会津八一 山光集・天長節(三首)
昭和十九年四月
山 光 集 「昭和15年6月から昭和19年4月に至る4年間に詠まれた246首。
戦争時代を色濃く反映した作品も含まれる。戦中、戦後の価値観の
転換によりこの集は3度出版され、歌の取捨が行われている」
天 長 節 「天長節3首は八一自身が戦後の山光集改訂版・昭和21年で削除、
全歌集・昭和26年でも採録しなかった。その後の全歌集・昭和57年
で採録されたが、八一死後(昭和31年没、76歳)のことで本人の意思
ではない。したがって、紹介するだけにとどめる」
注
山光集について宮川寅雄は以下のように書く。(昭和46年出版・山光集、解説より)
「・・・醜い、無惨な戦争に、拒絶の術もなく、時にはひきまわされ、時にはさいなまれ、その歌にさえ、それを投影しないではおれなかったのである。
しかし、それは、総体的日本人の歴史的宿命でもあった。そして、會津八一もまた、その思想の質を、それによって冷厳に問はれ、試されたのであった。かれは軍国主義やファシズムには無縁ではあったが、国家の伝統の伝説には弱かった。『山光集』に、それをまざまざと見とることができる。しかし、かれは、その陥穽に対して、微妙に警戒を怠らなかったことも汲み取るべきだろう。
『山光集』には、一部の、戦争の投影を除けば、そこには、平常の、美しい人・會津八一がいる。・・・」 |
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