植田重雄先生(八一研究家)

植田重雄先生1 2018・8・14(火)   
 会津八一の弟子で研究家であった故植田重雄先生(宗教、哲学)は大学一年の時の担任の教授でドイツ語を習った。ただ、当時はベトナム戦争と70年安保で学内は騒然としており、ドイツ語の授業はそうしたことの討論に費やされることが多かった。素空も熱心に討論に参加し、あるいは自ら率先してクラス討論をしていた。
 その当時、先生がどのような思想と研究をしておられるか全く知らなかったが、憮然とした顔で教室の前にずっと立っておられた姿はよく覚えている。先生にとっては相いれない生徒だっただろうけどある意味、目だったので覚えておられたと思う。


植田重雄先生2 2018・8・18(土)  
 真面目に授業を受けなかったので未だにドイツ語は分からないが、1年の学期末試験の前に大怪我をして何日も入院した。退院した翌日がドイツ語のテストだったが全くわからない。答案用紙の裏に「大怪我をしたのでわかりません」と書き、白紙で提出したら可をくださった。
 思想的には相いれないものがあったのに合格をもらえたことは大きな思い出である。
 授業中はいつも真面目で笑顔を見たことがなかったが、心の広い人だったことは間違いない。

植田重雄先生3 2018・8・22(水)  
 ある出版社に就職試験を受けに行った時、高卒で病弱だったので実家にいたと履歴を提出したら、編集部は無理だと言われた。仕方がないので大学名を言い、植田先生の名前も出した。先生とは1年生の時しか接触はなかったのだが。
 すぐに
電話を調べて植田先生に事情を話し、問い合わせがあったらお願いしますと言ったら快諾してくださった。ドイツ語テストに続く二つ目の恩である。ほとんど接触がなかったのにこの時、恩師と呼ぶことになった。     

植田重雄先生4 2018・8・27(月)  
 先生は短歌同人誌「淵」(1959年創刊)編集発行していた。それを送って下さり、歌作りを進め、さらに郷土誌のようなものを書けと勧められた。どちらも素養がなかったので期待に応えることはできなかった。
 1976年5月に出版された先生の著書「神秘の芸術 リーメンシュナイダーの世界」( 新潮選書)を紹介により購入したが、それも難しかった。

 先生の手紙
 御健勝と存じます。大兄も大分暇が出来たようですし、人生、自己、自然をじっくり見つめ直し、歌を詠むことをすすめます。
 自己が何を見つめるか、何を納得するかがポイントです。日記代わりの二行詩のつもりで詠んでごらんなさい。待っています。 植田重雄
    服部素空大兄


 毬藻(まりも)の歌 2005・6・25(土)のブログより

 植田先生の歌集「六曜星」の巻頭グラビアに右の歌がある。この歌を随分昔に頂いて表装して我家の玄関に飾っている。
 ものいはず 争わず 嘆かず いきづいて
       まりも 瞳線に かたまりにけり 
重雄
 頂いたときは「瞳線」が読めなかった上に歌心が無く、歌意がさっぱり分からなかった。ただただ先生の直筆を敬っていただけだった。
 静かに生きている美しい毬藻をしっかりと目線でとらえ、主体の感動をもって歌い上げる。静謐の中に生を見据えた秀歌なのだ。何十年も経ってやっとその良さを理解できるようになった出来の悪い生徒である。

植田重雄先生5 2018・9・3(月)  
 先生は恒文社から八一の
三部作を出版した。
    ・「秋艸道人会津八一の生涯」(1988年)
    ・「秋艸道人会津八一書簡集」(1991年)
    ・「秋艸道人会津八一の芸術」(1994年)
 「秋艸道人会津八一の生涯」を購入したが、難しかった。しかし、尊敬する先生の著書だと思い時間をかけて読んでいくうちに没頭するようになった。この本が会津八一との出会いである。植田先生の本、会津八一の本、その他の解説書を手に入れてさらに読み込んでいった。
 八一の分骨されている東京練馬の法融寺にお参りし、植田先生宅をお伺いしたこと。関東在住の友人Yと上野公園で先生とご一緒したのは1999年だった。国立博物館を訪れ、伊豆栄でうなぎを御馳走になった。
 「大兄とY君と博物館、伊豆栄と楽しい一日でした。もっとゆっくりすればとも思いました。・・・」と手紙をいただいたが、その時別れを残念がられた先生のことはよく覚えているし、とても嬉しかった。 

植田重雄先生6(完) 2018・9・12(水)  
 SURUMEのペンネームでネット上に会津八一の解説を始めたのは2002年、2014年12月9日に全886首の解説を終えた。ネームは途中で素空に変更した。
 すべては植田先生の導きだったが、ネットでの解説のことは先生には言わなかった。何時かはと思っていたら、2006年にお亡くなりになった。

 上京してお別れ会(日本キリスト教団早稲田教会)に参加した時、八一の解説の件を内緒にしたことを悔やんだ。
 威厳があって近づきにくい面もあったが、手紙やお会いした時のやさしさはとても素晴らしかった。

 植田 重雄(うえだ しげお、1922年ー2006年5月14日)は、日本の宗教学者、早稲田大学名誉教授。 静岡県生まれ。早大文学部卒。1976年、「宗教現象における人格性・非人格性の研究」で文学博士(早大)。早大商学部助教授を経て、教授。1983年に定年退任、名誉教授。 ヨーロッパの宗教民俗学や、キリスト教神秘主義を研究した他、師事した会津八一の著作の編纂・多くの評伝研究を著した。
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