会津八一 山光集・霜葉(十二首)
                               昭和十八年十一月
  山 光 集  「昭和15年6月から昭和19年4月に至る4年間に詠まれた246首。
         戦争時代を色濃く反映した作品も含まれる。戦中、戦後の価値観の
         転換によりこの集は3度出版され、歌の取捨が行われている」
  霜   葉  「学徒出陣が始まり、次々と教え子が戦場に向かう時、学生を連れて
         最後の奈良旅行(11月11日〜22日)を行った。霜葉12首は17日
         に訪れた聖林寺、室生寺の時のものである。
         その時の様子をこの旅行に参加した植田重雄は“秋艸道人会津八一
         の學藝”で語っている。一部を最下段に引用する
                                        会津八一の歌 索引
1 十七日桜井の聖林寺にいたりつぎに室生寺にいたる(第1首)
    いで たたむ わくご が とも と こえ くれば 
                 かはなみ しろし もみぢ ちり つつ       
歌の解説
2 十七日桜井の聖林寺にいたりつぎに室生寺にいたる(第2首)
    やまがは は しらなみ たてり あす の ごと 
                 いで たつ こら が うた の とよみ に      
歌の解説
3 十七日桜井の聖林寺にいたりつぎに室生寺にいたる(第3首)
    うみ ゆかば みづく かばね と やまがは 
                 の いはほ に たちて うたふ こら は も 
歌の解説
4 十七日桜井の聖林寺にいたりつぎに室生寺にいたる(第4首)
    もみぢば の たにま はるけく わたり きて 
                 こけ まだら なる てら の きざはし 
歌の解説
5 その寺の金堂に入りて(第1首)
    なみ たたす ほとけ ともしみ いくとせ を 
                 つぎて き に けむ やま の たをり に        
歌の解説
6 その寺の金堂に入りて(第2首)
    わたる ひ の ひかり ともしき やまでら の 
                 しづけき ゆか に たつ ほとけ たち
    
歌の解説
7 その寺の金堂に入りて(第3首)
    わくごら は あな うつくし と みほとけ の 
                 みだう の やみ に こゑ はなち つつ  
歌の解説
8 その寺の金堂に入りて(第4首)
    こんだう の くらき を いでて このま なる 
                 くさ の もみぢ に め を はなち をり
歌の解説
9 金堂なる十一面観音音を(第1首)
    しよく とりて むかへば あやし みほとけ の 
                 ただに います と おもほゆる まで 
歌の解説
10 金堂なる十一面観音音を(第2首)
    うらわかく ほとけ いまして むなだま も 
                 ただま ゆらに みち ゆかす ごと
歌の解説
11 この日寺中に泊し夜ふけて同行の学生のために千年の寺史を説く
   これより風邪のきざし著し(第1首)

    この やま に だいし の ゆかり おはさじ と 
                 こと の した より のど はれ に けむ  
歌の解説
12 この日寺中に泊し夜ふけて同行の学生のために千年の寺史を説く
   これより風邪のきざし著し(第2首)

    さけ のむ と ひそかに いでし やまでら の 
                 かど の をばし に かぜ ひき に けむ 
歌の解説



     
     最後の奈良見学旅行3
                 
(秋艸道人会津八一の學藝・植田重雄著)より

 ・・・現在は特別に観音堂を設けて安置しているが、当時は本堂本尊の傍らに置かれていた。扉を閉めたままの暗い本堂にはいると、学生の一人が懐中電灯をつけて見ようとした。すると、
 「懐中電灯など照らしたって、仏像は見えはせんぞ」
 道人が怒鳴った。
 やがて住職が手燭をともして差し出すと、それを受けて道人は、ぐりぐりと抉るように、観音の顔、胸、手などを照らし出して、
 「この観音様の光背は、昔のままではない。はじめどのような光背であったかを想い浮かべなければならない。この仏さんを祀っていたお堂は、はじめどんなお堂であったかも想像しながらよく見るのだ」
 「何度もいうごとく、仏さんを前にしてどうあるべきか、それぞれ自分自身で納得、解決することだ」
 道人がかかげる手燭に照らし出される観音は、全世界をおおうような、やさしく悲しいお顔をしていた。
 ・・・やがて室生寺にたどりつく頃は、激しい川水がひびくのみである・・・夜更けて、たれやらが村にいって買ってきた酒を、渓川のあたりで、會津先生をお呼びして別離の宴にしようといい出した。
 「海ゆかば水漬くかばね、山ゆかば草むすかばね・・・・・・」の歌がどこからともなくひびき、校歌や軍歌もつぎつぎに歌った。・・・

 わくらご は あな うつくし と みほとけ の みどう の やみ に こゑ はなち つつ

 道人は金堂でも手燭を点して、沢山ならぶ仏たちをゆっくり、しずかに見せてくれた。「わくらご」とは、若い学生たちを古風に呼んだ。思わず「美しいなあ」と溜息のような声がこだましたが、わたしもその一人だった。かって大正十一年(1921)八月のさ中、道人ははじめて室生寺を訪ねたときの感動と陶酔を、若い学生たちに味わせたかったのだろう。室生寺は道人が奈良美術の研究を手がける出発点だった。・・・
    2へ   4へ
                   


inserted by FC2 system