会津八一 鹿鳴集・春雪(十首)
                      昭和十五年二月
 二日飛報あり叔父の病を牛込薬王寺に問ふ この夜春雪初めていたる(4首)他

 「春雪」に云ふところの叔父とは、即ち會津友次郎老人なり。二月三日午前七時牛込の僑居に没す。歳七十六なり。之に先ちて著者は本集の「後記」を草し、たまたま述べて幼時に受けたる恩恵に及びし時、危篤の報たちまち到る。筆を捨てて之に赴きしも、既に人事に弁せず、少頃して逝けり。感応あるが如し。(鹿鳴集 例言)

 
 昭和15年2月3日午前7時、叔父會津友次郎(会津本家)76歳で没す。その時詠んだ10首である。この叔父は八一の少年時代にその才を認め、文芸への影響を与えた人である。植田重雄は「會津八一の生涯」で以下のように記している。
 “叔父友次郎は市の助役をつとめ、家業よりも文学や学問の好きな人で、いかにも一族の長にふさわしい太っ肚の人であった。白山神社の禰宜(ねぎ)日野資徳から和歌を学び、道人はときどきこの叔父の詠草をもって、神社までつかいにやらされた。「そもそも予が中学に入りし頃より、何とかいと懇(ねんごろ)に文学の方向に導きくれしは、この叔父なれば、今に至りても、深く心に銘記して、感謝し」(鹿鳴集後記)ている一人で、近親者の中で道人に文学的感化を与え、その素質を早くから見抜いた人である。道人はこの叔父に和漢洋の蔵書を手あたり次第に借りては耽読し、とくに、俳書などは叔父の蔵書から、世界をひろめていった”

                                     会津八一の歌 索引
1 二日飛報あり叔父の病を牛込薬王寺に問ふ この夜春雪初めていたる(第1首)
    ふみ よむと もの を し かく と おもほえし
                 ひと おい はてて ここ に こやせる     
歌の解説
2 二日飛報あり叔父の病を牛込薬王寺に問ふ この夜春雪初めていたる(第2首)
    われ わかく ひと に まなびし もろもろ の 
                 かぞへ も つきず その まくらべ に
歌の解説
3 二日飛報あり叔父の病を牛込薬王寺に問ふ この夜春雪初めていたる(第3首)
    よもすがら さもらひ をれど きみ が め の
                 ひとめ も わかぬ われ ならめ や も
歌の解説
4 二日飛報あり叔父の病を牛込薬王寺に問ふ この夜春雪初めていたる(第4首)
    はる さらば やま の しのはら ゆき とけて
                 ただに たつ べき きみ なら なく に
歌の解説
5 六日午後堀の内に送りて荼毘(だび)す(第1首)
    おくり ゆく ひつぎぐるま の のき の は に 
                 きざめる くも の ひかり さぶし も  
歌の解説
6 六日午後堀の内に送りて荼毘(だび)す(第2首)
    ここ にして ひと の かくろふ くろがね の  
                 ひとへ の とびら せむ すべ ぞ なき
歌の解説
7 六日午後堀の内に送りて荼毘(だび)す(第3首)
    はふりど の つち に たまれる こぼれみづ
                 さむけき ひかり おもほえむ かも    
歌の解説
8 その夜家にかへりておもふ(第1首)
    たび にして はふれる たま や ふるさと に
                 こよひ かよはむ そら の ながて を        
歌の解説
9 その夜家にかへりておもふ(第2首)
    みぞれ ふる こし の むらやま さよ ふけて
                 きみ が みたま の こえ がて に せむ       
歌の解説
10 その夜家にかへりておもふ(第3首)
    きみ が ため ふるさとびと の まゐり こむ
               みてら の かど の ゆき は つむ らし
歌の解説
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