会津八一 山光集・大仏讃歌(十首)
                               昭和十八年三月
  山 光 集  「昭和15年6月から昭和19年4月に至る4年間に詠まれた246首。
         戦争時代を色濃く反映した作品も含まれる。戦中、戦後の価値観の
         転換によりこの集は3度出版され、歌の取捨が行われている」
  大仏讃歌 「この年、昭和18年は聖武天皇が大仏建立を発願されてから1200年
         にあたった。日本は戦局が悪化していたため、大仏造営発願の法要は
         東大寺のみで行われた。大鹿卓、三浦寅吉、宮川寅雄を随えた八一
         はこの10首を巻子1巻にし、献納した。これほどの大仏讃歌は他に類を
         見ないが、戦時の影響を受けている点は否めない」
  序      「序と解説,、および自註は最下段参照
                                        会津八一の歌 索引
1 大仏讃歌(第1首)
天平十三年四月聖武天皇諸国に詔して国分寺を建てしめ十五年十月東大寺廬舎那の大像を創めしめたまふその義華厳梵網の所説に拠りたまへるものの如し予しばしば此寺に詣で金容遍満の偉観を瞻仰してうたた昔人の雄図に感動せずんばあらずかつて和歌一首を成せり曰く「おほらかにもろてのゆびをひらかせておほきほとけはあまたらしたり」と今日また来りてその宝前に稽首し退いてさらに十首を詠じ以て前作の意を広めむとす邦家いまや四海に事多し希くは人天斉しく照鑑してこの聖皇の鴻願をして空しからざらしめむことを
      昭和十八年三月十一日   
    ひむがし の やまべ を けづり やま を さへ   
                 しぬぎて たてし これ の おほてら 
歌の解説
2 大仏讃歌(第2首)
    あまたらす おほき ほとけ を きづかむ と    
                 こぞり たち けむ いにしへ の ひと 
歌の解説
3 大仏讃歌(第3首)
    みほとけ の うてな の はす の かがよひ に     
                 うかぶ 三千だいせんせかい  
歌の解説
4 大仏讃歌(第4首)
    いちいち の しやか ぞ いませる 千えふ の   
                 はちす の うへ に たかしらす かも  
歌の解説
5 大仏讃歌(第5首)
    あめつち を しらす みほとけ とこしへ に   
                 さかえむ くに と しきませる かも   
歌の解説
6 大仏讃歌(第6首)
    くに の むた てら は さかえむ てら の むた  
                 くに さかえむ と のらせ けむ かも   
歌の解説
7 大仏讃歌(第7首)
    いくとせ の ひと の ちから を ささげ こし 
                 おほき ほとけ は あふぐ べき かな   
歌の解説
8 大仏讃歌(第8首)
   うちあふぐ のき の くまわ の さしひぢき 
                 まそほ はだらに はるび さしたり   
歌の解説
9 大仏讃歌(第9首)
   あまぎらす みてら の いらか あさ に け に 
                 をちかたびと の かすみ と や みむ  
歌の解説
10 大仏讃歌(第10首)
   そそり たつ いらか の しび の あまつひ に   
                 かがやく なべに くに は さかえむ
歌の解説
                    
山光集・大仏讃歌  序と解説











解 説











自 註

天平十三年四月聖武天皇諸国に詔(みことのり)して国分寺を建てしめ十五年十月東大寺廬舎那(るしゃな)の大像を創(はじ)めしめたまふその義華厳梵網(けごんぼんもう)の所説に拠(よ)りたまへるものの如し予しばしば此寺に詣で金容遍満(きんようへんまん)の偉観を瞻仰(せんぎょう)してうたた昔人の雄図(ゆうと)に感動せずんばあらずかつて和歌一首を成せり曰く「おほらかにもろてのゆびをひらかせておほきほとけはあまたらしたり」と今日また来りてその宝前に稽首(けいしゅ)し退いてさらに十首を詠じ以て前作の意を広めむとす邦家いまや四海に事多し希(ねがわ)くは人天斉(ひと)しく照鑑してこの聖皇の鴻願(こうがん)をして空しからざらしめむことを<

天平13年(741年)4月聖武天皇は諸国に詔(みことのり)して国分寺を建てさせ、15年10月東大寺大仏(廬舎那の大像)をお作りになった。その建立の理由は華厳経と梵網経の所説によられたものである。私はしばしば此寺に詣で金容遍満(金色の姿で天地の空間に広く満ち広がっておられる)の堂々とした姿(偉観)を仰ぎ見て(瞻仰・せんぎょう)ますます(うたた)昔の人の雄大な計画(雄図・ゆうと)に感動しないではおられない。かって和歌1首を作った。それは「おほらかにもろてのゆびをひらかせておほきほとけはあまたらしたり」である。今日またやってきてその神仏の御前(宝前)にからだを曲げ、頭を地につけ(稽首し)、退出してさらに10首を詠じ以て前作の意をさらに広めようとした。わが国はいまや天下(四海)に難事が多い。人間と天人(人天)同じように見守って、この優れた天子・聖武天皇の大きな願い(鴻願)を、無益でないようにと願う。

十五年十月・この年大仏造立の始められたるは、実に近江国紫香楽宮にして、後十七年八月にいたりて、始めてその工事が今の東大寺の地に移されたるなり。予がこの序は、東大寺にて記念式典の行わるるに因みて、この寺を中心として叙事を簡単にしたるなり。
昭和十八年三月十一日・この日、予は大仏殿に詣で、正面なる壇の上にて、華厳宗管長清水公俊大僧正の侍立の下に、盧遮那仏に対してこれらの十首を書きたる巻子を朗読し、その巻子をそのまま寺中に献納したり。
                   
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