会津八一の歌

       学  規
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 前年、早大文学部講師に就任した秋艸道人・会津八一は1914年(大正3年)に転居した場所を「秋艸堂」と名付け、以下の「秋艸堂学規」を作り、自ら及び教え子達の範とした。(34歳)
  
ふかくこの生を愛すへし

かへりみて己を知るへし

学芸を以て性を養うへし 

日々新面目あるへし

 故植田重雄早大教授は「会津八一の生涯」でこう書いている。
 「この学規には、人間性を重んじ高めようとする道人の理想がうたわれている。人目につく、はなやかなことを言わず、主義をかざさず、理に堕ちず、ゆっくりと種をまき、水をそそいで、自らを養い、また若い子弟を育てようとする無限のあたたかさがある。・・・」

 さらに八一は晩年にこう書いていると紹介している。
 「けつきよくこの学規は、私自身のために私が作って、書いて、そして自分を警しめるだけのものになってしまった。・・・・・・、私はもとから理想とか、主義とか、抱負とかいふようなものがあるのか、ないのか、自分にもはつきりしないが、とにかくそんなことを大ッぴらに口に出していひ立てるのを好かない。そのせいか、私の学規も昔からあるものとはだいぶ様子がちがうやうだ。これくらゐのところを目安にしてかかるなら、長い一生の末までには、いくらか實行が出來るのではあるまいか。」
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