で第3回短歌研究新人賞推薦次席。安保世代の学生歌人として「東の岸上大作、西の清原日出夫」と謳われた。同年12月、失恋を理由として自殺。
 福島泰樹(ふくしま やすき、1943年 - )は東京都出身の歌人で早稲田大学理工学部非常勤講師。台東区下谷の法華宗本門流法昌寺の住職でもある。早稲田大学在学中に早稲田大学短歌会に入会、三枝昂之や伊藤一彦と親交を持つ。また安保闘争をはじめとした学生運動にも関わる。「短歌絶叫コンサート」を全国で開催。立松和平とは長年の親友であり、彼の葬儀の導師を務めた。


70年安保・上 2012・1・24(火)
 安保条約成立(1960年)から10年、自動延長されるこの条約を阻止する運動が70年安保闘争で、同時にベトナム戦争反対運動が行われた。沖縄のアメリカからの返還運動も絡めて盛りあがった運動は、1970年6月23日の安保自動延長決定、1972年5月15日の沖縄復帰で終息する。残ったのは日米同盟と核兵器(米軍)を満載する沖縄が日本の領土に返還されたことである。
 この時代の特徴的なことは、肥大化したが有効な運動を展開できない社会党や共産党などの既成左翼に対抗して反日共系の新左翼各派が台頭したこと、また体制や左翼組織(特に組織一般)に反発して個人の思想や行動の主体的な実践、勝利を目指した全共闘などによる急進的な運動が展開されたことである。日大闘争や東大闘争として現れたこの運動は、1968年5月10日に起こったフランス5月革命などと共に世界的な流れだった。この世代を68年世代と名付ける人もある。
 しかし、全共闘はある意味で無責任な個々のノンセクトラジカルの連合だったので、運動の衰退とともに見事に霧散してしまった。個人(自分)を第一義に考える側面が強いので、社会性に乏しく、大衆運動への指導責任などは無かったと言える。とはいえ、新左翼系を含む左翼も70年を契機に衰退の道を歩むのである。
 ドラスティックに社会が展開したこの時代に東京で暮らした。いろいろ懐かしい。

70年安保・下 2012・1・31(火)
 70年安保世代、あるいは68年世代、さらには作家の堺屋太一が命名した団塊の世代(1947年~1949年)は相重なる部分が多い。安保・学園闘争終了後、大学生を中心にしたこれらの多くは企業戦士に変身し、日本経済を支え、1980年終わりから始まるバブル経済の担い手になっていく。
 ここで問題なのは、終焉した運動への主体的な反省抜きに、多くが転向して行ったことである。とりわけ、 個人の思想や行動の主体的な実践を唱え、個人(自分)を第一義に考える側面が強かった全共闘には、自らが指導した運動や組織に対する責任感はほとんど見られない。70年安保・学園闘争が矮小化され、清算的に語られるのはこんなことも一因であろう。
 ともあれ、今は昔の話ではあるが、当時の一こまを以下の文が良く伝えている。文中の「長谷」はベレー帽議員で有名だった長谷百合子である。
『(1968年10月21日)午後七時前、お茶の水女子大二年生だった長谷は国鉄(現JR)代々木駅から線路に飛び降り、仲間と新宿駅方向に走った。「米軍タンク車輸送阻止」。米軍のジェット燃料を運ぶタンク列車が新宿を通っていた。線路の石をポケットに詰め込む。機動隊とぶつかるが催涙ガスで散らされる。
 新宿駅東口に出ると、駅前広場を埋め尽くす群衆が見えた。三万人はいた。デモ隊とやじ馬が混然となり、西口につながる地下道わきの大看板は音を立てて破れ、そこから群衆が線路内になだれ込む。翌日午前零時十五分、警視庁は十三年ぶりに騒乱罪を適用した。 』
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