10月の終わりに 2018・10・31(水)
 3日に義姉がわが家で倒れ、翌日亡くなったのは衝撃だった。連れ合いと一緒になり名古屋で暮らしたころ義姉は夫婦で春日井に住んでいた。何度も出かけて助けてもらったし、鳥取に住むようになってもお互いの息子の結婚式に行き来し、孫を連れて四日市まで何度もやって来た。いろいろなことが次から次へと浮かんでくる。
 同級生のM医師に言われて医師の宴席に同席した。場違いの場所で請われるままに学生生活や会津八一、麻雀の話をしたが荷が重かった。ただ、この年になると最初の緊張はすぐに忘れてしまいいろいろとしゃべってしまった。こんなに「おしゃべり」だったのかと反省している。
枕草子(九十六段)・職(しき)におはします比(ころ)
               2018・10・30(火)
 中秋の名月の頃、女房達が語り、笑いあっているのに清少納言が無言でいた。中宮が「どうしたの」とおっしゃったのでそれに「只、秋の月の心を見侍なり」と答えた。・・・・・・
(九十六段・口語訳)
 八月十日過ぎの月の明るい夜、中宮は右近の内侍に琵琶を弾かせて、縁側近くにいらっしゃる。女房たちはおしゃべりをし、笑ったりしているが、私は廂の間の柱に寄りかかって、物も言わずに控えていると、「どうして、黙っているの、何か言いなさい。さびしいではないか」とおっしゃるので、「ただ秋の月の心を考えているのでございます」とお答えすると、「なるほどそういう風にも言うことができますね」とおっしゃられる。

 職(しき)におはします比(ころ)、八月十よ日の月あかき夜、右近の内侍に琵琶ひかせて、はし近くおはします。これかれものいひ、笑(わら)ひなどするに、廂(ひさし)の柱(はしら)に寄りかゝりて、物もいはでさぶらへば、「など、かう、を(お)ともせぬ。物いへ。さうぞうしきに」と、仰せらるれば、「只(ただ)、秋の月の心を見侍(みはべる)なり」と申せば、「さもいひつべし」とおほせらる。
五分次郎 2018・10・29(月)
  この名を初めて知った。5分とは1寸(約3.03cm)の半分で約1.5cm。鳥取の民話で指先から生まれた小さい子の物語だ。
 異常に小さな姿でこの世に出現した主人公の活躍を語った昔話群の総称は一寸法師(御伽草子)だが、民間伝承の段階では、主人公を豆助、豆一、五分次郎、親指太郎など主として小さいことを示すようなさまざまな名前で呼ばれている。
 一寸法師の名をさらに強調したのが五分次郎で、指から異常な誕生をしたこの申し子は、波瀾に富んだ人生を生き抜いて、美女と富を手におさめ、みずからもよい男となる。
 背が低く貧弱な素空は「美女と富」とは無縁だが、こうした話は楽しい。
日録 20世紀(1963・昭和38年) 2018・10・28(日)
 1963年のグラビアは
  ・ケネディ大統領暗殺

  ・「水俣病とチッソ」に決定的証拠
  ・ホンダ・スズキ車がオートバイ世界一!
  ・えん罪晴れた“昭和の巌窟王”吉田石松
 いろいろな謎が書いてある。ケネディは即死ではなかったこと、最初の病院で死亡後の解剖が拒否されたこと。暗殺者・オズワルド(24歳)が事件の二日後にマフィアに暗殺されたこと。
 水俣病は昭和31年に奇病(死者21人)として保健所に申請されてから原因が新日本チッソが出した有機水銀と確定するまで7年かかっている。
 水俣病の認定申請をした人は、熊本・鹿児島両県合わせてのべ1万7,000人以上、そのうち行政によって認定された患者は2,265 人、うち死亡者1,517人(2004年3月31日現在)。
 ちなみに日本の4大公害病は水俣病、新潟水俣病(第二水俣病)、イタイイタイ病、 四日市ぜんそく である。
明治村と啄木 2018・10・27(土)
  啄木の喜之床(きのとこ)を見に足立区から
               五時間かけて明治村に来(く)

         (須賀川市) 山本真喜子  朝日歌壇より
 24日明治村に行く予定だったので朝日歌壇に載った「喜之床(きのとこ)」が気になった。何度も行ったのに記憶になかったからだ。
 喜之床とは石川啄木ゆかりの東京本郷弓町にあった新井理髪店。石川啄木がここの二階二間に母かつ、妻節子、長女京子と明治42年から東京ではじめて家族生活をした新居で、ここで有名な処女歌集「一握の砂」を詠んだ。残念ながらここに住んだのは2年余で、その後移り住んだ小石川久堅町の平家で明治45年、27歳で亡くなっている。
 明治村は大きく総てを見学するのは大変だが、一つでも思い入れを持ったものがあると嬉しいものだ。我家からは1時間半で行ける。5時間かけて訪れた山本さんには素晴らしい場所だっただろう。(写真集へ
      
 
             二階に啄木の人形がある
ギネスもの!?(朝日新聞・いわせてもらお)
              
2018・10・26(金)

 所用で役所に電話すると担当者に生年を聞かれた。22年生まれです」と答えると、「明治ですか、大正ですか、昭和ですか」と聞き返してくる。明治22年生まれなら今年で129歳だし、そもそも大正22年って・・・・・   (千葉県我孫子市・平成も聞いてよ・70歳)

 機械的な質問に思わぬユーモアがある。明治や大正という言葉に亡き父母を思い出した。生きていたらと思ってネットの年齢早見表を開いたら「1918年 大正8年 100歳」以降しか載っていなかった。

コスモス 2018・10・25(木)
  四季菜(四日市尾平店)のコスモス畑で無料で自由に切って良いというので出かけた。沢山のコスモスと薄焼きのお好み焼きを買ってきた。
 「花瓶に生けたコスモスは長持ちしない。特に花粉が落ちるのが速い」と連れ合いが言っているが、間近にみる花は迫力がある。
 
切り花を長持ちさせるのは葉を少なくすること、茎を斜めに切ること、湯を使った湯揚げと言う方法があるらしい。
  
  
ボケ(木瓜)の実 2018・10・24(水)
 くるみと三滝公園を散歩し、最後に公園の北側に出るとボケの木が道路沿いに100mほど並んでいる。ボケの実はジャムやお酒になるようだ。
 毎回、ボケの実を見ながら名前を思い出せない。80mほど歩くと名前が書いてある。「あ~!ボケだった」と思いだしながら、自分のボケを笑ってしまう。
望郷・第6首(会津八一) 2018・10・23(火)   解説
 すべ も なく みゆき ふり つむ よ の ま にも
               ふるさとびと の おゆ らく をし も

 故郷新潟の冬は深雪で日常はとても暗いものだった。そうした故郷を東京にあって想う。  
昔のブログ・112 2018・10・22(月)
映画「子ぎつねヘレン」 2015・8・9(日)
 先月、帰省する孫たちのためにと「子ぎつねヘレン」を録画して見た。
 北海道の獣医に預けられた太一少年が、母親からはぐれた視覚・聴覚・嗅覚を失った子ぎつねを拾い、ヘレンと名付けて懸命に育てる話だ。
 動物好きの素空には無条件で素晴らしい映画だった。名の「ヘレン」を単なる名称だと思っていたが、ヘレン・ケラーの話を聞いた太一少年が命名したところでさらに映画に没入した。 
 まわりの人達に見守られながら、ヘレンを懸命に育てる少年、そうした中で新しい人間関係(きずな)が作られていく。子ぎつねは死んで行く運命にあったが、そこで扱われたものは大きくて重い。
 幼い頃、子供の捨て猫を拾って来ては死なせてしまったが、好きなだけで面倒見は悪かったし、まわりも生き物を飼うような環境は整っていなかった。そんなことを思い出しながら、目を潤ませていた。
故郷へ帰りたい 2018・10・21(日)
 東京で起業し全国的に活躍する同級生Hがゴルフで帰郷し、夕食を共にしようと言う。いつも行く料理屋は前日、別の同級生と行ったと言い、4月に公園通りに開店した「馬肉酒場 馬喰ろう」に行こうという。馬肉は長野に旅行した時ぐらいしか食べたことが無いので行ってみたかった。
 酒に刺身ぐらいで沢山食べない素空に代わってあれこれ注文してくれた。馬刺しは美味しく鍋物も良かった。
 いろいろ話すうちに故郷四日市に帰ってきたいという。経済界で活躍し神奈川に自宅を持っているのに不思議な話だ。数年前に父親が亡くなって四日市の家を整理したばかりなのにと思った。
 高校、大学と同じだし、奥美濃の学生村で一ヶ月間ともに暮らしたこともあるので帰郷しても友人として歓迎するが、「やっぱり、それはやめて時々帰って来いよ」と言った。たまに来るから良いので、いつも一緒にいると喧嘩しそう。大学時代に一度喧嘩したことがあり、仲直りは数十年後だった。
ホモ・ハビリス 2018・10・20(土)
 1964年にタンザニアのオルドヴァイでルイス・リーキーによって頭蓋化石が発見された。これは現在分かっている限り最も初期のヒト属、ホモ・ハビリスのものである。現生人類から最もかけ離れており、身長は大きくても135cmで低く、不釣合いに長い腕を持っていたという。脳容量は現生人類の半分ほど。
 こんな記事を読んだので人類の起源は何時だったのだろうと思って調べたが諸説あって確定的な答えはなかった。
 600万年前~700万年前くらいという説やホモサピエンスと学名がつけれたホモ属がアフリカで誕生したのは400万年前という説があった。
 ともあれ、2足歩行になって頭蓋骨が大きくなり、知能が発達した人類の子孫であることは嬉しい。だからこそ、この先の子孫のために誤った世界を作らないための努力が必要だとあらためて思った。
骨粗鬆(しょう)症54・橈骨遠位端 2018・10・19(金)
 転んだ時に手をついて骨折することを橈骨(とうこつ)遠位端骨折という。普通は手首を骨折したなどと言う。
 特に骨粗鬆症の人は骨折しやすい。
 前腕の肘から手首までの長さの骨は図のように橈骨と尺骨があり、親指側が橈骨、遠位端とは手首付近のことを言う。
 転ばないように注意しなければいけないし、転び方も考えないといけない。
望郷・第5首(会津八一) 2018・10・18(木)   解説
   かすみ たつ はま の まさご を ふみ さくみ
          か ゆき かく ゆき おもひ ぞ わが する

 砂浜を行きつ戻りつ深い物思いにひたる。何時の時代にもそうして思索は行われた。
納骨 2018・10・17(水)

 亡くなった義姉の分骨を四日市市北部墓地公園にある実家のお墓に納めてきた。義兄、連れ合い、素空とくるみで!
 このところ寝る前や寝起きに義姉のことが浮かんでくる。自宅で倒れて亡くなったことが心に残るのか、あるいは仲良くしていた義姉が枕元にやって来たのかわからない。涙もろくなっていることも影響しているかな?
 「おい、犬!」と呼ばれて丸いお腹の上に乗って行ったくるみも思い出しているかもしれない。
 中日歌壇にあった歌を2首掲載する。
  ケイタイの再生に聞く亡き姉の
       声にまじりて小綬鶏(こじゅけい)の鳴く

                 (愛知・南知多) 杉山 智栄
  夫の背を流ししあの夜を想いつつ
       墓洗うなり灼けし墓石を

                 (一宮市) 大森 正子

救荒植物(きゅうこうしょくぶつ) 2018・10・15(月)

 土佐寺川夜話(忘れられた日本人・宮本常一著)に彼岸花は救荒植物と書かれている。初めて知った「救荒植物」を調べると、飢饉、戦争その他で食料が不足した時に、それをしのぐために間に合わせに食料として利用される植物だという。彼岸花の鱗茎(りんけい)=球根を水にさらして毒を抜き、でんぷんを取って餅にしたという。
 有毒植物である彼岸花は水田の畦や墓地に多くある。それは、畦の場合はネズミ、モグラ、虫など田を荒らす動物対策、墓地の場合は虫除け及び土葬後、死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためだ。300万本の半田の彼岸花もそんなことを思って鑑賞してきた。食べられるとはびっくりである。

 宮本常一(みやもと つねいち)  1907年ー1981年
 日本の民俗学者、農村指導者、社会教育家。 生涯に渡り日本各地を野外調査し続け(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)、膨大な記録を残した。
        (明日第3火曜日は独り言を休みます)

なりたいのは・・・(つれあいにもの申す) 2018・10・14(日)
 孫が「バーバになりたい」と言う。理由を聞くと、勉強しないし、遊んでばかりで楽しそうだとか。それを聞いた夫は大笑い。でもね、孫は「ジージになりたい」とは絶対に言わないわよ。(孫は正直です・67歳)

 物心ついたとき、祖父母はバーバ1人だった。相当のババっ子だったけど「なりたい」とは思わなかった。なりたかったのは動物学者。
柿の実 2018・10・13(土)
 仏像彫刻の安達先生夫人に、高いところにある柿の実の収穫を頼まれた。青いのはやめて幾分黄色くなったものと熟したものを取った。
 所々にある熟した実は椋鳥につつかれて無残な姿を呈している。鳥は美味しい実を食べるが、熟していない実には見向きもしないのだ。
 取った柿のいくつかをもらって帰ると、夕食後にその柿が一口大にして出ていた。普通に熟した柿を食べ、もっと熟した柿に手を出したら連れ合いからストップがかかった。それは私のだから食べてはいけないという。赤みがかった柿は甘くておいしいが、とろりとしたところが苦手なので「はい」と言って手を引っ込めた。
 連れ合いはうまいところを良くしっているのか、あるいは祖先は椋鳥かもしれない。
昔のブログ・111 2018・10・12(金)
お墓の怪 2015・8・6(木)
 我が家には代々の仏教の墓と亡母が建てたキリスト教の墓がある。先月、墓参りをするとキリスト教の巻石に囲まれた墓地が雑草も無く、きれいになっている。 まわりの墓(母の友人や知人の墓など)の関係者が?と思ったが、どの墓も雑草が生えている。そればかりでは無く、墓地がコンクリートで固められその上に飛石がきれいに置かれていた。
 同行した兄や義兄、息子達も不思議そうにしていた。代々の墓の方は親類の人がきれいにしてくれることはあるが、キリスト教の墓にはほとんど来ない。
 実は、遠方に住む一人息子に二つの墓(連れ合いの実家の墓をいれると三つ)を託すのは大変なので、素空の代で一つにしたいと思っている。それを知って亡父母が、「そんなことはしないでおくれ!」と墓をきれいにしたのかもしれないと後になって考えた。
 信心が薄く、合理的に考えたいと日頃から思っているが、こんな不思議なことに出くわすといろいろと想像してしまう。
望郷・第4首(会津八一) 2018・10・11(木)   解説
 よ を こめて あか くみ はなち おほかは の
            この てる つき に ふなで す らし も

 あか(閼伽)とは水のこと、ここでは船底にたまった水を指している。
相棒 2018・10・10(水)
 相棒とは頼りになる存在のこと。暴れん坊、けちん坊などの「坊(ぼう)」は付き合いしたくない相手だが、「棒(ぼう)」は用心棒などのように頼りになる存在が多い。
 相棒はもともとは駕籠(かご)やモッコをかつぐ相手のことを言った。前後の担ぎ手の信頼関係が深いから駕籠はスムーズに進むのだ。
 連れ合いを相棒と呼ぶのはなんとなく抵抗がある。それなら相棒と呼べる人はいるのか考えると難しいが、何人かの友人を思ってみた。
 話は変わるがテレビの「相棒」(水谷豊)は好きな番組の一つだ。10月17日からseason17が始まる。楽しみ! 
枕草子(九十五段)・五月の御精進のほど 2018・10・9(火)
 この段は女房たちが郭公の声を聞こうと牛車で外出した話だが、外の世界で楽しく過ごした清少納言は歌を詠まずに帰ったので中宮・定子の機嫌を損ねる。意地を張って和歌を詠まない清少納言だが、定子の思いやりある策略に、つい和歌を詠んでしまうことになる。
 とても長い段なので読むのに結構時間がかかる。
 原文と訳は95段195段2参照してほしい。
涙もろくなる 2018・10・8(月)
 涙が出そうになることは今までに沢山あるが、涙を流したことはほとんどない。ところが最近は涙もろくなり、ドラマを見ていて涙が出そうになる。本家のHさんが亡くなったとき、奥さんのMさんとHさんの話をしていたら本当に涙が出てきた。自宅で倒れ亡くなった義姉、いろいろと思い出すとすぐ涙もろくなる。
 涙は「共感」を司る脳(前頭葉)の働きなどで、年齢を重ねるとそこに刺激を感じることが増え涙が出る。多くの経験や多くの人との触れ合いから、人は年を取るとこの「共感」力がアップして、子供のころと違って感情豊かになり涙もでる。
 ところが今回は違うようだ。調べてみると、脳は老化によってまず最初に前頭葉を中心に機能が低下し、医学的には、ここがきちんと機能しなくなると、感情を抑制しコントロールすることが難しくなるらしい。すると、怒りっぽくもなるし、涙もろくもなる、つまり感情にブレーキがききにくい状態になる。
 涙もろくなったのは感性が豊かになったのではなく、老化だったのだ。怒りっぽくなるよりはいいけど寂しいね。涙が出てきそう。
達者の鑑(朝日新聞・いわせてもらお) 2018・10・7(日)

 病院の帰り、駅前からバスに乗った。発車間際に乗ってきた方が、いきなり優先席の私を指さして「あんた立ちなさい、私七十よ」と怒った。「すみません」と立った私。九十だけど。
    (千葉県茂原市・団塊世代はお疲れなのね・90歳)

 髪染めをやめて白髪になったら、どこでも年寄り扱いされる。だけど、席を譲って欲しいなどとちっとも思わない。心は若者!

ベニテングダケ 2018・10・6(土)
 9~10月の星野富弘の詩画は「ベニテングダケ」。
       バラに刺があり
       美しいきのこには毒がある 
       私の妻には刺も毒もありませんが
 
ベニテングダケは毒きのこ、食べるとおう吐、下痢などの消化器系の中毒症状や筋肉の痙攣、一時的な精神の錯乱などが起こる。
 「私の妻には刺も毒もありませんが」いい言葉だ!こんな言葉を言っては見たいが??
        
望郷・第3首(会津八一) 2018・10・5(金)   解説
 ふるさと の ふるえ の やなぎ はがくれ に
            ゆうべ の ふね の もの かしぐ ころ

 岸辺に柳がある堀で水上生活者が夕食の支度をする光景を詠んだ。八一にとっては懐かしい故郷の光景である。
昔のブログ・110 2018・10・4(木)
御馳走 2015・8・4(火)
 御馳走とは豪華な食事などを言うが、それを作ったり、出したりする人への敬意がこもった言葉だ。もちろん御馳走は嬉しいが、血糖値が高くなってからは食事に対する欲望は影をひそめ、健康のための食事と考えるようになった。その上、間食をしないせいか、食事に出てきたものはすべて美味しく食べる。
 また、とても空腹のときに食べる食事は、簡単なものでも、その時の自分にとっては「御馳走」と思える経験は何度もしてきた。
 ところで豪華な食事をなぜ御馳走というのだろうと思って調べると「馳走」とは「ある目的を達成するために方々を走り回る」ことで、昔は客の食事を用意する時に馬を走らせ、食材を用意したことから来ていると言う。
 先日、来客にインスタント食品を出した時、「御馳走様」と言われたが語源を知ってしまうと恐縮する
義姉亡くなる 2018・10・3(水)
 一日から我が家にやってきていた義姉が今朝(午前3時33分)肝臓がん破裂で亡くなった。元気に動いていた義姉の急変に驚いた。救急車で市民病院に行ったが、医師は危ないという。早速鳥取の実家に連絡し、夫と息子夫婦が四日市に向かったが、残念ながら死に目には会えなかった。
 弟、妹、その妹の夫(素空)3人でずっと付き添ったが、最後は眠るように逝った。横顔は笑っているようだ。
 4日四日市で簡単なお別れ会をして火葬する。遺骨を鳥取に運び本葬は9日に行うと息子は言っている。
 連れ合いと結婚後40年以上にわたってお世話になった義姉、その死がいまだに信じられない。
日録 20世紀(1962・昭和37年) 2018・10・2(火)
 1962年のグラビアは
  ・植木等「無責任男」ブーム
  ・マリリン・モンロー突然死の謎!
  ・人口1000万人突破!東京のパニック
  ・戦後初の国産旅客機「YS11」が翔んだ
 植木等は役者として「嫌々やっていた」ところがあると言っており「僕自身が日常生活でも無責任男をよそわなければならなかった」語っている。当時軽々しいと思ったけど、同時に楽しかったのも覚えている。
 ある学者はこう言う。「この頃、30年代前半生まれの『新しい世代』から既存の価値観を転換させようという動きが生まれた。ゴダール、トリュフォー、大島渚そして青島幸男。青島は産業社会の禁欲倫理と日本のじめじめした演歌的情緒を小気味よく壊して見せた」
 モンローの死は大きなニュースになったが、特に発見から通報まで4時間の空白が謎を多く呼んだようだ。
 有名な地下鉄の通風口の上でスカートをおさえるシーン(映画・七年目の浮気)は15回以上撮り直したという。
10月の始めに 2018・10・1(月)
 9月のノブ君ハイキングは半田市の彼岸花見学だった。10月はあちこち出かけたいところがいっぱいある。ノブ君と相談しよう。
 義姉がもっと歩けるようになったら、あちこち連れて行ってあげたいし、実家の墓にも一緒に行こうと思っている。
 くるみとのハイキングも再開しようと考えているが、暇なのに時間が無いのは不思議、時間の使い方が下手なのかな?
  
             黄色い彼岸花(半田・矢勝川堤)
         月下美人 16輪 咲く   (9月29~30日)

                台風とくるみ(10・1)

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