会津八一 山光集・西の京(十一首)
                               昭和十八年十一月
  山 光 集  「昭和15年6月から昭和19年4月に至る4年間に詠まれた246首。
         戦争時代を色濃く反映した作品も含まれる。戦中、戦後の価値観の
         転換によりこの集は3度出版され、歌の取捨が行われている」
  西 の 京  「学徒出陣が始まり、次々と教え子が戦場に向かう時、学生を連れて
         最後の奈良旅行(11月11日〜22日)を行った。西の京11首は13日
         に訪れた時のものである。その時の様子をこの旅行に参加した植田
         重雄は“秋艸道人会津八一の學藝”で語っている。一部を最下段に
         引用する
                                        会津八一の歌 索引
1 十三日西の京薬師寺にいたる
    うかび たつ たふ の もごし の しろかべ に 
                 あさ の ひ さして あき はれ に けり       
歌の解説
2 東院堂の聖観音を拜す
    みほとけ の ひかり すがしき むね の へ に 
                 かげ つぶら なる たま の みすまる      
歌の解説
3 仏足堂にて
    いにしへ の うた の いしぶみ おしなでて 
                 かなしき まで に もの の こほしき         
歌の解説
4 同じ日唐招提寺にいたり長老に謁して斎をうく(第1首)
    りつゐん の そう さへ いでて このごろ は 
                 はた つくる とふ その には の へ に
歌の解説
5 同じ日唐招提寺にいたり長老に謁して斎をうく(第2首)
    せうだい の けふ の とき こそ うれしけれ 
                 そう の つくれる いも の あつもの       
歌の解説
6 十四日奈良帝室博物館にいたり富楼那の像を見て(第1首)
    あらは なる その ふところ に もの ありて 
                 わく が ごとく に かたり いづ らし
    
歌の解説
7 十四日奈良帝室博物館にいたり富楼那の像を見て(第2首)
    ならやま の かぜ さむ からし みんなみ の 
                 べんしや が かた に うすき ころもで  
歌の解説
8 阿修羅の像に(第1首)
    ゆくりなき もの の おもひ に かかげたる  
                 うで さへ そら に わすれ たつ らし
歌の解説
9 阿修羅の像に(第2首)
    けふ も また いくたり たちて なげき けむ 
                 あじゆら が まゆ の あさき ひかげ に 
歌の解説
10 その他(第1首)
    ガラスど の たな に ならびて おのも おのも 
                 いりひ かがよふ しやり の おんたふ  
歌の解説
11 その他(第2首)
    より たてば はにわ の うま の たてがみ の 
                 あらき くしめ に こころ は いりぬ 
歌の解説



     
     最後の奈良見学旅行2
                   
(秋艸道人会津八一の學藝・植田重雄著)より

 十二日には法隆寺、法輪寺、中宮寺などを訪ねたが、しかし道人は歌碑のことで県の役人との面談のため、学生だけとなった。翌十三日には、学生たちと薬師寺、唐招提寺、西大寺、喜光寺、秋篠寺などを巡拝した。つぎの歌は、薬師寺の東塔である。

  うかび たつ たふ の もごし の しろかべ に あさ の ひ さして あき はれ に けり   

 東塔は元来三重の塔であるが、各層を補強するために、裳階(もこし)をつけ、六重のように見える。晴れわたった秋の空に裳階の白壁が、朝日に映え鮮やかであるという意である。
 さらに東院堂の聖観音が詠まれている。

  みほとけ の ひかり すがしき むね の へ に かげ つぶらなる たま の みすまる      

 薬師寺の金銅仏は、みな磨き上げられて光沢を発している。とくにこの仏像は若々しい理想の青年像として荘厳、清浄をきわめる。胸にかがやく宝珠に焦点をあてて讃嘆した一首である。
 十四日、平城宮址、海龍王寺、奈良博物館を訪れた。平城宮址の冷たい風に吹かれたためか、極度の緊張と、疲労が重なったせいか、道人は風邪を訴え、翌十五日は日吉館で休養をとり、学生だけで浄瑠璃寺、岩船寺を訪れた。翌十六日は自由行動で、学生たちは好みの寺や神社を訪れ、道人は二日の休養をとり体力が回復し、十七日には元気よく桜井の聖林寺に向かった。       1へ   3へ
                   


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