『寒燈集』 重刊本後記  
 これ昭和十九年六月より二十一年六月にいたる作歌二百十二首を収録し、『鹿鳴』『山光』の両集についで、わが家集の第三部を成すべきものなり。
 時あだかも国難にあたり、詠草の大半は、日記とともに劫火に附し去りたれば、諸友の筆録しおかれしものを借り寄せて底本をつくり、これに加ふるに反覆推敲を以てしたり。
 ことに「閑庭」の一篇は、福田雅之助、大鹿卓の二君、わが初稿を写し取り蔵せられしものありしに、わが家まづ焼け、福田君また焼けたるゆゑに、大鹿本のわづかに災を免れたるによりて、この四十五首をここに収むるを得たるのみ。いかなる鬼神のいませるありて護持したまひけむと、悲しくもまたほほゑまし。
 さきに『山光集』を出したる後、何心なく、この次は『残燈集』にてあるべきかと、つぶやきしことありしに、いつしか知友の誰彼これを伝え聞きて、残燈の語意を不吉なりとし、わが家のきい子、またひそかに不服を唱へしことあり。その後、世上身辺の変易は、遠く諸人に意表に出て、わが生のますます昏晦を極むること、ただに残燈のみにあらざるも、いま少しく改めて『寒燈』を以て名づけたり。もとより余命の須臾なるべきを知らざるにあらざるも、これを以てしばらく故旧の懇志に酬いむとするなり。
 さきに上質の和紙を得て先づ三百部を公行したるも、これのみを以て世上の需要を充しがたきを以て、ここに前版の魯魚を訂し、新に自註六十八項を加へ、一々その製作の年月を記入して書肆をして世に布かしむることとなせり。

       昭和二十二年七月十四日        
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