6月の終わりに 2016・6・30(木)
 陽ちゃん(4歳)はほとんど毎日やってきて遊んでいるが、初対面の人がいるとしり込みする。兄や友人・Yの車が止まっていると躊躇して入ってこない。4歳とは難しい年ごろなのかな?徐々に社会性が身についていく年と聞いているけど。
 悲しいことは10数年仏像制作で親しくしていただいたN先輩夫婦とお別れしたことだ。大阪の娘さんの近くで楽しく暮らしてほしいと願っている。
 「海ゆかば」を書き終えた。辺見庸は「1937」で日本軍の南京大虐殺を主題にして取り上げ、戦争に加わらなかった我々世代の受け止めと責任を身をえぐるようにして書いている。人を殺すことは悪であり、戦争に正義はないと思っている。現在の平和な世界が続くことを願う。
連休のぜいたく(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・6・29(水)
 出掛ける予定も何もない大型連休。せめてもの楽しみに、奮発してすしを食べることに。夫に買い出しを頼むと、買ってきたのはスーパーの五百八十円のパックずし。あなたがけちだってこと忘れてたわ。
                       (ぱーっといきたい妻・57歳)

 我が家の連れ合いは「ぱーっといきたい派」、自分は「けち派」、案外これで家庭は持っているのかも? 
海ゆかば6(完) 2016・6・28(火)
 辺見庸はこう書いている。『・・・「海ゆかば」は・・・NHKの電波にのり、不思議な磁力で、ただちにニッポンに根づいた。それは天皇ー戦争ー死ー無私・・・の幻想を体内にそびきだし、大君のための死を美化して、それにみちびいていく、あらかじめの「弔歌」でもあったのだ
 「海ゆかば」はフランス革命に代表されるブルジョア革命で、その端緒が開かれた自由や平等(身分制の廃止)、民主主義に真っ向から対立する天皇制ファシズムを象徴する歌である。
 素空が生まれた時にはおばさんばかりで、おじさんはいなかった。たった2人のおじさんは戦死していた。
 亡母は兄の死後に残された母と義姉を詠んでいる。
       子の戦死 その嫁にいかに 知らさむと
                     なやみし母を 今も忘れず
南京続唱・第9首(會津八一) 2016・6・27(月)
 奈良博物館にて(第3首)                    解説
   かべ に ゐて ゆか ゆく ひと に たかぶれる 
              ぎがく の めん の はな ふり に けり

 「伎楽の面」は呉の仮面劇で使われたもの。壁に掛けられた高慢そうに見えるその面の鼻が古びてしまったと詠む。第4首と合わせてみると面に対する八一の独特の感覚がある。 
麻雀大会 2016・6・26(日)
 年に2回、知り合いの麻雀荘の大会運営を手伝う。20人の選手にルールの説明をし、成績の計算をする。過去に多い時は300人の大会を運営したこともある得意分野だが、能力が低下しているのかルールにあいまいなところがあったり、思っていることと違ったことを言ってしまう。
 参加選手は高齢者が多いので温かく見守ってくれるけど、鋭敏な若者が多かったら務まらないだろう。
 15年前のブログに「脳はピアノなど手先を使ってすることで活性化する。手先を使い考える事が多い麻雀を毎日するSURUME(素空)は・・・」と書いているが、どうも効果は薄かったようだ。 
枕草子(六十四段)・草の花は 2016・6・25(土)
 34段(参照)では木の花について書いていたが、ここでは 63段に続いて16の草の花を紹介する。ほとんどが秋の花である。詳細は原文と訳(64段)を参照。
 「敢えて取り上げて持ち上げてあげるほどの花ではないが、かまつか(雁来花)の花は可憐だ。名前がちょっと嫌な感じだが。雁の来る花と文字では書いている」と書いている「かまつか」は、らうたげ(可憐だ)と表現しているので会津八一が詠っている「雁来紅(かまづか)=葉鶏頭」とは違うようだ。
16の草の花
 撫子(なでしこ)。女郎花(をみなへし)。桔梗(きゝやう)。朝皃(あさがほ)。刈萱(かるかや)。菊(きく)。壺菫(つぼすみれ)。竜胆(りんだう)。かまつか(雁来花)。かにひ(雁緋)。萩(はぎ)。八重山吹(やへやまぶき)。夕顔 (ゆふがお)。しもつけ。蘆(あし)。薄(すゝき)。 
退職祝い 2016・6・24(金)
 6月22日、企業に勤めていた義兄が65歳で完全退職をした。鳥取の姉や千葉の甥から退職祝いが届いている。肉好きの義兄のためお祝いを焼き肉店で行うことにしたが、予定した日(21日)は休みだった。近くのステーキ店に予定を変更して夕方を待っていたら、素空の兄夫婦が突然やってきた。
 エッ!退職祝いに来たの?と思ったけど、連絡してないので知るわけがない。兄も肉好きなので、肉でのお祝いを嗅ぎつけたのかと思ったけど、四日市に用事があり、また素空家が休みの日だったので立ち寄ってくれたのだ。兄夫婦の参加で夕食が賑やかになってよかった。
 義母がなくなっていて義兄は一人で暮らしている。「家に閉じこもっていないでいろいろしないといけない。倒れているといけないから時々連絡をするんだよ」と言ったけど、よく考えたら素空のほうが年上だった。こちらのことを心配してもらはなくてはいけない。
1年に何回?(朝日新聞・あのね) 2016・6・23(木)
 近所の人が飼っている犬のふうちゃんは12歳なのに、人間で言うと60歳くらいだと聞いた。「1年に何回お誕生日あるんやろな」
                 (堺市 松本明香音〈あかね〉・9歳)

 参った!この発想が素晴らしい。犬は1年で人間で言うと6歳ぐらい年を取るという。我が家のくるみに「年6回誕生日祝いをする?」と聞いてみるかな! 
平和の俳句 2016・6・22(水)
 中日新聞が連載する平和の俳句、6月20日。

    若冲(じゃくちゅう)に二千の行列春うらら
             増田靖夫(74) さいたま市見沼区
 
 <金子兜太>江戸の画家若冲。装飾画のような鶏などの絵に
          二千の行列とは平和だなあ。
 <中江有里>行列に戦(おのの)いて結局行けませんでした。
          これぞザ・平和の光景です。

 東京都美術館で5月24日まで開催されていた伊藤若冲展、入館まで2時間並びだったので、訪れた千葉の友人、奈良の友人ともにあきらめたという。しかし、四日市の友人・ポンちゃんは大学の同窓生と一泊で出かけて見てきた。その熱意は立派。以前に信楽のMIHO MUSEUM (ミホミュージアム)で若冲を見たが、素晴らしい作品群だった。
                     伊藤若冲展・ポンルームへ
海ゆかば5 2016・6・20(月)
 第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)、劣勢による兵力不足を補うため、学生を在学途中で徴兵したのが学徒出陣である。(10月1日の在学徴集延期臨時特例による)
 東京の明治神宮外苑競技場で行われた10月21日の第一回出陣学徒壮行会(関東地方の入隊学生を中心に7万人)で歌われたのが「君が代」であり「海ゆかば」だった。早大の学生だった故植田重雄先生は壮行会後の奈良での師・会津八一との別れを「最後の奈良見学旅行(11月11日~)」で書いている。その中でこう言う。
 「・・・昭和十八年の秋のそれは、特別のものであったようにおもう。太平洋各戦域でアメリカは総反攻に転じ、ミッドウウェー海戦、ガダルカナルの激闘、アッツ島の玉砕等々日本は守勢に立たされていた。
 当時、貴族院議員であり、土佐の武市半平太の嗣子なる人が、まだ日本は敗北したわけではない、三十万人の学生の精鋭がいるではないか、これらをして国難に当たらしめ退勢を挽回しようと提案した。戦後は戦争責任を軍部にだけかぶせたが、政治家もなかなか率先してやったものだ。やがて「徴兵猶予の停止」が宣言され、学園の学問や研究の火は消えることになった。いわゆる学徒出陣である。・・・

 運よく生還し、早大で教鞭に立たれた先生は保守的な思想の持ち主だったが、上記のように戦争に対する冷静な目を持っていた。
                  (明日第3火曜日は独り言を休みます)

         トミジャスーカインズーニューコトブキ
                       (義兄 退職と誕生日祝い・5人)
   
南京続唱・第8首(會津八一) 2016・6・19(日)
 奈良博物館にて(第2首)                    解説
   あき の ひ は ぎえん が ふかき まなぶた に 
              さし かたむけり ひと の たえま を

 ふかきまなぶた(深くくぼんだまぶた)の義淵像へ。   
拈華微笑(ねんげみしょう) 2016・6・18(土)
 木彫りの原稿を考えていた時、安達洋子先生から提示された言葉。知らなかったので調べた。
 意味は「言葉を使わず、心から心へ伝えること。また、伝えることができること。(拈華は花をひねる意。「華」は草木の花の総称。「拈」は指先でひねること)
 仏教語で以下のような故事による。
インドの霊鷲山(グリドラクータ)で釈迦が弟子に説法しているとき、一本の花をひねって見せたが、弟子たちはその意味を理解できなかった。ただ一人、迦葉(かしょう)だけが悟ってにっこりと笑った。釈迦は、迦葉が言葉で表せない仏教の奥義を理解できる者として、彼に仏法の奥義を授けた
 釈迦が迦葉に伝えたものはなになのかはネット上で調べたがわからなかった。言葉では表現できないものを伝えたと理解しておこうと思う。
 そんな言葉を彫ってみた。   作品へ
顔パスです(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・6・17(金)
 映画館でお金を払う。シニア割引を受けようと、夫が免許証を提示するより早く、窓口の人がシニア料金を案内してくれた。免許証を見せなくても、顔だけで分かってもらえるのね。     (二人で148歳・73歳)

 2010年に廃業した伊吹山スキー場(滋賀県米原市上野)に55歳でシニア割引があった。55を過ぎたぐらいで出かけ、リフト券売り場で「身分証を忘れたので車に取りに行く」と言ったら、窓口の若い女性がにっこり笑って「いいですよ!」と言われた時のショックは今でも忘れられない。
日録 20世紀(1936・昭和11年) 2016・6・16(木)
 1936年のグラビアは
  ◦「二・二六事件」勃発!
  ◦前畑と孫基禎(そん きてい、ソン・ギジョン)、ベルリン五輪の「光と影」
  ◦ 中国の転換点!驚愕の「西安事件」と「抗日」
  ◦英国王、“王冠を賭けた恋”で退位
 二・二六事件とは、2月26日に日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1,483人の兵を率いて起こしたクーデター未遂事件、高橋是清蔵相などが殺された。4日後に鎮圧されるがその後、日本は戦争への道をひた走る。
  「ナチス・オリンピック」と呼ばれたこのオリンピックで日本は金メダル6個を取っている。有名なのは「前畑がんばれ!」の平泳ぎ、アナウンサーはこの言葉を38回叫んだという。正反対で気の毒なのはマラソンで優勝した日本代表の孫基禎(日韓併合下の韓国人)だった。
 韓国人初の金メダリストという快挙に、韓国紙『東亜日報』が表彰台に立つ孫氏のシャツの胸にあった「日の丸」を塗りつぶした写真を掲載した。そのため日本の治安当局は『東亜日報』を無期停刊処分とするとともに、社員を逮捕拷問し、社長も逮捕して言論機関からの追放処分にした。孫自身も韓国でも日本でも不幸な目にあっている。
 西安事件とは張学良が蒋介石を監禁し「国共合作」を迫った事件。(蒋介石は共産党と対峙して中国は内戦状態。敵は満州を占領した日本だから合同して戦えと迫った)
 英国王・エドワード八世が王を辞退して結婚した有名な話。
南京続唱・第7首(會津八一) 2016・6・15(水)
 奈良博物館にて(第1首)                    解説
   ゆゐまこじ むね も あらはに くむ あし の
              やや に ゆるびし すがた こそ よけれ

 胸をはだけて足をゆったりと組んだ維摩居士の姿は素晴らしい。写真へ
海ゆかば4 2016・6・14(火)
 この曲は1937年に歌詞を万葉集の大伴家持作の長歌からとり、信時潔がNHKの依頼を受けて作曲したものである。(そのほか、1880年に海軍将官礼式用に東儀季芳が作曲したものもある)
 万葉集の編纂者と言われる大伴家持の作だと言うと何か良さそうに思えるが、ある人は天皇に媚びることが多く、この長歌も「大君」の礼賛だけで歌としての深みはないという。
 しかし問題なのはこの曲が1937年に大日本帝国政府が国民精神総動員強調週間を制定した際の闘意欲高揚を意図したテーマ曲だったこと。その後ラジオ放送が玉砕(大本営発表)を伝える際に、必ず冒頭曲として流さしたことである。
 ”天皇のために無私の精神で戦場で死んで来い”と煽り、死後は葬送歌として、「天皇のために死んだ」ということで死者(個人)の心や周りの悲しみをないがしろにし無視したのだ。
あなたのは上等よ(中日新聞・つれあいにモノ申す)
                         
2016・6・13(月)
 「俺の布団にシーツがかかってないぞ」と夫。「あなたのは高級で厚手だから、まだ乾いてないのよ」と答えておく。妙に納得顔の夫だが、本当は薄手で曇り空でもすぐに乾くのよ。かぶせるのを忘れてたわ。
                             (口八丁・64歳)

 口八丁は夫婦円満の秘訣かも?しかし、連れ合いの前では緊張してとっさに
「ごまかし」は出てこない。
せこい 2016・6・12(日)
 意味は「けちくさい、ずるい、料簡がみみっちい」、あまり人には言われたくない言葉だ。幼いころ家が貧しかったので、「けちくさい」ことはあったが「せこい」と言われたことはなかった気がする。ただ、家庭が少し裕福になってからは、生活の余裕からか一定の道義心や良識が育っていったと思う。
 「せこい」の大合唱の中にいる舛添東京都知事は、父親の病気や家業の傾きで小学2年の頃から貧困の中で苦学したという。だから「せこい」の要素はあるかもしれないが、その後の躍進(学者、政治家)の中で「道義心や良識」はしっかりと作られたと思うのだが。
 「せこい」と言われて指導的立場におれるわけがないから、たぶん一線から消えるだろうけれど、「けちくさい」気分の残っている素空からいえば、彼が居座れば居座るほど増えていく税金の無駄遣いが気になる。
南京続唱・第6首(會津八一) 2016・6・11(土)
 東大寺の戒壇院にて(第2首)                  解説
   かいだん の まひる の やみ に たち つれて 
              ふるき みかど の ゆめ を こそ まもれ

 四天王が見守っていたのは遠い昔の天皇の夢だった。
枕草子(六十三段)・草は 2016・6・10(金)
  興味深く心が引かれる32の草を紹介する。詳細は原文と訳(63段)を参照。ここでは仏像作りに関連する蓮(28番目に登場)の訳を書いておく。
 蓮の葉、他のどんな草よりも優れていて素晴らしい。「妙法蓮華経」の名前にも使われているように、花は仏様にお供えし、その実は数珠(じゅず)の珠(たま)に貫き、念仏を唱えて往生極楽に生まれ変わる縁にしようとするものだから。また、他の花がない初夏の季節に、青く澄んだ池の水に、紅の蓮の花が咲いているのも、本当に見事だ。翠翁紅(すいをうこう)という言葉で、詩に歌われているくらいだ。
 32の草
 菖蒲(さうぶ)。菰(こも)。葵(あふひ)。沢潟(おもだか)。三稜草(みくり)。蛇床子(ひるむしろ)。苔(こけ)。雪間(ゆきま)の若草(わかくさ)。こだに。かたばみ。あやふ草(ぐさ)。いつまで草。ことなし草。忍ぶ草(ぐさ)。道(みち)芝。茅花(つばな)。蓬(よもぎ)。山すげ。日すげ。山藍(あゐ)。浜木綿(はまゆふ)。葛(くず)。笹(さゝ)。青(あを)つづら。なづな。なへ。浅茅(あさぢ)。蓮(はちす)。唐葵(からあふひ)。さしも草。八重葎(やへむぐら)。つき草。
海ゆかば3 2016・6・9(木)
 出征前の奈良での別れの情景で歌われた重く悲しいひびきの「海ゆかば」を辺見庸は死へのいざないの歌と言い、「17(イクミナ)」でこう表現する。
 「・・・1937年十月十三日、NHKは「国民唱歌」の放送を開始するが、その第一回が「海ゆかば」だった。この歌はその後・・・「玉砕」を報じるときにながされるようになるのだが、まるでさいしょからそれを予感していたかのような凄絶(せいぜつ)な「悲歌」の響きがある。これを美しいニッポンの歌だというむきがある。・・・しかし、わたしはいつも、なんという底方(そこい)も知らない暗さだろう、というおもいがある。・・・
 たしかに先輩が歌った「海ゆかば」を聞いたとき、とても暗く悲しい歌で心を揺さぶるものがあると思った。しかしこの歌に騙されてはいけない。
 歌の成立について次回で述べたい。 
いつも一緒(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・6・8(水)
  どこに行くにも、何をするにも、私に「一緒に来て」と言う夫。でもね、私の死亡届を出しに役所に行くときは多分、ついて行ってあげられないからね。       (自立してほしい妻・69歳)


 「一緒に来て」とは言わないが、固有名詞が出てこないと言ったら「認知症になる前に収容施設を自分で探しておいて!」と言われた。
お別れ 2016・6・7(火)
 仏像作りの仲間、Nさんの奥さんが倒れてやがて1年になる。Nさん宅には9年間、月に2回訪れたので奥さんには親しくしてもらっていたし、いつも家庭菜園でできるものをお土産にもらっていた。
 脳梗塞で左上半身と下半身不随なので小山田病院で治療していたが、大阪に住む娘さんの近くにある「サービス付き高齢者向け住宅」に転居するので仏像づくりの仲間Sさん
とお別れに出かけた。身体は動かないが頭脳明晰、言葉はしっかりしているので、ゆっくりとお話をしてきた。
 Nさんとは安達仏像教室で10数年のお付き合い、先輩としていろいろと面倒を見てもらった。企業で活躍し、奥さんは家庭を守って夫を支えてきたが、今ではNさんがかいがいしく奥さんの面倒を見ている。80代の夫婦の素晴らしい愛の姿を目の当たりに見てきた。
                          陽香ちゃんと一緒・くるみ(6・7)
南京続唱・第5首(會津八一) 2016・6・6(月)
 東大寺の戒壇院にて(第1首)                  解説
   うつろひし みだう に たちて ぬばたまの
              いし の ひとみ の なに を か も みる

 戒壇院の四天王の黒い瞳は何を見ているのかと詠う。答えは東大寺の戒壇院にて・第2首にある。  
「やんちゃぼうず(孫・3)」・県展入選 2016・6・5(日)
 仏像づくりの仲間、安田刻粋さんの作品が「伊勢志摩サミット開催記念 第67回みえ県展」(~6・5)に入選したので、6月4日、三重県文化会館に仲間Sさんと出かけた。
 安田さんは仏像彫刻、能面制作など優れた作品が多いが、最近作っている「孫」シリーズは創造の中にリアルさがありとても良い。以前、パラミタミュージアムで「孫」(1かな)を拝見したが、新たな領域で良い作品だと思っていたら、やっぱり入選作になっていた。
 この日は土曜日だったので他にも沢山の企画をやっていた。三重県文化会館はもう一度ゆっくり訪れたい。
  
器用 2016・6・4(土)
 習っている仏像作品を見せると「あなたは器用だから!」とよく言われる。「いや、不器用なので苦手な工作(彫刻)を習っているのですよ」と何時も答える。
 その通りなのだが、ここで言う「器用」という言葉の意味をもう少し掘り下げて考えてみると「細かい仕事や仕事の処理がうまい」と言う本来の意味以外に「手先のわざや本職でない芸事をうまくこなす」という幾分皮肉を交えた意味もある。
 そういう意味で「器用」だけでは素人の域を出ず、大成はしない。大成する条件には「ひとつのことにとことん打ち込む」があるだろう。
 仏像教室入門の時、彫刻刀を触ったことのない素空の不器用さを先生はすぐに見抜いたが、すがるような目の中に「とことん打ち込む」姿があったのか入門を許可してくれた。しかし、いまだに良い作品が作れないのは不器用なうえに、そもそも才能も欠けているからだろう
 そんなことを思いながらも彫りあげた自分の作品は世界にたった一つだからと思いながら、懲りずに続けている。 
夫のおねだり(中日新聞・つれあいにモノ申す) 2016・6・3(金)
 週末はいつも、ゴルフ中継にくぎ付けになる夫。「俺も白いズボンが欲しいなあ」とぽつり。買ってもいいけれど、そのぽっこりしたおなか、白だとなおさら目立つわよ。          (鏡を見ながら考えて・69歳)

 お腹は出てないが、最近よく食べ物をこぼすので白は困る。先日、ゴルフ場で昼食のトンテキを落とし、その後は上下の服を着替えてプレーした。

                        
発表会を前に・琴将(6・3)
海ゆかば2 2016・6・2(木)
 恩師・故植田重雄先生は自らの出征前を描いた「最後の奈良見学旅行」で「海ゆかば」などの軍歌を歌う学生の姿を書き、会津八一の歌を紹介している。
 最後の奈良見学旅行6  
 聖林寺を出たあと、桜井から近鉄に乗り、室生寺口に至り、大野磨崖仏をわきに見ながら、室生寺渓谷の山道を遠足でもするように一行は歩いていった。谷合の夕暮れは早い。やがて室生寺にたどりつく頃は、激しい川水がひびくのみである。
 室生寺の沿革について道人は講話した。それは空海ではなく、興福寺の賢憬(けんきょう)と修円によるものではないかということであった。夜更けて、たれやらが村にいって買ってきた酒を、渓川のあたりで、會津先生をお呼びして別離の宴にしようといい出した。
 「海ゆかば水漬くかばね、山ゆかば草むすかばね・・・・・・」の歌がどこからともなくひびき、校歌や軍歌もつぎつぎに歌った。無理をして酒を飲み、川風に吹かれたのがいけなかった。道人は再び風邪をひいたらしい。

 この時、八一が詠んだ歌が山光集・霜葉の第2、3首である。
  やまがは は しらなみ たてり あす の ごと   
           いで たつ こら が うた の とよみ に   解説
  うみ ゆかば みづく かばね と やまがは の   
           いはほ に たちて うたふ こら は も    解説
6月のはじめに 2016・6・1(水)
 6月(水無月)は夏の始まり(初夏)だが、梅雨も始まる。珍しいことに祝日がない唯一の月である。6月は
  1日ー衣替え   19日ー父の日   21日ー夏至 
 私的には今月は、嫁(長男の妻)の誕生日と義兄の誕生日がある。
 暑くなるからくるみは毎日川に飛び込むだろうな~~!
  

inserted by FC2 system