会津八一 山光集・洪濤(五首)
                               昭和十六年十二月
 洪濤5首(昭和16年12月17日朝日新聞)は山光集初版本(昭和19年)に掲載されたが、改訂再版本(昭和21年)と会津八一全歌集(昭和26年)では八一の意思によって完全に削除されている。ただ、著者没後の会津八一全集で復活している。ここでは歌の紹介と簡単な訳を記し、解説は行わない。             (2014・4・12)

山光集    「昭和15年6月から昭和19年4月に至る4年間に詠まれた246首。
        戦争時代を色濃く反映した作品も含まれる。戦中、戦後の価値観の
        転換により3度出版され、歌の取捨が行われている」

注2
 山光集について宮川寅雄は以下のように書く。(昭和46年出版・山光集、解説より)
 「・・・醜い、無惨な戦争に、拒絶の術もなく、時にはひきまわされ、時にはさいなまれ、その歌にさえ、それを投影しないではおれなかったのである。
 しかし、それは、総体的日本人の歴史的宿命でもあった。そして、會津八一もまた、その思想の質を、それによって冷厳に問はれ、試されたのであった。かれは軍国主義やファシズムには無縁ではあったが、国家の伝統の伝説には弱かった。『山光集』に、それをまざまざと見とることができる。しかし、かれは、その陥穽に対して、微妙に警戒を怠らなかったことも汲み取るべきだろう。
 『山光集』には、一部の、戦争の投影を除けば、そこには、平常の、美しい人・會津八一がいる。・・・

                                        会津八一の歌 索引
1 十二月十五日相つぎていれたる海上の捷報をよろこびて(第1首)
    すめらぎ の みこと かしこみ みなわ に ぞ 
                 あだ の くろふね かくろひ に ける

   天皇の御言葉を畏れて、水泡の中に敵の軍艦は沈んでしまった。   
2 十二月十五日相つぎていれたる海上の捷報をよろこびて(第2首)
    ますらを や ひとたび たてば イギリス の 
                 しこ の くろふね みづき はてつ も 

   さすが我が勇士たちだ。ひとたび立ちあがって闘えば、イギリスの軍艦は
  海に沈んでしまった。

3 十二月十五日相つぎていれたる海上の捷報をよろこびて(第3首)
    あだ まもる あした ゆふべ の ふなばた に  
                 つつ とり まちし ますらを の とも

   敵の攻撃に備えて、朝に夕に艦上で火砲について待ちかまえている勇士
  たちよ。
      
4 十二月十五日相つぎていれたる海上の捷報をよろこびて(第4首)
    いかづち の なぐや たばさみ ひさかたの 
                 あまがけり ゆく ますらを の とも

   爆弾を飛行機につけて、空を飛んでいく勇士たちよ。 
5 十二月十五日相つぎていれたる海上の捷報をよろこびて(第5首)
    わたつみ の そこ つ たまも に かづき ゐて 
                 あだ を うかがふ ますらを の とも

   海底の藻の中にもぐっていて敵艦を狙う潜水艦の勇士たちよ。 



























inserted by FC2 system