会津八一 山光集・観音院(二首)
昭和十六年十月
山光集
観音院
「昭和15年6月から昭和19年4月に至る4年間に詠まれた246首。戦争時代を色濃く反映した作品も含まれる。戦中、戦後の価値観の転換によりこの集は
3度出版され
、歌の取捨が行われている」
「観音院と八一のかかわりが深くなったのは、この頃の住職・上司海雲が志賀直哉を中心としたサロンを受け継ぐ形で(昭和13年)作った観音院サロンによる。ここには杉本健吉(画家)、会津八一(歌人・早大教授)、入江泰吉(写真家)、須田剋太(洋画家)などが出入りした。上司海雲は八一が昭和18年に病に伏した時(5ヶ月)、2月堂で八一のために病気快癒の祈祷をした。
(山光集・病閨A第
13
、
14
首参照)」
会津八一の歌 索引
1 東大寺観音院にいたり前住稲垣僧正をおもふ
むかし きて かたりし そう の おもかげ の
しろき ふすま を さり がてぬ かも
歌の解説
2 東大寺観音院にいたり前住稲垣僧正をおもふ
てらには の ひる は しづけし みづ みてて
いし に すゑたる みんげい の かめ
歌の解説