イエスのミステリー

イエスの奇跡 2013・4・13(土)
 先日貰った「イエスのミステリー」(バーバラ・スィーリング著)と言う本は歴史上の生身のイエスを明らかにする。それまでの神学者や歴史学者は「奇跡は伝統の成長の結果であり、カリスマ的人物について生じてきた伝説のようなもの」と言ってきた。だがこの本の作者は違う。イエスの奇跡はイエス以前の共同体の諸規定を彼が変化させた記録だと言う。
・水をぶどう酒に変えた奇跡(6つの水がめの水をブドウ酒に変える)
 それまでの共同体への入会儀礼は2段階あり、その第1段階は全ての人が水による洗礼で入れた。ところが第2段階はきわめて少数のものだけしか入れず、それはブドウ酒を受けることによって印付けられた。
 イエスが「水をブドウ酒に変えた」とき、伝統を破ってあらゆる人に共同体への入会を認めたのである。それは、神の前では万人は平等であるという宣言だった。
 幼い時に聞かされたイエスの奇跡は不思議なものだった。全く信じたわけではなかったが、イエスが偉大な人(神)だと自然に思うことになった。

イエスの奇跡2 2013・6・7(金)
 奇跡はイエス以前の共同体の諸規定にイエスがもたらした一連の変化の記録だと「イエスのミステリー」の筆者は言い、「死海文書」の研究から奇跡の内実に迫る。
・たったパン5切れと2匹の魚だけから5000人の群衆を食べさせ、残り屑が12の籠に一杯になった。
 それまでのユダヤ人の仕来たりでは祭司はレビ族に生まれた者(少数)でなければいけなかった。「パン」はレビ族を表しており、普通の人がパンを食べるということは聖務者への道を、多くの人に解放したことになる。
 こうしたイエスの奇跡の真実が隠されたのは理由があったようだ。

 死海文書
 1947年から1956年にかけて死海の北西にある遺跡キルベト・クムラン周辺で発見された972の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。「20世紀最大の考古学的発見」ともいわれる。第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。

イエスの血筋 2013・6・22(土)
 「大工ヨセフの妻マリアが処女妊娠してイエスを馬小屋で生んだ」と聖書に書かれているし、子供の頃そう教わった。この事からイメージするイエスは「(貧しい)大工の妻が、劣悪な環境(馬小屋)で生んた貧しい者の心のわかる人」だった。
しかし、「イエスのミステリー」(バーバラ・スィーリング著)を読むと違う姿が見えてくる。
 イエスの父ヨセフはダビデ(1000年前のエルサレムに都を置いた全イスラエルの王)の系統で名門である。ヨセフの父は「ダビデ」という名前を用いていたダビデの系統のヤコブ=ヘリで、もし神の王国が到来するなら、王の地位につく人だった。イエスはその孫にあたる。
 ヨセフは大工と言われるがそれには理由があった。修道院にいたヨセフが結婚を契機に生活を支えるために一時的に働いた職が大工だった。しかし彼は名門ダビデ(ヤコブ=ヘリ)のプリンスだった。
 イエスの誕生はベツレヘムではなく、そこからは東にあるクムラン台地近くの「女王の家」=「ユダヤのベツレヘム」=「馬小屋」とよばれた建物だったと言う。馬小屋はダビデ家の者たちの戴冠式の行列が始まった場所だったと言う話もある。ともあれ、「馬小屋」は「貧しい場所」と言うわけではなかったようだ。
 終戦後疎開先の田舎の蚕小屋で生まれたらしい素空は、イエスに似ていると思っていたが「イエスのミステリー」を信じれば全く話は違う。

処女降臨の秘密 2013・7・2(火)
 「イエスのミステリー」(バーバラ・スィーリング著)では処女降臨の現実を記述する。新約聖書の4福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)で処女降臨は2つの福音書だけに書かれていると言い、独身主義を最高の生き方とするエッセネ派とイエスがかかわっていたことから、以下を推論する。
 独身主義を掲げ、共同体生活を中心にするエッセネ派だが、その中でも自らの家系を継続させる必要があった重要な階級もあった。ダビデの子孫ヨセフ(キリストの親)のように。
 子を産むためには長い婚約期間と厳格な結婚の条件があった。しかし、男女の営みが禁止されている婚約期間中にマリアはヨセフによって身籠ってしまった。あってはならないことなので、取り繕うために処女妊娠として処理した。そのことは、信者にとってはその時も後にも霊的意味が加わるので歓迎されることでもあった。
 彼女は「一部の人びとにとっては、イエスの懐妊と誕生を普通の人間のレベルに引き下ろすことは困惑させることになるかもしれないが、他の人々にとっては啓蒙的なことでもありうる」と語る。
 啓蒙とは思わないが、とても面白い見解だと思う。

 エッセネ派
 イエス時代のユダヤ教の一分派で、修道院に似た共同生活を行う。試験期間後、厳粛な誓約により初めて加入が許され、共同体のあらゆる規律の遵守を義務づけられた。結婚と財産私有に関し、これを厳格に禁止する祭司的共同体と、一部分これを認容する共同体があったといわれる。

イエスは結婚していた 2013・7・19(金)
 「イエスのミステリー」(バーバラ・スィーリング著)では、マグダラのマリアと結婚していたと言う。
 マグダラのマリアは、新約聖書の福音書に登場するイエスに従った女性である。7つの悪霊をイエスによって追い出してもらった彼女は、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届け、そしてイエスの復活に最初に立ち会う。その復活を弟子(使徒)たちに伝えた聖女である。
 聖書には収録されてないが“フィリポによる福音書”には、 マグダラのマリアはイエスの伴侶と紹介されている。
 「三人の者がいつも主と共に歩んでいた。それは彼の母マリヤと彼女の姉妹と彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネー(マグダラ)であった。なぜなら、彼の姉妹と彼の母と彼の同伴者はそれぞれマリヤ(という名前)だからである」「主はマリヤをすべての弟子たちよりも愛していた。そして彼(主)は彼女の口にしばしば接吻した。・・・」(フィリポによる福音書より)
 バーバラ・スィーリングはこの福音書の記述にも触れるが、本当はイエスが王朝の秩序の規則(結婚と子孫)を満たすためだったと言う。
 本当かどうかは別として、マグダラのマリアは西洋絵画に多く描かれている魅力的な女性である。
 イエスとマグダラのマリアが結婚しており、子供をもうけたという仮説がその他にも存在し、そこから小説「ダ・ヴィンチ・コード」が書かれている。

イエスは「水の上を歩いた」 2013・7・28(日)
 『・・・夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた』(マタイによる福音書)
 有名な湖上を歩くイエスの描写である。ところが、バーバラ・スィーリングは言う。『(ある儀式で)祭司が船に行くために桟橋が作られていて、祭司の優位について冗談を言いたい者にとっては、祭司は「水の上を歩いた」のである。・・・「奇跡」は、イエスが水の上を歩いたことではなく、アンナス(大祭司)に取って替わって完全な祭司のように行動していたことであった』
 前後をもう少し引用しないとわかりにくいが、単純に言えば「水の上を歩いた」は桟橋上を歩いたこととなる。奇跡の一つの解説として紹介しておく。

ラザロの復活 2013・8・14(水) 
  3人姉弟の末弟ラザロが病気になり、2人の姉はイエスに助けを求めた。しかし、イエスはすぐに現れず、結局ラザロは死ぬ。ラザロの死から4日後、イエスはラザロが葬られている洞窟の前で祈りを捧げる。するとラザロは息を吹き返し、墓の中から歩いて出てきた。(ヨハネ福音書第11章より)
 この復活をバーバラ・スィーリングは、教会によるラザロ(シモン・マグス)の破門の話だと言う。
 破門とは、その男を文字通り死んだように扱い、埋葬用の服を着せ、自分の墓の中に数日入れる。その後、精神的に「死んだ」者として共同体から追放することだった。イエスはこの時に釈放の役を果たそうとした。イエスが墓の石を持ち上げ、「ラザロ(シモン)よ、出てきなさいと!」と叫び、ラザロが復活したのである。奇跡の一つの解説として紹介する。

イエスの磔 2013・8・26(月) 
  キリストの磔(はりつけ)は、新約聖書の福音書に書かれている。イエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、ユダヤ人の指導者たちによって、支配者ローマ帝国への反逆者と言う理由で十字架に架けられた。宗教上でこのことは、救い主であるイエス・キリストが人類をその罪から救うために、身代わりになったものとされている。
 しかし、バーバラ・スィーリングは以下のように言う。
 磔の中心はシモン・マグスとユダ(イスラエル12部族の一つ、民族主義運動の一派の2人の領袖)だった。イエスはまん中ではなく西側の十字架に架けられた。この刑は長時間かけてゆっくりと殺す方法で、何日も時には何週間にもわたる残忍な方法だった。そのため、長期の苦しみを避けるため毒を混ぜたブドウ酒を飲ませたりする。
 『十字架上でそのブドウ酒を飲んだイエスは「頭を垂れた。彼は病んでいたうえに、今や毒を盛られて「息を引き取った」のだ』(イエスのミステリー)

イエスの復活 2013・9・9(月) 
  イエスは十字架で「息を引き取った」。しかしそれは括弧付きである。イエスは十字架上では死ななかった。ヘビ毒の入ったブドウ酒を飲んで気を失っただけだった。既に死んだかに見えたイエスは他の2人と共に洞窟に埋葬された。そして仲間によって助け出される。復活したのではなく蘇生したのである。シモン・マグスも生き返るがユダだけは洞窟の窓から崖下に突き落とされ死亡した。
 イエスは聖職者たちの前に現れ、その後、隔離生活のために独身の共同体に戻った。それがイエスの復活(現れ)と昇天(隔離)であるとバーバラ・スィーリングは言う。
 長年、聖書になじんできた者には奇想天外な話である。ただ、信者以外の者にとっては「復活と昇天」も現実離れした話である。

イエスの生涯 2013・9・28(土) 
  紀元30年頃のイエスの磔の後、イエスは復活(現れ)し昇天(隔離)した。そして、隔離生活からまた「復活」し、パウロなどの伝道者たちとギリシア、ローマと西方に向かい布教したと言う。
 「イエス自身の最後の日々については、記録がない。A・D64年には彼は70歳であった。ローマで隔離されたまま老衰で死んだことは大いにありうることである。また、家族が、あの帝国への希望とともに起こった迫害を恐れて、北方へ旅したかもしれない。南フランスには、ヘロデ党の所有地があった。彼らはそこに亡命したかも知れない」バーバラ・スィーリングは最後にこう記している。
 「イエスのミステリー」は難しいが、知らなかったことが多く楽しい本でもある。キリスト教を宗教的に信じること、「イエスのミステリー」が言う歴史上の生身のイエスの姿を信じること、どちらも自由である。
 「イエスのミステリー」の内容を十分に把握したかは分からないが、並行して新約聖書も再読した。さらに、旧約聖書を読み始めたが、何年かかることやら。
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