会津八一に関するブログ 1
2001~2年

 昨日(2016年5月26日)で「会津八一の歌と解説」で書いたものをすべてこのブログに掲載し終えた。「会津八一の歌と解説」は10数年かかって完成させたものだ。その間、折につけ「素空の部屋(SURUMEの部屋)」で書いてきた会津八一関連の小文を今日から再現していく。

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邪鬼 2001・8・13

 一日一写真にハッピー姫が「鬼のふんばり」を載せてくれた。珍しい写真、ご苦労様。歌人会津八一は仏像に踏みつけられている邪鬼を詠んだ。
  西大寺の四王堂にて (南京新唱より)            解説
    まがつみ は いま の うつつ に ありこせ ど 
            ふみし ほとけ の ゆくへ しらず も

 「踏みつけられていた邪鬼は今もこのように残っているが、踏みつけていた御仏は(焼失して)行方知れず、今はもう見る事が出来ないのだなー」
 SURUME14日奈良の燈火会・万灯篭を見に行ってきます。



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燈花会・万灯籠(奈良) 2001・8・14

 仲間と8人、奈良の同級生・鹿鳴人さんを頼って出かけた。お盆に大仏殿の上部窓が開放され、大仏の顔を遠くから見る事が出来る。いつもと違う幻想的で美しいお顔を初めて見た。沢山の灯篭とろうそくの明かりで浮かび上がる古都の素晴らしさを満喫してきた。再び会津八一から。
  東大寺にて                       解説
    おほらかに もろて の ゆびを ひらかせて
             おほき ほとけ は あまたらし たり
   「ゆっくりと大きく、両手の指をお開きになって、
     大仏様は宇宙空間一ぱいに偏満したお姿であられます」

              (この歌碑は南大門と大仏殿の間にある)

                        会津八一の歌と解説へ


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鬼のふんばり2 2001・8・26

 ハッピー姫が初掲載した写真「鬼のふんばり」の時にどうしても思い出せなかった八一の歌を紹介する。東大寺三月堂は仏像の宝庫、人気のない堂内で仏像に圧倒されながら、悠久の時を感じる贅沢を味わってみてはどうですか。

  三月堂にて 会津八一 (鹿鳴集 観仏三昧)      解説
   びしゃもん の おもき かかと に まろび ふす
          おに の もだえ も ちとせ へ に けむ


    「毘沙門天=多聞天の重い踵に踏み押さえられて転び伏している
     邪鬼の苦しい悶えももう千年の年を経ることになるのだなー」


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十一面観音 2001・12・10

 信心には乏しいのだが、仏像を見るのは好きだ。十一の仏を一体に表現し、衆生に広く救いの手を差し伸べる。奇異に思えるが悠久の流れの中で苦労して仏を人体を通して具現化した仏師たちは素晴らしい。光明皇后を表したといわれる奈良・法華寺の艶やかな観音は会津八一をして、その歌で「赤きくちびる」と言わしめ、お堅い短歌界で賛否の論争になった。
 奈良桜井の聖林寺の観音はただ見入るばかりだ。若い和辻哲郎が圧倒された意味が良くわかる。良いものはやっぱりいい。素晴らしい物を求め、良い仕事をしたいですね。時間に追われて不本意なことはしたくないが難しい。

  法華寺温室懐古(第2首)    解説
   からふろ の ゆげ たち まよふ ゆか の うへ に
                 うみ に あきたる あかき くちびる


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おめでとうございます 2002・1・1

 皆さん、いい新年を迎えましたか?大晦日は親族で楽しく過ごした。紅白を見終わって諏訪神社に初詣。心新たに新年の御挨拶を送ります。ITを使った商店街の発展はここ1番に入る。PCスクールを柱にした情報センター4月設立へ過密スケジュールが続くがギスギスせず、穏やかさも持って進みたい。会津八一の歌から、ほのかなぬくもりを感じて下さい。

    春日野にて(第8首)                 解説
     もりかげ の ふじ の ふるね に よる しか の
                  ねむり しづけき はる の ゆき かな

      「森かげの藤の古根による鹿のねむり静けき春の雪かな」 
                    歌集 鹿鳴集・南京(なんきょう)新唱より


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早春の光と風 2002・2・26

 仏像の話や暖かさから八一の名歌を思い出した。難しい歌ですが、「天地自然の微妙な変化を捉えることによって見事に観音を歌い上げている佳作」とある。
 
  奈良博物館にて(第1首)               解説
   くわんおん の しろき ひたい に ようらく の 
             かげ うごかして かぜ わたる みゆ

         (観音の白き額に瓔珞の影動かして風わたる見ゆ)

 観音像の白い額に頭の宝冠より垂れ下がっている飾りの瓔珞の影がかすかにゆらめく。吹き過ぎる早春の風が見えるようだ。


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はつなつ の (帝国博物館にて 八一) 2002・5・1

 奈良博物館にて(第5首)                     解説
   はつなつ の かぜ と なりぬ と みほとけ は       
              をゆび の うれ に ほの しらす らし

        (初夏の風となりぬとみ仏はを指のうれにほの知らすらし)

 風薫る五月、さわやかな季節の初めに八一の歌を送ります。沢山のいい詩があるがいつも浮かんでくるのはこの和歌。指先でほのかに初夏の風をお感じになっていると詠んで見事に季節を表現している。    


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高畑にて (八一) 2002・5・18

  高畑にて(第1首)                      解説
   たびびと の め に いたき まで みどりなる
             ついぢ の ひま の なばたけ の いろ

           (旅人の目に痛きまで緑なる築地の隙の菜畑のいろ)

 一昨年、新薬師寺を訪れてこの歌の世界を味わった。5月の萌え立つ緑の菜畑を思ってください。忙しい仕事のなかで、こんなひとときが欲しいですね。  


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海竜王寺 2002・5・28

 明治の廃仏毀釈で荒廃したこの寺を嘆いて会津八一は歌を詠んだ。「雨よ激しく降ってくれるな!ただでさえ荒れているこの寺の柱の赤い色が白壁に流れてしまう」 
 今でもそんなムードが漂う閑散とした寺だ。きらびやかな寺とは違う趣がある。友人達と訪れ、本堂に座り込んでゆったりとした時間を過ごした。日曜の奈良の寺でそんな空間と時間はなかなか味わえない。   

   海竜王寺にて(八一)                 解説

      しぐれ の あめ いたく な ふり そ こんだう の
               はしら の まそほ かべ に ながれむ

              (時雨の雨いたくな降りそ金堂の柱のま赭壁に流れむ)

             写真集・奈良を訪ねて(2002・5・26)へ


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法華寺 2002・6・5

 総国分尼寺として光明皇后(聖武天皇皇后)が建立したこの寺を海竜王寺とともに先月訪ねた。仏師が美しい皇后を模して作ったといわれる十一面観音は豊麗で官能的な姿をしている。信仰の対象である仏像を芸術の対象として捉え、その官能的な美しさを「赤き唇」の一語に凝縮した八一の処女作に近い名歌で仏像鑑賞に新しいページを開いた。是非1度訪れて下さい。清楚な良い尼寺です。

   法華寺本尊十一面観音(八一)              解説

     ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に 
                  あひ みる ごとく あかき くちびる
                (藤原の大き后をうつしみに相見るごとく赤き唇)


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東大寺展 2002・6・28

 奈良の鹿鳴人さんからの便り。「東大寺展、金曜は7時までOK。6時に入場したのですが、ゆっくり見ることができ、地元に住む幸せを感じました」

 開 催 日  平成14年 4月20日(土)~7月7日(日) 
          会 場  奈良国立博物館
 休 館 日  月曜日  開館時間  午前9時30分~午後5時、
          金曜日は午後7時まで
 入 館 料  当  日  一般1300円 大学・高校生900円
               中学・小学生600円

 訪れた5月、宝冠と日光・月光像に魅了されたが、博物館の壁に架けられた「伎楽の面」にも心を動かされた。大陸文化と長い歴史を感じながら。


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八木書店 2002・7・3

 東京神田にあり、有名な書や画を展示即売する。植田先生に紹介されて東京の友人Yと会津八一展を見たことがある。それがきっかけで案内が届く。今回は写真入の近代名家自筆短冊特輯。小さな短冊一枚の値段。古書の世界を価格で味わってください。
 萩原朔太郎「猫のような風景である 朔」60万円、会津八一45万、斉藤茂吉40万、岡本かの子38万、北原白秋38万、泉鏡花35万、谷崎潤一郎35万、若山牧水30万、坪内逍遥28万、柳田国男25万、与謝野晶子25万・・・全333、一番安いのは2000円
 バブルのときはもっと高かったんだろうな!古書は好きだが、SU(素空)の手の届くものではない。(展示7・3~31)


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月見草 2002・7・27

 月見草を詠んだ会津八一の歌がある。鹿鳴集・歌集を読みかえした。また「富士には月見草がよく似合ふ」と言う太宰治の言葉はあまりにも有名だ。こちらはネット上で探してみた。趣は違うが肥沃でない土地に咲く月見草の姿に何かを感じたことは共通している。
 
   村荘雑事・第10首                   解説

       あめ はれし きり の したは に ぬれ そぼつ
                  あした の かど の つきみさう かな
 
             (雨霽れし桐の下端に濡れそぼつ明日の門の月見草かな)


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お盆 2002・8・13

 「お盆ですね」とクイズ委員会が掲示板に書いた表題に喜びが溢れているように感じる。祖霊が帰ってくると言われるこの時期は、帰省する人、迎える人が年に一度の交流をする時でもある。
 大学を出たばかりの若き会津八一の爽やかな望郷の歌がある。お盆のことを考えながら読み返してみた。
 
   軽井沢にて(八一)  「鹿鳴集・旅愁より」            解説

      からまつ の はら の そきへ の とおやま の 
                 あをき を みれば ふるさと おもほゆ

           (落葉松の原のそきへの遠山の青きを見れば故郷おもほゆ)


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苦 吟 2002・8・24

 SU(素空)の師、植田先生は 『・・俳句や和歌に情熱を傾けるのはなぜだろうか。短い詩形ながら、それによってこの世の実在に触れる喜びがあるからである。・・・日本でならば実相とか、真実とかいったらよい。・・・感動が高まれば、全精神、全生命を投ずる行為となろう。』と展開し、芭蕉が額を畳にすりつけて苦吟したさまを紹介する。その上で俳壇や歌壇の軽薄な多作をいましめる。
 レベルはまったく違うし、比較は師や芭蕉に叱られるが、軽薄、迅速を是としている「独り言」でも苦しむことがある。


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9月の初めに 2002・9・1

 明治41年、秋の気配を感じる晩夏、機織の音に28歳の青年八一が万感の思いを込めて歌う。廃仏毀釈で荒廃した奈良、望んでいなかった就職先、挫折した恋、歌った風景は素朴だが秋の余情に満ちている。情感豊かな秋を味わいながら過ごしたいと思う9月がスタートした。

 法隆寺にやどりて(八一)  「鹿鳴集・南京新唱より」    解説

   いかるが の さと の をとめ は よもすがら 
             きぬはた おれり あき ちかみ かも
 
            (いかるがの里の乙女は夜もすがら衣機織れり秋近みかも)


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失 恋 2002・9・6

 友人から雑誌のコピーが郵送されてきた。恋の争いに敗れた鹿の歌(八一作)の解説。
  「うらみ わび たち あかし たる さをしか の 
        もゆる まなこ に あき の かぜ ふく
」(さをしか=牡鹿)
 解説は後日上げるつもりだが、この歌は八一自身の心(美人画家への失恋)の投影だと書かれている。ずっとそうは思っていなかったので「なるほど」と妙に感心した。いいものは心を揺さぶるような「失意」のときに創造されるのだ。失恋の山を築いてきたSURUMEに何も無いのはなぜ?
 冗談はさておいて、言葉を一字一句検証し吟味しながら心の中を表現する詩歌を味わっていると「掲示板」の「言葉足らず」が残念だ。投稿者の意図も熱意もわかる過ぎるほどわかる。でも、不用意な表現が意図に反して読み取られる場合がある。熱意を込めて、同時に言葉の吟味を!その上で熱い論争をしましょう。      歌の解説


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中秋の名月 2002・9・21

 「名月や池をめぐりて夜もすがら」(芭蕉)
 
 萩とすすきをささやかに飾ったけれど、残念ながら朧月になった。奈良・猿沢の池では采女(うねめ)祭・管弦船の儀が今日行われた。友人「鹿鳴人」は19日から管弦船に乗っている。
 采女(うねめ)祭とは天皇の寵愛を失った采女が猿沢の池に入水した故事による。池には会津八一の歌碑が近年建てられた。

  猿沢の池にて(南京新唱・第11首)             解説

   わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり 
              いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら



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自註鹿鳴集 2002・10・1

 唐招提寺では9月21日「観月讃仏(さんぶつ)会」に2千人の人が集まったという。遠い昔、会津八一はただ1人境内にいて深い思いに耽っていた。
 秋10月の初めにふさわしい歌をどうぞ。

 唐招提寺にて(八一)  「鹿鳴集・南京新唱より」    解説

   おほてら の まろき はしら の つきかげ を 
         つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ


 自註鹿鳴集でこう言う「奈良を訪れるものは・・宗教的また芸術的雰囲気の中に、日本文化史の体系とその色調とを悟得することを得べし」
 この書の解説者・植田重雄はこの歌を絶賛している。


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百済観音 2002・11・11

 終戦の年・昭和20年秋、亀井勝一郎は「大和古寺風物誌」で戦火から逃れた古都奈良の安易な観光地としての再生を危惧している。廃墟と化した日本の聖地として再生し、生き生きとした古都にしたいと書く。信仰の良し悪しは別にして、仏像は信仰と切り離して見ることは出来ない。実際、彼は素朴な信仰心と対立する近代の知性との間で葛藤する。
 彼が虜になった百済観音は多くの人を魅了してやまない。法隆寺はこの仏のために平成10年、百済観音堂を建立した。産品まつりが終わったので、しばらく観音に漂ってみたい。

  奈良博物館にて(第3首)             解説
   
    ほほゑみて うつつごころ に ありたたす 
           くだらぼとけ に しく もの ぞ なき   



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うつつごころ 2002・11・12

 うつつは現実だから、うつつ心は正気で覚めた状態をいう。ところが近世以降「うつつとも夢ともなき心地」として「夢見心」として使われている。会津八一は百済観音が「うつつごころ」で立っておられると表現し、それは「有無の間に縹渺(ひょうびょう・広々として果てしない)」としているという。しかも仏と己の心とのゆきかいをこの言葉に込める。
 たった一つの素晴らしいものに溺れる。だけど、人は「近代の知性」なるものがなまじ植えつけられたので逡巡する。素直な気持ちでこの観音を「うっとり」と見てみたい。


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法輪寺 2002・11・14
 
 病弱の叔母の見舞いの帰りに法隆寺を訪れた。もちろん、百済観音堂でゆったりとした時を楽しんだ。
 法隆寺から北2キロ、八一の石碑のある法輪寺(山背大兄王の建立)にも足を伸ばした。こぢんまりした寺内講堂中央の十一面観音(4m)は圧巻である。会津八一はこの仏を詠んだ。


  奈良博物館にて(第1首)                 解説

   くわんのん の しろき ひたひ に やうらく の
             かげ うごかして かぜ わたる みゆ



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紅葉狩り 2002・11・19

 奈良の談山神社に出かけた。すばらしい紅葉を満喫してきたが、ピークなので沢山の人で駐車場に入るのに随分時間がかかった。

 十九日室生にいたらむとて先づ桜井の聖林寺に十一面観音の端厳を拝す
 旧知の老僧老いてなほ在り                 解説   

  さく はな の とわ に にほへる みほとけ を 
               まもりて ひと の おい に けらし も
 

 聖林寺にて                        解説

   あめ そそぐ やま の みてら に ゆくりなく 
               あひ たてまつる やましな の みこ  


 会津八一が詠った聖林寺の十一面観音にも、もちろんお会いしてきた。やっぱりいいものはいい。均整の取れた豊潤な観音はなかなか他には無い。
 明治の廃仏毀釈のことなど考えながら、三輪山の巨大な大神神社にも参詣してきた。

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