会津八一 山光集・校庭(十首)
                               昭和十九年四月
  山 光 集  「昭和15年6月から昭和19年4月に至る4年間に詠まれた246首。
         戦争時代を色濃く反映した作品も含まれる。戦中、戦後の価値観の
         転換によりこの集は3度出版され、歌の取捨が行われている」
  校   庭  「学生を連れた最後の奈良旅行(11月11日〜22日)の後、病に倒れ
         たがようやく回復した八一は早稲田の校庭に立って若い日を追憶する。
         八一を庇護してきた市嶋春城が4月21日に没した。学徒出陣で大学
         に学生はほとんどいなくなって、学問の場としての体を成していなかった。
         八一は大学を辞する決心をした。母校への決別の歌である」
                                        会津八一の歌 索引
1 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第1首)
    うらわかく いへ さかり きて ほとほとに 
                 わが よ は ここ に をへむ と する も        
歌の解説
2 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第2首)
    むかし わが あした ゆふべ に よみ つぎし 
                 ふみ なほ ありて しよこ は かなし も      
歌の解説
3 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第3首)
    まなび す と とし の よそぢ を かかげ こし 
                 わが むなぞこ の ほそき ともしび       
歌の解説
4 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第4首)
    むなぞこ に ひそかに たてし ともしび の  
                 あぶら とぼしく おい はて に つつ 
歌の解説
5 四月二十四日早稲田の校庭を踏みつつ(第5首)
    ともに ゐて まなびし とも は ふるさと に 
                 いま か おゆらむ おのも おのもに        
歌の解説
6 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第1首)
    むかしびと こゑ も ほがらに たく うちて 
                 とかしし おもわ みえ きたる かも  
    
歌の解説
7 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第2首)
    たち いでて とやま が はら の しばくさ に 
                 かたりし とも は あり や あらず や  
歌の解説
8 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第3首)
    この かど を いづる すなはち な を なして 
                 いま は きか ざる わかき ひ の とも  
歌の解説
9 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第4首)
    まかり きて わせだ の たゐ に いくとせ を 
                 きく つくらしし おほき ひと は も 
歌の解説
10 四月二十七日ふたたび早稲田の校庭に立ちて(第5首)
    こと たえて おほき すめろぎ あまつひ と 
                 たかしり ましつ わが わかき ひ を 
歌の解説
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