3月の終わりに 2018・3・31(土)
 3月は素空の誕生月、古希になった。こんなに生きるとは思ってみなかったが、健康でいられることはありがたい。10年余、定期的に行っている血液検査もここ数ヶ月とてもよく、医者から検査は当分しなくてよいと言われた。
 4日の中学同窓会では中学以来の同級生数人に会えたので、とてもよかった。また、17日に息子一家が千葉から駆け付け、古希の祝いをしてくれたことはサプライズだったし、これ以上嬉しかったことはない。
金子兜太 2018・3・30(金)
 俳人・金子兜太(とうた)が2月20日、98歳でなくなった。埼玉県出身で、戦後の社会性俳句運動、前衛俳句運動において理論と実作の両面で中心的な役割を果たした。
 金子兜太が選者を務めた「平和の俳句」(中日新聞)をずっと愛読していたので残念でならない。
 金子兜太に心酔する義姉が彼の新聞記事(追悼)を選んで送ってくれと言ってきたので切り抜いて送っているが、世の中に次々と起きる出来事に人々の心が移り行くことで、忘れられてしまうのではないかと心配だ。

   水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る

 1946年の引き揚げに際し、遠ざかる島(仲間の墓)を艦上から見つめて詠んだこの歌は、戦争のない世の中をつくろうという決意として終生変わることがなかった。
身体の話いろいろ14・膝半月板(ひざはんげつばん) 
         2018・3・29(木)
 膝半月板は膝関節の大腿骨と脛骨(けいこつ)の間にあるC型をした軟骨様の板で、内側・外側にそれぞれがあり、膝にかかる身体の重さをやわらげたり、衝撃を分散したり、また膝関節を安定させたりする働きがある。
  これが損傷すると、膝の曲げ伸ばしの際に痛みやひっかかりを感じたりする。スポーツ選手に半月板損傷は多いと聞いている。

       花見・くるみ(3・29)
昔のブログ・87 2018・3・28(水)
曽根崎心中 2015・3・29(日)
  この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば
  あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ

 曽根崎心中のクライマックス、義太夫が流れて道行が始まる。いつ聞いても素晴らしい言葉だ。身が引き締まる思いになる。
 3月28日、友人に誘われて四日市文化会館で上演された文楽に出かけた。文楽を直接見るのは30数年ぶりだ。
  あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 
  残る一つが今生(こんじょう)の鐘の響きの聞き納め 
  寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり

 金をだまし取られた上に詐欺呼ばわりされた徳兵衛は死んで身の証を立てようとし、遊女・お初は共に死のうとする。
  鐘ばかりかは 草も木も 空もなごりと見上ぐれば 雲心なき水の音
  北斗は冴えて影映る 星の妹背(いもせ)の天の川
  梅田の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りて いつまでも 
  我とそなたは婦夫星(めおとぼし)
  かならず添うと縋(すが)り寄り 二人がなかに降る涙 
  川の水嵩(みかさ)も増(まさ)るべし

 死の直前の驚くばかりに美しいお初の姿を見ながら、好きな人のために死ぬその心根にうたれ、自分でもそんなことができるだろうか?と思う。しかし、齢を重ねて感性が鈍くなっている心では、そんなことを思う方が間違っている。
大学合格 2018・3・27(火)
 浪人生活が続いていた友人の息子が合格した。穏やかでおっとりした好人物なので、今後を期待したい。親元を離れて学生生活を送るのでいろいろ不便はあるだろうけど、新しい生活を満喫してほしいと思っている。
 何十年前に親元を離れて大学に行った頃を思い出す。勉強も大事だが、いろいろな社会生活を経験してほしい。
 「おじさん、彼女です!」なんて言ってくれないかと期待している。
    暖かい・くるみ(3・26)
骨粗鬆(しょう)症32
    骨ぺージェット病
    
2018・3・26(月)
 骨は作られたり壊されたりしながら、その構造を保つという。骨ぺージェット病は一部の骨が部分的に異常に活発になり、骨変形や強度低下を起こす慢性疾患である。骨パジェット病、 変形性骨炎とも呼ばれる。原因不明の骨代謝疾患だが、この病気はすぐに症状が出ない場合が多いが、痛みやこわばり、骨の変形が起こる。ただ、国内の患者数は200~300人ぐらいらしい。
 骨粗鬆症治療薬のリセドロン酸ナトリウムはこの病気のための一つの薬だという。
          
鷲ヶ岳スキー(3・24)
烏骨鶏(うこっけい) 2018・3・25(日)
 烏骨鶏の紹介記事を目にした。全く知らなかったので調べて紹介する。
 烏骨鶏は、ニワトリの品種名で英名はSilky Fowl。昭和17年に国の天然記念物になっている。 烏骨という名が示す通り、皮膚、内臓、骨に到るまで黒色なのでこの名がついたという。羽毛は白、金、黒がある。成鳥でもヒヨコ同様に綿毛になっている。
 足の指が、普通のニワトリより多く5本ある。一般的な鳥類は指の数が4本であり、5本(以上)ある種類は本種のみだという。
 鳥類全般から見ても特異な外見的特徴から、中国では霊鳥として扱われ、不老不死の食材と呼ばれた歴史があり、栄養学的に優れた組成を持ちまた美味であるため、現在でも一般的な鶏肉と比較して高価格で取引されているという。
 一度見てみたい。東山動物園にいるかな?ノブ君に一緒に行こうと誘ってみよう。
 
スマホ3日目(朝日新聞・いわせてもらお) 2018・3・24(土)
 バスに乗っていたら、急にスマホの着信音が鳴った。まだ音の消し方も、マナーモードへの切り替えの仕方もわからない。
 慌ててお尻の下に敷いた。
      (北海道伊達市・アナログが落ち着くばあば・69歳)

 スマホ歴は長いのに都合の悪い時に着信音がなるとポケットの上から押さえつけてしまう。
昔のブログ・86 2018・3・23(金)
神道の通夜 2015・3・25(水)
 諏訪神社の宮司のお母さんが今朝亡くなられた。享年96、癌の転移もあり最後は肺炎だったそうだ。家族葬で行うと言うことだったが、どうしてもと通夜に参列した。宮司とは幼いころからの友達なので、折りに付けお母さんにいろいろとお世話になった。96歳だから大往生と言える。
 神道の葬式(神葬祭)は2回目だが、前回は随分前に宮司のお父さんの時だった。その時は受付その他をしていたので今回が初めてと言っていい。お母さんのことをいろいろ思い出しながら、祝詞を聞き、最後に玉串を捧げた。
 神葬祭は故人が家の守護神になるための儀式で、一日目に通夜祭、遷霊祭が行われる。遷霊祭は部屋を暗くし、神職によって故人の御霊を霊璽(れいじ、仏教の位牌に当たる)に移すこと。式場が一瞬暗くなったのはそのためだった。
 全てが終わった後、棺の中のお顔にお別れをしてきた。横でノブ君がおばあさんのメガネが無いとお棺の中を探していた。彼に次回のスキーを約束して式場を後にした。
前へ 2018・3・22(木)
 どんな時でも前向きの姿勢が必要なのは道理と言っていい。現状維持や後ろ向きの姿勢では停滞するし、どんどん悪くなりそう。
 しかし、年を重ねるとなかなか前向きな姿勢ばかりではいられない。と書くと人生の問題のように思えるが、実はスキーの話である。年とともに体力、運動神経が衰えるので、滑っているときに気持が後ろ向きになる。「年だから転んではいけない」「この難しいゲレンデはやめておこう」などと考えているのが影響するのか、つい重心が後ろになってしまい、その結果転倒してしまう。
 スキーは板の中央の上に重心を置いて滑るのが基本だが、滑り降りるのでどうしても身体が後ろになってしまう。だから、「前へ」を意識しないと滑れない。
 何事にも前向きがいいね。
骨粗鬆(しょう)症31・良い食事2 
               2018・3・21(水)
 骨粗鬆症の治療にカルシウムの摂取が不可欠だが、カルシウムの吸収を助けるビタミンD、骨を作るのに重要なビタミンKを合わせて取ると骨密度上昇、骨折抑制効果がある。バランスの良い食事を心掛けることだ。
 一日の摂取目標量は
   カルシウム   700~800mg
   ビタミンD    10~20μg
   
   ビタミンK    250~300μg
 ただ、カルシウムの過剰摂取は副作用を起こすことがある。
誕生日(古希)祝い 2018・3・19(月)
 毎年、息子一家から誕生日プレゼントは届くが、今回は家族全員で千葉からやってきて、美味しいカニ料理をごちそうしてくれた。あまりのことにびっくりしたが、それ以上に良い息子と家族を持ったことを幸せに思っている。
 いろいろな能力が衰えてきた70歳を嬉しいとは思わないが、こんなことがあると生きていてよかったなと思う。午後は梅見に
  
  
     (明日第3火曜日は独り言を休みます)
             ートミジャスー
立て看板・天声人語(2月21日) 2018・3・18(日)
 筆者は学生時代に音楽サークルの仲間を集めるためにタテカン(立て看板)を作ったという。素空も大学に入ってタテカンを沢山作ったので懐かしい言葉だ。数年前に同窓の集まりで大学に行くとタテカンは無く、落ち着いた雰囲気だった。当時のタテカンは「ケバケバシイ」と言ってもよかったが活力があった。ネットで情報交換ができればいいかなと思ったが、筆者はこう書いている。
 タテカンが大学の規制で消えていき、情報伝達がネット上のSNSが主流になってきた中で、タテカン文化が残る京都大学でも規制が強化されると聞き訪問した。その時の意見を上げる。
 「SNSもやっているけど興味のある人しか見てくれない。タテカンだと普通に歩いていたら目に入る。存在しているだけで発信してくれる」「周りの人すべてにメッセージを伝える手段って、意外と少ない気がする。タテカンは貴重です」

 ネットで誰もが発信できる時代になったと思ったが考えてみたら、一面的で弊害の多い分野も多い。
 世の中に自らの意見を伝えるのはなかなかむつかしい。今後はどうなるのかな?
蛍雪の功(朝日新聞・いわせてもらお) 2018・3・17(土)
 80歳になる姑(しゅうとめ)の家に行くと、机で何か書いている様子。「最近、字が書けなくてね、練習していたのよ」「そうそう、簡単な字が思い出せないですよね。同じですよ」。机上の紙を見たら「躊躇(ちゅうちょ)」「牡蠣(かき)」の字が真っ黒になるまで練習されていた。参りました。
 (千葉市・顰蹙〈ひんしゅく〉を買いそうで憂鬱〈ゆううつ〉です・55歳)

 「躊躇」や「牡蠣」なんて全く書けない。大昔は何とか書けた時代もあったと思うけど、パソコンやスマホでメールを書き、ペンを握らなくなって簡単な漢字も書けなくなった。
昔のブログ・85 2018・3・16(金)
桂米朝を悼む 2015・3・20(金)
 いつかはと思っていたが、残念だ。子供の頃にラジオで落語を聞いた記憶があるが、それよりも「岩窟王」などのラジオドラマを必死になって聞いていた。本格的に落語を鑑賞するようになったのは30代、友人から借りた桂米朝上方落語大全集(レコード)がきっかけである。米朝落語の素晴らしさの虜になってしまった。以来、彼の落語を何十回と聞き続けてきた。落語マニアになって、他の多くの落語家を聞いてきたが回帰するのは米朝落語だ。予感があったのか、今、車で聞いているのは米朝の「兵庫船」。
 彼の落語は面白いのはもちろんだが、博学で品位がある。品位があるといってもお高く止まっているのではなく、上方特有のくだけた笑いも随所に入って飽きることが無い。
 手持ちの彼の落語をあちこちに貸しているうちに紛失したのは「まんじゅうこわい」。とても残念に思っているが、演者そのものがこの世にいないのは残念どころでは無い。もし、仲間に「米朝怖い」と言って布団をかぶっていたら、米朝を枕元に送りこんでくれる、そんな夢を見ている。「馬鹿なこと」ではないと思うので。
身体の話いろいろ13・骨棘(こつきょく) 2018・3・15(木)
 継続的に骨に加えられた何らかの刺激に反応して骨組織が増殖し、棘状(とげじょう)になったものを骨棘という。変形性脊椎症や変形性膝関節症などの病気が原因で背骨や関節部分にできるのが一般的だが、かかとやアキレス腱の付け根にできる場合もある。
 肘の痛いのはテニス肘と思っているけど、これかもしれない。
      
義兄の親切 2018・3・14(水)
 ドラム式洗濯機が壊れたので購入したいし寝室のテレビも買い替えたいので付き合ってくれと言う。その店のカードを素空が持っているのでポイントが使える。値段の高いドラム式洗濯機を選んでいる時、素空に洗濯機を買ってやると言う。びっくりしたが妹(素空の連れ合い)がねだったらしい。さらにテレビもOK。一番安い洗濯機とテレビを選んだが両方とも壊れかけていたので助かった。
 長年スキーやゴルフを共にした義兄は定年退職して一人暮らし、素空夫婦はいつも気にかけているのでそのお礼もあるかもしれない。盆や暮れに親族の外食代も払ってくれるので、年下なのに今では頭が上がらない。退職して悠々自適の暮らしになると親切になるのかな?
村荘雑事・第13首(会津八一) 2018・3・13(火)
 みづ かれし はちす の はち に つゆぐさ の   解説
            はな さき いでぬ あき は きぬ らし

 薄い藍色の花を咲かす露草は印象深い。
昔のブログ・84 2018・3・12(月)
97歳の叔母 2015・3・18(水)
 素空には“おじ”が2人、“おば”が5人がいるが存命なのは父方の叔母一人である。歩いて行ける場所に住み、好きな叔母だが、最近は法事のとき以外には訪ねたことが無い。
 先日、同年の従兄弟(叔母の長男)と電話で話したら、たまには叔母に会いに来いと言う。志賀高原のお土産を持って訪ねた。耳が遠いのはわかっていたが、高価な値段の補聴器を無くしたとのことで、従兄弟の嫁さんが通訳代わりである。さらに中学2年生(14歳)の息子さんも会話に加わってくれた。(従兄弟の50過ぎの息子だ!)
 先ずは年齢を訪ねた。「97歳、8月で98歳になる」と返事が返ってきて、びっくり、とてもそうは見えない元気なおばあさんである。聞けば、買い物にも行くし、身体に悪いところは無いと言う。“人生50年・・・”などと思っていた素空には驚異的な年齢である。思わず、冗談で「ばけものみたい」と言ったら、皆は笑ったが叔母には聞こえない。積もる話をいろいろしていて2時間以上経ってしまった。おじさん(叔母の夫)の38回忌を秋にすることを聞いて帰ってきた。
 後で気がついたが、土産は長野の姨捨SAで買ってきたものだった。今は温かい家族に囲まれてにこにこ暮らしている叔母は幸せである。
君子蘭 2018・3・11(日)
 数年前に仏像彫刻の安達先生からいただいた君子蘭が4鉢になり、その一つが見事に沢山の花を咲かせている。他の鉢はまだ花芽のままだ。先生は今病気で伏せておられ面会できないが、枕元に持っていきたいと思ってしまう。
 いつもより咲く時期が早いと思ったが君子蘭の花時は3~5月と言う“まだ3月”ではなく“もう3月”なのだ。庭木を見るとアジサイもボタンも若葉をどんどん伸ばしている。
 暖かくなるのは嫌だ、まだ滑りたいと思うが奥伊吹スキー場の積雪は2月の3mから2m20cmまで下がっている。
  
骨粗鬆(しょう)症30・良い食事1 2018・3・10(土)
 カルシウムと一緒にビタミンDとKを取ることが骨粗鬆症の治療に良い。ビタミンDは魚類やきのこ類、ビタミンKは緑の葉の野菜や納豆などに多く含まれる。
 栄養の十分な摂取が必要だが、過剰摂取を控えたほうが良い食品もある。リンを多く含む食品(加工食品、一部の清涼飲料水)、食塩、アルコール、カフェインなどである。
二人展(谷岡経津子さんと八島正明さん) 2018・3・9(金)
 昨日、いつもの仲間で二人展に出かけた。両画家が画廊にみえていろいろと説明をされていた。
 画家・八島正明さんともお話し、作品の写真を掲載することの許可も得た。
  
          画家・谷岡経津子さんと画家・八島正明さん
  
  
  
              画家・八島正明さんの作品

          谷岡経津子1へ   谷岡経津子2へ
枕草子(八十八段)・内は、五節の比(ころ)こそ
                2018・3・8(木)
 八十六段と同じ、五節の頃のことを書く。この行事にかかわる人々はどれも素晴らしいと書く。原文(88段)参照。以下に口語訳を記載する。
(八十八段・口語訳)
 内裏は五節の頃が、特にありふれた宮仕え人たちも、わけもなく素晴らしく見えるように思われる。殿司(とのもづかさ)の女官などが、色々な小切れを物忌(ものいみ)のように釵子(さいし)に付けた様子も、珍しく見える。宣耀殿(せんようでん)の反橋(そりはし)に、髪上げした元結の紫のむら濃(ご)も色鮮やかに、この女官たちが座っている様子も、何かにつけて風情があるものである。五節の舞姫に従って参上した上雑仕(うえぞうし)や童女たちも、とても晴れがましいことだと思っているのももっともなことである。小忌衣(おみごろも)を摺る山藍(やまあい)や冠につける日陰のかずらなどを柳箱に入れて、元服したばかりの男たちが持って歩いている姿が、とてもふさわしく面白く見える。(無礼講で酔った)殿上人が直衣(なおし)の肩を脱ぎ垂れて、扇か何かで拍子を打って、「つかさまさりと、しき波ぞ立つ」という歌を謡って五節所の前を通るのは、宮中にとても慣れている女房でもドキドキして落ち着かないはずである。まして、殿上人たちが一斉にどっとお笑いになる時などは、とても恐ろしい。行事の蔵人(くろうど)の紅の下襲(したがさね)が、何物にもまして清らかに見える。敷物などが敷いてあるけれども、かえってその上に座っていることもできず、五節所の女房の御簾(みす)から押し出した衣裳を褒めたり謗(そし)ったりして、この頃は他のことは何も考えられないようだ。
 帳台の夜、行事の蔵人がとてもうるさいことを言って、髪を繕う役人と二人の童女のほかは、舞殿の中に入ってはいけないと、戸を押さえて憎らしいような顔で言うので、殿上人なども、「(そう言わないで)この女房一人くらいは入れてくれ」などとおっしゃるが「それでは羨ましいと思う人が出ますからどうでしょうか、だめですよ」などと頑固に言うのだが、中宮の女房が二十人ばかり、蔵人を相手にせずに、戸を押し開けて、中に入ってしまったので、茫然とした顔で「いやはや、どうしようもない無法な世の中だな」と言ってポカンと蔵人が立っているのもおかしい。それに続いて、舞姫の付き人の女房たちもみんな入っていく様子、傍観する蔵人はとても無念そうだ。 帝もお出ましになって、面白く御覧になっておられることだろう。燈台に向かって座っている4人の舞姫の顔も、可愛らしい感じである。
中学同窓会 2018・3・7(水)
 もう年だからこの会の出席で終わろうと思ったが、関東から参加したY君、いつものN君、ちゃーちゃん、えっちゃん
と楽しい時間を過ごした。特に自宅に泊まったY君と深夜まで飲んだので、翌日は体調が不良だった。
 同窓会で良かったことは、出席できなかったA先生の録音による言葉、堂々としてまた優しい心にあふれるお話は聞きほれた。3次会で同級生のお礼の言葉を録音したので自宅にお伺いして聞いていただいた。
 もう一つ、中学以来の懐かしいKukさん、Kusさんとの再会、一次会で帰るというKukさんを2次会に誘い、2次会後の合流したKusさんとは4次会まで一緒に過ごした。
 同級生Na君が大量の写真を送ってくれると思うので後日ページを作ってアップするつもりだ。
  
        前回の同窓会・平成25年3月24日へ
        今回の同窓会・写真集へ
村荘雑事・第12首(会津八一) 2018・3・6(火)
 あきづけば また さき いでて うらには の      解説
           くさ に こぼるる やまぶき の はな

 山吹は晩春に咲くが、下落合秋艸堂にあったものは四季咲きのものだったので「また咲きだして」と詠う。
昔のブログ・83 2018・3・5(月)
中華民族復興 2015・3・5(木)
 “「我々は特別な民」共産主義に代わる便利な統治の道具”という見出しで、2月25日の朝日新聞に中国の民族主義についてパトリック・ルーカス(文化人類学者)の取材記事を載せている。
 民族主義がだめなのはそれが差別意識であり、他者との比較をし、害を与えることにある。中国人(日本人)は日本人(中国人)より優秀で特別な民族だ。だから相手を排斥してもよく、何をやってもいいとなる。
 “民族主義を広めるのは実はびっくりするほど簡単です。理論が簡単、というより空っぽですから。空っぽの核心によく入れられるのは「歴史」。これは中国だけでなく、日本なども同じでしょう”(パトリック・ルーカス)
 願わくば日本が直対応して「民族主義」に陥らないことを願う。先の戦争の敗戦までの悪夢のような時代を再現させないために!
 ところで「社会主義国」中国の変質をこの学者は簡潔に述べている。現代中国がよく分かるので紹介する。
・80年代に中国共産党は「破産」した。だれも共産主義のイデオロギーを信じなくなった。
・それで物質的な要求を満足させる方法を導入。これは成功した。
・ところが、人々はさらなる物質的及び精神的欲求を求めることになる。
  とりわけ、権力者と金持ちが力を持つ不平等社会への不満の発生。
・その不平等は絶対的な共産党一党支配への協力を空洞化した。
  人々は国家は自分の人生とは関係ないとし、社会的貢献などは
  考えなくなった。
 中国共産党は一党支配を継続しながらこの大きな危機を乗り切るために共産主義を捨て、民族主義を統治の手段に使い始めた。

 民族の自覚を持つことは結構だが、その前に同じ人間だという事を忘れてはいけない。政治的に利用しようと理論の空っぽな民族主義を振り回そうとする為政者には十分注意する必要がある。
日録 20世紀(1954・昭和29年) 2018・3・4(日)
 1954年のグラビアは
  ・「第五福竜丸」とゴジラ誕生」
  ・日本最大の海難事故!「洞爺丸」転覆の悲劇
  ・“実質上の軍隊”自衛隊、16万人体制で発足
  ・「ローマの休日」公開でヘプバーン旋風!
 まだ、子供だったがこの頃のことは覚えている。アメリカのビキニ環礁での水爆実験による第五福竜丸の被爆、死んだ久保山愛吉さんの名は忘れられない。その核実験をヒントに“水爆大怪獣映画”『ゴジラ』が作られたが、ただ巨大な怪獣映画と思っていた。
 台風による「洞爺丸」転覆、死者1155人(生存159人)だった。
 「警察予備隊」(昭和25年)→「保安隊」(昭和27年)→「自衛隊」(昭和29年)、憲法9条で戦争を放棄し、軍備を持たないと明言しているのに実質的な軍隊ができた。この年、これを拒否して保安隊員は6000人以上退職したという。堂々と存在する軍隊、憲法を改悪して合法化しようとする政権、信じられない現在だ。歴史から何も学ばない結果だと思う。
 オードリー・ヘプバーン、いいね。心がほっとする。
         陽ちゃん(3・4)
犬の年齢 2018・3・3(土)
 我家のくるみ(トイプードル)は3月31日で9歳になる。年齢に7をかけると人間の年齢と同じと思っていたので、もう60歳を超えたと考えていた。それほど活発に動かないので、時々「ばあさん!」と悪口を言っていた。
 ところがもう少し詳しく調べたら、50代のようだ。小型犬は生まれて1年で20歳ぐらいになりその後は1年に4歳ずつ年を取るという。20+(4×8)=52歳、他の計算もあるので50代半ばと言うことかな。くるみ、ごめんね。
 中型犬は60代、大型犬は同じでも70代だという。小型犬は室内で大事に飼うし、医療も発達したので長生きになったという。トイプードルの寿命は平均13歳(70歳ぐらい)と言う。
        
奥伊吹スキー場(3・2)
身体の話いろいろ12・短骨 2018・3・2(金)
 不規則な球体や多面体をした骨を短骨という。手首にあるのを「手根骨(しゅこんこつ)、足首やかかとを構成する「足根骨(そっこんこつ)などが短骨に分類される。
 短骨は1個ではなく数個が集まり、運動は限られるが、強くかつ弾性をもつ骨格を作っている。
 理科室にある人骨の標本を見たことはたびたびあるが、短骨のところをじっくりと見たことはない。
   
寅さんみたいな(サクラマンテマ) 2018・3・1(木)
 3~4月の星野富弘の詩画は「寅さんみたいな(サクラマンテマ)」。
    ある日とつぜん 庭にやってきて 何年か いたと 
    思ったら いつのまにか いなくなってしまって 
    まるで寅さんみたいな草だった
    今は どこに行って 咲いているのかねえ
    そういえば 花がさくらに にていたっけ
      
 中日新聞・くらしの作文(2月2日)で星野富弘(詩人・画家)さんへの賛辞を三井須和子さん(主婦・71歳)が表している。少し長いが以下に。

 詩画集にはまっています 2018・1・18(木)
 昨年の十一月、友人の家に行ったときのことだ。部屋の壁面に、花の絵が描かれたカレンダーがかかっていた。
 「なんてきれいな花」と言うと、友人はカレンダーを外して見せてくれた。月ごとにめくっていくと、花のそばに短く分かりやすい詩もあり、心にぐっとくる。
 世の中に花の絵はごまんとあるが、何か違うものを感じるのだ。友人は「あら、知らなかった?テレビにも出たよ。そんなに好きならあげるわ」という。著者は星野富弘という有名な人らしい。一目ぼれというのだろう。
 それ以来、図書館では彼の詩画集をあるだけ借り、書店でも十冊ほど買った。それらを見るたび、家事を手早く片付け、朝な夕なに眺めるたびに、不思議なほどに心が癒され励まされるのだ。
 エッセーも書かれているが、彼は私と同い年で、育ったところもよく似た山里だ。戦後の貧しい時代だが、自然の中での暮らしは、今思えばとてもぜいたくだ。エッセーはユーモアがあり、何より自然に対する畏敬の念に共感させられる。
 いつの日か、彼の住む群馬県を訪れ、富弘美術館を見学し、あわよくば車いすで散歩している彼に会えたら、と夢見る乙女になっている。これって「老いらくの恋」?


同級生が経営する諏訪調剤薬局にも星野富弘さんのものが沢山あった。
 
       りのちゃん(3・1)
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