会津八一に関するブログ 8
2013年5~8月

会津八一に関するブログ 353

山鳩・第9首(会津八一) 2013・5・3(金)  解説

 ひとのよ に ひと なき ごとく たかぶれる
       まづしき われ を まもり こし かも
        
  (人の世に人無きがごと高ぶれる貧しき我を守りこしかな)

 破門や面会謝絶は八一の特徴としてよく語られる。秋艸堂を訪れる門下生などへの言葉だが、本当は厳しい指導の裏返しのようなものだった。破門はしばらくすると解かれた。しかし、現実には軋轢が生じないようにいろいろと気配りしたきい子の存在が八一の評判に果たした割合は大きい。


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山鳩・第10首(会津八一) 2013・5・6(月) 解説

 いくたび の わが いたづき を まもり こし
       なれ なかり せば われ あらめ や も 
    
 (いく度のわがいたづきを守りこしなれ無かりせばわれあらめやも)  

 肺炎、肋膜炎、糖尿病など、八一は何度も重い病にかかったが、そのたびにきい子の献身的な看病で立ち直った。きい子自身、病床にあることが多かったにもかかわらず八一の看病に力を注いだ。



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「平城山を越えた女」と「香薬師像」 2013・5・7(火)
 内田康夫原作の「浅見光彦シリーズ47 平城山を越えた女」が、5月10日(金)21時~22時52分フジテレビ系で放送される。ぜひ見て欲しいドラマである。
 古都奈良を舞台にした「香薬師像」(新薬師寺)盗難事件を扱う。会津八一は香薬師を愛して、歌11首を詠んでいる。八一好きで仏像作りをする素空は、行方不明のこの像を早大文学部にあったレプリカを頼りに彫った。
 ドラマ放映は友人・鹿鳴人のブログで知ったのですぐに録画予約した。

 以下、香薬師について素空の八一ページから転載する。

 八一自註
 おもふに、わが「香薬師」は、本来この堂(香山堂)に祀られるを、何故かこの堂は早く荒廃して、この像は「新薬師寺」に移され、その後はその記念のために「香」の一時を仏名の上に留めたるなるべく、寺そのものも、この像あるがために、・・・・「香薬寺」といふ別名を得るに至りしなるべし。

 また別の八一自註では
 「この像はさきに盗難にかかること二回なれども、多少の損傷はともかくも、二回ともにめでたく寺中に戻りたまえり」と書いている。盗んだ犯人はこの銅造の香薬師仏を金で作られていると勘違いしたらしく、確認のため両手首を切り落としたと言う。その時は数日して畑の中から出てきている。

  八一は亀井勝一郎の対談でこんな話をしている。
 『・・・何時も私の行った後で盗まれた。それが三度もあった。私も連累ではないかと怪しまれやしないか。』 会津
 『あの仏像を見ていると盗みたくなりますね。』 亀井
 『そうなんです。盗難にあった後、・・・吉井勇が「香薬師もとの御堂に還れよと秋艸道人歌よみたまえ」などと書いている。私は失くなられる度に因縁が深い。』 会津



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山鳩・第11首(会津八一) 2013・5・9(木)  解説

 いたづき の われ を まもる と かよわ なる
         なが うつせみ を つくしたる らし
    
 (いたづきの我を守るとか弱なる汝がうつせみを尽くしたるらし)

 か弱い人・きい子は守られてもよい存在、そうであるのに度々病魔に襲われた八一を看病し守った。きい子の献身的姿が浮かぶ。



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山鳩・第12首(会津八一) 2013・5・12(日) 解説

 わが ため に ひとよ の ちから つくしたる        
      なが たま の を に なか ざらめ や も 

  (わが為に一世の力尽くしたる汝が玉の緒に泣かざらめやも)

 20歳で新潟から八一の身の回りの世話に入り、34歳で亡くなったきい子の東京での生活はまさしく「ひとよ=一生」だった。涙を禁じえない。



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ドラマ「平城山を越えた女」を見て 2013・5・15(水)

 ドラマは会津八一と奈良が大好きな素空向けである。仏像、寺、風景、八一の歌、全てが素空ワールドと交わる。
 ドラマの展開はそれほどのものでないが、香薬師像と奈良と八一が至る所で扱われるので食い入るように見た。ドラマで流れた和歌は

 あをによし ならやま こえて さかる とも       解説
       ゆめ に し みえ こ わかくさ の やま   
  (あをによし平城山越えて離るとも夢にし見えこ若草の山)

 あまごもる なら の やどり に おそひ きて     解説
       さけ くみ かはす ふるき とも かな   
  (雨ごもる奈良の宿りに襲ひ来て酒酌み交はす古き友かな)

 ところで我が家の香薬師像を連れ合いに見せ、視聴を薦めたが、後で聞くと「主役の俳優が好みでないのでチャンネルを変えた」と言っていた。



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山鳩・第13首(会津八一) 2013・5・17(金)  解説

 ひと みな の はばかる われ に つつま ざる
          なが ことのは の すがし かりし か
     
 (人皆のはばかるわれに包まざる汝が言の葉のすがしかりしか)  

 よく大喝激怒した八一を門下生などまわりは恐れた。そんな彼に直言したのはきい子一人であった。八一を思う真心に感謝するのである。



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篠島(会津八一の歌碑) 2013・5・19(日)

 歌碑を訪ねてノブ君親子と師崎港から船に乗って篠島に降りた。

  尾張篠島をおもひて     解説

   まど ひくき はま の やどり の まくらべ に   
          ひねもす なきし ねこ の こ の こゑ
 
     (窓低き浜の宿りの枕辺にひねもす鳴きし猫の子の声)

 島の観光協会で歌碑のある北山公園への道を聞いて訪ねたが、途中でロープが張ってあって進入禁止になっていた。無視してはいったがこれでは八一がかわいそう。昭和62年建立の歌碑は立派なものだった。
 この歌は大正元年に島を訪れた八一が10年ほど後に詠んだもので、こんなことも書いている。「この島の少年は、馬を見知らず。名古屋に修学旅行して荷馬車を見て、大なる鼠が箱を曳くとて驚きしといふ。素樸愛すべし」
 篠島は漁業が中心、漁船数460、しらすの水揚げ高が3,000トン余で日本一であるが素朴な島である。やっと探した食堂で食べたのはしらす丼、これは美味しかった。
 外周8.2kmの島を1万歩ほど歩いたが、途中のんきに日向ぼっこをする猫がいた。八一が鳴き声を聞いた猫の子の子孫かもしれない。
    
    


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篠島2(会津八一の歌碑) 2013・5・20(月)

 八一がこの島で詠んだ2首目は

  尾張篠島をおもひて(第2首)   解説

   きみ と みし しま の うらわ の むし の ひ の
                  まなこ に ありて ととせ へ に けり
      
    (君と見し島の浦曲の虫の火の眼にありて十年経にけり)

 この歌から10年後に篠島の夜を思い起こして詠んだことがわかる。18日篠島に下りて島の名物の夜光虫を見たかったけれど、残念ながら夜でなければ見れない。
 歌碑を見てから、島を歩いた。短時間だったが島の北端から南端まで往復したので良いハイキングになった。

   



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山鳩・第14首(会津八一) 2013・5・23(木) 解説

 くみ いでて ひと に すすめし ひとつき の
      ちや に さへ こめし なが こころ かも      

   (汲み出でて人に勧めし一杯の茶にさえこめし汝が心かも)

 きい子の亡骸を前にしてかっての日常が次々と思い出される。来客には心をこめて接した優しいきい子だった。



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篠島3(ハイキング) 2013・5・25(土)

 島の北にある八一歌碑(北山公園)から、左回りで南下した。途中の神社仏閣は通過し、ひたすら南にある歌碑公園(万葉の丘)をめざす。
 篠島海水浴場の横を歩きながら、鄙びた島なので観光の特色をノブ君パパと話す。「夏は海水浴、冬はフグ料理、釣りには良さそうだ」「會津八一では人は呼べないね、ましてや進入禁止では」「観光と言うよりは漁業の島なのだ」
 歌碑公園には篠島を詠った万葉集巻7の歌碑があった。

  いめのみに つぎてみえつつ しのじまの
            いそこすなみの しくしくおもほゆ

       (夢耳継面所見小竹嶋之/越磯波之敷布所念)

 寄せては返す波のように繰り返し恋人を思い出す、と言う意味のようだ。
 歌碑公園で休憩、ノブ君はお菓子とお茶、朝食抜きの素空はここで持参のクリームパンを半分食べた。歩いてきた道沿いの食堂は休業、コンビニは見当たらなかった。
 その後、島中央の丘の道を北上、漁港と郵便局のあるところでやっと昼食を食べることができた。ノブ君は天丼、我々はシラス丼である。
 写真を撮りながら、師崎港までの連絡船(観光船)を待ち、帰路につく。たいした土産物は無く、シラスのちりめんじゃことかまぼこを持ち帰ったら、夕食はその二品+αだった。連れ合いは美味しいお土産で食卓を満たそうと思っていたようだ。 
    


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山鳩・第15首(会津八一) 2013・5・26(日) 解説

 をのこご に うまれたり せば ひたすらに
     ひとつ の みち に すすみ たり けむ    

(男子に生まれたりせばひたすらに一つの道に進みたりけむ)

 きい子は昭和20年7月に亡くなる。旧憲法下の戦前戦中に生きたが、この時代は女性が世の中で活躍するには厳しい社会だった。


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篠島4(種田山頭火句碑) 2013・5・29(水)

 連絡船乗り場の近くに種田山頭火の句碑がある。彼は死の前年昭和14年に篠島に渡り、これらの句を詠んだと言う。

  山頭火篠島八句

   歩きつづけて荒波に足を洗わせてまた
   春風の聲張りあげて何でも十銭 
   花ぐもりの病人嶋から載せて来た
   出船入船春はたけなわ
   島へ花ぐもりの嫁の道具積んで漕ぐ
   島島人が乗り人が下り春らんまん
   やっと一人となり私が旅人らしくなった  
   波の上をゆきちがう挨拶投げかはしつつ


 自由律の俳句を生涯に8万句詠んだと言われるが、彼の作品

   うしろすがたのしぐれてゆくか
   まつすぐな道でさみしい
   分け入つても分け入つても青い山


 が浮かんできてそのイメージとのズレを感じた。
 また、観光協会のHPの北山公園紹介の文中に、“三頭火”と書いてあるのはいただけない。

   
 


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山鳩・第16首(会津八一) 2013・5・30(木)  解説

 あひ しれる わかびと つどひ いつ の ひ か
          われ を かこみて な を ことなさむ    

  (相知れる若人集いいつの日かわれを囲みて汝をことなさむ)

 きい子が世話した八一の門下生や学生たちといつの日か供養の会を開きたいと思うのである。



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山鳩・第17首(会津八一) 2013・5・31(金) 解説

 わが やど に しじに とひ こし わかびと の
       なす なからめ や なが たま も みよ     

(わが宿にしじに問ひ来し若人のなすなからめや汝が魂もみよ)

 きい子が亡くなったのは戦時下の疎開先だったので、東京できい子の世話にもなった門下生や学生は駆けつけることができなかった。そんな若者に「ながたまもみよ・きい子の魂を見守っておくれ」と心から叫ぶ。



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山鳩・第18首(会津八一) 2013・6・4(火) 解説
  
 やまばと は き なき とよもす ひねもす を
      ききて ねむれる ひと も あら なく に
     
 (山鳩は来鳴きとよもすひねもすを聞きて眠れる人もあらなくに)

 山鳩の声だけが聞こえる静寂のなか、八一は観音堂で一人暮らす。第2、3首で詠んだ山鳩が第19首とともに再度詠われる。山鳩はきい子の挽歌の象徴である。



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山鳩・第19首(会津八一) 2013・6・9(日)  解説

 ひかり なき とこよ の のべ の はて に して
        なほ か きく らむ やまばと の こゑ    

  (光無き常世の野辺の果てにしてなほか聞くらむ山鳩の声)

 光も色も音も無いであろう野辺の果てで、きい子が山鳩の声を聞いているだろうかと詠う八一の姿は悲しみにあふれている。



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山鳩・第20首(会津八一) 2013・6・12(水) 解説

 ひとり ゆく よみぢ の つかさ こと とはば
        わが ともがら と のら まし もの を 
     
 (一人ゆく黄泉路の司こと問はばわが輩とのらましものを)

 冥土への道をたった一人で行くきい子に向かって叫ぶ。お前は一人ではない、貧しいけれど学問一筋に生き、その学問は仏の世界にも及んだ私、八一の友と黄泉の国の役人に言いなさい。きい子への絶唱である。



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山鳩・第21首(会津八一) 2013・6・15(土) 解説

 かなしみて いづれば のき の しげりは に
         たまたま あかき せきりう の はな       

  (悲しみて出づれば軒の茂り葉にたまたま赤き石榴の花)

 山鳩連作21首の最後である。八一は連作の最後に「赤」を使うことが多い。挽歌の最後を飾る赤色は更に印象的である。



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観音堂・第1首(会津八一) 2013・6・21(金) 解説

 くわんおん の だう の いたま に かみ しきて
          うどん の かび を ひとり ほし をり    

  (観音の堂の板間に紙敷きてうどんのかびを一人干しおり)

 きい子がいない観音堂で一人暮らす八一、観音堂10首を詠む。山鳩21首に続く挽歌である。


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観音堂・第2首(会津八一) 2013・6・25(火) 解説

 かたはら に もの かき をれば ほし なめし        
        うどん の ひかげ うつろひ に けり

(かたわらにもの書きをれば干し並めしうどんの日影移ろひにけり) 

 情感をこめた山鳩21首とは趣が異なる。観音堂での情景を淡々と詠んで、その中に深い悲しみをにじませる。



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観音堂・第3首(会津八一) 2013・6・28(金) 解説

 かどがは の いし に おり ゐて なべぞこ の 
       すみ けづる ひ は くれむ と する も  
  
    (門川の石に降りゐて鍋底の墨削る日は暮れむとするも)  

 観音堂での独居は長くはなかったようだが、初めて経験する鍋底洗いを詠うことによってきい子亡き後の情景が鮮明に浮かび上がる。
  


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6月の終わりに 2013・6・30(日)

 今年の梅雨は雨の日が少ないようだ。今月は雨の合間にあちこち歩いたが、いまだに真ダニがいなければと思っている。
 月初めに鈴虫誕生、しかし4個の水槽の虫たちは少なく、成長も遅い。月末にはいつも咲いている月下美人も蕾らしいものが見えるがまだ咲かない。芙蓉と皇帝ダリアだけが大きく育っている。同時に雑草も勢いよく伸びるので庭仕事は増える。敷地3000坪の会津八一の下落合秋艸堂などとは比べ物にならない数坪なのに草はよく生える。

 村荘雑事・第14首(会津八一)   解説

  おこたりて くさ に なり ゆく ひろには の
        いりひ まだらに むし の ね ぞ する   

 (おこたりて草になりゆく広庭の入日まだらに虫の音ぞする)



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観音堂・第4首(会津八一) 2013・7・3(水) 解説

 このごろ の わが くりやべ の つたなさ を 
       なれ いづく に か み つつ なげかむ 
  
 (この頃のわが厨辺の拙さをなれ何処にか見つつ嘆かむ)

 年老いてからの独居は厳しい。家事をするたびにきい子の嘆きながらも優しいまなざしを感じるのである。  



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観音堂・第5首(会津八一) 2013・7・7(日) 解説

 のきした に たちたる くさ の たかだかと 
       はな さき いでぬ ひとり すめれば     

 (軒下に立ちたる草の高々と花咲き出でぬ一人住めれば)

 一人観音堂で暮らしているといつの間にか秋になろうとしている。堂の周りは草が伸び放題で、その草も花を咲かせている。



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観音堂・第6首(会津八一) 2013・7・10(水) 解説

 には あれて はえ ひろごれる やまぶき の    
       えだ さし しのぐ はぎ の はなぶさ    

   (庭荒れて生え広ごれる山吹の枝さし凌ぐ萩の花房)   

 秋になって庭には山吹が伸び放題、その生え広がった間から萩に花が咲いている。寂しい眺めである。 



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観音堂・第7首(会津八一) 2013・7・14(日) 解説

 うゑ おきて ひと は すぎ にし あきはぎ の       
          はなぶさ しろく さき いで に けり     

  (植ゑ置きて人は過ぎにし秋萩の花房白く咲きいでにけり)

 植えた人はこの世にはいない。しかし、萩は毎年咲く。人間の儚さがきい子の死と重なる。萩の花の白が印象的である。



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観音堂・第8首(会津八一) 2013・7・15(月) 解説

 あき ふかき みだう の のき に すごもる と
       かや に はね うつ はち の むれ みゆ  
 
   (秋深きみ堂の軒に巣ごもると茅に羽打つ蜂の群れ見ゆ)

 きい子が死んだ夏から季節は移り、晩秋を迎える。八一の眼は自然の営みに注がれる。



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観音堂・第9首(会津八一) 2013・7・17(水) 解説

 ひそみ きて た が うつ かね ぞ さよ ふけて
         ほとけ も ゆめ に いり たまふ ころ    

 (ひそみきて誰が打つ鐘ぞさ夜更けて仏も夢に入り給ふころ)

 八一が好んで書画としたこの歌を、2年前に1m余のケヤキに素空が彫って友人に贈った。懐かしい思い出である。



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観音堂・第10首(会津八一) 2013・7・20(土) 解説

 うらには の しげき が もと の あらぐさ に
        こぼるる ひかげ み つつ かなし も
     
  (裏庭の繁木がもとの荒草にこぼるる日影見つつ悲しも)

 納骨その他を終えて秋になった。きい子への悲しみは静かな自然の中で更に深まっていく。



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柴売・第1首(会津八一) 2013・7・25(木) 解説

 みゆき ふる ふゆ を ちかみ か わが かど に
          ひ に はこび こし そまびと の しば     
   (み雪降る冬を近みかわが門に日に運びこし杣人の柴)

 養女きい子への挽歌・山鳩、観音堂に続く柴売(6首)はきい子を亡くした64歳の八一が観音堂での独居を詠ったもの。柴売は歌集・寒燈集(昭和19年6月から21年6月までの212首を収録)の中にある。



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柴売・第2首(会津八一) 2013・7・29(月) 解説

 わが かど に いくひ はこびて そまびと が
         つみたる しば に あきつ たち たつ    

  (わが門に幾日運びて杣人が積みたる柴に秋津立ち立つ)

 冬に備えた柴が近くに積まれた観音堂は蜻蛉が飛び回る秋になった。



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柴売・第3首(会津八一) 2013・8・4(日) 解説

 そまびと の つみたる しば に わが かど の
           さくら の したば いろづき に けり    

   (杣人の積みたる柴にわが門の桜の下葉色づきにけり)

 きい子の死から、時は経ち桜の下葉が紅葉する季節になった。目の前の自然が八一の心を安らかにしていく。



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柴売・第4首(会津八一) 2013・8・8(木) 解説

 ひとり すむ みどう の には に つどひ きて
          むらびと さわぐ しば かふ らし も
      
    (一人住むみ堂の庭に集い来て村人騒ぐ柴買ふらしも)

 観音堂の周辺は冬支度に入る。八一の静かな一人暮らしには珍しい光景である。



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柴売・第5首(会津八一) 2013・8・11(日) 解説

 むらびと は おのも おのもに しば かひて
        つみたる のき の あたたかに みゆ     

 (村人はおのもおのもに柴買ひて積みたる軒の暖かに見ゆ)

 冬用に積まれた柴が暖かく見える。心身ともに落ち着き、心穏やかになってきた八一の心の投影と言える。



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柴売・第6首(会津八一) 2013・8・15(木) 解説

 そまびと の くるま いにたる くさむら に
       しば ひろひ きて かしぐ けふ かも     

  (杣人の車去にたる草むらに柴拾ひきて炊ぐ今日かも)

 この句で、きい子への鎮魂歌(山鳩、観音堂、柴売 37首)が終わる。



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鹿鳴集・山中高歌(十首)(会津八一) 2013・8・17(土)

 大正10年6月、長野の山田温泉・湊屋旅館(現風景館)での作。早稲田中学教頭(大正9年就任11年辞任)の八一は、中学幹事と運営上の問題で対立し、持病のリウマチもあって心身ともに疲弊して山田温泉に出かけた。その時に作った歌。最初14首(坪内逍遥への書簡)あった歌を推敲を重ねて10首とし、山中高歌と名付ける。鹿鳴集では南京新唱(99首)に続くものである。

 山中高歌  序               大正九年五月

 山田温泉は長野県豊野駅の東四里の谿間(けいかん)にあり山色浄潔にして嶺上の白雲を以て餐(くら)ふべきをおもはしむ かって憂患を懐きて此所(ここ)に来り遊ぶこと五六日にして帰れり 爾来(じらい)潭声(たんせい)のなほ耳にあるを覚ゆ    


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山中高歌・第1首(会津八一) 2013・8・19(月) 解説

 みすずかる しなの の はて の むらやま の 
         みね ふき わたる みなつき の かぜ    

  (みすずかる信濃のはての群山の嶺吹き渡るみなつきの風)

 心身ともに疲弊して信濃の山田温泉に出かけた八一の第1首。調べのよい歌が清々しい眼前の光景を表現する。


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山中高歌・第2首(会津八一) 2013・8・23(金) 解説

 かぎり なき みそら の はて を ゆく くも の 
          いかに かなしき こころ なる らむ   

  (限りなきみ空の果てを行く雲のいかに悲しき心なるらむ)

 空の遠くをちぎれ雲が流れていく。その描写だけで八一の孤独が伝わってくる。


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山中高歌・第3首(会津八一) 2013・8・27(火) 解説

 おしなべて さぎり こめたる おほぞら に 
       なほ たち のぼる あかつき の くも   

 (おしなべてさ霧こめたる大空になほ立ち昇る暁の雲)

 早朝の自然のダイナミックな姿が八一の心を癒し始める。
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