会津八一 鹿鳴集・印象(九首) 大正十二年九月 かつて唐人の絶句を誦しその意を以て和歌二十余首を作りしことありちか頃古き抽斗(ひきだし)の中よりその旧稿を見出し聊(いささ)か手入などするうちに鶏肋(けいろく)のおもひさへ起りてここにその九首を録して世に問ふこととなせり或はこれを見て翻訳といふべからずとする人あるべしまた創作といふべからずとする人もあるべしこれを思うてしばらく題して「印象」といふされど翻訳にあらず創作にあらざるところ果たして何物ぞこれ予が問わんと欲するところなり 己卯十月 絶句 五言四句のものを五言絶句といひ、七言四句のものを 七言絶句といひ、略して五絶、七絶といふ。 鶏肋 食ふべきところ乏しきも尚ほ棄つるには惜しきもの。 世に問ふ 漢詩の和訳は可能なりや否やにつきて『渾斎随筆』の 中に所見を述べおきたり。この問題に興味ある人々は 一読して作者の意のあるところを批判されむことを望む。 自註鹿鳴集より |
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1 懐瑯琊二釈子 韋応物 白雲埋大壑 陰崖滴夜泉 応居西石室 月照山蒼然 つくよ よし たに を うづむる しらくも の な が いはむろ に つゆ と ながれむ 瑯琊ノ二釈子ヲ懐フ 白雲ハ大壑ヲ埋メ、 陰崖ハ夜泉ヲ滴ラス。 応ニ西ノ石室ニ居ルベシ。 月照ヲシテ山ハ蒼然。 |
歌の解説 |
2 秋夜寄丘員外 韋応物 懐君属秋夜 散歩詠涼天 山空松子落 幽人応未眠 あきやま の つち に こぼるる まつ の み の おと なき よひ を きみ いぬ べし や 秋夜丘員外ニ寄ス 君ヲ懐ウテ秋夜ニ属シ、 散歩シテ涼天ニ詠ズ。 山空シクシテ松子落ツ。 幽人ハ応ニ未ダ眠ラザルベシ。 |
歌の解説 |
3 秋 日 耿湋 返照入閭巷 憂来誰共語 古道少人行 秋風動禾黍 いりひ さす きび の うらは を ひるがへし かぜ こそ わたれ ゆく ひと も なし 秋 日 返照ハ閭巷ニ入リ、 憂ヒ来ツテ誰カ共ニ語ラン。 古道ハ人ノ行ク少シ。 秋風ハ禾黍ヲ動カス。 |
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4 照鏡見白髪 張九齢 宿昔青雲志 蹉跎白髪年 誰知明鏡裏 形影自相憐 あまがける こころ は いづく しらかみ の みだるる すがた われ と あひ みる 鏡ニ照シテ白髪ヲ見ル 宿昔ノ青雲ノ志。 蹉跎タリ、白髪ノ年。 誰カ知ラン、明鏡ノ裏。 形影自ラ相憐ムコトヲ。 |
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5 登鸛雀楼 王之渙 白日依山尽 黄河入海流 欲窮千里目 更上一層楼 うみ に して なほ ながれ ゆく おほかは の かぎり の しらず くるる たかどの 鸛雀楼ニ登ル 白日ハ山ニ依リテ尽キ、 黄河ハ海ニ入リテ流ル。 千里ノ目ヲ窮メント欲シテ、 更ニ一層ノ楼ニ上ル。 |
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6 送霊澈上人 劉長卿 蒼蒼竹林寺 杏杏鐘声晩 荷笠帯斜陽 青山独帰遠 たかむら に かね うつ てら に かへり ゆく きみ が かさ みゆ ゆふかげ の みち 霊澈上人ヲ送ル 蒼蒼タル竹林ノ寺。 杏杏トシテ鐘声晩ル。 笠ヲ荷ウテ斜陽ヲ帯ブ。 青山独リ帰ルコト遠シ。 |
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7 訪隠者不遇 賈島 松下問童子 言師採薬去 只在此山中 雲深不知処 やま ふかく くすり ほる とふ さすたけの きみ が たもと に くも みつ らむ か 隠者ヲ訪ウテ遇ハズ 松下ニ童子ニ問ヘバ、 言ク、師ハ薬ヲ採リテ去レリ。 只ダ此ノ山中ニ在ラン、 雲深クシテ処ヲ知ラズト。 |
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8 幽 情 李収 幽人惜春暮 潭上折芳草 佳期何時還 欲寄千里道 はる たけし きしべ の をぐさ つみ もちて すずろに おもふ わが とほ つ びと 幽 情 幽人春ノ暮ルルヲ惜ミ、 潭ノ上芳草ヲ折ル。 佳期ハ何ノ時カ還ラン、 寄セント欲ス、千里ノ道ニ。 |
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9 山 館 皇甫冉 山館長寂寂 閑雲朝夕来 空庭復何有 落日照青苔 うらやま に くも ゆき かよふ ひろには の こけ の おもて に いりひ さしたり 山 館 山館ハ長ク寂々タリ、 閑雲ハ朝夕ニ来ル。 空庭復タ何カ有ラン、 落日ハ青苔ヲ照セリ。 |
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